孤高の2人が手を繋ぐとき

 翌朝、春斗は母親の叫び声で目が覚めた。
 何を騒いでいるのかは分からないが、枕元に置いていたアラーム替わりのスマートフォンを確認する。
「まだ6時過ぎなんだけど・・・」
 8時過ぎまでは寝ていようと思っていたため春斗は二度寝の態勢に入ったが、階下から響く声が気になって寝付けない。仕方なくベッドから起き上がると部屋のドアを開けた。その時になって、ようやく母親が叫んでいた言葉が鮮明に耳に届いた。

「心愛!! 心愛!! どこにいるの!!」

 一気に春斗の意識が覚醒する。部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
 声がする方に向かうと、玄関付近で泣き叫んでいる母親を見付けた。春斗を目にした母親は、泣き腫らした顔を向けて訴える。
「心愛がいないの。さっき目が覚めたら、一緒に寝ていた心愛がいなくなっていたの。家中どこを捜しても見当たらない。どんなに捜しても、どこにもいない。玄関のカギは閉まっていたし、窓も全部確認したけれど、どこも開いていないの。家の中にいるはずなのに、いないの。どこにも、どこにも心愛がいない」
 春斗は母親に歩み寄ると、落ち着かせるためにそっと肩を抱く。
 母親の言っていることは理解できたものの、その言葉をそのまま信じるのであれば、心愛が内側からカギがかかっている家の中から忽然と姿を消したということになる。状況的に当てはまるとすれば「神隠し」だ。そう考えた春斗は、自分の発想に苦笑する。そんなことが有り得るはずがないからだ。

「・・・やっぱり、逃がしてくれないのね。心愛を、連れて行ったんだわ」

 春斗はガタガタと震える母親をリビングに連れて行き、ソファーに座らせる。今の状態では、冷静な判断などできないからだ。春斗はスマートフォンを片手に持ち、コールしながら家中のカーテンを開けていく。すでに外は十分に明るく、家の中が明るくなっていく。
「おい、春斗。何時だと思ってるんだ。まだ6時半にもなってないぞ。 ・・・何かあったのか?」
 応答した燈矢の雰囲気が変わる。
「心愛ちゃんがいなくなった」
「すぐに行く」
 即座に通話が切れた。
 春斗は母親をリビングに残したまま、家の中を隅なく捜していく。人が入れない場所も、見落としがないように捜す。外に通じるドアも窓も、痕跡を見逃さないように確認する。しかし、どこをどう捜しても、どんなに確認しても、心愛の姿はどこにもなく、何の痕跡も見付けることができなかった。

 ちょうど春斗が全てのチェックを終えた時、外でバイクのエンジン音が聞こえた。春斗は急いで玄関に向かうと、ドアのカギを開ける。
「春斗!!」
 開口一番、名前を呼ばれた春斗は左右に首を振る。
「どこにもいない。自分から外に出た様子も、誰かが侵入した形跡もない。本当に、何が起きたのか全く分からない」
 その説明を受けた燈矢はクツを脱ぎ捨てて家に上がり、リビングで項垂れる母親の下に向かった。そして、母親の正面で身を屈め、両手を肩に置く。
「千鶴さん、これは一体どういうことなんですか?普通なら真っ先に警察に連絡するところなのに・・・オレに、何か隠していることがあるんじゃないですか?」
 第三者の登場に驚いた千鶴が、その口調によって誰が話しをしているのかに気付く。
「燈矢さん?どうして・・・」
「それは後で説明します。心愛は、これは一体どういうことなんですか?」


 千鶴は心愛について、燈矢には明かされていなかった事実を話す覚悟を決める。
 「心愛は私と前の夫との間にできた子だということは、燈矢さんも知っていると思うけれど、生まれた経緯が少し特殊なの」という前置きで始まった内容は、それは燈矢にとっても、春斗にとっても俄かには信じられない内容だった。

 元々、千鶴は前の夫とともに、ここよりももっと山奥にある小さな集落で暮らしていた。夫は登山が趣味で、特に近隣で最も標高が高い姫ヶ岳には毎月のように登っていたという―――――
 慣れた山であったために油断をしたのか、ある日、単独で登っていた夫は足を滑らせて滑落してしまった。登山道から外れた崖の下に救助が来る可能性は低い。だからといって、片足が動かない状態で崖を登ることは不可能だ。懐から取り出した携帯電話には「圏外」の文字。天を仰ぎ望する。そんな極限状態の中で、夫は声を聞いた。
 「助けてやっても良いが、その代わり、オマエに娘が生まれた場合は私に差し出してもらうぞ」、と。

 承諾したのか、それともしなかったのか。夫には、それ以降の記憶が無かった。
 ただ、滑落したはずの夫が、なぜか登山道で発見されたことが返事の証拠なのかも知れない。

 それから1年と少し、2人の間に子どもが生まれた。それが心愛だ。
 助けられた時の言葉を忘れていなかった夫は、千鶴に心愛から目を離さないように何度も注意していた。しかし、生まれて半年が過ぎた頃、心愛は忽然と姿を消した。泣き叫ぶ千鶴を残し、夫は姫ヶ岳に登った。まるで、そこに心愛がいることを知っているかのように。

 確かに、山に登った夫は心愛を見付けた。
 心愛を腕の中にしっかりと抱きかかえていたものの、発見された時にはすでに息が絶えていた。