孤高の2人が手を繋ぐとき

「本当に合ってるのか?」
 燈矢は春斗の方に向くと再度の確認を求める。春斗も同じことを考えていたのか、すでに背負っていたカバンから封筒を取り出すところだった。春斗が裏面に書かれている住所と地図アプリの照合をするが、すぐに燈矢に視線を向けて頷いた。
「間違いないね」
 この住所が間違っていないということは、もうここには住んでいないのだろう。

「あなた達、そこで何をしているの」
 その時、道路を歩いてきた初老の女性が2人に声を掛けてきた。女性の視線が不審人物でも見るかのように燈矢に向けられる。それが春斗の方へと移り、手元を見て止まった。
 2人がどう答えたものかと思案していると、再び女性が口を開いた。
「もしかして、三ツ谷さんに用があるの?」
 三ツ谷とは交通事故を起こした人物の名前だった。つまり、春斗が手にしている手紙の差出人だ。
「そうです」
 春斗が肯定すると、その女性が少し距離を詰めてきた。
「そう・・・残念だけど、三ツ谷さんはもう、ここにはいないわ」
 女性は鬱蒼と茂った庭の草を眺めながら、まるで告白するように話しを続けた。


「この家は、10年前に問題を起こして誰もいなくなったの。
 知っている(・・・・・)と思うけど、この家に住んでいた人が飛び出してきた小学生をトラックではねるという交通事故を起こしてしまった。それだけならば良かったのだけど、三ツ谷さんは運転しながらお酒を飲んでいて完全に飲酒運転だった。もし酩酊状態でなければ、その小学生を避けることができた可能性が高い。だから、救急車も呼ばず、その場から逃げようとした。でも結局、逃げることはできずに諦めたけれど。
 三ツ谷さんは運転免許を取り消されると仕事が無くなるから、飲酒をしていたという事実を認めようとせずウソの証言をした。気が動転して、事故の後に、水と謝って酒を飲んでしまった。道路に飛び出してきた子どもが悪い。あのタイミングでは避けられるはずがない、と」

 その言い訳に、当事者の燈矢の表情が歪む。そもそも、その程度の言い訳で警察が誤魔化せると思えなかった。

「三ツ谷さんの逃亡と飲酒運転を誤魔化す言い訳を阻止したは、被害者の母親だった」
「え?」
 燈矢の目が見開かれる。
 燈矢の中では、母親は自分よりも愛する男を選んだ敵だった。まだ幼い子どもだった自分を捨てた極悪人だった。誰も信じることができなくなった元凶だ。

「事故の直後、その子どもの母親が現れて、逃げようとする三ツ谷さんと掴み合いをして止めた。そして、飲酒運転ではなかったと言い訳を繰り返す三ツ谷さんに対し、毎日のように自宅を訪問して説き伏せた。毎日毎日、本当のことを言って欲しいと。赦せなかったんでしょうね。自分の子どもが大怪我をする事故に遭った原因が、飲酒運転だったということが。私にも、その気持ちは分かるから。
 最終的に、三ツ谷さんは自分が飲酒をしていたことを認めて、刑に服すことになった。交通事故自体には執行猶予が付いて収監されることはなかったけれど、運転免許は取り消され、飲酒運転をしたことによって会社は解雇された。でも、それは仕方が無いことだと思う。違反を犯したのだから、当然のことだと思う」

 淡々と話していた女性の口調が変わる。

「悪いのは、あの人(・・・)。それは間違いない。でも、あの子(・・・)にとっては違った。
 毎日、大好きな父親を詰りに訪れる女性。近所でも、学校でも陰口を叩かれる。仲が良かった友達に距離を置かれ、教室で孤立する。家に帰っても辛気臭い母親と、気力を失った父親。その原因はどこにあるのか。誰が悪いのか。誰かを悪者にしなければ、どうにもならなかった。してはいけなかった、とは思う。道徳的にも、絶対に赦されることではない。分かっているの。悪いのは、あの子。それは分かってる。でも、それでも、私は・・・
 夏休み明け、学校が再開され、地獄に呼び戻された瞬間、あの子の心が壊れてしまった。あの子が、あなた(・・・)のお母さんを刺した」

 燈矢は自分の母親が抗議に出向き、女子高生に刺されていたことなど全く知らなかった。
 もし、あの手紙をもっと真剣に読んでいれば、読み返していれば、知ることができただろう。

「ごめんなさい・・・謝って済むことではないけれど、腕を少し掠めただけだったから完治したとは連絡を受けたけれど。それでも、あの子がしたことは、決して赦されることではない。その直後、この出来事を、ある地方紙の記者がどこからか入手してスクープとして記事にした。学校と卒業生達の手によって不祥事はすぐに揉み消されたけれど、あの子は退学処分になり、学校は悪化したイメージを刷新するために制服を変更することを決定した。
 その2日後、あの子は全ての責任を取るために、ビルから飛び降りた。
 あの人は、その1年後に倒れて、そのまま。元々肝臓が悪かったし、過度なストレスも重なったのだろうと主治医に告げられた。
 誤解しないでもらいたいのは、本当に、責めるつもりは全くないの。そもそも、責める理由も無いし。ただ、結末は伝えておいた方が良いかと思って」


 そこまで話すと、女性は、女子高生の母親は深々と頭を下げた。
 今は違う場所に住んでいるらしいが、思い出が詰まったこの家を売ることができず、時々様子を見に来ているらしい。