春斗は燈矢の手を放し、2歩、3歩と後ずさり、ぬかるんだ地面に足を取られ尻もちをついた。
虚ろな視線は、真っ黒に染まる空に向けられる。そのままの状態で数秒見上げた後、雨に打たれながら笑い始めた。笑い声は雨音に打ち消されることなく、燈矢の耳にも届いた。
ひとしきり笑った春斗が項垂れる。
「・・・祓えるはずがない」
勝てるはずがない。春斗は思い知ったからこそ、そう確信した。子どもを助けたいがために、人としての形を失っても、数百年間ずっとこの地に留まり続けている母親。そんな存在を祓うことなど誰にもできない。
憑いてはいても、春斗に害を及ぼすつもりはないのだろう。「愛してる」という言葉は、そのままの意味なのだ。生き残った春斗を、自分の子どもと勘違いして守ろうとしているに違いない。首を絞めようとしているのではない。ただ、抱き締めているだけだ。
「燈矢、早く元に戻れる方法を探すから。間に合わせるからね」
俯いたままで、力無く春斗が告げる。
彼女が春斗に対して悪意が有ろうが無かろうが、取り憑かれている者は生気を奪われる。奪われ続ければ当然、生命を維持することはできなくなってしまう。
そんな様子を見た燈矢が、春斗に歩み寄りながら叱咤する。
「投げやりになるな。絶対に、何か方法があるはずだ。昔の偉い人も言っただろ。諦めたらそこで試合終了だ、って」
「それは、マンガの名言だよ」
「だ、誰のセリフでも関係ないだろ。とにかく、簡単に諦めるな。考えろ。春斗は全国トップレベルの頭があるだろ。
立って、前を向け。
それにな、思い出せ。
オマエはなぜ、今も生きているんだ?
誰の思いを受けて、今ここにいるんだ?
両親は、どんな思いをオマエに託したんだ?」
燈矢が春斗の手を掴み、立たせようとして引っ張る。
「ボクの、両親・・・」
これまでよりも鮮明に思い出される記憶。
―――――アイシテル。
振り返って春斗に手を伸ばす。
―――――アイシテル。
少しでも衝撃を和らげるために、シートに押し付ける。
―――――アシテイル。
恐怖を取り除くように。
―――――アイシテル。
春斗に対する愛情のすべてを込めて微笑んだ。
―――――アイシテ・・・・・
愛してる。
誰よりも。
―――――アイシ・・・・・
愛してる。
愛しい春斗。
ひとりにしてしまうけれど、これから先もずっと。
―――――アイ・・・・・愛してる。
私達は誰よりも、春斗を「愛してる」。
最後の瞬間、両親は春斗に「愛してる」と言った。
それを思い出した瞬間、春斗の身体に取り憑いていた女性の背後から4本の手が現れた。その手は女性の身体を掴むと、春斗から引き剥がす。どんなに足掻こうと、どんなにしがみ付こうとしても、4本の手はそれを許さない。そして、そのまま暗闇の中に引き摺り込んでいく。その先がどこに繋がっているのかは分からない。ただ、もう二度と、何があっても戻って来られない場所だということだけは分かる。分かってしまう。
女性の伸ばした手が見えなくなると同時に、微かに声が聞こえた。
―――――愛してる―――――
「うん、ボクも、父さんと母さんを愛してるよ」
春斗は雨でごまかしながら、笑みを浮かべて応えた。
その後、30分ほどで完全に雨は止み、空からは陽の光が降り注ぎ始めた。まるで先ほどの出来事が夢だったかのように、周囲は柔らかな空気に包まれている。ただ、目の前に現れた洞窟と、聞こえなくなった「愛してる」という言葉が現実だったことを物語っている。
「とりあえず、おめでとう、と言っていいのか?」
びしょ濡れの服を絞りながら燈矢が訊ねる。その問いに対し、春斗もヘルメットに溜まった雨水を流しながら応える。
「それで良いよ。両親のことも思い出したし、あの女性も無理矢理だけど未練を断ち切ったしね」
春斗の視線が洞窟に向けられる。それは数百年前に起きた悲劇と、この集落が抱える闇の象徴だ。これをどう扱うかは、この地に住んでいる人達が決めることであり、余所者が口を挟むことではない。
「この洞窟のことは、この地区の人達に報告しないとね」
「そうだな」
春斗の言葉を燈矢が肯定する。
春斗はまだ乾いていないヘルメットを被るとバイクに跨る。そして、キーを回してキックスターターを踏み込んだ。豪雨に打たれても渋ることなく、1発でエンジンが始動した。
「帰りはボクが運転するよ。燈矢はアクセルワークが下手だし、エンジンが可哀想だからさ」
「はあ?そんなことはないだろ!!」
服を着た燈矢が、ザバザバとヘルメットから水を垂らして被る。その勢いのまま、後部座席に乗り込んだ。
「今日は心愛ちゃんの御迎えの日だから、このまま幼稚園に直行するけど良いよね?悪くても行くけど」
「それは何よりも優先だな。まだちょっと早いから、どっかでメシでも食うか。服も乾かしたいしな」
燈矢の提案に春斗が首肯する。
「了解。途中で食事できるところがあったら寄るよ」
燈矢が濡れた服のまま、後部座席から春斗にくっつく。
お腹に回した腕が、素肌が触れ合うような感覚で巻き付いた。
そんなことを気にすることもなく、2人が乗ったバイクは崖の下を後にした。
虚ろな視線は、真っ黒に染まる空に向けられる。そのままの状態で数秒見上げた後、雨に打たれながら笑い始めた。笑い声は雨音に打ち消されることなく、燈矢の耳にも届いた。
ひとしきり笑った春斗が項垂れる。
「・・・祓えるはずがない」
勝てるはずがない。春斗は思い知ったからこそ、そう確信した。子どもを助けたいがために、人としての形を失っても、数百年間ずっとこの地に留まり続けている母親。そんな存在を祓うことなど誰にもできない。
憑いてはいても、春斗に害を及ぼすつもりはないのだろう。「愛してる」という言葉は、そのままの意味なのだ。生き残った春斗を、自分の子どもと勘違いして守ろうとしているに違いない。首を絞めようとしているのではない。ただ、抱き締めているだけだ。
「燈矢、早く元に戻れる方法を探すから。間に合わせるからね」
俯いたままで、力無く春斗が告げる。
彼女が春斗に対して悪意が有ろうが無かろうが、取り憑かれている者は生気を奪われる。奪われ続ければ当然、生命を維持することはできなくなってしまう。
そんな様子を見た燈矢が、春斗に歩み寄りながら叱咤する。
「投げやりになるな。絶対に、何か方法があるはずだ。昔の偉い人も言っただろ。諦めたらそこで試合終了だ、って」
「それは、マンガの名言だよ」
「だ、誰のセリフでも関係ないだろ。とにかく、簡単に諦めるな。考えろ。春斗は全国トップレベルの頭があるだろ。
立って、前を向け。
それにな、思い出せ。
オマエはなぜ、今も生きているんだ?
誰の思いを受けて、今ここにいるんだ?
両親は、どんな思いをオマエに託したんだ?」
燈矢が春斗の手を掴み、立たせようとして引っ張る。
「ボクの、両親・・・」
これまでよりも鮮明に思い出される記憶。
―――――アイシテル。
振り返って春斗に手を伸ばす。
―――――アイシテル。
少しでも衝撃を和らげるために、シートに押し付ける。
―――――アシテイル。
恐怖を取り除くように。
―――――アイシテル。
春斗に対する愛情のすべてを込めて微笑んだ。
―――――アイシテ・・・・・
愛してる。
誰よりも。
―――――アイシ・・・・・
愛してる。
愛しい春斗。
ひとりにしてしまうけれど、これから先もずっと。
―――――アイ・・・・・愛してる。
私達は誰よりも、春斗を「愛してる」。
最後の瞬間、両親は春斗に「愛してる」と言った。
それを思い出した瞬間、春斗の身体に取り憑いていた女性の背後から4本の手が現れた。その手は女性の身体を掴むと、春斗から引き剥がす。どんなに足掻こうと、どんなにしがみ付こうとしても、4本の手はそれを許さない。そして、そのまま暗闇の中に引き摺り込んでいく。その先がどこに繋がっているのかは分からない。ただ、もう二度と、何があっても戻って来られない場所だということだけは分かる。分かってしまう。
女性の伸ばした手が見えなくなると同時に、微かに声が聞こえた。
―――――愛してる―――――
「うん、ボクも、父さんと母さんを愛してるよ」
春斗は雨でごまかしながら、笑みを浮かべて応えた。
その後、30分ほどで完全に雨は止み、空からは陽の光が降り注ぎ始めた。まるで先ほどの出来事が夢だったかのように、周囲は柔らかな空気に包まれている。ただ、目の前に現れた洞窟と、聞こえなくなった「愛してる」という言葉が現実だったことを物語っている。
「とりあえず、おめでとう、と言っていいのか?」
びしょ濡れの服を絞りながら燈矢が訊ねる。その問いに対し、春斗もヘルメットに溜まった雨水を流しながら応える。
「それで良いよ。両親のことも思い出したし、あの女性も無理矢理だけど未練を断ち切ったしね」
春斗の視線が洞窟に向けられる。それは数百年前に起きた悲劇と、この集落が抱える闇の象徴だ。これをどう扱うかは、この地に住んでいる人達が決めることであり、余所者が口を挟むことではない。
「この洞窟のことは、この地区の人達に報告しないとね」
「そうだな」
春斗の言葉を燈矢が肯定する。
春斗はまだ乾いていないヘルメットを被るとバイクに跨る。そして、キーを回してキックスターターを踏み込んだ。豪雨に打たれても渋ることなく、1発でエンジンが始動した。
「帰りはボクが運転するよ。燈矢はアクセルワークが下手だし、エンジンが可哀想だからさ」
「はあ?そんなことはないだろ!!」
服を着た燈矢が、ザバザバとヘルメットから水を垂らして被る。その勢いのまま、後部座席に乗り込んだ。
「今日は心愛ちゃんの御迎えの日だから、このまま幼稚園に直行するけど良いよね?悪くても行くけど」
「それは何よりも優先だな。まだちょっと早いから、どっかでメシでも食うか。服も乾かしたいしな」
燈矢の提案に春斗が首肯する。
「了解。途中で食事できるところがあったら寄るよ」
燈矢が濡れた服のまま、後部座席から春斗にくっつく。
お腹に回した腕が、素肌が触れ合うような感覚で巻き付いた。
そんなことを気にすることもなく、2人が乗ったバイクは崖の下を後にした。



