小学1年生の7月まで、燈矢は霊の姿など見えていなかった。
あの日、母親を追って裸足で駆け出した燈矢は、自宅の前の道から表通りに飛び出した。
開ける視界。
一瞬目の前が真っ白になる。
鳴り響くクラクション。
燈矢はそれ以上、母親の後姿を追うことができなかった。
次に燈矢が目を覚ましたのは、あの日から5日後のことだった。
いつもなら早々に現場に引き上げているはずの父親が、燈矢が眠るベッドの横に座っていた。燈矢が目を覚ましたことを知ると、あの父親が涙を流した。その姿を目にしたため、燈矢は父親として認めている。
父親の話によると、燈矢は母親が乗った自動車を追い掛けて表通りに飛び出し、そこに通り掛った運搬用の4tトラックにはね飛ばされたらしい。もし、これが大型トラックであれば即死だったと教えられた。それでも、それよりは少し小型だとはいえ中型のトラックにはねられたのだ。当然、無事であるはずがない。右足と肋骨を数本、そして、落下した際に頭をアスファルトに叩き付けられたため、生死の境を彷徨うことになった。
それでも、5時間に及ぶ緊急手術は成功し、一命を取り留めることができた。周囲を見渡した燈矢は母親がいないことに気付き、他人を信用知することを止める。実の母親さえ瀕死の息子を捨てるのだ。他人を信用することなどできなくなった。
子供の回復は早く、1ヶ月もすれば頭の包帯は取れ、足の骨折を残すのみとなった。
この頃になって、燈矢は奇妙なことに気が付いた。個室であるはずの病室に、見知らぬ女性が立っているのだ。誰にも話し掛けることもなく、ただ、窓の外を見詰めている。更に不思議なことに、その女性は全く食事をすることもなく、ずっと同じ場所に立っているのだ。加えて、燈矢の様子を見に来る看護師は、その女性を全く気にする様子がないのである。
ある日、とうとう燈矢は看護師に訊ねた。
「あの人は、誰?」
窓際に立っている女性を指差し、なぜ見知らぬ人が、ずっとあそこに立っているのかと。しかし、看護師はそちらに支援を送ると、呆れたような表情で燈矢を嗜めた。
「そんなこと言って、お姉さんを驚かそうとしてもダメよ。ここには、燈矢君以外はいないから」
病室から出て行く看護師の背中を見送り、そのまま窓際の女性に視線を向ける。どう見ても、そこに、女性が立っている。燈矢にはハッキリ見えているのに、先ほどの看護師は見えないという。看護師を揶揄うとかではなく、ただ疑問を投げ掛けただけだ。
意味が分からず、違う看護師にも問い掛ける。今度は、その女性の容姿を具体的に説明する。
「窓際に、知らない人が立っているんだけど、あれは誰?
肩よりこれくらい長い髪の女の人、身長は大人の人にしては低い方かな。年齢は、看護師さんより少し上に見えるよ。あと、このパジャマと同じヤツで、青じゃなくてピンクのを着てる。あと、それと、右目の下にホクロがある」
具体的な燈矢の説明を聞いた瞬間、看護師は窓際に視線を向けて表情を曇らせた。
「ああ・・・」
看護師はそう言って息を漏らしただけで、病室を出て行った。
特に何か起きた訳ではない。ただ、見知らぬ人が、ずっと窓の外を見ていただけだ。そのため、最初は気になっていたものの、子供であった燈矢は、そういうものだと認識して気にしなくなった。そして、それから2週間後に燈矢は退院した。
後から聞いた話しであるが、その病室では1年ほど前、燈矢が見掛けた女性が退院を夢見ながら亡くなっていた。このような事は、病院ではよくある話のようだ。
これが、燈矢が霊と遭遇した最初の体験だった。
退院するまで、それが霊であるという認識は燈矢にはなかった。それはそうだ。病室という非常に狭い空間しか許されていなかったのだ。そこに、何体もの霊が出没することなどない。それに、これまで霊が見えたことなど1度もないのである。それが霊だと分かるはずがなかった。
しかし、退院して祖父母の家に住むようになって、すぐに自分がおかしいことに気付いた。
祖父母の家の近くにある電柱に、年配の女性がうずくまっていた。それを目にした燈矢は、ごく当たり前に「大丈夫ですか?」と声を掛けた。しかし、その女性からの返事は無く、前を歩いていた祖父が振り向いて怪訝な表情を見せた。燈矢はその意味が理解できず、女性と祖父の顔を交互に見た。祖父は燈矢に視線を向けたものの、女性には全く関心を示すこともなく再び歩き始める。燈矢は仕方なく、女性に頭を下げてその場を後にした。
その後、同じようなことが何度かあった。
最初は何がどうなっているのか、燈矢には全く理解できなかった。
しかし、道路の真ん中に立っていても無傷の人、壁をすり抜けていく人、身体の一部が白骨化している人、血塗れの人などを目にすることによって、それが霊であることを知った。迂闊に声を掛けて付き纏われたり、目の前で何かを喋り続けている霊に辟易し、見て見ぬフリをするようになった。
これが現状である。
あの日、母親を追って裸足で駆け出した燈矢は、自宅の前の道から表通りに飛び出した。
開ける視界。
一瞬目の前が真っ白になる。
鳴り響くクラクション。
燈矢はそれ以上、母親の後姿を追うことができなかった。
次に燈矢が目を覚ましたのは、あの日から5日後のことだった。
いつもなら早々に現場に引き上げているはずの父親が、燈矢が眠るベッドの横に座っていた。燈矢が目を覚ましたことを知ると、あの父親が涙を流した。その姿を目にしたため、燈矢は父親として認めている。
父親の話によると、燈矢は母親が乗った自動車を追い掛けて表通りに飛び出し、そこに通り掛った運搬用の4tトラックにはね飛ばされたらしい。もし、これが大型トラックであれば即死だったと教えられた。それでも、それよりは少し小型だとはいえ中型のトラックにはねられたのだ。当然、無事であるはずがない。右足と肋骨を数本、そして、落下した際に頭をアスファルトに叩き付けられたため、生死の境を彷徨うことになった。
それでも、5時間に及ぶ緊急手術は成功し、一命を取り留めることができた。周囲を見渡した燈矢は母親がいないことに気付き、他人を信用知することを止める。実の母親さえ瀕死の息子を捨てるのだ。他人を信用することなどできなくなった。
子供の回復は早く、1ヶ月もすれば頭の包帯は取れ、足の骨折を残すのみとなった。
この頃になって、燈矢は奇妙なことに気が付いた。個室であるはずの病室に、見知らぬ女性が立っているのだ。誰にも話し掛けることもなく、ただ、窓の外を見詰めている。更に不思議なことに、その女性は全く食事をすることもなく、ずっと同じ場所に立っているのだ。加えて、燈矢の様子を見に来る看護師は、その女性を全く気にする様子がないのである。
ある日、とうとう燈矢は看護師に訊ねた。
「あの人は、誰?」
窓際に立っている女性を指差し、なぜ見知らぬ人が、ずっとあそこに立っているのかと。しかし、看護師はそちらに支援を送ると、呆れたような表情で燈矢を嗜めた。
「そんなこと言って、お姉さんを驚かそうとしてもダメよ。ここには、燈矢君以外はいないから」
病室から出て行く看護師の背中を見送り、そのまま窓際の女性に視線を向ける。どう見ても、そこに、女性が立っている。燈矢にはハッキリ見えているのに、先ほどの看護師は見えないという。看護師を揶揄うとかではなく、ただ疑問を投げ掛けただけだ。
意味が分からず、違う看護師にも問い掛ける。今度は、その女性の容姿を具体的に説明する。
「窓際に、知らない人が立っているんだけど、あれは誰?
肩よりこれくらい長い髪の女の人、身長は大人の人にしては低い方かな。年齢は、看護師さんより少し上に見えるよ。あと、このパジャマと同じヤツで、青じゃなくてピンクのを着てる。あと、それと、右目の下にホクロがある」
具体的な燈矢の説明を聞いた瞬間、看護師は窓際に視線を向けて表情を曇らせた。
「ああ・・・」
看護師はそう言って息を漏らしただけで、病室を出て行った。
特に何か起きた訳ではない。ただ、見知らぬ人が、ずっと窓の外を見ていただけだ。そのため、最初は気になっていたものの、子供であった燈矢は、そういうものだと認識して気にしなくなった。そして、それから2週間後に燈矢は退院した。
後から聞いた話しであるが、その病室では1年ほど前、燈矢が見掛けた女性が退院を夢見ながら亡くなっていた。このような事は、病院ではよくある話のようだ。
これが、燈矢が霊と遭遇した最初の体験だった。
退院するまで、それが霊であるという認識は燈矢にはなかった。それはそうだ。病室という非常に狭い空間しか許されていなかったのだ。そこに、何体もの霊が出没することなどない。それに、これまで霊が見えたことなど1度もないのである。それが霊だと分かるはずがなかった。
しかし、退院して祖父母の家に住むようになって、すぐに自分がおかしいことに気付いた。
祖父母の家の近くにある電柱に、年配の女性がうずくまっていた。それを目にした燈矢は、ごく当たり前に「大丈夫ですか?」と声を掛けた。しかし、その女性からの返事は無く、前を歩いていた祖父が振り向いて怪訝な表情を見せた。燈矢はその意味が理解できず、女性と祖父の顔を交互に見た。祖父は燈矢に視線を向けたものの、女性には全く関心を示すこともなく再び歩き始める。燈矢は仕方なく、女性に頭を下げてその場を後にした。
その後、同じようなことが何度かあった。
最初は何がどうなっているのか、燈矢には全く理解できなかった。
しかし、道路の真ん中に立っていても無傷の人、壁をすり抜けていく人、身体の一部が白骨化している人、血塗れの人などを目にすることによって、それが霊であることを知った。迂闊に声を掛けて付き纏われたり、目の前で何かを喋り続けている霊に辟易し、見て見ぬフリをするようになった。
これが現状である。



