箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

 放課後の理科室で、俺は、なぜか三角フラスコをブラシで洗いまくっていた。
 と言っても、一つを念入りに洗っているわけではない。
 理科室にある三角フラスコを、片っ端から洗わされてる。

あの後、理科室に遅れて行った俺たちは、鬼のように怖い科学教師、国崎――通称、鬼崎から、例に漏れず、こてんぱんに怒られた。
 そして今、その罰として、科学室の掃除をさせられている。

「やばい、手がつりそう……」
 思わず口から漏れた弱音に、宮成が「俺も」と賛同する。
「終わったら、手、マッサージしてやるから後少しがんばれ」
 付け足された言葉に、いつもだったら、何言ってんだと一蹴するが、今日はそんなツッコミをする元気もない。
 
「お前らはまだマシじゃん。俺らは、雑巾掛けだぞ。……地味な上にしんどすぎる」
 雑巾を軽く床に投げると、明石はそのまま理科室の床に寝転んだ。
「じゃんけんで負けたお前らが悪い」
 淡々とそう言う宮成は、専用のブラシで三角フラスコを黙々と洗う。
「明石、喋ってる暇あったら手を動かせ」
 瀬田はめんどくさそうに、でも手だけはしっかり動かしながら、床を几帳面に磨いていく。

「てか、そもそもさ、俺らは待ってあげてたんだけど」
「確かに。元はと言えば、誰かさんを待ってたせいだよな」
明石の言葉に、瀬田は手を止め、二人して宮成をジロリと睨む。

「……確かに、二人の言うことは一理ある。そりゃ謝んなきゃな。……綿谷が」
 綿谷、と呼ばれて、俺は、え、と三角フラスコから目を上げた。
「えっとー……、ごめん」
 確かに遅れてしまったのは、自分が宮成と言い合いを始めたせいだ。ってことは、半分は俺のせいでもあるし……。
 二人に向かって、ぺこりと頭を下げた、次の瞬間。三人が一斉に吹き出した。
 顔を上げれば、宮成も、明石も瀬田も、堪えきれないといった様子で、肩を揺らしている。

「あはは!綿谷、お前マジで良いやつだな。そこは『宮成が悪い』って言って良いのに」
「……ほんと、素直すぎて調子狂うな」
 どうやら俺はからかわれたらしい。
 けど、その笑い声は全く嫌な感じではなく、優しく俺の鼓膜を揺らす。
「な、なんだよ!」
 そう言いながらも、なんだかこの三人の中に入れてもらえたような、仲間として認めてもらったような気がして、思わず声と一緒に、笑みがこぼれた。

 顔の良さから勝手に近寄り難く感じていたけど、話してみれば三人とも、全く壁は感じなかった。
 壁を作っていたのは、むしろ、俺の方だったのかもしれない。
 そう思っていると、なぜか三人の笑い声がぴたりと止んだ。
 急にどうしたのだろうと見ると、三人は目を大きく見開いて、こちらを見ていた。
 もしかして、俺の後ろに何かいるのかと、と振り向いてみるが、そこには誰もいないし、何もない。

「綿谷、お前……」
 明石の声に、顔を前に戻すと、明石は何か思い詰めた顔で俺を見た。瀬田も口を半開きにして目を瞬かせ、宮成にしては、少し怒っているようにも見える。
 ……え、何、怖い。急に胸がざわつく。
 居心地の悪さに、頬を引き攣らせたその時。明石がパッと顔を綻ばせ、弾かれたように声を上げた。

「笑うと、めちゃくちゃ可愛いじゃん!」 
「……は?」
今なんて?
放たれた言葉の意味がわからず、呆然としていると、瀬田がうんうんと頷いた。
「宮成って、いつも眉間に皺を寄せて、イヤホンつけて小説読んでるから、近寄んなオーラ炸裂だったけど、笑うとあれ、あれに似てるな。ほら……」
 え、俺ってそんなふうに見えてたの? めちゃくちゃ嫌な奴じゃん。
 地味にショックを受けている俺の横で、宮成がぽつりと呟いた。
「……ウサっぎー」 
 途端に、明石と瀬田の顔がぱあっと綻んだ。
「「そう、ウサっぎー!!!」」
 二人の声が重なって、その大きさに俺はびくりと肩を震わせる。
 ウサっぎー? ……俺が?
 そんなこと言われたのは初めてで、俺は目を剥いた。
 某遊園地のマスコットキャラクターであるウサっぎーに、どうやら俺は似てるらしい。
 喜んで良いのか、バカにすんなと怒って良いのか、わからない、絶妙なラインだ。

「そんな似てるかな……」
 首を傾げながらポロリとこぼれたただの呟きに、三人は身を前に乗り出した。
「いや似てる」
「似すぎてる」
「ウサっぎーならぬ、ナツっきーだな」
「笑った時の目元とか激似」
「めちゃくちゃ可愛い」
 矢継ぎ早に放たれた言葉は、もはや誰がなんと言ったかわからないほどだ。

「ちょっと、今度四人でウサっぎーランド行かね?」
「確かに。ナツっきーと、ウサっぎーがどれくらい似てるか、調査しなきゃな」
 明石の提案に、瀬田が口角を上げながら頷く。
「とりあえず、綿谷、連絡先教えて? 俺、グループ作るから」
 スマホを取り出した明石は、俺に向けてにっこり微笑む。
「あ、うん」
 ポケットに入れたスマホを取り出しながら、俺の手はわずかに震えていた。
 だって――。
「実は俺……、友達と連絡交換するの、初めて……」
 笑われるだろうか。いや、いっそのこと笑ってくれ。
 そう思って、明石の前にスマホを差し出すと、その間に、宮成が割り込んできた。
「ちょ……、ちょ待ち。俺が先! 俺が先に、交換する!」
 なぜか焦った様子の宮成は、俺のスマホを半ば強引に奪うと、自分の連絡先を手際よく登録した。
 そして、スマホに登録された画面を、明石に見せながら、勝ち誇ったように微笑む。
「綿谷の初めて、俺がもらっちゃった」
 宮成のドヤ顔に、明石はやれやれと呆れたように息を吐く。
「はいはい。じゃ、宮成がグループ作って。俺、そこから登録するから」
「俺もー」
 上機嫌な宮成がメッセージアプリでグループを作っていると、明石が俺を見て目を細めた。

「俺、実はずっと綿谷と話したいって思ってたんだ。でも、一人が好きなのかなって遠慮してたんだけど……」
 そこまで言うと明石は視線を少し逸らし、一瞬ためらった後に、息を吸い込んだ。
「実はさ、俺、綿谷と同じ小学校だったんだ。小三の頃、同じクラスで」
「え」
 俺は目を丸くした。
 明石の名前ってなんだったけ? えっと……、確か……。そう、明石晴路(はるみち)
 けれど、どう頑張っても、小学生の頃の記憶には辿り着けず、俺は首を傾げた。
 なんせ、十五回も転校を繰り返しているのだ。クラスメイトのことなど、正直全部は覚えていない。
「……ごめん、覚えてなくて」
 正直に伝えると、明石はいつもの優しい笑顔を向けてくれた。

「いーの、いーの! まぁ綿谷は、一年もいなかったし、特別仲良しって訳じゃなかったから。忘れてても仕方ないよ」 
 申し訳なさでいっぱいだった胸が、その言葉に救われる。
「ほんとごめん。俺、転校ばっかだったから、その……昔のことは、あまり覚えてなくて」
 今ではこんな俺だが、小学生の頃までは、友達だって作ろうと頑張っていた。
 けれど、仲良くなっても、すぐに別れが来るならと、いつからか、友達を作らないようになった。
 小三といえば、ちょうどそう思った頃じゃないだろうか。仲良しだった友達との別れが悲しくて、もうこんな思いをするくらいなら、友達なんて作らないと、それから一人でいるのを選んだ。

 その時、話を聞いていた瀬田が「あれ?」と何かを思い出した。
「明石と一緒の小学校ってことは、宮成とも同じ――」
「――はい! グループできた。ほら、届いてるかスマホ見て」
 瀬田の声を掻き消すように、大きな声で宮成が割って入ってくる。
 さっきからこいつ、割って入ってばっかだな。
 ってか、何か瀬田が言いかけた気がするけど。まぁ良いか。
 そう思って、スマホを見ると、メッセージアプリのグループ名が『ナツっきーランドに行こうの会』になっていた。
「あ、間違えた。『ウサっぎーランド』だった」
とぼける宮成をジロリと睨む。
「絶対わざとだろ」
「どうかな」
 にこりと微笑まれ、俺は目を眇めた。絶対にわざとだ。
「てか、そろそろ本気で終わらせなきゃじゃね?」
 瀬田の声で俺たちは止めていた手を動かし、真面目に掃除を再開した。

 終わった頃には、日も暮れかけていて、俺たちの疲れも最高潮に達していた。
「……終わった。腕も足もしんどい」
「お前は、ほとんど喋ってただけだけどな」
 明石の担当分まで雑巾掛けを手伝った瀬田は、呆れたように、大きくため息をつく。
「俺、先生に終わったって言ってくるよ」
 明石と瀬田に比べればまだ疲れてないし、それに、遅れたのは、半分は俺のせいでもあるし。
「じゃあ、俺も」
 もう半分の責任の所在である宮成は、俺の隣に並び「じゃ、行ってくる」と、二人に手を振って、教室を後にした。

 二人きりで廊下を歩きながら、俺は今日一日のことを思い出していた。
 宮成といつものように昼ごはんを食べて、戻ると、明石に話しかけられて。
 宮成が俺と一緒にいるのを知られたくないと勘違いした俺は、明石の前で宮成と仲良くないふりをしたけど、明石は俺と宮成が昼ごはんを一緒に食べていることも知っていて。
 人前で感情に任せて大きな声も出したのも、先生に怒られて罰を受けたのも、家族以外の連絡先を登録したのも――全部、今日が初めてだった。
 なんというか、すごく濃かった。
 思い出すだけで、どっと疲れて、思わずため息がこぼれた。
 今日は帰ったらすぐに眠れる。きっと一瞬だ。
 そう思ったとき、何かが手に触れた。温かい何かに、もしかしてと、手を見ると、想像通り、宮成が俺の手に触れようとしていた。
「こ、こんなとこで、何してんだよっ……!TPO弁えろ!」
 いくら放課後で人目がないとはいえ、学校だ。誰が向こうから歩いてくるかわからない。
 こんなところで手を繋ごうとするなんて。

 けれど宮成は、きょとんと目を見張った。
「何って、マッサージだけど。さっき言ったじゃん、後でしてやるって」
「マ、マッサージ……?」
 そんなこと言ってたっけと、記憶を遡る。

――終わったら、手、マッサージしてやるから後少しがんばれ
 ……確かに、言ってた気がする。
 ってことは、手を繋がれたと思ったけど、それは俺の自意識過剰ってこと?
 急に恥ずかしさが全身をめぐり、体の内側から熱くなった。
「綿谷……、もしかして、手を繋が――」
「やめろ、それ以上は何もいうな」
 宮成の言葉を必死で阻止すべく、俺は宮成の口に手を押し当てた。
 お願いだから、皆まで言わないでくれ。そう願う。
 宮成は口を緩めると、こくこくと頷いて、俺の手をゆっくりと解いた。
「わかった、わかった」
 本当にわかってくれたのか、宮成は職員室まで、それ以上何もいわなかった。
 ただ、その足取りは目に見えて軽くなり、どういうわけか急に上機嫌になった。何がそんなに嬉しかったのかわからず、俺はただ首を傾げながら、隣を歩いた。
 
 本当に最後まで、疲れる一日だった。
 ……でも、それ以上になんだかすごく、楽しくもあった。
 その夜、俺はメッセージアプリのアイコンをウサっギーにかえた。