箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

 ゴールデンウィークも終わり、木々の新緑が眩しいくらい爽やかな五月。
 
 相変わらず、教室での宮成とは、忘れ物を貸し借りするだけの仲だ。まぁ俺が借りたことは一度もないけれど。
 その代わり――。

 美術室の扉を開けると、いつも通り笑顔の宮成が、俺を待っていた。
いい加減見慣れてきたはずなのに、こいつの顔面の良さにはいつも驚く。

「遅かったね」
「先生に資料運ぶの頼まれてた……」
「俺に言ってくれたら一緒に運んだのに」

『俺に言ってくれたら』って、教室では一切話しかけてこないくせに……。
 美術室を出たら知らんぷり。それが、いつの間にか暗黙のルールみたいになっている。

「別にそんな重くなかったから、一人でいけたし」
 無意識にちょっと嫌な言い方になってしまったかもしれないと思ったが、宮成は特に気にすることなく、保冷バッグから弁当を二つ取り出すと、いつものように一つを俺に差し出した。

「早く食べよ。絵も描かないとだし、ね?」
 そう微笑まれて、少しだけ逆立っていた俺の心が、情けないほどあっさりと収まった。
「絵も描かないと、って、誰のせいで描けてないと思ってんだよ」
 この一ヶ月、絵は見事なほどに進んでいない。
 昼休みの短い時間とはいえ、普通ならもう終わってもいい頃なのに、未だに半分も進んでいない。
――原因は、言わずもがな、目の前のこいつ。

「え、俺のせいなの?」
 きょとんとした顔でこちらを見つめる顔は、本気で自分のせいだとは思ってないようだ。
「……宮成が無駄話ばっかりするからだろ」
「えー、自分だって、俺と話すの好きなくせに」
 ニヤニヤした顔でそう言われ、ジロリと俺は宮成を睨んだ。
 そんなことはない。……多分。
「冗談、冗談。ほら、今日は夏生くんの好きなものばかりですよー」
 お弁当の蓋を開けて中身を見せられて、俺は思わずごくりと喉を鳴らした。
 この光景にも、一ヶ月経ってもまだ慣れない。……うまそうすぎる。

 そう思ったと同時に、はたと気づいた。
 名前で呼ばれた? 夏生って、呼んだ?
 冗談で呼ばれたんだとわかっているのに、なぜか耳に熱が集まってくる。
 だって、名前で呼ばれるなんて、ていうか俺の名前、知ってるんだ……。

「……はい、これ今日の分のパン」
 そう言いながら、手に握ったビニール袋をぶっきらぼうに手渡すと、宮成は嬉しそうに頬を緩めた。
「ありがと」
 その笑顔に、また胸が痛む。ズギュン。
 最近、宮成に微笑まれると胸がおかしい。食べ物に変なものでも入れられているのだろうか。
 でも、だって、あんな笑顔。反則だろ。

 教室のみんなの前での宮成と、美術室で二人きりの宮成は、明らかに雰囲気が違う。
 みんなの前でも笑ったりはしてるけど、基本クールで、飄々としている。
 けれど、二人の時は、なんというか、……可愛い。少年というか、表情が豊かというか、とにかくそのギャップに、俺は戸惑っている。

「えっ、これ……」
 手渡した袋の中を見て、宮成はなぜか驚いたように目を見開いた。
 何かまずいものでも入っていたかな、と横から袋を覗くが、そこにはいつも通り、ただパンが入っているだけだ。
 今日は、クリームパンと、チョコホイップが入ったパン。
 宮成がお弁当を作ってきてくれる代わりに、俺が自分用に買ってきていたパンを渡す。
『お弁当交換』だ。……俺のはお弁当じゃないけど。

「いつも通りじゃん」
 どこに驚く要素があるのだろうか。
「だって、これ……菓子パンじゃん」
「は?」
 確かにそこには菓子パンが入っているが。……菓子パンじゃダメってこと?
 宮成の言葉の意味がわからず、俺は首を傾げた。
「いや、だって、昨日まで惣菜パンだったじゃん。……俺が甘党なの覚えててくれたんだ」
 宮成は口元を緩めながら、大事なものを見るみたいに袋の中を覗いた。

「……え? だからそれの何に驚いてんだ?」
 やっぱりよくわからない。
 そんな俺を見て、宮成は呆れるように、でもどこか満足げに笑った。
「いや、まぁいいよ無意識でも。とりあえず、嬉しいってこと」
 なんなんだ。でも、宮成が嬉しいなら、まぁ……いいか。
 あげていた腰を下ろすと、俺は宮成の弁当に目を落とした。

 おにぎりに、ツヤツヤの卵焼き、豚の生姜焼きに、ブロッコリーとツナのマヨあえ。隙間を埋めるようにフリルレタスと、ハートに型抜かれたにんじんが詰められている。
 いつも思うけど、どんな顔してにんじんをハートにくり抜いているんだ。
 『なんだよこれ!』と笑って冗談にしていいのか、間に受ければいいのかわからず、俺はいつもそこは触れない。

「これ作るのに……、その、いつも何時に起きてんの?」
 ふと、気になって訊ねた。
 だってこんなすごい弁当だ。きっと手間暇がかかっているに違いない。
「えー、どうしたの急に。これまで聞いたことなかったじゃん」
「いや、だって、こんな……。絶対大変だろ」
「そうでもないけどね。前の夜に準備してるし。今日は五時半とか?」
「ご、五時半?!」
 自分より一時間も早く起きて準備してくれているのかと思うと、本当に感謝しかない。
 ……いや、元はと言えば、いらないと言っているのに、無理矢理こいつが食わせようとしてくるわけで。むしろ、食べてやってるってもんだ。

 それでも、美味しくいただいているのは事実で、しかも宮成の弁当のおかげなのか、最近肌荒れが減った。
 ……なんて、認めるのはちょっと悔しいけど。
 箸の先で卵焼きをつつきながら、俺は小さく息を吐いた。
「いつも、うまい飯、ありがと」
 なぜかカタコトになってしまったその言葉を放った瞬間、恥ずかしさが追いかけてくる。
 あまりに小さい声に、聞こえなかったのか、宮成は、「え?」 と耳に手を当てた。
 
 二回も言う勇気はなくて、黙る代わりに卵焼きを口に放り込む。
 ……うまい。そして熱い。顔が燃えるように、熱い。

「聞こえなかった、もう一回」
「……何でもない」
「えー、綿谷が感謝してくるなんて珍しいから、もう一回聞きたかったのに」
 聞こえてたのかよと、伏せていた目をぱっと上げると、そこには余裕そうに笑みを深める宮成がいた。長い前髪から覗く瞳が、真っ直ぐに俺を、俺だけを見つめている。
 その視線に射抜かれたように、俺は息を止めた。
 目を逸らしたい。それなのに、目を逸せない。
 美術室に、ごくりと喉が一つ鳴る。

 その時、キーンコーンカーンコーン、と昼休みの終わりを告げるチャイムが響いた。
 張りつめていた空気が、ふっとほどける。
「……あ」
 思わず漏れた俺の声に、宮成が小さく笑った。

「じゃ、戻ろっか」
 何事もなかったみたいな顔で立ち上がり、荷物をまとめると、宮成はそのまま扉へと向かった。
 俺も急いで荷物をまとめる。
 ナイスなタイミングで鳴ってくれて助かった。
 チャイムに心から感謝しながらも、拭えない物寂しさが胸に残った。
 ここを出たら、また俺たちはただのクラスメイト。友達ではなく、ただの隣の席の奴。
 それが今はもう、物足りない。

 美術室を一歩出たところで、俺は気づいた。
――あ、また絵、描いてない。
 そう思いながら、今日も宮成の1メートル後ろを歩く。
 
 教室に差し掛かった時、大きな声が廊下の向こうから飛んできた。

「宮成ー! 遅ぇーよ。次の化学、教室移動になったんだよ」
「急ごーぜ。もう俺らだけだよ」
 宮成と同じグループの、明石と瀬田だ。

 わ、教室移動か。急がなきゃな。
 そう思って足を早めた時、ひょこ、と宮成の肩越しに顔を出した明石と、視線が合った。
 気まずさに目を逸らそうとする前に――
「あれ、綿谷もまだ行ってないの?」
 明石が声をかけてきた。