箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

 夏休みまであと一週間。
 休みに入ると同時に俺たちは、四人でウサっぎーランドへ行くことになっている。
 友達と一緒に遊園地へ出かけるなんて、俺にとっては人生最大の、一大イベントだ。
 けれど、それよりも前に、どうしても越えなければならない大事なイベントが一つ、残っていた――。

 昼休み。
 俺は宮成と、いつものように美術室に向かっていた。
 いつもと変わらない日々だけど、俺にとって今日は少し違う。
 今朝からずっと、心臓がふわふわと浮いているような、それでいて、胃がキリキリ痛むような、とにかくいつもとはまるで違う緊張感だ。
「夏生、どうした? ずっと心ここにあらずって感じだけど……」
 横から宮成に顔を覗かれて、俺は反射的に顔をのけぞった。
「へ?! あ、あー、大丈夫。ちょっと、色々考えてただけ……」
「……ならいいけど」

 あの日以来、宮成は俺のことを、当然のように『夏生』と呼ぶ。
 俺だって、宮成を下の名前で呼びたい。なのに、どうしても恥ずかしさが勝って呼べないまま、今日までダラダラときてしまった。
 今日の俺のミッションは二つ。一つは名前を呼ぶこと。そして、もう一つは、これを宮成に渡すこと――。
 握りしめた小さなバッグを俺は強く握った。

「はい。これ、今日の弁当。今日は夏生の好きな生姜焼き入れてみたよ」
 いつものように、男子高校生が作ったとは思えないほどに美味そうな弁当を差し出され、俺は圧倒されながらも、勇気を振り絞って声を出した。
「あのさ……今日は、俺、伝えたいことがあって……」
「え、何?」
 顔をこわばらせる宮成に、俺は消え入りそうなほどに小さな声で、手提げバッグを差し出した。
「これ……あの、その、俺が……作ってきた」
 宮成は震える俺の手からバッグを受け取ると、慎重に中を覗き込んだ。

「これって……もしかして、弁当?」
 訊ねられて、俺はこくりと頷いた。
「お、お前のために……下手だけど、その、作った」
「え、もしかして、夏生が今日ずっと上の空だったのって……」
「……今日、宮成にこれ渡すと思ったら、朝から緊張してて……」
 そう言葉にしながら、『どこの乙女だよ!』と思わず自分にツッコミを入れたくなる。
 弁当を作って渡すくらいでこんなに緊張するなんて、思ってもみなかった。それを毎日やってのける宮成は実はすごいのかもしれない。
 宮成は、なぜかほっと胸を撫で下ろしているようだった。
「待って、よかったー。俺、振られるのかと思って……まじで生きた心地しなかった」
「え?!」
 そんなこと、考えてもいなかった。っていうか振られたら、俺だって……困る。

「今日の宮成、話しても全然食いつき悪いし、俺のこと嫌になったかと……。こないだ体育倉庫でキスしようとしたの怒ってるのかなとか、関節チューとか言ってジュース飲んだのダメだったかなとか、ちょっと思い当たることが多すぎて……」
 違うけど、違うけどそれはしっかり反省してほしい。

「いつも宮成に作ってもらってるから……、俺だってたまにはお返ししたくて……。だって、これって弁当交換なんだろ? 俺も、宮成に、弁当食わせたいし」
 そう告げると、俺の言葉のどこに感動したのか、宮成はちょっと本気で泣いちゃうんじゃないかってくらい顔を歪ませ、両手で覆った。
「どうしよう。俺、めちゃくちゃいま幸せなんだけど……」
 たかが弁当一つ作るだけでこんなに喜んでくれるなんて。まだ食べてもらってすらいないけど、作って良かったなと心底思う。

「あのさ、もしかしてだけど、手の怪我も今日の日のため?」
 宮成は絆創膏だらけの俺の手に目を落とす。
「あー、……うん。俺、料理センス壊滅的になくて、手切ったり、火傷したりばっかりで……。あっ、でも、今日は流血はしてないから、安心して」
 明るく言うと、宮成はまるで大切なものでも包むように、ギュッと俺の手を握りしめた。
「……正直、めちゃくちゃ心配してた。日に日に絆創膏は増えていくし。なんか俺に隠し事あるみたいだし。でも、しつこいと嫌われるかなって深く聞けなくて。でも、そっか……。俺のために、料理頑張ってくれてたんだ」
 宮成は俺の手を優しく撫でながら、目を細めて笑った。
その笑顔に、手の痛さなんて一瞬で飛んでいく。むしろ、頑張って良かった。そんな想いが込み上げてくる。

「弁当、中身見ても良い?」
「うん。っあ、ちょっと待って。……うわ、これ、ちょっと緊張するな。……あの、いつもあんまり口じゃ言えていないけど、これ、俺の気持ち……」
 俺は弁当の蓋を開けて、宮成に差し出した。
 反応が怖くて、思わず目を閉じる。
 目を閉じてる分、耳だけに神経を尖らせていると、少しの沈黙の後に、宮成のすこし困惑した声が聞こえた。
「えっとー……『フニ』って……何?」
「は? 『フニ』?」
 咄嗟に目を開けて、宮成をみると、声以上に表情はかなり戸惑っているようだった。
 何か手違いでもあっただろうかと、急いで弁当箱を覗き込んで、俺は目を丸くした。
 そこには、ご飯の上に海苔で『フニ』と文字が書かれていた。
「これが、夏生の気持ち……?」
「っんなわけないだろっ!」
 ってか、フニって、どういう気持ちだよ!
 目の前の海苔で書かれた文字は、明らかに、今朝俺が一生懸命ハサミで切って、ピンセットで作った文字とは異なっていた。
 なんで。どうして。
 頭を抱えて、俺はハッと気づき、すぐさま弁当箱の蓋の裏に目を向けた。
 予想は的中。そこには、文字の一部がくっついていた。
「ちょ、ちょっと貸して。……少し待ってろ!」
 俺は弁当を奪うと、宮成に背を向けて、蓋裏にくっついた海苔を丁寧に箸で剥がし、ご飯に乗せていく。
 けれど、緊張からか、焦っているからか、手が震えて、なかなかうまくいかない。
 もうそのまま『フニ』でよくないか、と諦めたくなる自分を、もう一人の自分が、せっかく勇気を出して作ったのだからとエールを送り、やっとこさ予定の文字を作り終えた。

「ま、待たせたな……」
俺は再び、宮成に弁当を差し出した。
「これって……」
 宮成の視線の先には、ご飯の上に海苔で書かれた歪な『スキ』の文字。
「やばい。想像の斜め上。……ってかこれ、夏生が作ったの?」
 くすくすと肩を震わせて笑う宮成はなんだかとても楽しそうだ。
「まぁな……。全部手作り……とはいかなかったけど。母さんの目を盗んで海苔切るの、大変だったんだからな……」
 この日のために、母にお願いして、弁当を作る練習に何度も付き合ってもらった。
 宮成みたいに百パーセント手作りで、冷凍食品を使わないなんてことはできなかったけど、俺なりには結構頑張った方だと思う。
「やばい、めちゃくちゃ嬉しい」
 宮成は徐にスマホを取り出して、あらゆる角度から弁当を写真に収め始める。
 そして、一通り写真を撮り終えると、キラキラした目をこちらに向けた。
「ちょっと、早速食べていい?」
 俺が照れながら頷くと、宮成はルンルンで箸を握った。
 宮成は真っ先に、卵焼きを箸で掴んだ。
 わずかに焦がしてしまった卵焼きは、宮成がいつも作ってくれるツヤツヤの卵焼きとは明らかに違っていた。向こうがシルクのハンカチだとしたら、こっちはボロボロの雑巾。それぐらいの見た目の差がある。
 それでも宮成は、そんなこと気にしてないとでも言うように、躊躇なく卵焼きをヒョイっと口に放り込んだ。
「……これ、甘いやつだ。スッゲェうまい」
 口に入れた瞬間、あふれ出てきたような言葉に、自然と口元が緩んだ。一生懸命に作ったご飯を美味しいって言ってもらうのって、こんなに嬉しいんだ。
「……でも、夏生はしょっぱい派じゃん。それなのに、甘いの作ってくれたんだ?」
「……だって、お前は、甘い方が好きじゃん。これは宮成のための弁当だから」
 まっすぐにそう言うと、宮成は嬉しそうに微笑んだ。
 そう。これは、紛れもなく、宮成のためだけの弁当。
 だからこそ、宮成の好きなものを、宮成の好きな味付けで作りたかった。
 宮成が、俺にしてくれたように。

 宮成は本当に嬉しそうに笑った後、少しためらうように俺に目を向けた。
「ねぇ、幸せがてら、一個お願いしたいんだけど……」
「何?」
「アーンして……、食べさせてほしい」
 何冗談言ってんだと一蹴しようとしたが、宮成の瞳はどこまでも真剣だった。そのあまりの真剣さに、俺は気押されてしまいそうになる。
「……断る」
 だって、そんなことしたらなんかもう、バカップルみたいだ。
「えぇー。俺夢だったのに。夏生にアーンしてもらうの」
 宮成はがっかりと言わんばかりに肩を落とした。
 あまりに露骨にテンションが下がった宮成が、なんだかちょっと可哀想で、少しくらいなら甘やかしてあげてもいいかもと俺は、小さな声でつぶやいた。
「一口だけなら……いいけど」
「え、ほんと?」
 目を輝かせる宮成は、さっきまで落ち込んでいたのは嘘だったんじゃないかってくらいの変わり身の速さで、ニコニコと余裕の笑みを浮かべている。
「じゃぁ、お願いします。アーン」
 宮成が目を閉じて口を開く。ただそこに卵焼きを放り込むだけ。放り込むだけなのに、なんでこんなにドキドキするんだ。
 多分、目を閉じてる宮成がキスする時と重なるからだ。しかもここは美術室。いつもキスをされている場所だし。
 恥ずかしさと気まずさに、俺は持っていた箸を宮成の口にグッと入れて、卵焼きを押し込んだ。
「ゴホッ、ゴッ……ちょ、殺す気かよ! 普通に入れろって」
「あ、悪ぃ。だって、慧が変な顔するから……」
 モゴモゴと言いながら、言い訳をする俺に、宮成は目を見開いた。 
「待って、いま慧って言った?」
「……言ってない」
「いや、言った。俺、めっちゃ耳いいもん。……お願い、もっかい言ってほしい」
 聞こえてんじゃねーかよ。
 でも、言ってほしいと言われれば、簡単には言えないのが俺だ。
「……嫌だ」
 どこまでも天邪鬼な俺に、宮成は小さく笑った。
「そういう素直じゃないとこも好きだよ。夏生」
 宮成は、自分の作った弁当から卵焼きを箸で掴むと、俺の口にアーンと運んだ。
 それを食べながら、俺は小さく呟いた。

「俺も、好きだよ。……慧」
 その声は静かな美術室に甘く響いて、宮成はどこまでも頬を緩めた。

 恋っていろんなところに隠れていて、どこからはじまるかなんて、きっと誰にもわからない。
 曲がり角の先でぶつかってはじまる恋もあれば、偶然手が触れ合ってはじまる恋もある。
 
 だから、きっと。
 箸先からはじまる恋だって、あるはずだ。
 俺たちの恋がそうであるように――。



 ー了ー