箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

「あのさ、一つだけちゃんと言っておきたいんだけど」
 俺はそう前置きして、宮成の顔を見た。
「俺が、宮成に転校を伝えなかったのは、宮成が嫌いとか、嫌な思い出だったからじゃなくて。……それとは逆で……、楽しかったから。楽しい思い出であればあるほど、別れが辛くなるって思って、言えなかった」
 今更遅いとは思うけど、それでも伝えたくて、俺は唇を噛んだ。
「……ごめんな」
 そんな俺の決死の謝罪を、宮成は軽く笑って受け流した。
「いいよ、もうそんなこと。だって、綿谷は戻って来てくれたじゃん」
「でも、俺、もうあの頃の俺じゃ無いけど……いいの? 性格だって、変わっちゃったし……」
 明るくて、正義感があって、誰とでも友達になれた、あの頃の俺は、もういない。今はただただ地味に、目立たず、埋もれてる。
 けれど宮成は、ゆっくり首を振った。
「変わってないよ? 綿谷の、一番大切な核の部分は。全然変わってない」
 宮成は小さく笑うと、俺に目を向けた。

「綿谷と隣になったその日、俺が、『消しゴム貸して』ってお願いしたの、覚えてる?」 
「あ、うん。まぁ、覚えてるけど」
 あれからしばらく、宮成は毎日忘れ物をしてきた。
 あまりに毎日忘れ物をするから、こいつ大丈夫かって真剣に心配したほどだ。
 結局、『綿谷と話すための口実に決まってるじゃん』ってあっさり暴露され、パタリと忘れ物もなくなったが。
「俺さ、なんか綿谷と話したくて、咄嗟に『消しゴム貸して』って忘れたふりしたんだけど、言った瞬間やらかしたなって思ったんだよね。だって、普通、消しゴムは一人一つしか持ってないだろ? 実際、綿谷も消しゴム一つしか持ってなかったし」
 まぁ普通はそうだよなと思いながら俺は頷いた。
「『俺も一つしか持ってないから貸せない』って、俺そう言われると思ったんだ。でも綿谷は、持ってた消しゴムを二つに折ってくれただろ? なんの躊躇いもなくあっさりと」
「うん。……え? だから?」
 それの何が昔の俺と変わってないのだろう。
 全くわかってない俺に、宮成は小さく笑った。
「そういうとこ。そういうとこだよ。それは綿谷にとって当たり前のことで、だから特別すごいことって分かってないの。そこが、昔から変わらない綿谷の好きなとこ」
 よく分からない。でも、宮成が嬉しそうに笑うから、分からないままでもいいや。
「また俺の前に現れてきてくれてありがとう」
 向かい合った宮成が、俺の両手をそれぞれ握る。
 触れられた側から熱が伝わってきて、ひどく落ち着かない。
 それでも、離してほしいわけではなくて、俺は、それに応えるように、宮成の手をきゅっと握った。
「あのさ……」
「な、なに?」
 目を伏せたままそう言うと、宮成の柔らかで、でも芯のある声が耳に届いた。
「キスしてもいい?」
「へ?」
 呆れてしまうほど間抜けな声が、自分の口から漏れたものだと気づくのには、時間がかかった。咄嗟に顔を上げると、宮成がじーっとこちらを見つめている。
 手を離して、逃げ出したいけれど、宮成は絶対に逃さないとでもいうようにギュッと力強く握ってくる。
「さ、さっきしただろ!」
「え? あーあれは、おでこじゃん? そうじゃなくて、その……口に」
「だ、だ、だめ!」
「なんで?」
 きょとんとした顔で訊ねられて、俺は目を泳がせた。
 『今、宮成にキスされたら、俺がキュン死にしてしまうから』
 そんなことはもちろん、死んでもいえず、俺は脳内でどうにか理由を探してみた。
「だって、は、は……歯磨き、してないから」
「……わかった。明日から、ここに歯磨きセットも持ってくる」
 にこりと微笑む宮成は、全然目が笑っていなかった。口元もピクピクと動いている。
 って、どんだけ俺とキスしたいんだよ……。明日が怖い。

「そんなことよりさ!」
 俺はあえて話を逸らすように、大きな声を出した。
「翠さんも俺が好きってほんと?」
 そう訊ねると、宮成はぴたりと固まって、じとりと睨んだ。
「え、何? もしかして、翠に未練あるの……?」
「ねーよ!!」
 さっきお前が好きって告っただろうが!
 俺の必死の告白を無かったことにするな。
「……ただ、俺、全く思い出せないんだよ」
 さっきの記憶で、宮成のことも、明石のことも思い出したのに、翠のことは、なぜか全く思い出せない。あれだけ可愛い子なら、思い出せそうなのに。

 すると、宮成はポッケからさっきと同じ写真を取り出してて、一人の生徒を指をさした。
「これが、翠」
 宮成の指元を見て、俺は思わず二度見した。
「っええ?! こ、これ?」
「うん、これ」
 だって、それって――。
 そこにいたのは、宮成をいじめていた背の高い吊り目の男の子だった。
「え、この子、その……てっきり、男の子かと思ってた……」
「あー、翠ってこの頃、髪の毛ベリーショートで、背も高かったもんね。よく男子とばっか遊んでたし」
 写真をもう一度よく見る。確かに言われてみれば、翠だ。
 目の吊り上がっている感じとか。でも、写真を見る限り男の子にしか見えないし、きっと当時の俺も、男だと思っていただろう。
「ってかさ、俺が翠を好きになるのは絶対にあり得ないんだよ。綿谷のおかげであれから翠たちからは何も言われないようになったけど、一応、俺、いじめられてたからね」
 俺の大きな勘違いに、宮成は苦笑する。
「だ、だって、お互いに下の名前で呼び合ってるし、なんか仲良いし、俺と一緒の時、絶対翠さんと俺を鉢合わせなかったから、翠さんを他の男に取られたく無いのかと……!」
 普通は誰だってそう思うだろう。
 俺の言い分に、宮成は大きくため息をついた。
「違う! 綿谷を! 綿谷を、翠に取られたくなかったんだよ!
 宮成の顔がわずかに染まった。
「だって、綿谷、翠のこと、可愛いって言うしさ。二人を会わせたらだめだって思うじゃん。……ってかさ、翠って名字だよ?」
「え?」
「翠 莉子。ほら、ここ見えるかな? 名前札」
 写真の中の、翠の胸元についた名前札を目を凝らして見てみる。そこには『翠 莉子』としっかり書かれていた。
「ま、紛らわしい……」
「全部綿谷のはやとちりだな。ってか被害妄想?」
 確かにそれは自覚してる。俺はちょっと……いや、だいぶ? 被害妄想がすごい。いや、想像力豊かだと言ってほしい。
 そんな俺に、宮成がニコッと笑いかけた。
「でも、安心して。これからは、そんな被害妄想に走らないように、俺がちゃんと毎日愛を囁くからな」
「え?」
 宮成は俺の顎をクイっと上に上げると、俺の耳元で優しく囁いた。
「綿谷、可愛い。綿谷大好き」
 瞬間、耳がボッと、燃えた。耳から顔、そして体へと熱が伝わっていく。
 宮成は口を耳から離すと、満足とでも言うように、目の前でにっこりと微笑んだ。イケメンの、マシンガン並みの殺傷力のスマイルに、俺の胸がバンバンバンッと撃ち抜かれる。
 恋愛初心者にそれは致命傷になりかねない。
 胸を抑える俺に、宮成は軽やかに笑った。
「ごめん、ごめん。俺、十六分の一、イタリアの血が入ってるからさ、愛の告白をしないと、死んじゃうんだよね」
 ……イタリアの血ってほんとかよ。これまで聞いたことなかったけど。
 
 キーンコーンカーンコーン――
 その時、チャイムがなって、俺たちは完全に思い出した。
 今が昼休みで、俺たちはご飯を食べてないと言うことを。
「緊張が解けたら腹減ってきたんだけど……。五限、腹が鳴ったらどうしよう」
「五限の後の休み時間で一緒にお弁当食べよ。今はほら、これでも食べて」
 差し出された飴は、いちごみるく味。なんとも甘党の宮成が好きそうな味だ。
 「うわ、……甘そう」
 「どうだろ? 食べてみて」

 ベリベリと包みを開いて口に入れる。
 口に入れた瞬間、甘さが全体に広がっていく。ただ甘いだけじゃない。甘ったるい。
 普段は好きじゃない甘さだけど、宮成の好きな味だと思うと、悪く無いなって思っている自分がいる。
 その時、美術室の扉を開けた宮成が、「あ!」と声を出した。
「え? ど、どうした?」
 何か忘れ物だろうか。振り返ってみるが、忘れているものは何も無いようだ。
 俺が書いた絵も宮成はちゃっかり手に持っているし。
「特に忘れ物はなさそうだけどーー」
 そう言って前を向くと、目の前に宮成の顔があった。
「――え?」
 次の瞬間、唇に宮成の唇が触れた。
 ほんの一瞬だった。
 咄嗟に、体が飛び上がる。後ろによろめきながら、俺は顔を赤く染めて、宮成を睨んだ。
「な、な、な……」
 言葉にならない声に宮成は微笑んだ。
「いちごみるくの味するかと思ったけど、残念。そこまでは味わえなかったや」
「なっ! ……さっき歯磨きしたらって約束したのに!」
 しかも美術室の扉は空いてるし、宮成に至っては廊下にいる。誰かに見られたらどうしてくれんだ。 
「あぁごめん。俺イタリアの血が入ってるから、嘘つきなんだ」
 そう言うと宮成は楽しそうに美術室を出て行った。
 イタリア人が嘘つきなんて、聞いたこと無い。どこ情報だよ。
 全てのイタリア人に謝れ! そして俺のファーストキスを奪ったことも謝れ!
 そう心の中で叫びながらも、どこまでも気持ちが上がっていくようで、俺は軽くスキップをしながら、宮成の元へ向かった。
 俺の初めてのキスの味は、宮成からもらった甘ったるい、いちごみるくの飴の味だった。