昨日のことがあり、今朝は起きてから、一瞬、学校へ行くかどうか、悩んだ。
それでも、行かなければ、このまま一生学校に行けなくなりそうで、仕方なく、重い体を引きずって準備した。
昨日は、宮成のあの告白の場面が何度も頭の中で再生されて、よく眠れなかった。
鏡に映る自分の顔に絶句する。ただでさえ地味なのに、目の下のくまのせいで、今日は、悲壮感も漂っている。
それでも、頑張っていくかと、見っともない姿のまま学校へ向かった。
あえてギリギリを狙ったのは、宮成と話したくないから。
せめてもの救いは、昨日の席替えで、宮成と離れたこと。
昨日は少し寂しいな、なんて思っていたのに、今は離れて良かったと安堵しているなんて、自分でも本当に現金なやつだと思う。宮成を好きになってから、俺の感情は忙しい。
一番前の席の宮成に気づかれないように、あえて、教室の後ろから入ったのに、なぜか一番窓際の後ろの俺の席には、宮成が座っていた。
前に座る瀬田と話をしているようだ。
「ん? あ! 綿谷おはよ!」
昨日一世一代の告白をしたにも関わらず、何事もなかったように宮成が笑った。
「……おはよ」
「今日、遅くない? ずっと待ってたんだけど」
「あーうん。……寝坊して……なんかあった?」
「いや、なんもないけど。朝から綿谷の顔見たくて」
喉の奥に酸っぱい感情が広がった。
なんでそんなこと言うんだ。だって、お前は昨日、翠に告っていたじゃん。
そう声に出しそうになるのを必死で我慢する。そこでタイミングよくチャイムがなり、宮成はまた後で、と俺に手を振った。
俺はその日から、休み時間になるたびに、宮成を避けるように、トイレに逃げた。
そして、昼休みになると、真っ先に教室を出た。
向かう場所は美術室。そこで、宮成を待った。
――もう、終わらせよう。
そう伝えるために。
その時、美術室の扉が勢いよく開いた。
ガラララララ――
「……いた」
宮成ははぁはぁと、肩で息をしていた。きっとここまで、階段を駆け上がってきたのだろう。美術室に一人ぽつんと座る俺を見るなり、宮成は安堵するように、一つ大きく息を漏らした。
「もう、先に行くならそう言えよー。どこ行ったかと思った」
そう言うと宮成は、いつものように、お弁当の入った保冷バッグを片手に近づいた。けれど、明らかにいつもと雰囲気の違う俺を前に、宮成の足がぴたりと止まる。
「……もしかして、俺のことなんか避けてる? 朝も元気なかったし、休み時間のたびにいないし、昼も先に行っちゃうし」
思い当たる節がなく困惑している宮成に、俺は覚悟を決めて口を開いた。
「……もう、やめよ」
「は?」
「この関係……。お昼ご飯を二人で一緒に食べるの、やめたいんだ」
声が震えているのが自分でもわかった。もっと毅然として言うつもりだったのに、やっぱり宮成を前にすると、どうしても感情が抑えられない。
「……え? いや、でも……」
急な俺の申し出に、宮成はひどく狼狽えていた。そして言葉を探すように、目を泳がせる。
「あっ、そうだ! まだ絵描き終わってないじゃん! 絵描くまでっていう約束だろ?」
努めて明るく話そうとする宮成に、俺はキャンバスを差し出した。
そこには、俺が描いた宮成がいた。
「……はい。昨日描いたんだ」
夕日に染まったような様々な赤色で描かれた宮成の顔は、昨日、翠に告白していた時にみた姿だった。
絵を前に、宮成は呆然としていた。理解が追いつかない、そんな顔だった。
「……こんなことするくらい、俺とご飯食べるの嫌なんだ」
宮成は自嘲するように小さく笑った。
その言葉に、俺は首を横に振った。
「嫌なわけないじゃん。……だって俺、宮成が好きだもん」
堰を切ったように溢れ出したのは、自分でも驚くほどに素直な告白だった。
でも、後悔はなかった。遅かれ早かれきっと、宮成には気づかれていただろう。
俺の告白に、宮成は目を丸く瞠っていた。
これまで冗談で『好き』『可愛い』と言っていた相手が、まさか自分を本当に好きになるとは思っていなかったのだろう。
「好きだから、もう一緒にご飯食べれないんだ。宮成の冗談が辛いから。それに俺、宮成が俺以外の人の横で笑ってるの、我慢できないっぽい。一方的でごめん」
視界が揺らいでいるのを悟られないように、眉を下げて笑うと、俺はその場を後にしようとした。
「え、待って。冗談って何?」
逃げようとする俺の腕を、宮成の手が掴む。逃げたいのに、なんで離してくれないんだ。
「言ってるだろ! 『恋人に立候補する』とか『可愛い』とか。そういうの! もうお前にそういうこと、言われたくないんだ。だって、その度に、期待しちゃうから……」
なんでこんなことまで言わなきゃならないんだ。
本当はもっとあっさり、クールに決めるはずだったのに。
宮成はきっと今、すごく驚いてるんだろうな。気持ち悪いって思ってるかもしれない。どうしよう顔が見れない。
その時、柔らかな声が俺の耳を揺らした。
「期待していいよ。ってか、期待してほしい。だって、好きになって欲しくて、言ってたんだから」
「は?」
今なんて、と顔をあげると、嬉しそうに微笑む宮成の顔があった。口元がわずかにニヤついていて、もしかして、これすら冗談なのではないか?と疑ってしまう。
「……いや、でも。お、俺は、信じないぞ! だって、昨日、お前……、翠さんのこと、好きって言ってたじゃねーかよ!」
そうだ。こいつは昨日の放課後、翠さんに告白していた。
夕焼けの放課後の渡り廊下なんていうロマンチックな場所で。
そのせいで、俺は昨日からなん度もあの場面を思い出して、胸を捩らせていたのに。
「は? 俺が翠に? 言ってねーよ! ってか、翠のことが好きなんて、死んでも言わない。人類が俺と翠だけになっても、絶対言わない」
そんなに? それはそれで、なんだか翠がかわいそうだ。
「で、でも、俺聞いたんだからな。昨日の放課後、渡り廊下で!」
ここまで言えばもう言い逃れることはできまい。
けれど、宮成は焦ることなく、「あぁ」と言いながら、一つポンと手を打った。
「それはお前のこと」
「……え?」
「だから、お前のことが好きだって、あいつに言ってたの!」
「で、でも、翠さんも、『私も好き』って、」
そう。俺は確かに聞いた。
翠も『私も好き』って言ったのだ。
だって、もし、お前のが本当だとしたら、翠さんのその告白って――。
「だからそれもお前! あいつも俺も、昔から、お前が好きなの!」
「…………」
大きな声で言われて、頭の中が真っ白になる。
驚きで声がでず、俺はただ口をぽかんと開けて目の前の宮成を見た。
「てかさ、全部冗談だと思われてたの? ひどくね?」
宮成はいじけたように口を尖らせる。
「え、それはだって、なんていうか……ごめん」
でも、誰だって同じ立場なら冗談だと思うはずだと、心の中で反論する。
だって、出会ってまだ少ししか経っていないのに、あんな甘い言葉を囁かれて。本気だと思う方がおかしいと思う。
そこで俺は、さっきの宮成の言葉を思い出した。
――あいつも俺も、昔から、お前が好きなの!
昔から……。
「さっき、昔から好きだったって言ったけど、お前と俺って、やっぱり小学生のころ、会ってんの?」
昨日帰ってから、頑張って見たものの、やっぱり思い出せなかった。なんせ、その当時の写真はおろか、手紙や学校で作った工作物さえも、一つも残っていないのだ。
宮成は少し黙ったあと、いつになく真剣な表情で俺を見た。
「……うん。小学三年の頃、一年だけ。でも……、綿谷には良い思い出ではないのかも」
少しだけ掠れている声は、いつもより緊張していることを物語っている。
宮成はポケットから生徒手帳を取り出すと、綺麗におられた写真を取り出して俺に差し出した。
それは、遠足の写真なのだろうか。弁当を食べている子供たちが10人程写った写真だった。
そしてその一番前にいるのは、紛れもなく、小学三年生の俺だった。
ふと隣を見ると、そこには色素の薄い、少しクセのあるしなやかな髪の男の子が、恥ずかしそうに座っていた。
「アッキー……」
無意識にそう呟いたとき、頭の中に突風が吹いた。そんな気がした。
止まっていた時計が逆に回転を始め、俺は全てを思い出していた。
