いつものように昼休みを終え、宮成と教室に戻っていると、明石と瀬田が待っていたように、教室の前に立っていた。
「宮成ー! ナツっきー! 五限、自習だってよ!」
「なんか、鬼崎が体調不良らしい」
鬼のように怖い化学教師、国崎――通称鬼崎も、夏風邪には勝てなかたったらしい。
「え、鬼崎も風邪引くんだ……」
宮成はどうやら本気で驚いている。
「自習何する?」
「は?」
「一緒にしようよ」
自習ってのは、自分一人で学習することを言うのであって、誰かと一緒に勉強することではない。
「……しねーよ」
「え、なんで? 苦手なとこ、教えてやるから」
そう。宮成はなぜかこう見えて頭が良い。
帰宅部の俺と違って、部活にも入っているし、朝も弁当を作ったりで時間がないはずなのに。
「でな、自習には相原先生が来るらしいんだけど、俺、その時間を利用して席替えを提案しようと思うんだ」
「は?」
ワクワクするような笑みを浮かべる明石に、宮成が眉間に皺を寄せた。
「まぁ確かに、もう三ヶ月経とうとしてるもんな」
「だろ? 他のクラスはどこもしてんのに。このままじゃ夏休み突入しちゃうじゃん」
宮成の反応などお構いなく、瀬田と宮成は話を続ける。
確かに、もう席替えをしても良い時期だ。いや、遅すぎるくらいかもしれない。
窓際の一番後ろの席は、俺にとって最高の席だった。……宮成の隣だし。
まぁでも、席替えなら仕方ないよな。
そう思う俺の横で、宮成はすごい顔をしていた。なんというか、イケメンが台無しだ。
「晴路、やめろ。席替え、提案、断固、反対!」
どこかのスローガンのような宮成の言葉に、明石が口を尖らせる。
「お前は後ろだから良いけどさ、俺は一番前の席なんだよ!」
「お前は馬鹿だから、勉強できてちょうど良いだろ」
「おまっ、誰が馬鹿だよ!お前だって、中二の時、三十点とったくせに!」
「なっ、あれは家庭科だろ! 家庭科はノーカンだっつの!」
言い合いをする明石と宮成を見ながら、俺は瀬田に訊ねた。
「あの二人って、中学一緒なの?」
だから明石のことだけ呼び捨てなのだろうか。
「ああ、そうそう。中学からっていうか、小学生の頃から一緒らしいよ」
「えっ……、小学生?」
目を瞠る俺に気づいた瀬田は、咄嗟に口を押さえた。
「あ、やべ。これ、言っちゃいけないやつだった。すまん、ナツっきー。今の忘れて」
「あ、うん」
忘れて、なんて言われて忘れられる人が、果たしているのだろうか。
宮成と明石が同じ小学校……。ってことは、俺と宮成も、少しの間だけど、同じ小学校だったってことだろう。
その時、なぜか色んなことが腑に落ちた。
考えてみると、おかしなことがたくさんあった。
始業式の日、名前も知らないはずの俺に、「綿谷」って呼んできたこと。なぜか最初から妙に構ってきたこと。バスケをしてたことを知っていたし、あと――そう。卵焼きはしょっぱい派だったことも知っていた。
でも、それって。
『俺、アッキーの作る卵焼き好き!』
『ほんと? じゃぁ、次の遠足では、俺が夏生の分まで作るよ!』
『まじ? ありがとう!』
急に頭に流れた記憶の断片に、俺は動揺した。
知ってる。これ、俺の記憶だ。だけど、わからない。アッキーって誰だっけ?
いや、そんなことより。なんで宮成は俺に何も言わないんだ?
「同じ小学校だったんだ」って言えばいいだけなのに。俺が忘れているから、拗ねてるとか。
いや、宮成はそんなタイプじゃない。忘れてても、なんで忘れてるんだよって笑って流してくれるはずだ。じゃぁなんで――。
「お前ら何してんだー。教室入れー! 自習だぞ」
俺の思考を遮るように、相原先生の声が聞こえ、俺らは言われるがまま教室に入った。
席に座り、チラリと横を見ると、視線に気づいた宮成が「ん?」と首を傾げた。
俺は宮成を知っている。きっともっと昔から。
なのに、それがどうしても思い出せない。霞がかった記憶を手探りで進んで、俺はもう途方に暮れてしまいそうだった。
「あのさ、宮成――」
「はい、先生! この自習を利用して、席替えしたいです!」
もう宮成に直接訊ねてしまおうと、喉まで出かかっていた言葉は、明石の威勢の良い声に完全にかき消された。
「なっ! あいつ……!」
宮成は思わず席を立ち、小さく舌打ちをする。座っていた椅子がガタッと音を立て、俺は体をビクッと震え上がらせた。
「確かにな。おーし、いいぞ。ちゃっちゃやるか」
そういうと、相原先生は黒板に座席票を書き、紙切れでくじを作っていく。クラスが盛り上がる中、宮成だけが人生が終わったとでもいうように、椅子にもたれかかっていた。
「……席替え、そんなに嫌なの?」
まぁ確かに、一番後ろじゃなくなるってのはでかい。でも、そこまで落ち込むことじゃない気がする。
「当たり前じゃん。だって綿谷の隣がいいもん。綿谷は違うの?」
「え?」
いいもんって、何だその可愛い言葉。それを言っているのがこの長身長髪男だというのに、またギャップ萌えだ。
いや、そんなことより、なんて答えればいいんだ。
本当のことを言えば、寂しい。ずっと隣にいたいに決まってる。でも、そんなこと言ってキモくないだろうか。
そう考えていると、宮成がまた俺の目をしっかり見て、再び声に出した。
「綿谷は、俺と離れて寂しくないの?」
「え……えっと、あ、その」
「おーい、宮成、綿谷! あとくじ引いてないの、お前らだけだぞ!」
相原先生の声に、俺は我にかえり、急いで返事をする。
「あ、はい!」
気づいた時にはもう全員がくじをとっていたようで、俺は逃げるように、教卓へ向かった。
「よし、じゃぁ移動しろー」
荷物をまとめていると、宮成がやけに真剣な表情で近づいてきた。
「綿谷どこだった?」
「あー、通路側の一番後ろ。宮成は?」
「真ん中の一番前」
「あー……御愁傷様」
そう言って、席に移動するが、なぜか宮成が後ろから付いてくる。
「……なんで付いてくるの?」
「綿谷の周りの席のやつに変わってもらおうと思って」
「うわ……ずるじゃん」
「ずる? ……これはずるじゃなくて、愛だから」
そんな会話をしていると、新しい俺の席の一つ前に瀬田が座っていた。宮成の目が輝く。
「瀬田!お願いだから、席変わってくれ」
「宮成の席どこなん?」
「……真ん中の一番前」
「嫌だよ」
即答だった。そりゃそうだ。どんなレートだったら、一番前と後ろから二番目を交換するやつがいるかよ。
瀬田から断られてしまった宮成はトボトボと、自分の席へ歩いて行った。
その時、明石の泣きそうな声が飛んできた。
「俺また一番前かよー!」
席替えの言い出しっぺである明石はまた一番前の席だったようだ。しかも隣は宮成のようだ。
「晴路が席替えとかいうからだろ、まじで」
「俺だって、こんなことになると思ってねーもん」
一番前の席での言い合いは、教室中に響き、クラスのあちこちから笑い声が上がった。
俺も、つられて思わず笑ってしまう。
けれど、ふとさっきのことが頭をよぎる。
俺たちはもしかして、同じ小学校だった?
それに――アッキーって誰だ。
俺は視線を、今は遠くなった宮成の背中に向けた。
放課後、ちゃんと宮成に訊ねてみよう。
俺は、逸る気持ちを抑えて、残りの授業をやり過ごした。
授業のチャイムが鳴り響くと同時に、俺は真っ先に宮成の元へ行こうと腰を上げた。けれど、日直の仕事で、宮成は先生に連れていかれてしまった。
仕方ないと、教室で待っていたが、三十分を過ぎても、戻ってこない。
痺れを切らして職員室まで行ってみたが、そこに宮成の姿はなかった。
入れ違いになったのかもと、教室へ引き返そうとした時、渡り廊下に見慣れた背中が見えた。
急いで階段を駆け上がったが、辿り着いた先にいたのは、宮成一人ではなかった。
その横には翠が立っていた。
そういえば、二人は同じ小学校だったな。
ってことは、翠も俺と、同じ小学校だということだろうか。
どうしよう、全然覚えてない。
ここまできても、靄のかかった思い出は、一向に晴れてはくれない。
その時、宮成の声が、しんとした放課後の空気を震わせた。
「……好きだよ」
いつもの冗談とは明らかに違う声色に、思わず身動きが取れなくなる。
向けられた言葉に、翠は小さく笑った。
「私も、好き」
その瞬間、世界から音が消えた。
――ダメだ。もう、それ以上、聞きたくない。
気づいたら俺は、渡り廊下に背を向けて、その場から逃げていた。
胸が痛むのは、走っているからなのか。それとも――。
考えると息ができなくなって、夢中で学校を後にした。
「宮成ー! ナツっきー! 五限、自習だってよ!」
「なんか、鬼崎が体調不良らしい」
鬼のように怖い化学教師、国崎――通称鬼崎も、夏風邪には勝てなかたったらしい。
「え、鬼崎も風邪引くんだ……」
宮成はどうやら本気で驚いている。
「自習何する?」
「は?」
「一緒にしようよ」
自習ってのは、自分一人で学習することを言うのであって、誰かと一緒に勉強することではない。
「……しねーよ」
「え、なんで? 苦手なとこ、教えてやるから」
そう。宮成はなぜかこう見えて頭が良い。
帰宅部の俺と違って、部活にも入っているし、朝も弁当を作ったりで時間がないはずなのに。
「でな、自習には相原先生が来るらしいんだけど、俺、その時間を利用して席替えを提案しようと思うんだ」
「は?」
ワクワクするような笑みを浮かべる明石に、宮成が眉間に皺を寄せた。
「まぁ確かに、もう三ヶ月経とうとしてるもんな」
「だろ? 他のクラスはどこもしてんのに。このままじゃ夏休み突入しちゃうじゃん」
宮成の反応などお構いなく、瀬田と宮成は話を続ける。
確かに、もう席替えをしても良い時期だ。いや、遅すぎるくらいかもしれない。
窓際の一番後ろの席は、俺にとって最高の席だった。……宮成の隣だし。
まぁでも、席替えなら仕方ないよな。
そう思う俺の横で、宮成はすごい顔をしていた。なんというか、イケメンが台無しだ。
「晴路、やめろ。席替え、提案、断固、反対!」
どこかのスローガンのような宮成の言葉に、明石が口を尖らせる。
「お前は後ろだから良いけどさ、俺は一番前の席なんだよ!」
「お前は馬鹿だから、勉強できてちょうど良いだろ」
「おまっ、誰が馬鹿だよ!お前だって、中二の時、三十点とったくせに!」
「なっ、あれは家庭科だろ! 家庭科はノーカンだっつの!」
言い合いをする明石と宮成を見ながら、俺は瀬田に訊ねた。
「あの二人って、中学一緒なの?」
だから明石のことだけ呼び捨てなのだろうか。
「ああ、そうそう。中学からっていうか、小学生の頃から一緒らしいよ」
「えっ……、小学生?」
目を瞠る俺に気づいた瀬田は、咄嗟に口を押さえた。
「あ、やべ。これ、言っちゃいけないやつだった。すまん、ナツっきー。今の忘れて」
「あ、うん」
忘れて、なんて言われて忘れられる人が、果たしているのだろうか。
宮成と明石が同じ小学校……。ってことは、俺と宮成も、少しの間だけど、同じ小学校だったってことだろう。
その時、なぜか色んなことが腑に落ちた。
考えてみると、おかしなことがたくさんあった。
始業式の日、名前も知らないはずの俺に、「綿谷」って呼んできたこと。なぜか最初から妙に構ってきたこと。バスケをしてたことを知っていたし、あと――そう。卵焼きはしょっぱい派だったことも知っていた。
でも、それって。
『俺、アッキーの作る卵焼き好き!』
『ほんと? じゃぁ、次の遠足では、俺が夏生の分まで作るよ!』
『まじ? ありがとう!』
急に頭に流れた記憶の断片に、俺は動揺した。
知ってる。これ、俺の記憶だ。だけど、わからない。アッキーって誰だっけ?
いや、そんなことより。なんで宮成は俺に何も言わないんだ?
「同じ小学校だったんだ」って言えばいいだけなのに。俺が忘れているから、拗ねてるとか。
いや、宮成はそんなタイプじゃない。忘れてても、なんで忘れてるんだよって笑って流してくれるはずだ。じゃぁなんで――。
「お前ら何してんだー。教室入れー! 自習だぞ」
俺の思考を遮るように、相原先生の声が聞こえ、俺らは言われるがまま教室に入った。
席に座り、チラリと横を見ると、視線に気づいた宮成が「ん?」と首を傾げた。
俺は宮成を知っている。きっともっと昔から。
なのに、それがどうしても思い出せない。霞がかった記憶を手探りで進んで、俺はもう途方に暮れてしまいそうだった。
「あのさ、宮成――」
「はい、先生! この自習を利用して、席替えしたいです!」
もう宮成に直接訊ねてしまおうと、喉まで出かかっていた言葉は、明石の威勢の良い声に完全にかき消された。
「なっ! あいつ……!」
宮成は思わず席を立ち、小さく舌打ちをする。座っていた椅子がガタッと音を立て、俺は体をビクッと震え上がらせた。
「確かにな。おーし、いいぞ。ちゃっちゃやるか」
そういうと、相原先生は黒板に座席票を書き、紙切れでくじを作っていく。クラスが盛り上がる中、宮成だけが人生が終わったとでもいうように、椅子にもたれかかっていた。
「……席替え、そんなに嫌なの?」
まぁ確かに、一番後ろじゃなくなるってのはでかい。でも、そこまで落ち込むことじゃない気がする。
「当たり前じゃん。だって綿谷の隣がいいもん。綿谷は違うの?」
「え?」
いいもんって、何だその可愛い言葉。それを言っているのがこの長身長髪男だというのに、またギャップ萌えだ。
いや、そんなことより、なんて答えればいいんだ。
本当のことを言えば、寂しい。ずっと隣にいたいに決まってる。でも、そんなこと言ってキモくないだろうか。
そう考えていると、宮成がまた俺の目をしっかり見て、再び声に出した。
「綿谷は、俺と離れて寂しくないの?」
「え……えっと、あ、その」
「おーい、宮成、綿谷! あとくじ引いてないの、お前らだけだぞ!」
相原先生の声に、俺は我にかえり、急いで返事をする。
「あ、はい!」
気づいた時にはもう全員がくじをとっていたようで、俺は逃げるように、教卓へ向かった。
「よし、じゃぁ移動しろー」
荷物をまとめていると、宮成がやけに真剣な表情で近づいてきた。
「綿谷どこだった?」
「あー、通路側の一番後ろ。宮成は?」
「真ん中の一番前」
「あー……御愁傷様」
そう言って、席に移動するが、なぜか宮成が後ろから付いてくる。
「……なんで付いてくるの?」
「綿谷の周りの席のやつに変わってもらおうと思って」
「うわ……ずるじゃん」
「ずる? ……これはずるじゃなくて、愛だから」
そんな会話をしていると、新しい俺の席の一つ前に瀬田が座っていた。宮成の目が輝く。
「瀬田!お願いだから、席変わってくれ」
「宮成の席どこなん?」
「……真ん中の一番前」
「嫌だよ」
即答だった。そりゃそうだ。どんなレートだったら、一番前と後ろから二番目を交換するやつがいるかよ。
瀬田から断られてしまった宮成はトボトボと、自分の席へ歩いて行った。
その時、明石の泣きそうな声が飛んできた。
「俺また一番前かよー!」
席替えの言い出しっぺである明石はまた一番前の席だったようだ。しかも隣は宮成のようだ。
「晴路が席替えとかいうからだろ、まじで」
「俺だって、こんなことになると思ってねーもん」
一番前の席での言い合いは、教室中に響き、クラスのあちこちから笑い声が上がった。
俺も、つられて思わず笑ってしまう。
けれど、ふとさっきのことが頭をよぎる。
俺たちはもしかして、同じ小学校だった?
それに――アッキーって誰だ。
俺は視線を、今は遠くなった宮成の背中に向けた。
放課後、ちゃんと宮成に訊ねてみよう。
俺は、逸る気持ちを抑えて、残りの授業をやり過ごした。
授業のチャイムが鳴り響くと同時に、俺は真っ先に宮成の元へ行こうと腰を上げた。けれど、日直の仕事で、宮成は先生に連れていかれてしまった。
仕方ないと、教室で待っていたが、三十分を過ぎても、戻ってこない。
痺れを切らして職員室まで行ってみたが、そこに宮成の姿はなかった。
入れ違いになったのかもと、教室へ引き返そうとした時、渡り廊下に見慣れた背中が見えた。
急いで階段を駆け上がったが、辿り着いた先にいたのは、宮成一人ではなかった。
その横には翠が立っていた。
そういえば、二人は同じ小学校だったな。
ってことは、翠も俺と、同じ小学校だということだろうか。
どうしよう、全然覚えてない。
ここまできても、靄のかかった思い出は、一向に晴れてはくれない。
その時、宮成の声が、しんとした放課後の空気を震わせた。
「……好きだよ」
いつもの冗談とは明らかに違う声色に、思わず身動きが取れなくなる。
向けられた言葉に、翠は小さく笑った。
「私も、好き」
その瞬間、世界から音が消えた。
――ダメだ。もう、それ以上、聞きたくない。
気づいたら俺は、渡り廊下に背を向けて、その場から逃げていた。
胸が痛むのは、走っているからなのか。それとも――。
考えると息ができなくなって、夢中で学校を後にした。
