例年よりも短い梅雨も終わり、カラッとした夏空が広がるある朝。
学校へ行くと、靴箱の近くで誰かと話をしている宮成を見つけた。
誰と話しているのかは、見なくてもわかった。翠だ。
最近、よく二人が話しているのを目にする。
前に翠のことを可愛いと言ったからか、宮成は俺と翠を異様なまでに、近づけたがらない。そこまで過敏にならなくても、あんな美女が、俺を好きになるわけないのに。
「……まぁでも。好きな子が他の男と喋ってたら嫌だよな」
そう自分に言い聞かせるように呟き、宮成に気づかれないようにひっそりと階段を上がろうと足を上げたとき。
「綿谷!」
後ろから、宮成の声がした。
振り返ると、やけに上機嫌な宮成が弾む足取りで、近づいてくる。
……きっと、朝から翠と喋ったからだ。
そう気づいて、ずどんと体が重くなる。階段を上げる足に、一気に重力が加わる。
「おはよん」
「……おはよ」
落ち込みながら挨拶を交わすと、俺の心模様など知らない宮成は、嬉しそうに笑った。
「さっきそこで翠に捕まってて、まじ最悪だと思ってたんだけど、そのおかげで朝から綿谷に会えて、逆にラッキーだわ」
「朝からって……、いつも教室で会ってるじゃん」
「いやだって、一秒でも早く会いたいじゃん」
さらりと言われた言葉に、思わず胸がときめきかける。
朝の光も相まって、宮成がどこぞの王子様のように輝いて見えて仕方ない。
だめだ。これはこいつの手なんだ。
こうやって、その気にさせておいて、でも全部冗談なんだ。
だって、宮成には、好きな人が――翠が、いる。
だから間に受けては、いけない。
「……最近、翠さんと、仲良いよな」
二人のことなんて、知りたくない。知りたくないのに、気になって、なぜか勝手に口が動いた。
「仲良いって、俺と翠が?」
「よく喋ってるじゃん」
「あー、まぁ翠とは、昔から好きなものが一緒だから……」
宮成はどこか照れくさそうに、視線を逸らした。
昔から好きなものが一緒ってことは、何か共通の趣味とかがあるってことだろうか。
俺だって、宮成が好きなものは、きっと好きになれると思うけど。そうしたら宮成は俺のことを好きになってくれるだろうか。
一瞬頭に浮かんだ考えを、俺は一蹴した。そんなわけないってことくらい分かってる。
たとえ俺が宮成と同じ趣味を持ったとしても、あいつは俺を好きにならない。
だって、俺は男だから……。
「……ふぅん」
つい返事がそっけなくなったのは、泣きそうなのを堪えたから。でも、宮成はそれに気づかず、いつになく上機嫌なまま教室に入って行った。
HRの最後に、担任の相原先生が、名簿に目を落とした。
「今日の日直は……宮成か。宮成、次の授業の資材取りきてくれ」
みんなが十五分後の授業の準備をし始める中、宮成は机に伏せていた顔をあげた。
「え、だる」
そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「綿谷、一緒に――」
「行かない。俺、自販機行きたいし」
「え? 薄情ものじゃん」
「なんとでも言え。いつも一緒だと思うなよ」
朝のことで、ひとり勝手に不機嫌な俺は、ふんと顔を背け、財布を持って席を立った。それに合わせて宮成も一緒に席を立つ。
「ちぇっ、寂しいなー」
俺に聞こえるように、わざとらしく話す宮成の声を背中で聞きながら、俺は教室を出た。
数歩進んで、ふと振り返ると、廊下を反対方向に歩く、寂しげな背中が見える。
かわいそうだったかなと少し胸がちくりとしたが、思わせぶりな宮成が悪いんだと、俺はそのまま歩みを進めた。
中庭にある自販機を目指しながら、不意に、こうやって学校で一人になるのは久々だということに気づいた。
前までは、一人でいることが当たり前だったのに。最近じゃ、どこに行くにも、絶対に宮成が隣にいる。離れている方が、変な気がしてくるほどだ。
そんなことを考えていると、外階段の一番下に、女子生徒がうずくまっているのが見えた。
どうしたのだろう。すぐに駆け寄ろうかと思ったが、ふと考えが頭をよぎる。
こんな地味男に話しかけられても、困るかもしれない。もっと体調を悪化させてしまうかも……。
このまま通り過ぎる方が相手のためにも良いのかも。
そう思っていたはずなのに、やはり見過ごすことができず、俺の足は勝手に彼女のもとへ向かっていた。
「だ、大丈夫ですか……?」
声をかけると、ゆっくりと顔が上がり、俺は「あっ」と声を漏らした。そこにいたのは翠だった。
心なしか、いつもより顔が青白い。
「あ、夏生か。ちょっと貧血気味で、お腹が痛くって……」
口角は上がっているが、眉間の皺を見る限り、無理して笑っているのだろう。
「先生、呼んでこようか?」
焦る俺に、翠は頭を横に振る。
「大丈夫。いつものことだから。……気にしないで」
そうは言っても、このまま置いていくことはできなくて、俺は「ちょっと、待ってて」とだけ伝え、少し先の自販機まで走った。
「これ、よかったら……」
戻って、目の前に差し出した三本の飲み物に、翠は目を丸くした。
「あの……。翠さんが、どれがいいか分からなくて……。お腹温めるなら温かい飲み物だし、脱水だったらジュースの方がいいかな、いや水かなとか考えちゃって……」
冷静になってみれば、よく知らない男子から、こんなに飲み物を差し出されて、気持ち悪いだろうか。
そんな不安を吹き飛ばすような、軽やかな笑いが耳を揺らし、見上げると、翠が肩を震わせていた。
「ふふふっ。じゃぁ、温かいのをもらおうかな。お腹温めるとよくなるの」
翠は、俺の手から温かいお茶を受け取った。
「でも、全部のお金払うから」
ポケットから財布を取り出そうとする翠に、俺は首を横に振った。
「だ、大丈夫! それはプレゼント。あとは、どうせ二本買おうと思ってたし」
「……ほんと?」
俺は首がもげるくらいに頷いた。もちろん嘘だけど、頼まれもしないで勝手に買ってきたのは俺だし。
「じゃぁ、お言葉に甘えて」
翠は手に持ったお茶を、自分のお腹に当てた。
少しだけ表情が和らぐのを見て、ホッと安堵する。
「あの……、俺みたいなのになんかされても迷惑なだけかもだけど、なんかできることある? 友達呼んでくるとか。あ、早く向こうに行けとかだったら、もちろんすぐに行くし!」
慌てる俺の言葉に、翠はくすくすと笑って、小さな声でポツリと呟いた。
「相変わらず、優しいんだね」
「え?」
今、相変わらず、って言われた気がする。そう思ったけど、聞き返す間もなく、先に翠が口を開ける。
「じゃあ、ちょっとだけ、話し相手になって欲しい」
「え? 俺に?」
こくりと頷かれて、俺はテンパった。
だって、俺に話し相手になって欲しいなんて、正気か?
でもお願いされたわけだしと、俺は二人分の距離を空けて、翠の隣に腰掛けた。
けれど、何を話せばいいのか、全く見当がつかない。自分のコミュ力の無さに泣けてくる。
こういう時、何を話せば良いのかと頭を悩ませていると、先に翠が口を開いた。
「そういえば、球技大会、優勝おめでとう」
「あ、ありがとう……」
「夏樹がフリースローしてるとこ見て、私、ちょっと泣きそうになっちゃったよ」
え? そんなに感動するシーンだった?
俺は目を丸くした。
「そう言えば、慧に聞いた? バスケ始めた理由」
「あ……、うん」
好きな子にもう一度会うためだって言っていたなと、思い出して、胸がずんと重くなる。
だって、その子ってのは、きっと、いや、ほとんど間違いなく、今俺の目の前にいる、翠なのだ。
「じゃぁ次は、私のバスケ始めた理由聞いて」
そう言うと、翠は急に自分のことを話し始めた。
「実は、私も好きな男子を追っかけて始めたの。でも私が入部してすぐ、その子転校しちゃって。まぁ、せっかく始めたしって続けてたら、いつのまにか今に至ってた」
「へぇ」
どう返事をするのが正しいのかわからず、俺は無難に相槌をうつ。
宮成がバスケをするきっかけになった翠もまた、別の誰かがきっかけでバスケを始めたらしい。
翠は言葉を続けた。
「私ね、その好きだった子のことを、その後も何度も、よく思い出すんだ」
目を眇める翠は、昔を思い出しているようだった。
「自分のことでいっぱいいっぱいで人に優しくできそうにないとき、ふとその子のことを思い出しては、あの子はきっとこういう時も人に優しくするんだろうなって思って、力もらったりして。今思うとね、私、その子に憧れてたんだと思う。その子みたいに優しくなりたいって。まぁ、まだ全然優しくなれてないんだけど……」
翠は自嘲するように笑った。
なんで翠がその話を俺にしたのかは分からなかった。でも一つわかったことがある。
それは、翠がこういう言葉を素直に口にできる人なんだということ。
そう思った時、俺は不思議と口を開いていた。
「あの、俺は、小学生の頃、あんまり良い思い出がなくて。あっ、て言うのも、お、俺、……転校ばっかりで、だから、仲良くなっても友達と別れなきゃいけなくて。その時が楽しければ楽しいほど、別れが辛くて、楽しい思い出ほど、嫌な思い出になっていって……」
言いながら、自分が何を伝えたかったのか分からなくなり、俺は一度、口を閉じた。
頭の中にあることを、ちゃんと言葉にしたいのに、うまくまとまらず、もどかしい。
「だから、その、何を言いたいかっていうと、思い出をちゃんと大切にできる翠さんはすごいなって思うし、その子みたいに優しくなりたいと思ってる時点で、もう十分優しいんだと……思う……」
見た目も良くて、性格も良くて。……宮成にぴったりだ。
もし、性格が悪ければ『宮成には相応しくない!』って思えたのに。
「綿谷!」
その時、向こうから宮成の声がした。
目を向けると、何やら必死な顔でこちらを見ている宮成がいた。
「ふふっ、せっかく夏生と二人だったのに。いつも慧が邪魔するからゆっくり話すこともできやしない」
翠は呆れるように笑うと、手にお茶を持って立ち上がった。
「またね、夏生。お茶、ありがとう」
穏やかな笑みを残して、翠はそのまま宮成のいる方向に歩いて行った。
すれ違う時、翠が何か宮成に言っていたようだが、遠すぎてここまでは聞こえなかった。
「遅いから迎えきた……って翠と何話してたの?」
宮成は肩で息をしながら、こちらへ駆けてくる。
迎えに来たって、俺は子供かよ。
「何って、普通に世間話」
「世間話? 具体的には――」
「それより、教室戻るんだろ」
宮成の言葉を遮ると、宮成は少し不服そうに、でもそれ以上は何も聞かなかった。
「これ、はい」
さっき多めに買ったジュースを宮成に差し出す。
「え、これ俺の好きなやつじゃん。いいの?」
「うん、俺、それあんまし好きじゃないし」
「え、じゃぁなんで買ったの?」
そう訊ねる宮成に、俺は答えることができなかった。
もし余ったら、お前にあげようと思っていたから。もう俺の頭はお前のことばっかりで、たかがジュースひとつでもお前のことを思い浮かんでしまうってことを。
学校へ行くと、靴箱の近くで誰かと話をしている宮成を見つけた。
誰と話しているのかは、見なくてもわかった。翠だ。
最近、よく二人が話しているのを目にする。
前に翠のことを可愛いと言ったからか、宮成は俺と翠を異様なまでに、近づけたがらない。そこまで過敏にならなくても、あんな美女が、俺を好きになるわけないのに。
「……まぁでも。好きな子が他の男と喋ってたら嫌だよな」
そう自分に言い聞かせるように呟き、宮成に気づかれないようにひっそりと階段を上がろうと足を上げたとき。
「綿谷!」
後ろから、宮成の声がした。
振り返ると、やけに上機嫌な宮成が弾む足取りで、近づいてくる。
……きっと、朝から翠と喋ったからだ。
そう気づいて、ずどんと体が重くなる。階段を上げる足に、一気に重力が加わる。
「おはよん」
「……おはよ」
落ち込みながら挨拶を交わすと、俺の心模様など知らない宮成は、嬉しそうに笑った。
「さっきそこで翠に捕まってて、まじ最悪だと思ってたんだけど、そのおかげで朝から綿谷に会えて、逆にラッキーだわ」
「朝からって……、いつも教室で会ってるじゃん」
「いやだって、一秒でも早く会いたいじゃん」
さらりと言われた言葉に、思わず胸がときめきかける。
朝の光も相まって、宮成がどこぞの王子様のように輝いて見えて仕方ない。
だめだ。これはこいつの手なんだ。
こうやって、その気にさせておいて、でも全部冗談なんだ。
だって、宮成には、好きな人が――翠が、いる。
だから間に受けては、いけない。
「……最近、翠さんと、仲良いよな」
二人のことなんて、知りたくない。知りたくないのに、気になって、なぜか勝手に口が動いた。
「仲良いって、俺と翠が?」
「よく喋ってるじゃん」
「あー、まぁ翠とは、昔から好きなものが一緒だから……」
宮成はどこか照れくさそうに、視線を逸らした。
昔から好きなものが一緒ってことは、何か共通の趣味とかがあるってことだろうか。
俺だって、宮成が好きなものは、きっと好きになれると思うけど。そうしたら宮成は俺のことを好きになってくれるだろうか。
一瞬頭に浮かんだ考えを、俺は一蹴した。そんなわけないってことくらい分かってる。
たとえ俺が宮成と同じ趣味を持ったとしても、あいつは俺を好きにならない。
だって、俺は男だから……。
「……ふぅん」
つい返事がそっけなくなったのは、泣きそうなのを堪えたから。でも、宮成はそれに気づかず、いつになく上機嫌なまま教室に入って行った。
HRの最後に、担任の相原先生が、名簿に目を落とした。
「今日の日直は……宮成か。宮成、次の授業の資材取りきてくれ」
みんなが十五分後の授業の準備をし始める中、宮成は机に伏せていた顔をあげた。
「え、だる」
そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「綿谷、一緒に――」
「行かない。俺、自販機行きたいし」
「え? 薄情ものじゃん」
「なんとでも言え。いつも一緒だと思うなよ」
朝のことで、ひとり勝手に不機嫌な俺は、ふんと顔を背け、財布を持って席を立った。それに合わせて宮成も一緒に席を立つ。
「ちぇっ、寂しいなー」
俺に聞こえるように、わざとらしく話す宮成の声を背中で聞きながら、俺は教室を出た。
数歩進んで、ふと振り返ると、廊下を反対方向に歩く、寂しげな背中が見える。
かわいそうだったかなと少し胸がちくりとしたが、思わせぶりな宮成が悪いんだと、俺はそのまま歩みを進めた。
中庭にある自販機を目指しながら、不意に、こうやって学校で一人になるのは久々だということに気づいた。
前までは、一人でいることが当たり前だったのに。最近じゃ、どこに行くにも、絶対に宮成が隣にいる。離れている方が、変な気がしてくるほどだ。
そんなことを考えていると、外階段の一番下に、女子生徒がうずくまっているのが見えた。
どうしたのだろう。すぐに駆け寄ろうかと思ったが、ふと考えが頭をよぎる。
こんな地味男に話しかけられても、困るかもしれない。もっと体調を悪化させてしまうかも……。
このまま通り過ぎる方が相手のためにも良いのかも。
そう思っていたはずなのに、やはり見過ごすことができず、俺の足は勝手に彼女のもとへ向かっていた。
「だ、大丈夫ですか……?」
声をかけると、ゆっくりと顔が上がり、俺は「あっ」と声を漏らした。そこにいたのは翠だった。
心なしか、いつもより顔が青白い。
「あ、夏生か。ちょっと貧血気味で、お腹が痛くって……」
口角は上がっているが、眉間の皺を見る限り、無理して笑っているのだろう。
「先生、呼んでこようか?」
焦る俺に、翠は頭を横に振る。
「大丈夫。いつものことだから。……気にしないで」
そうは言っても、このまま置いていくことはできなくて、俺は「ちょっと、待ってて」とだけ伝え、少し先の自販機まで走った。
「これ、よかったら……」
戻って、目の前に差し出した三本の飲み物に、翠は目を丸くした。
「あの……。翠さんが、どれがいいか分からなくて……。お腹温めるなら温かい飲み物だし、脱水だったらジュースの方がいいかな、いや水かなとか考えちゃって……」
冷静になってみれば、よく知らない男子から、こんなに飲み物を差し出されて、気持ち悪いだろうか。
そんな不安を吹き飛ばすような、軽やかな笑いが耳を揺らし、見上げると、翠が肩を震わせていた。
「ふふふっ。じゃぁ、温かいのをもらおうかな。お腹温めるとよくなるの」
翠は、俺の手から温かいお茶を受け取った。
「でも、全部のお金払うから」
ポケットから財布を取り出そうとする翠に、俺は首を横に振った。
「だ、大丈夫! それはプレゼント。あとは、どうせ二本買おうと思ってたし」
「……ほんと?」
俺は首がもげるくらいに頷いた。もちろん嘘だけど、頼まれもしないで勝手に買ってきたのは俺だし。
「じゃぁ、お言葉に甘えて」
翠は手に持ったお茶を、自分のお腹に当てた。
少しだけ表情が和らぐのを見て、ホッと安堵する。
「あの……、俺みたいなのになんかされても迷惑なだけかもだけど、なんかできることある? 友達呼んでくるとか。あ、早く向こうに行けとかだったら、もちろんすぐに行くし!」
慌てる俺の言葉に、翠はくすくすと笑って、小さな声でポツリと呟いた。
「相変わらず、優しいんだね」
「え?」
今、相変わらず、って言われた気がする。そう思ったけど、聞き返す間もなく、先に翠が口を開ける。
「じゃあ、ちょっとだけ、話し相手になって欲しい」
「え? 俺に?」
こくりと頷かれて、俺はテンパった。
だって、俺に話し相手になって欲しいなんて、正気か?
でもお願いされたわけだしと、俺は二人分の距離を空けて、翠の隣に腰掛けた。
けれど、何を話せばいいのか、全く見当がつかない。自分のコミュ力の無さに泣けてくる。
こういう時、何を話せば良いのかと頭を悩ませていると、先に翠が口を開いた。
「そういえば、球技大会、優勝おめでとう」
「あ、ありがとう……」
「夏樹がフリースローしてるとこ見て、私、ちょっと泣きそうになっちゃったよ」
え? そんなに感動するシーンだった?
俺は目を丸くした。
「そう言えば、慧に聞いた? バスケ始めた理由」
「あ……、うん」
好きな子にもう一度会うためだって言っていたなと、思い出して、胸がずんと重くなる。
だって、その子ってのは、きっと、いや、ほとんど間違いなく、今俺の目の前にいる、翠なのだ。
「じゃぁ次は、私のバスケ始めた理由聞いて」
そう言うと、翠は急に自分のことを話し始めた。
「実は、私も好きな男子を追っかけて始めたの。でも私が入部してすぐ、その子転校しちゃって。まぁ、せっかく始めたしって続けてたら、いつのまにか今に至ってた」
「へぇ」
どう返事をするのが正しいのかわからず、俺は無難に相槌をうつ。
宮成がバスケをするきっかけになった翠もまた、別の誰かがきっかけでバスケを始めたらしい。
翠は言葉を続けた。
「私ね、その好きだった子のことを、その後も何度も、よく思い出すんだ」
目を眇める翠は、昔を思い出しているようだった。
「自分のことでいっぱいいっぱいで人に優しくできそうにないとき、ふとその子のことを思い出しては、あの子はきっとこういう時も人に優しくするんだろうなって思って、力もらったりして。今思うとね、私、その子に憧れてたんだと思う。その子みたいに優しくなりたいって。まぁ、まだ全然優しくなれてないんだけど……」
翠は自嘲するように笑った。
なんで翠がその話を俺にしたのかは分からなかった。でも一つわかったことがある。
それは、翠がこういう言葉を素直に口にできる人なんだということ。
そう思った時、俺は不思議と口を開いていた。
「あの、俺は、小学生の頃、あんまり良い思い出がなくて。あっ、て言うのも、お、俺、……転校ばっかりで、だから、仲良くなっても友達と別れなきゃいけなくて。その時が楽しければ楽しいほど、別れが辛くて、楽しい思い出ほど、嫌な思い出になっていって……」
言いながら、自分が何を伝えたかったのか分からなくなり、俺は一度、口を閉じた。
頭の中にあることを、ちゃんと言葉にしたいのに、うまくまとまらず、もどかしい。
「だから、その、何を言いたいかっていうと、思い出をちゃんと大切にできる翠さんはすごいなって思うし、その子みたいに優しくなりたいと思ってる時点で、もう十分優しいんだと……思う……」
見た目も良くて、性格も良くて。……宮成にぴったりだ。
もし、性格が悪ければ『宮成には相応しくない!』って思えたのに。
「綿谷!」
その時、向こうから宮成の声がした。
目を向けると、何やら必死な顔でこちらを見ている宮成がいた。
「ふふっ、せっかく夏生と二人だったのに。いつも慧が邪魔するからゆっくり話すこともできやしない」
翠は呆れるように笑うと、手にお茶を持って立ち上がった。
「またね、夏生。お茶、ありがとう」
穏やかな笑みを残して、翠はそのまま宮成のいる方向に歩いて行った。
すれ違う時、翠が何か宮成に言っていたようだが、遠すぎてここまでは聞こえなかった。
「遅いから迎えきた……って翠と何話してたの?」
宮成は肩で息をしながら、こちらへ駆けてくる。
迎えに来たって、俺は子供かよ。
「何って、普通に世間話」
「世間話? 具体的には――」
「それより、教室戻るんだろ」
宮成の言葉を遮ると、宮成は少し不服そうに、でもそれ以上は何も聞かなかった。
「これ、はい」
さっき多めに買ったジュースを宮成に差し出す。
「え、これ俺の好きなやつじゃん。いいの?」
「うん、俺、それあんまし好きじゃないし」
「え、じゃぁなんで買ったの?」
そう訊ねる宮成に、俺は答えることができなかった。
もし余ったら、お前にあげようと思っていたから。もう俺の頭はお前のことばっかりで、たかがジュースひとつでもお前のことを思い浮かんでしまうってことを。
