箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

「まずい。……まずすぎる」
昼食を二人で食べながら、宮成がぽつりと呟いた。
「え? そうか? いつも通り美味しいけど」
いつも通り、目の前には宮成が作ったお弁当が置かれている。
今日はオムライスと唐揚げだ。
ちなみに、宮成がからかって描いたハートのケチャップは、俺がすぐにフォークでぐちゃぐちゃに消した。

「いや、弁当の話じゃなくて、綿谷が俺のものじゃなくなってきてて、まずいなって……」
「は?」
 前もそんなこと言ってたな。どうやらこの冗談が好きらしい。
「お前のものだったことなんて一度もないし」
 お決まりの返事をすれば、宮成は拗ねるように唇を尖らせた。
「だって、急にクラスの人気者になっちゃって……。嬉しいけど、遠くの人になったみたいで寂しいな」
 学校一のイケメンな人気者が何言ってんだと呆れながら、俺はオムライスを大きく口に頬張った。

 球技大会の決勝――。
 俺が放ったフリースローは二本とも、吸い込まれるようにリングの中心にすとんと落ちた。
 数年ぶりのバスケだったが、宮成の言うとおり、体は感覚を覚えていたらしい。
 すぐに敵の攻めが始まったが、それも束の間。次の瞬間、ブザーが鳴り響き、試合は終わった。

 一瞬の静寂。そして、会場が揺れるような歓声が沸いた。
 「「ナツっきー!!」」
 真っ先に駆け寄ってきた、明石と瀬田に肩を組まれ、俺はただ、呆然とした。
 ギャラリーから、クラスメイトたちが「綿谷! 綿谷!」と俺の名前を呼ぶ。人生で初の綿谷コールだ。
 誰もが見ている視線の先に自分がいる。それが信じられなくて、どうしていいかわからず、助けを求めるように宮成を探すと、宮成は少し先で誇らしげに微笑んでいた。
 その笑顔に、張り詰めていた緊張が解け、俺はそこで安堵するように笑った。

 次の日、学校へ行くと、クラスメイトから慣れない挨拶が飛んできた。
「ナツっきーおはよう」
「ナツっきー、昨日はお疲れ!」
 どうやらあの時笑った顔が、やっぱりウサっぎーに似てたらしい。
 自覚はないけど、みんなが口を揃えていうのなら、きっと本当に似ているのだろう。

 そうして、俺はその日を境に、クラスの全員から、『ナツっきー』と呼ばれるようになり、前以上に話しかけられるようになったのだが、どうやら宮成は、それが気に入らないらしい。

 そういえば、宮成は絶対に俺を『ナツっきー』とは呼ばない。
 別に呼んでもらいたいわけじゃないけど、『綿谷』は、ちょっと距離感がある気がする。
「……宮成は、その……、『ナツっきー』って呼ばないよな」
 あくまでなんでもない風を装って、訊ねると、宮成は相変わらず拗ねた様子で、唇を噛んだ。
「……だって、……みんなと同じ呼び方で、呼びたくないじゃん」
 何だ、その可愛い言い方。
 思わず目を瞠り、俺は、いやいやいや違うだろと、頭の中に浮かんだ言葉を掻き消す。
 どんな理由があるのだろうかと思っていたが、想像よりもしょうもない理由だったらしい。
 っていうか、綿谷って呼び方のほうが、みんなと同じじゃないか? 
 そんな思いが顔に出てしまっていたのか、宮成はわかってないなと言わんばかりにため息を吐いた。
「俺は決めてんの。いつか綿谷のことをこう呼ぶっていう呼び方を」
「え、何それ。……なんて呼ぶ気なの?」
 どんな宣言だ、と思いながら、なんと呼ぶ気なのか、俄然気になる。けれど、宮成は首を横に振って、人差し指を口に当てた。
「ひみつ」
 ……なんだそれ。
 イケメン一軍男子の考えることは、本当によくわからない。なんなら、今からその呼び方で呼べばいいのに。何か不都合でもあるのだろうか。

 そうこうしているうちに、いつもより少しだけ早く昼食の時間が終わった。
 空になった弁当箱を片付けながら、宮成が「じゃぁ」と切り出した。
「絵に移ろうか」
「……エ?」
 一体なんのことだろうと首を傾げようとしてすぐに、ハッとした。
 最近、お弁当を食べるだけで時間がすぎていたから忘れていたが、そもそもこの関係は、宮成の絵を俺が描くまで、という約束だ。
 それを忘れるなんて、ただただ宮成と二人でご飯を食べたいだけみたいで、俺は顔を赤らめた。
「あ、あぁ! 絵ね!」
 必死で取り繕いながら、『別に忘れていませんけど?』とでもいうようなすまし顔で準備をするが、頬はどこまでも赤くなっていく。きっと今ならお湯が沸かせるだろう。

 パレットに出した絵の具を筆につけながら、目の前の宮成に目を向ける。
 そこには長い前髪からこちらをじっと見つめる宮成がいた。

――やっぱり、かっこいいな。

 男同士とか、友達だとか、そんな言い訳も忘れて、俺は宮成を見つめた。
 綺麗なピンクの唇は形がよく、いつも俺に微笑みかける。

――あぁ、キスしてみたい。

 湧き上がった感情を飲み込んで、俺はその日、普段よりゆっくりと筆を走らせた。
 一生、絵なんて完成しませんように。そう願って。

 しばらくすると、昼休みが終わる予鈴が鳴り、俺たちは急いで外に出た。
 五限の授業が始まるまではあと十分。
「この後、移動教室だから急ごう」
「あーまた、鬼崎か。綿谷、鬼崎に目をつけられてるからな」
「誰のせいだよ」
 以前授業に遅れて行ってから、俺たち四人は目をつけられている。毎授業、絶対に一回は当てられるようになったのだ。
 おかげで四人とも、科学の授業だけ成績が上がったのだが。

 その時、向かいから明るい声がした。
「あれ、慧じゃん! って、夏生も!」
 視線を前に向けると、向こうから翠が歩いてくる。
 名前を呼ばれてすぐに宮成に目を向けると、宮成はなんとも神妙な顔をしていた。
 そしてそのまま俺に顔を向けた。
「……綿谷、翠に『夏生』って呼ばせてんの? ……なんで?」
 なんでってこっちが聞きたい。最初から『夏生』だったし、ほとんど話したことないのに、やけに馴れ馴れしいし。

 翠は宮成の手にもたれた保冷バッグを見ると何かを察したように口を開いた。
「えー、お昼、二人で食べてんの?」
「……まぁな」
 宮成はなぜか俺の方をチラチラ見ながら、曖昧に答える。
 なんだその視線は……。そう思った時、宮成の口が開いた。
「……綿谷、ちょっと先に行ってて」
 真剣な顔でそう言われ、俺は一瞬戸惑いつつも、すぐに察した。

――あ、二人きりで話したいのか。

 確かに、好きな人に、友人が親しげに下の名前で呼ばれていたら、いい気はしないよな。
 宮成はきっと今、俺に嫉妬しているのだろう。
 
「わかった、先帰っとくな」
 少し落ちかけた気持ちを悟られないように、努めて明るく告げると、俺は二人の横を通り過ぎた。
 背中で聞こえるかすかな話声に、なんだか悲しくなる。
 宮成は俺が翠を取るとでも思ってるんだろうか。そんなこと絶対にないのに。だって、俺はお前が――。
 ツンと鼻に迫り上がってきた痛みを誤魔化すように、俺は鼻を擦った。

 ふと、向かいから歩いてくる生徒の声が聞こえた。
「見て見て! 宮成先輩だ!」
「挨拶してみる?」
「えー緊張する。ってか、隣の人、めちゃくちゃ美人じゃない?」
「あー、翠先輩ね。なんか、付き合ってるって噂だよ」
 コソコソと話す彼女たちの声が嫌に耳に響く。
「えーショック! まぁでも、宮成先輩の彼女はあれくらいの美女じゃないと、務まらないよね」
「だよねー」
 彼女たちの会話は、通り過ぎる頃にはもう、駅前のドーナツの話題に変わっていたけれど、俺の頭には、さっきの言葉がこびりついて離れない。

――宮成先輩の彼女はあれくらいの美女じゃないと、務まらないよね

 そうだよ。俺みたいなのじゃ宮成には全く釣り合わない。
 こんな、この前までクラスの恥で一人ポツンと浮いていたような地味男。
 だから、忘れなきゃ。こんな想い。
 
 一人で歩く廊下は、なぜか、どこまでも長く感じた。