【完結】眉目秀麗な天狐は、虐げられた乙女を独占して離さない

 とある日。春弥は仕事へ行き、家庭教師も都合がつかず、ただ白雨とのんびりと過ごしていると、神尾家で働いている使用人のひとりが部屋まで手紙を届けにきた。

 宛先は和咲になっているが、差出人の名は書いていない。

 ペーパーナイフで封筒を切り、手紙にまなざしを定めると、和咲の顔色がみるみる青ざめていった。

「お嬢さまっ?」

 白雨の声は、和咲には聞こえていなかった。ただ、胸の焦燥で居ても立っても居られないと神尾家から飛び出す。

 ひらり、と手紙が床に落ちる。白雨はその内容に驚愕し、急いで行動を起こした。

 神尾家から藤堂家までの道を知らない和咲は、通行人にその内容を記した紙を見せ場所を教えてもらった。「ありがとうございます」と声の代わりに何度も頭を下げて駆け出す。

 和咲は走って、走って、とにかく足を動かして藤堂家に向かった。

 手紙に書かれていたのは、『この家に戻らなければ、有馬家のものをすべて燃やす』という脅迫だ。

 藤堂家にはまだ、有馬家の物が残っている?

 両親の物が残っていることを、和咲は知らなかった。あの生活では、考える余裕もなかった。

 藤堂家にたどり着くと、裏口に回って中に入ろうとした。

 だが、裏口の扉を開く前に、ガツンッと後頭部に衝撃と痛みが走り、和咲の意識はそこで途絶えた。


 ――目を覚ますと、そこは薄暗く埃っぽい場所で、とてもかび臭かった。和咲は辺りを見回して、自分を見下ろしている人がいることに気づく。

 真清だ。彼女が蔑んだまなざしを和咲に注いでいた。

「お目覚め? 随分いい暮らしをしていたようね」

 腕を組んでキッと睨む真清は、じろじろと和咲の服を眺める。

「変な話よね。お前のような()(せん)な者が、神尾家で暮らしているなんて」

 真清の声は、氷のように冷たかった。そして、ねっとりとした妬みも含んでいた。

 両手を拘束され、床に寝転ばせられた和咲は、顔も服も汚れてしまっている。対して、真清は綺麗に着飾って、妖艶に口端を吊り上げる。

「十一年前、お前も一緒にあの世に逝っていたらよかったのに。そうすれば、藤堂家がすべての財産を受け取れた。もっと優雅な生活が送れたのにねぇ」

 くすくす、と真清は嘲笑う。彼女の言葉に引っかかりを覚え、和咲はただ唇を噛み締めた。

(それは、まるで……)

 有馬家の両親が亡くなることを、予見していたようではないか、と。

「お金っていいものよね。あんたの両親が死んだおかげで、藤堂家は潤った。そこは感謝しているわよ? でも、あんたみたいな孤児ができたのは、計算外だったわ」

 本当は、予想していた。神尾家で白雨が言葉を切ったときから、ずっと考えていたのだ。

(私の両親が亡くなったのは、偶然ではなく必然ではないか、なんて……)

 藤堂家が抱えていた負債を、有馬家の財産で解消したと考えれば、つじつまが合う。でも、そんなこと知りたくもなかった。

「ね、あんたがいなければ、神尾家の当主はわたくしを選ぶと思わない? あんなに眉目秀麗な方のそばには、あんたみたいな平凡なヤツではなくて、わたくしのような美しい娘がお似合いでしょう?」

 真清は自信満々に胸を張り、笑顔を浮かべる。パチン、と彼女が指を鳴らすと、屈強な男性たちが現れて、ニタニタと薄汚い笑みで和咲に近づいていく。

「あんたが神尾家に戻れないようにしてあげる。安心なさい、あんたはちゃぁんとそれなりの場所に捨ててあげるから」
「やれやれ、こんな小娘を痛めつけようなんて、悪い女だなぁ、あんた」
「ふん、わたくしよりも幸福な女なんて、要らないのよ」
「はは、そういうの、嫌いじゃないぜ」

 真清はじろりと男性のひとりを睨みつけ、ぷいと顔をそらした。

 和咲の口に手のひらを押し当て、服を破こうとする男性を見て、真清はくるりと踵を返す。

 自分が戻ってくる頃には、神尾家に帰れない身体になっているだろう、とほくそ笑みながらその場をあとにしようとした。――が。

「おい、暴れんなっ! 大人しくしろ!」

 男性に怒鳴られながらも、和咲は必死で抵抗した。口を抑えていた手にかぶりつき、手が離れた隙に息を大きく吸い込む。

「……て、助けてっ、春弥さんっ!」

 ついに開かれた和咲の声が、この場に響いた。彼女の声に応えるように、青い炎が男性たちを包み、彼らは「ぎゃぁああ!」と野太い悲鳴を上げた。

 目の前の出来事に呆然としている和咲の頭上から、「――まったく」と呆れたような声が降り注いだ。

 後ろ姿だが、わかる。――来てくれたのだ、和咲を助けに。

「春弥、さん……!」
「待たせたな、和咲」

 振り返って微笑みを浮かべる男性――春弥の頭には狐の耳が生えていた。ふさふさの尻尾も見える。

「俺の婚約者をキズモノにしようとしたのか? 本当に救いようのない、哀れな人間だ」

 真清は突然現れた春弥に目を瞠っていたが、なにも答えなかった。それが答えだと理解し、春弥は真清も青い炎で包み込む。

「いや、いやぁあああッ!」

 みるみるうちに焼けてただれる肌に悲鳴を上げ、真清はそのまま意識を失った。

「愚かな人間たちだが、一応慈悲を授けよう」

 春弥が炎を消して、和咲に近づき彼女の手首を縛りつけていた縄を解く。

「無事でよかった。そなた、声が出るようになったのだな」

 ぎゅっと抱きしめられて、和咲も彼の背中に腕を回した。春弥の顔を見て安堵したからか、男性たちの力の強さがよみがえり、身を震わせた。

「もう大丈夫だ。深呼吸はできるか? そう、いい子だ」

 春弥の声に合わせて、吸って、吐いてを繰り返すと、平常心を取り戻した。

 これで、大丈夫。

「……ありがとうございます、春弥さん。あの、どうしてここがわかったのですか?」
「そなたに渡した指輪。これはそなたの居場所を俺に知らせるもの」

 抱きしめていた腕の力を抜き、春弥は和咲から少し離れた。

 和咲の手を取り、左手の薬指にはめられた指輪に視線を落とす。

 この指輪にそんな力があったとは、とびっくりしいている和咲。

「さて、和咲。そなたは有馬家の娘だから、この話を聞く権利がある」

 先ほどまでの、和咲の無事を心配していた声色ではなく、低く硬い声で言われて、和咲は小首をかしげた。

「この三ヶ月、俺は有馬家と藤堂家の繋がりを探っていた」

 和咲は瞳をこぼれ落ちそうなほど大きく見開き、がしっと春弥の腕を掴む。

「……教えてください。春弥さんが知ったことを、すべて」

 春弥は切なそうに目を細めて、小さく顎を引いた。彼が口を開いた瞬間、騒ぎを聞きつけた藤堂家の当主たちがこの場所に踏み込んできた。

 倒れている愛娘と屈強な男性たち、耳と尻尾を隠していない春弥、彼の近くにいる和咲に気づき、「なぜ娘を!」と詰め寄ろうとした。

 だが、春弥の鋭く冷たいまなざしに射貫かれ、動きを止めた。

「藤堂家の娘は悪意の塊のようだ。――隠し通せると思ったか? 貴様たちの悪行を」

 真顔で感情の読み取れない声を、淡々と紡ぐ春弥。その迫力に負けてがくりと床に膝をつく藤堂は項垂れる。

「有馬家に金を貸してほしいと言ったな? それを断られ、逆恨みで不慮の事故に見せかけ和咲の両親を殺害するなど……あってはならんことだ」

 ――ああ、やっぱり。

 和咲は自身の考えが間違っていないことに涙した。そんな理由で、両親はこの世を旅立たなくてはいけなかったのか、と。

「仕方なかったのだ! 裕福な家が金を貸すのは当たり前だろう! それをあっさりと断りよって……!」
「ハッ! 賭博で擦った者に金を貸すなんて、俺でも断るさ」
「事業が失敗したからでは……?」
「それは表向きの理由だ」

 春弥は言葉を続ける。

「藤堂が賭博していたことを調べ上げるのは、簡単だった。当時の記録がそのまま賭博場に残っていたのだ。さらに、有馬家に金の無心をする前にも他の家から金を借り、返済していなかったそうだな」

 和咲は、有馬家の物が運び出されていたことを知っている。なぜあんなにも急いで運んでいたのか――借金を返済するためだったのか、と拳を震わせる。

「だが、おかしい。藤堂家に金を貸した人が、次々と亡くなっている。俺の調べでは五人ほど、一家揃って不慮の事故で亡くなっているな」

 ぴくり、と和咲の耳が動いた。真清に投げつけられた言葉を思い出したのだ。

『あんたみたいな孤児ができたのは、計算外だったわ』

 真清は、すべてを知っていた? すべてを知って尚、和咲につらく当たっていた?

「……下衆め」

 聞いたことのない低音で、春弥がつぶやく。おそらく無意識だろう。

「和咲。この家を、どうしたい?」
「……私は……」

 和咲の脳裏に、今まで耐えてきた十一年間の記憶が浮かんでは消えていく。ずっと、つらい思いしかしてこなかった。和咲がこんな生活をするようになったのは、藤堂家の仕組んだことだと知り、有馬家の両親の他にも手をかけた人たちがいることも知った。

「罪を、償ってほしいです」

 凛と透き通った声が響いた。

 自分たちのことしか考えていない一家を、野放しにはできない。

 これ以上の罪を、重ねてしまうかもしれないのだから。

 悪意の果てがどこへ向かうのか、と和咲は自身の胸元を掴む。

「わかった。俺ができる最大の罰を与え、藤堂家には罪を償ってもらおう」

 和咲には甘く微笑み、藤堂には険しい表情を向け、春弥は手のひらを上にして青い炎を出す。

 春弥と和咲を守るように円になった青い炎。彼はばっと右腕を天井へ上げる。その途端、炎が燃え上がり、この場の天井を突き抜けた。

 まるで、それが合図だったように雨が降ってきた。

 とても激しい雨だ。肌に刺さるような痛みを感じるほどの。

 春弥は自分が着ていた上着を和咲に被せ、腰に手を添えて空を仰ぐ。

()(しょ)よ、力を貸してくれ!」
「あれまぁ、天狐の末裔じゃないか! ああ、なるほど、あたしが呼び出されるわけだね。こいつら、どうしたらいい?」
「とりあえず、捕縛していてくれ、逃げ出さぬように」
「お安い御用さ!」

 現れたのは、炎に身を包んだ猫のような見た目のあやかしだった。

「生きている人間は連れていけないからねぇ」

 からからと笑う火車は、縄で藤堂たちを縛りつける。これで逃げ出せないだろう。

「こいつらどうするんだい?」
「常世の国へ放り込むつもりだ。あとは好きにしていい」
「はいはい、名簿につけとくよ」

 こくりとうなずいて、火車は藤堂家の人たちをじろじろと見回す。

「やだねぇ、内側が腐った臭いの人間は。ま、誰かの人生を壊した報いさ」

 肩をすくめて言葉を投げかけるが、藤堂はなにも言わなかった。火車が現れた時点で気を失っていたようだ。

「火車、あとを頼む」
「はぁい。……有馬家のお嬢さん、今日は疲れただろうから、しっかり休むんだよ」

 柔らかく微笑んで、火車は藤堂たちをずるずると引きずっていった。

 その場に残された和咲と春弥は、互いに顔を見合わせた。張り詰めていた緊張の糸が切れた和咲は、力が抜けて春弥の胸に額を当てる。

「……怖かっただろう。もう大丈夫だ」

 子どもをあやすように、春弥はぽんぽんと和咲の背中を優しく撫でた。

「本当に、ありがとうございます。……あの、藤堂家に両親の形見があると書いてあったのですが……」
「ああ、白雨から聞いている。……だが、その簪以外、有馬家のものはすべて売られているはずだ」

 自分をおびき出す罠だったのか、と和咲は自嘲する。

 それでも、もしかしたらひとつでも残っているのかもしれない、と淡い期待はあった。その期待は呆気なく砕かれたが、なぜかそれほど落胆はしなかった。

「……帰りましょう、神尾家へ」

 和咲が春弥を見上げて、優しく微笑む。

 春弥は一瞬目を瞠り、それからとろけるような甘さを含んだ瞳で、「ああ」と艶やかに笑った。