春の夜気が、窓から静かに流れ込んでいた。
事務所の灯りは落としてあるのに、外の街灯が淡く室内を照らしている。
燈夜はソファに座り、深月の淹れたコーヒーを手にしていた。
湯気だけがゆらゆら揺れ、二人のあいだに柔らかい沈黙が落ちる。
「……最近、夜がざわつくな」
燈夜の低い声に、深月はカップを置いて頷いた。
「わかる。……空気が重い」
燈夜は深月の隣に腰を寄せ、そっとその指先を取った。
深月の手のひらに、ほんのりと熱が宿っている。
「深月、ここ……まだ温い」
「……勝手に光ったりするから」
深月の力は本人も燈夜もよくわかっていない。
3年前に燈夜が深月と暮らすきっかけとなった出来事のときに一度見たきりだった。
影は深月の光を嫌がっていた。
一緒に暮らすようになり、燈夜が側にいることで危険な目に合うことはほとんどない。
そのためなのか、あの時以来、深月の手が光ることはなかったのだが、
先日、此花咲夜姫の眷属に誘われて(深月は覚えていない)から、
時々、光を放つようになったのだ。
言い終える前に、ふっと顎を持ち上げられた。
深月は驚いて目を見開く。
「燈夜?」
「こっち向いて」
名前を呼んだ瞬間、唇が塞がれた。
最初の一瞬は優しい。
けれど次の瞬間、燈夜の手が深月の腰を引き寄せ、ぐっと深く重ねてくる。
「……っ、ん……」
深月の声がこぼれ、肩が震えた。
燈夜の舌がゆっくりと触れ、そのまま深月の奥を確かめるように深く侵っていく。
逃げようとした深月の背に、燈夜の掌がすべり、腰ごと抱え込まれた。
「逃げるな」
耳の近くで囁かれて、深月は息を呑んだ。
燈夜の親指が深月の頬をなぞり、もう片方の手が背の真ん中を撫でる。
触れられるたび、深月の身体はわずかに熱を帯びていく。
「……燈夜……」
「ん?」
「息……できない……」
少しだけ唇が離れ、燈夜が深月の下唇を噛むように軽く触れた。
そのまま顎のライン、首筋へと口づけが降りていく。
「深月、溶けてる」
「……そんな……っ、言うな……」
抗議の声は震えていた。
燈夜の指が首の後ろを支えるように添えられ、もう一度、唇を重ねられる。
さっきより深い。
深月は腕で燈夜の肩を掴み、引き寄せられるまま体を預けた。
「……今夜は離したくない」
「……燈夜、近い……胸が苦しい……」
燈夜は小さく笑い、深月の額に自分の額をそっと合わせた。
「……そんな声出されたら、こっちが持たない。」
春の夜の静けさの中で、二人の影がゆっくり重なっていく。
夜風が、ふっと窓を揺らした。
その冷たさに、二人はゆっくり身体を起こす。
「……外、さっきより静かすぎないか?」
「行こう。気配がする。」
玄関を出て路地裏へ向かうと――
路地の奥に沈んだ影が、じわり……と膨らんでいく。
形はまだ曖昧なのに、存在だけがこちらを向いているのが分かる。
深月は燈夜の袖を握りしめた。
「燈夜……なに、あれ……」
「……“向こうのモノ”だ。
深月、絶対に前に出るな」
そう言う声は、さっきまで深月の唇を味わっていた男の声とは思えないほど低い。
人間が出せる音よりも落ち着いて、底の方で響く。
影の輪郭がうねうねと歪み、黒い霧のようなものが滲み出した。
「っ……!」
深月の手が突然、熱を帯びた。
光がこぼれそうになる。
指先から脈打つような痛みが走る。
「深月……光が出てる」
燈夜が深月の手を強く握り込む。
「ごめ……勝手に……っ」
「謝らなくていい。これ、あいつが呼んでるんだ」
影の気配がぐっと濃くなる。
(……三年前の夜みたいだ。でも、あの時より……重い)
深月の喉が鳴った。
影は一瞬だけ、形を“人”に寄せた。
長い腕のような黒が伸び、こちらへゆらりと向かってくる。
「うわっ……!」
深月が後ずさる前に、
燈夜が片腕で深月の腰を強く抱き寄せた。
「深月、目を離すな。
あれは“落ちたモノ”だ。人でも獣でもない。もう戻れない」
(落ちた……? なにから?向こうって……どこ?)
質問が喉までせり上がったけれど、今はそれを言う暇さえない。
影の霧が、ぐわ、と押し寄せた。
「――っ!」
視界が一瞬、黒に染まる。
その瞬間、深月の手のひらが強く光った。
ぱん、と小さな破裂音がして、影が一歩後ろへ怯んだ。
「深月の光が効いている……」
燈夜が低く呟く。
影の霧は怒るようにざわめき、
辺りの街灯の明かりが一斉にぐらついた。
「……来る。本体が来る」
燈夜は深月を自分の背に隠し、
もう片方の手を前へと構えた。
次の瞬間、
影の奥から――何かが“こちらを見た”。
影の奥で、なにかが“目のようなもの”を開いた。
形ははっきりしないのに、視線だけは異様に鋭い。
燈夜が、低く息を吸った。
「……こいつ、近いな。深月、絶対に手を離すな」
深月は背中に隠されながら、燈夜の服を握りしめた。
その瞬間、燈夜の体温がふっと上がる。
(……この熱、前にも一度だけ。人間が出せる温度と違う)
影が一気に迫ってきた。
黒い腕のようなものが伸び、二人の足元へ触れようとする。
「来るな」
その一言だけで、空気がビリ、と震えた。
燈夜の声が……人間の枠を外れたように低い。
影が怯えるように揺れた。
深月は目が離せなかった。
燈夜の横顔は普段と変わらないはずなのに、
輪郭の奥に“別の色”がある。
(燈夜……ほんとに、人じゃないの?……)
言葉にはしない。
でも胸の奥では、確信に限りなく近い感情が膨らんでいく。
影は怯んだまま、すうっと後退していった。
まるで“主”の到着を知らせるかのように。
燈夜は深月の手を掴んだまま、低く呟く。
「深月。あれは前哨戦だ。本体が来たら……ここじゃ持たない」
「っ……燈夜……」
深月の指先が震えた。
その震えを丸ごと包むように、燈夜が手をぎゅっと握る。
「大丈夫だ。俺が守る」
その声の温度だけは、いつもと同じ燈夜だった。
影の波が一瞬だけ引いた隙に、二人は事務所へ駆け込んだ。
ドアを閉めたあとも、外の影がざわついている音が微かに響く。
背中を壁につけた深月は、肩で息をしていた。
「……あれ、ほんとに……なんなんだ……」
「説明は後でいい。今は……震えてるな。こっちにおいで」
燈夜が深月の手首を取って、引き寄せた。
壁と燈夜のあいだに閉じ込められるような態勢になる。
「燈夜……」
「怖かったんだろ」
その声の響き方が、優しいのに深くて、
さっき外で聞いた“人間じゃない音”と同じ喉から出てるとは思えなかった。
燈夜の指が深月の頬をなぞり、首筋に触れる。
そこへ、ゆっくりと唇が降りてきた。
「……っ、ん……」
深月の膝が少しだけ崩れかける。
燈夜が腰を支えるように片手を回し、もう片方の手で深月の後頭部を包む。
「深月、こっち向いて。逃げんなよ」
耳元で囁かれた瞬間、
燈夜の唇が深く重なった。
息を奪うように、舌がゆっくり侵ってくる。
深月は抗えず、胸元を掴んだまま燈夜に体を預けた。
「ん……っ、燈夜……待っ……」
「待たない。さっき、お前が震えてたから」
言いながら、燈夜は深月の首筋に額を押しつけた。
甘さより先に、安堵の呼吸が落ちる。
「……だめ……足、力入らない……」
「じゃあ、俺が支える。落ちるなよ」
腰を引き寄せられ、さらに深いキス。
深月の指が燈夜の肩にしがみつく。
(……こわいのに……燈夜に触れられたら……安心する……なんで……)
燈夜は深月の額に自分の額を寄せた。
「……深月。怖がっていい。俺から離れないでいてくれたら、それでいい」
そのまま、二人の影が壁の中で重なって揺れた。
外のざわめきが、唐突に途切れた。
さっきまで騒いでいた街の音が遠のき、代わりに“耳鳴りみたいな静けさ”だけが残る。
深月は燈夜の胸に寄りかかったまま、顔を上げた。
「……燈夜。今の、何?」
「――来たな」
燈夜の声が変わった。
甘さを全部、底に沈めたような音。
事務所のドアの向こう側で、何かが“ゆっくりと”立ち上がっている気配がした。
床の下からひびくような重さ。空気が押しつぶされていく。
「……嫌な感じだ」
深月の指先が冷たくなる。
そのくせ、手のひらの奥は熱い。
(あのときみたい……三年前の、あの夜……)
燈夜はそっと深月の腰から手を離し、そのまま手だけを握り直した。
「深月、来い。後ろから離れるな」
「うん……」
ビルの前の通りに“黒い柱”みたいな影が立っていた。
それは地面から生えたみたいに細長く、上に行くほど霞んでいるのに、
真ん中だけが異様に濃い。
その中心部で、赤い点がふたつ――目のようにゆっくりと明滅した。
『……また……光の匂い……』
声とも風ともつかないものが、深月の耳に直接落ちてきた気がした。
「っ……」
膝がかくんと折れかける。
燈夜がすぐに腕を回し、腰を支えた。
「深月、大丈夫だ。ここにいろ」
耳元でそう囁かれて、ようやく息ができる。
『……棟梁……まだこちらの世(よ)におるのか……』
赤い“目”が燈夜をとらえた。
その瞬間、影の表面がざわりと泡立つように揺れる。
(棟梁……?)
言葉の意味はわからない。
けれど、その呼び方だけで――
どれだけ燈夜を見てきた存在なのか、伝わってくる。
燈夜は一歩前へ出た。深月の手は離さないまま。
「……お前か。まだ形を保ってるのか」
その言い方は、懐かしさではなかった。
静かな嫌悪と、諦めの混ざった声。
影が、笑ったように揺れた。
『……光を……守ってるのか……その子を……
昔から……そうだった……いつも……上から……』
言葉は途中で千切れながら、粘つくように続いていく。
『……棟梁……お前はいつも……光の側に立って……
影を見下ろして……』
(……嫉妬、してる?)
深月は一瞬、そんな感覚を覚えた。
声の奥にあるのは、恐怖よりもむしろ――
長いことこじらせた妬みみたいな色。
燈夜は短く息を吐いた。
「俺が光の側に立ってるんじゃない。お前が勝手に“落ちた”だけだろ」
『……お前のせいで……お前がいたから……
光は、いつも……上にあった……』
影の輪郭がぶわっと膨らんだ。
嫉妬と怨みだけが残った塊が、膨れ上がる。
深月の手のひらが、じわりと光り始めた。
「燈夜……っ、また……勝手に……」
「いい。深月のせいじゃない。あいつが勝手に騒いでるだけだ」
燈夜の指が深月の手を包み込む。
熱と冷たさが混ざった感触。
『……眩しい……その光……棟梁が……守っているのか……』
今度は、深月のほうへ赤い“目”が向いた。
浴びせられる視線に、背骨が冷える。
「見るな」
燈夜の声が、ひときわ低く響いた。
「こいつは、お前の玩具じゃない。俺の“守る子”だ」
その言い方に、深月の胸が跳ねた。
(俺のこと……そう思ってるんだ……守る子って……)
影がびり、と震える。
妬みだけで形を保っている塊が、耐えられないとでもいうように。
『……ずっとそうだ……昔も……今も……
棟梁は……光を抱えて……影は……下に沈むだけ……』
声がひきつった瞬間、 影が一気に膨張した。
『……ならば……壊す……眩しすぎる……
それがある限り……俺は……静まらん……』
黒が弾けるように広がる。
「深月、目を閉じろ!」
燈夜が深月を抱き寄せ、壁に押し付ける。
次の瞬間、影の本体が、波のように二人へ襲いかかった――。
影の塊が爆ぜるように膨らんだ瞬間、
燈夜は深月を抱き寄せ、壁に押し付けた。
「深月……絶対に離れるな」
耳元の声が、戦う前の男の声やない。
低くて、熱くて、胸の底で揺れるような音。
影が天井まで伸び、床を舐めるみたいに蠢く。
『……光……壊す……壊す……』
影の“目”が深月に向いた瞬間、
胸がざわりと震えた。
(こわい……でも……)
燈夜の腕に抱きしめられたところだけ、温かい。
影が燈夜めがけて伸びた。
棘のような黒がいくつも重なり、
その中心がまっすぐ燈夜の胸を狙う。
「……っ!!燈夜!」
呼んだ瞬間、胸の奥が熱くなった。
じわ……っと手のひらが光る。
無意識に、深月は燈夜の胸に手を添えていた。
光が溢れ、燈夜の身体を包む。
影が一瞬ひるむ。
『……その光……また……棟梁を……』
「お前の都合で喋るな」
燈夜の声が落ちる。背中に片腕を回しながら、
もう片方の手を前に突き出す。
燈夜の指先にも、淡い光の粒が生まれた。
(やっぱり……燈夜は人じゃない……けれど……怖くない)
深月は燈夜の胸元をぎゅっと掴んだ。
「燈夜……っ、行かないで……!」
燈夜は一瞬だけ振り返り、深月の額に唇を触れさせた。
ちゅ、と短い音がした。その一瞬で、深月の膝が震える。
「大丈夫だ。離れない。深月が、ここにいるかぎり」
影が叫ぶように揺れた。
『……光……棟梁……壊す……どちらも……』
波のように黒が襲う。
燈夜は深月を抱えたまま、片手で影の波を受け止めた。
光と影がぶつかった瞬間、空気がきしんで、
深月の耳が詰まる。
その刹那、影の腕が裂けるように伸び、黒い爪が燈夜の胸をかすめた。
乾いた肉を引っかく音がして、燈夜の身体がわずかにのけぞる。
「っ……!」
深月を守るように片腕で抱えたまま、燈夜はもう片腕で影の波を押し返した。
「深月、呼べ。俺を……」
燈夜の低い声が耳に落ちた。
「っ……燈夜!!」
名前を呼んだ瞬間、
燈夜の光が跳ね上がった。
影が悲鳴みたいに引き裂かれる。
黒い塊が何度か身をよじり、
最後に大きく揺れて――
『……光……棟梁……きらい……』
ぼろぼろと崩れ、溶けていった。
通りに静けさが戻った。
力が抜けたみたいに、深月はその場にへたり込んだ。
燈夜がすぐ隣にしゃがみ、頬を両手で包む。
「深月、どこも痛くないか?」
「痛くない……でも……燈夜のほうこそ……」
燈夜の胸元の服が裂けて、皮膚に赤い線が残っていた。
深月は震える指でその傷に触れた。
「……また怪我して……俺のせいで……」
「違う」
燈夜はその手を掴み、自分の胸にぎゅっと押しつけた。
「深月が呼んだから、俺はお前の元に来た。それがぜんぶだ」
「……っ燈夜……」
涙がにじみかけた瞬間、燈夜が深月の顔を引き寄せた。
唇が重なる。
最初は静かに、けれどすぐに深く――
深月が息を飲むほど強く。
燈夜の手が、首筋をなぞり、
背中を抱き寄せ、腰へと落ちていく。
「ん……っ……」
深月の声が漏れる。
燈夜は息を絡めたまま囁いた。
「生きてて……よかった。深月……ほんとうに……」
唇が離れた瞬間、深月の膝が完全に力を失った。
燈夜が腕を回し、抱きかかえる。
「……震えてるな」
「それは……こんな……急に……」
燈夜は深月の額にキスを落とし、呼吸の合間に、甘く言った。
「怖かったぶんだけ……抱き寄せたくなるんだ」
「……燈夜……」
「帰ろう。深月、今日はもう……俺の腕の中にいてくれ」
そのまま、路地の淡い明かりの中を、ふたりの影がひとつに重なって歩いていった。
けれど、数歩進んだところで――燈夜の足取りがふっと揺れた。
胸元の傷が深く、堪えていた痛みに身体がきしむ。
深月を落とさないように支えながら、燈夜はその場に片膝をついた。
深月を抱きかかえた腕は離さないまま、
燈夜の胸から落ちる血が、深月の服をじわりと濡らしていく。
「……燈夜……っ、大丈夫なのか……?」
震える声で深月が囁く。
燈夜は返事をしようとしたが、喉の奥で息が擦れた。
痛みを隠す余裕はもうない。それでも腕の力だけは緩めなかった。
「大丈夫だ。……深月が無事だったら、それでいい」
そう言いながらも、燈夜の胸からは止めどなく血が落ちていた。
深月は息を呑む。胸の奥にざわりと光が揺れ、小さく手が震える。
(また――勝手に光が……)
さっき戦いの最中、燈夜を守ろうとした瞬間に手のひらが眩しく光った。
前にも似たことがあった。でも今回は――自分の意思より先に、もっと強く、勝手に溢れた。
「……燈夜、ごめん。俺のこと庇いながらだったから、俺、何も出来なくて。」
深月の声はかすれていた。燈夜はゆっくり首を振る。
「謝るとこじゃない。……むしろ、助かったんだ」
息を荒げながら、燈夜は深月の頬に手を添えた。
血に濡れた手なのに、その触れ方だけは驚くほど優しい。
「深月の光……前よりずっと強くなってる」
「強……? そんな自覚ないよ。こわかっただけなのに……」
深月は震える声で言った。燈夜は苦しい呼吸のまま、ゆっくり言葉を継ぐ。
「そうだ。それでいい。……深月は光が“どういう力か”なんて知らなくていい。
だけど――一つだけ、覚えていてほしい」
燈夜は深月の肩を抱き寄せ、額をそっと合わせた。
「今回みたいに、無意識でも……お前は“守ろう”って思ったら光が走る。それが深月の力だ」
「……力?」
深月の目が揺れる。
燈夜は痛みに歯を食いしばりながらも、優しく微笑んだ。
「初めて会った夜……深月が倒れそうになって、俺が抱き寄せた瞬間も。
ほんの一瞬だけ……光が出てた」
深月は息を呑む。
(あの時……)
「その時は弱かったから、お前自身が気づかなかっただけだ。
ここ最近、使うような出来事が起きなかったから……忘れてしまったんだろう」
燈夜の声が、静かに深月の胸に落ちる。
「だけど……今日みたいに命がけの状況だと、光が“強いほう”で出る。
身体に負担もかかる。……今も立ってられないだろ?」
深月はゆっくり目を伏せ、燈夜の胸に額をあずけた。
燈夜の言う通りだった。怪我をしている燈夜の助けがなければこのまま倒れてしまいそうだった。
「……燈夜も怪我してるのに……なんでそんな優しい言い方ばっかりするんだよ」
燈夜はかすかに笑った。
「深月が怖がらないように……そうじゃなかったら抱きしめられないだろ」
燈夜の腕が深月の背を強く抱き寄せる。深月はその胸にしがみつき、震えた声で囁いた。
「……燈夜……離れないで……」
「離れない」
血の匂い、温度、呼吸。ふたりの体温がひとつに重なる。
燈夜は耳元で小さく言った。
「……深月。もう歩けないだろ。
俺の“境”の屋敷に行く。……いまの状態だと、ここにいるほうが危ない」
深月は言葉より先に、燈夜の胸をぎゅっと掴んだ。
「境?そこがどこかわからないけど……行く。……燈夜と一緒に」
燈夜は深月を抱きかかえたまま、ゆっくり立ち上がる。
その身体は傷で軋んでいるのに、腕だけは驚くほど力強かった。
「……深月。しっかり掴まってろ」
深月は燈夜の首に腕を回した。
「離れない。……燈夜のこと、俺も守りたいんだ」
燈夜は歩き出しながら、かすかに息を呑んだ。
「……そんなこと言われたら……余計離れられないだろ……」
夜風が吹き抜け、通りに残った光の残滓がゆらりと揺れた。
それはまだ、終わっていない証みたいに。
事務所の灯りは落としてあるのに、外の街灯が淡く室内を照らしている。
燈夜はソファに座り、深月の淹れたコーヒーを手にしていた。
湯気だけがゆらゆら揺れ、二人のあいだに柔らかい沈黙が落ちる。
「……最近、夜がざわつくな」
燈夜の低い声に、深月はカップを置いて頷いた。
「わかる。……空気が重い」
燈夜は深月の隣に腰を寄せ、そっとその指先を取った。
深月の手のひらに、ほんのりと熱が宿っている。
「深月、ここ……まだ温い」
「……勝手に光ったりするから」
深月の力は本人も燈夜もよくわかっていない。
3年前に燈夜が深月と暮らすきっかけとなった出来事のときに一度見たきりだった。
影は深月の光を嫌がっていた。
一緒に暮らすようになり、燈夜が側にいることで危険な目に合うことはほとんどない。
そのためなのか、あの時以来、深月の手が光ることはなかったのだが、
先日、此花咲夜姫の眷属に誘われて(深月は覚えていない)から、
時々、光を放つようになったのだ。
言い終える前に、ふっと顎を持ち上げられた。
深月は驚いて目を見開く。
「燈夜?」
「こっち向いて」
名前を呼んだ瞬間、唇が塞がれた。
最初の一瞬は優しい。
けれど次の瞬間、燈夜の手が深月の腰を引き寄せ、ぐっと深く重ねてくる。
「……っ、ん……」
深月の声がこぼれ、肩が震えた。
燈夜の舌がゆっくりと触れ、そのまま深月の奥を確かめるように深く侵っていく。
逃げようとした深月の背に、燈夜の掌がすべり、腰ごと抱え込まれた。
「逃げるな」
耳の近くで囁かれて、深月は息を呑んだ。
燈夜の親指が深月の頬をなぞり、もう片方の手が背の真ん中を撫でる。
触れられるたび、深月の身体はわずかに熱を帯びていく。
「……燈夜……」
「ん?」
「息……できない……」
少しだけ唇が離れ、燈夜が深月の下唇を噛むように軽く触れた。
そのまま顎のライン、首筋へと口づけが降りていく。
「深月、溶けてる」
「……そんな……っ、言うな……」
抗議の声は震えていた。
燈夜の指が首の後ろを支えるように添えられ、もう一度、唇を重ねられる。
さっきより深い。
深月は腕で燈夜の肩を掴み、引き寄せられるまま体を預けた。
「……今夜は離したくない」
「……燈夜、近い……胸が苦しい……」
燈夜は小さく笑い、深月の額に自分の額をそっと合わせた。
「……そんな声出されたら、こっちが持たない。」
春の夜の静けさの中で、二人の影がゆっくり重なっていく。
夜風が、ふっと窓を揺らした。
その冷たさに、二人はゆっくり身体を起こす。
「……外、さっきより静かすぎないか?」
「行こう。気配がする。」
玄関を出て路地裏へ向かうと――
路地の奥に沈んだ影が、じわり……と膨らんでいく。
形はまだ曖昧なのに、存在だけがこちらを向いているのが分かる。
深月は燈夜の袖を握りしめた。
「燈夜……なに、あれ……」
「……“向こうのモノ”だ。
深月、絶対に前に出るな」
そう言う声は、さっきまで深月の唇を味わっていた男の声とは思えないほど低い。
人間が出せる音よりも落ち着いて、底の方で響く。
影の輪郭がうねうねと歪み、黒い霧のようなものが滲み出した。
「っ……!」
深月の手が突然、熱を帯びた。
光がこぼれそうになる。
指先から脈打つような痛みが走る。
「深月……光が出てる」
燈夜が深月の手を強く握り込む。
「ごめ……勝手に……っ」
「謝らなくていい。これ、あいつが呼んでるんだ」
影の気配がぐっと濃くなる。
(……三年前の夜みたいだ。でも、あの時より……重い)
深月の喉が鳴った。
影は一瞬だけ、形を“人”に寄せた。
長い腕のような黒が伸び、こちらへゆらりと向かってくる。
「うわっ……!」
深月が後ずさる前に、
燈夜が片腕で深月の腰を強く抱き寄せた。
「深月、目を離すな。
あれは“落ちたモノ”だ。人でも獣でもない。もう戻れない」
(落ちた……? なにから?向こうって……どこ?)
質問が喉までせり上がったけれど、今はそれを言う暇さえない。
影の霧が、ぐわ、と押し寄せた。
「――っ!」
視界が一瞬、黒に染まる。
その瞬間、深月の手のひらが強く光った。
ぱん、と小さな破裂音がして、影が一歩後ろへ怯んだ。
「深月の光が効いている……」
燈夜が低く呟く。
影の霧は怒るようにざわめき、
辺りの街灯の明かりが一斉にぐらついた。
「……来る。本体が来る」
燈夜は深月を自分の背に隠し、
もう片方の手を前へと構えた。
次の瞬間、
影の奥から――何かが“こちらを見た”。
影の奥で、なにかが“目のようなもの”を開いた。
形ははっきりしないのに、視線だけは異様に鋭い。
燈夜が、低く息を吸った。
「……こいつ、近いな。深月、絶対に手を離すな」
深月は背中に隠されながら、燈夜の服を握りしめた。
その瞬間、燈夜の体温がふっと上がる。
(……この熱、前にも一度だけ。人間が出せる温度と違う)
影が一気に迫ってきた。
黒い腕のようなものが伸び、二人の足元へ触れようとする。
「来るな」
その一言だけで、空気がビリ、と震えた。
燈夜の声が……人間の枠を外れたように低い。
影が怯えるように揺れた。
深月は目が離せなかった。
燈夜の横顔は普段と変わらないはずなのに、
輪郭の奥に“別の色”がある。
(燈夜……ほんとに、人じゃないの?……)
言葉にはしない。
でも胸の奥では、確信に限りなく近い感情が膨らんでいく。
影は怯んだまま、すうっと後退していった。
まるで“主”の到着を知らせるかのように。
燈夜は深月の手を掴んだまま、低く呟く。
「深月。あれは前哨戦だ。本体が来たら……ここじゃ持たない」
「っ……燈夜……」
深月の指先が震えた。
その震えを丸ごと包むように、燈夜が手をぎゅっと握る。
「大丈夫だ。俺が守る」
その声の温度だけは、いつもと同じ燈夜だった。
影の波が一瞬だけ引いた隙に、二人は事務所へ駆け込んだ。
ドアを閉めたあとも、外の影がざわついている音が微かに響く。
背中を壁につけた深月は、肩で息をしていた。
「……あれ、ほんとに……なんなんだ……」
「説明は後でいい。今は……震えてるな。こっちにおいで」
燈夜が深月の手首を取って、引き寄せた。
壁と燈夜のあいだに閉じ込められるような態勢になる。
「燈夜……」
「怖かったんだろ」
その声の響き方が、優しいのに深くて、
さっき外で聞いた“人間じゃない音”と同じ喉から出てるとは思えなかった。
燈夜の指が深月の頬をなぞり、首筋に触れる。
そこへ、ゆっくりと唇が降りてきた。
「……っ、ん……」
深月の膝が少しだけ崩れかける。
燈夜が腰を支えるように片手を回し、もう片方の手で深月の後頭部を包む。
「深月、こっち向いて。逃げんなよ」
耳元で囁かれた瞬間、
燈夜の唇が深く重なった。
息を奪うように、舌がゆっくり侵ってくる。
深月は抗えず、胸元を掴んだまま燈夜に体を預けた。
「ん……っ、燈夜……待っ……」
「待たない。さっき、お前が震えてたから」
言いながら、燈夜は深月の首筋に額を押しつけた。
甘さより先に、安堵の呼吸が落ちる。
「……だめ……足、力入らない……」
「じゃあ、俺が支える。落ちるなよ」
腰を引き寄せられ、さらに深いキス。
深月の指が燈夜の肩にしがみつく。
(……こわいのに……燈夜に触れられたら……安心する……なんで……)
燈夜は深月の額に自分の額を寄せた。
「……深月。怖がっていい。俺から離れないでいてくれたら、それでいい」
そのまま、二人の影が壁の中で重なって揺れた。
外のざわめきが、唐突に途切れた。
さっきまで騒いでいた街の音が遠のき、代わりに“耳鳴りみたいな静けさ”だけが残る。
深月は燈夜の胸に寄りかかったまま、顔を上げた。
「……燈夜。今の、何?」
「――来たな」
燈夜の声が変わった。
甘さを全部、底に沈めたような音。
事務所のドアの向こう側で、何かが“ゆっくりと”立ち上がっている気配がした。
床の下からひびくような重さ。空気が押しつぶされていく。
「……嫌な感じだ」
深月の指先が冷たくなる。
そのくせ、手のひらの奥は熱い。
(あのときみたい……三年前の、あの夜……)
燈夜はそっと深月の腰から手を離し、そのまま手だけを握り直した。
「深月、来い。後ろから離れるな」
「うん……」
ビルの前の通りに“黒い柱”みたいな影が立っていた。
それは地面から生えたみたいに細長く、上に行くほど霞んでいるのに、
真ん中だけが異様に濃い。
その中心部で、赤い点がふたつ――目のようにゆっくりと明滅した。
『……また……光の匂い……』
声とも風ともつかないものが、深月の耳に直接落ちてきた気がした。
「っ……」
膝がかくんと折れかける。
燈夜がすぐに腕を回し、腰を支えた。
「深月、大丈夫だ。ここにいろ」
耳元でそう囁かれて、ようやく息ができる。
『……棟梁……まだこちらの世(よ)におるのか……』
赤い“目”が燈夜をとらえた。
その瞬間、影の表面がざわりと泡立つように揺れる。
(棟梁……?)
言葉の意味はわからない。
けれど、その呼び方だけで――
どれだけ燈夜を見てきた存在なのか、伝わってくる。
燈夜は一歩前へ出た。深月の手は離さないまま。
「……お前か。まだ形を保ってるのか」
その言い方は、懐かしさではなかった。
静かな嫌悪と、諦めの混ざった声。
影が、笑ったように揺れた。
『……光を……守ってるのか……その子を……
昔から……そうだった……いつも……上から……』
言葉は途中で千切れながら、粘つくように続いていく。
『……棟梁……お前はいつも……光の側に立って……
影を見下ろして……』
(……嫉妬、してる?)
深月は一瞬、そんな感覚を覚えた。
声の奥にあるのは、恐怖よりもむしろ――
長いことこじらせた妬みみたいな色。
燈夜は短く息を吐いた。
「俺が光の側に立ってるんじゃない。お前が勝手に“落ちた”だけだろ」
『……お前のせいで……お前がいたから……
光は、いつも……上にあった……』
影の輪郭がぶわっと膨らんだ。
嫉妬と怨みだけが残った塊が、膨れ上がる。
深月の手のひらが、じわりと光り始めた。
「燈夜……っ、また……勝手に……」
「いい。深月のせいじゃない。あいつが勝手に騒いでるだけだ」
燈夜の指が深月の手を包み込む。
熱と冷たさが混ざった感触。
『……眩しい……その光……棟梁が……守っているのか……』
今度は、深月のほうへ赤い“目”が向いた。
浴びせられる視線に、背骨が冷える。
「見るな」
燈夜の声が、ひときわ低く響いた。
「こいつは、お前の玩具じゃない。俺の“守る子”だ」
その言い方に、深月の胸が跳ねた。
(俺のこと……そう思ってるんだ……守る子って……)
影がびり、と震える。
妬みだけで形を保っている塊が、耐えられないとでもいうように。
『……ずっとそうだ……昔も……今も……
棟梁は……光を抱えて……影は……下に沈むだけ……』
声がひきつった瞬間、 影が一気に膨張した。
『……ならば……壊す……眩しすぎる……
それがある限り……俺は……静まらん……』
黒が弾けるように広がる。
「深月、目を閉じろ!」
燈夜が深月を抱き寄せ、壁に押し付ける。
次の瞬間、影の本体が、波のように二人へ襲いかかった――。
影の塊が爆ぜるように膨らんだ瞬間、
燈夜は深月を抱き寄せ、壁に押し付けた。
「深月……絶対に離れるな」
耳元の声が、戦う前の男の声やない。
低くて、熱くて、胸の底で揺れるような音。
影が天井まで伸び、床を舐めるみたいに蠢く。
『……光……壊す……壊す……』
影の“目”が深月に向いた瞬間、
胸がざわりと震えた。
(こわい……でも……)
燈夜の腕に抱きしめられたところだけ、温かい。
影が燈夜めがけて伸びた。
棘のような黒がいくつも重なり、
その中心がまっすぐ燈夜の胸を狙う。
「……っ!!燈夜!」
呼んだ瞬間、胸の奥が熱くなった。
じわ……っと手のひらが光る。
無意識に、深月は燈夜の胸に手を添えていた。
光が溢れ、燈夜の身体を包む。
影が一瞬ひるむ。
『……その光……また……棟梁を……』
「お前の都合で喋るな」
燈夜の声が落ちる。背中に片腕を回しながら、
もう片方の手を前に突き出す。
燈夜の指先にも、淡い光の粒が生まれた。
(やっぱり……燈夜は人じゃない……けれど……怖くない)
深月は燈夜の胸元をぎゅっと掴んだ。
「燈夜……っ、行かないで……!」
燈夜は一瞬だけ振り返り、深月の額に唇を触れさせた。
ちゅ、と短い音がした。その一瞬で、深月の膝が震える。
「大丈夫だ。離れない。深月が、ここにいるかぎり」
影が叫ぶように揺れた。
『……光……棟梁……壊す……どちらも……』
波のように黒が襲う。
燈夜は深月を抱えたまま、片手で影の波を受け止めた。
光と影がぶつかった瞬間、空気がきしんで、
深月の耳が詰まる。
その刹那、影の腕が裂けるように伸び、黒い爪が燈夜の胸をかすめた。
乾いた肉を引っかく音がして、燈夜の身体がわずかにのけぞる。
「っ……!」
深月を守るように片腕で抱えたまま、燈夜はもう片腕で影の波を押し返した。
「深月、呼べ。俺を……」
燈夜の低い声が耳に落ちた。
「っ……燈夜!!」
名前を呼んだ瞬間、
燈夜の光が跳ね上がった。
影が悲鳴みたいに引き裂かれる。
黒い塊が何度か身をよじり、
最後に大きく揺れて――
『……光……棟梁……きらい……』
ぼろぼろと崩れ、溶けていった。
通りに静けさが戻った。
力が抜けたみたいに、深月はその場にへたり込んだ。
燈夜がすぐ隣にしゃがみ、頬を両手で包む。
「深月、どこも痛くないか?」
「痛くない……でも……燈夜のほうこそ……」
燈夜の胸元の服が裂けて、皮膚に赤い線が残っていた。
深月は震える指でその傷に触れた。
「……また怪我して……俺のせいで……」
「違う」
燈夜はその手を掴み、自分の胸にぎゅっと押しつけた。
「深月が呼んだから、俺はお前の元に来た。それがぜんぶだ」
「……っ燈夜……」
涙がにじみかけた瞬間、燈夜が深月の顔を引き寄せた。
唇が重なる。
最初は静かに、けれどすぐに深く――
深月が息を飲むほど強く。
燈夜の手が、首筋をなぞり、
背中を抱き寄せ、腰へと落ちていく。
「ん……っ……」
深月の声が漏れる。
燈夜は息を絡めたまま囁いた。
「生きてて……よかった。深月……ほんとうに……」
唇が離れた瞬間、深月の膝が完全に力を失った。
燈夜が腕を回し、抱きかかえる。
「……震えてるな」
「それは……こんな……急に……」
燈夜は深月の額にキスを落とし、呼吸の合間に、甘く言った。
「怖かったぶんだけ……抱き寄せたくなるんだ」
「……燈夜……」
「帰ろう。深月、今日はもう……俺の腕の中にいてくれ」
そのまま、路地の淡い明かりの中を、ふたりの影がひとつに重なって歩いていった。
けれど、数歩進んだところで――燈夜の足取りがふっと揺れた。
胸元の傷が深く、堪えていた痛みに身体がきしむ。
深月を落とさないように支えながら、燈夜はその場に片膝をついた。
深月を抱きかかえた腕は離さないまま、
燈夜の胸から落ちる血が、深月の服をじわりと濡らしていく。
「……燈夜……っ、大丈夫なのか……?」
震える声で深月が囁く。
燈夜は返事をしようとしたが、喉の奥で息が擦れた。
痛みを隠す余裕はもうない。それでも腕の力だけは緩めなかった。
「大丈夫だ。……深月が無事だったら、それでいい」
そう言いながらも、燈夜の胸からは止めどなく血が落ちていた。
深月は息を呑む。胸の奥にざわりと光が揺れ、小さく手が震える。
(また――勝手に光が……)
さっき戦いの最中、燈夜を守ろうとした瞬間に手のひらが眩しく光った。
前にも似たことがあった。でも今回は――自分の意思より先に、もっと強く、勝手に溢れた。
「……燈夜、ごめん。俺のこと庇いながらだったから、俺、何も出来なくて。」
深月の声はかすれていた。燈夜はゆっくり首を振る。
「謝るとこじゃない。……むしろ、助かったんだ」
息を荒げながら、燈夜は深月の頬に手を添えた。
血に濡れた手なのに、その触れ方だけは驚くほど優しい。
「深月の光……前よりずっと強くなってる」
「強……? そんな自覚ないよ。こわかっただけなのに……」
深月は震える声で言った。燈夜は苦しい呼吸のまま、ゆっくり言葉を継ぐ。
「そうだ。それでいい。……深月は光が“どういう力か”なんて知らなくていい。
だけど――一つだけ、覚えていてほしい」
燈夜は深月の肩を抱き寄せ、額をそっと合わせた。
「今回みたいに、無意識でも……お前は“守ろう”って思ったら光が走る。それが深月の力だ」
「……力?」
深月の目が揺れる。
燈夜は痛みに歯を食いしばりながらも、優しく微笑んだ。
「初めて会った夜……深月が倒れそうになって、俺が抱き寄せた瞬間も。
ほんの一瞬だけ……光が出てた」
深月は息を呑む。
(あの時……)
「その時は弱かったから、お前自身が気づかなかっただけだ。
ここ最近、使うような出来事が起きなかったから……忘れてしまったんだろう」
燈夜の声が、静かに深月の胸に落ちる。
「だけど……今日みたいに命がけの状況だと、光が“強いほう”で出る。
身体に負担もかかる。……今も立ってられないだろ?」
深月はゆっくり目を伏せ、燈夜の胸に額をあずけた。
燈夜の言う通りだった。怪我をしている燈夜の助けがなければこのまま倒れてしまいそうだった。
「……燈夜も怪我してるのに……なんでそんな優しい言い方ばっかりするんだよ」
燈夜はかすかに笑った。
「深月が怖がらないように……そうじゃなかったら抱きしめられないだろ」
燈夜の腕が深月の背を強く抱き寄せる。深月はその胸にしがみつき、震えた声で囁いた。
「……燈夜……離れないで……」
「離れない」
血の匂い、温度、呼吸。ふたりの体温がひとつに重なる。
燈夜は耳元で小さく言った。
「……深月。もう歩けないだろ。
俺の“境”の屋敷に行く。……いまの状態だと、ここにいるほうが危ない」
深月は言葉より先に、燈夜の胸をぎゅっと掴んだ。
「境?そこがどこかわからないけど……行く。……燈夜と一緒に」
燈夜は深月を抱きかかえたまま、ゆっくり立ち上がる。
その身体は傷で軋んでいるのに、腕だけは驚くほど力強かった。
「……深月。しっかり掴まってろ」
深月は燈夜の首に腕を回した。
「離れない。……燈夜のこと、俺も守りたいんだ」
燈夜は歩き出しながら、かすかに息を呑んだ。
「……そんなこと言われたら……余計離れられないだろ……」
夜風が吹き抜け、通りに残った光の残滓がゆらりと揺れた。
それはまだ、終わっていない証みたいに。

