海に近い私立高校の昼休み。4階の廊下の突き当たりにある屋上へと続く階段は、喧騒から切り離された二人だけの聖域だった。
豊は膝の上に置いた青いナプキンを丁寧に広げた。細く長い指が、一段ずつ重ねられた重箱のような弁当箱の蓋を外す。中には、昨晩から赤ワインと香味野菜に漬け込み、早起きして弱火でじっくりと煮込んだ「牛スネ肉のストゥファート」が鎮座していた。付け合わせには、パセリとニンニクの香りを移したフォカッチャ。高校生の昼食としては、あまりにも本格的で、そして少し浮世離れしていた。
「お待たせ。今日も、少し気合が入っちゃったかな」
豊が少し控えめに笑うと、隣に座る幸雄が大きく息を吐いた。
「いや、こっちこそ。今日の豊の弁当、香りが廊下まで漂ってたぜ。もう、腹が鳴ってしょうがなかった」
幸雄が差し出したのは、年季の入った黒いプラスチックの弁当箱だ。蓋を開けた瞬間、熱を帯びたスパイスの香りが弾ける。強火で一気に煽られたことがわかる、一粒一粒が自立した黄金色の炒飯。そして、豆板醤の赤と山椒の黒が混じり合う、暴力的なまでに食欲をそそる麻婆豆腐。
二人はごく自然な動作で、お互いの弁当箱を交換した。
豊は幸雄の作った麻婆豆腐を一口、蓮華ですくって口に運ぶ。 舌の上で弾ける辛みと、その奥にある挽肉の旨味。そして、鼻から抜ける痺れるような刺激。それは、幸雄の性格そのもののように、力強くて真っ直ぐな味だった。
「……すごいな、幸雄。火の通り方が完璧だ」
「そうか? 豊のこの肉、口の中で溶けるぞ。これ、どうやったらこんなに柔らかくなるんだよ。俺の料理はいつも勢い任せだから、こういう繊細なのは本当に尊敬する」
幸雄はフォカッチャにソースをたっぷり染み込ませ、幸せそうに頬張っている。身長が高く、スポーツマンのようなガッチリとした体格の彼が、豊の作った繊細なイタリアンを慈しむように食べる姿を見るのが、豊は何よりも好きだった。
豊は、家が古くからのイタリアンレストランで、幼い頃から厨房が遊び場だった。対する幸雄は、繁華街で愛される大衆中華料理屋の息子だ。 クラスも部活も違う二人が接点を持ったのは、半年前の家庭科の調理実習。お互いの「包丁捌き」の鋭さに目を奪われ、言葉を交わすようになった。
「なあ、豊。明日、学校帰りに新しいオリーブオイル、買いに行かないか。駅前に珍しい輸入食品の店ができたんだって」
幸雄が、少しだけ照れくさそうに提案した。炒飯を頬張る豊の口元に、小さな米粒がついているのを、幸雄は親指でそっと拭った。
「……うん、行こう。僕も、幸雄に見てほしい豆板醤があるんだ」
触れられた指先の熱が、料理の余熱よりもずっと熱く、豊の頬に伝わっていく。 海風が二人の髪を揺らし、イタリアンと中華、全く異なる二つの香りが、春の空へと溶け合っていった。
豊は膝の上に置いた青いナプキンを丁寧に広げた。細く長い指が、一段ずつ重ねられた重箱のような弁当箱の蓋を外す。中には、昨晩から赤ワインと香味野菜に漬け込み、早起きして弱火でじっくりと煮込んだ「牛スネ肉のストゥファート」が鎮座していた。付け合わせには、パセリとニンニクの香りを移したフォカッチャ。高校生の昼食としては、あまりにも本格的で、そして少し浮世離れしていた。
「お待たせ。今日も、少し気合が入っちゃったかな」
豊が少し控えめに笑うと、隣に座る幸雄が大きく息を吐いた。
「いや、こっちこそ。今日の豊の弁当、香りが廊下まで漂ってたぜ。もう、腹が鳴ってしょうがなかった」
幸雄が差し出したのは、年季の入った黒いプラスチックの弁当箱だ。蓋を開けた瞬間、熱を帯びたスパイスの香りが弾ける。強火で一気に煽られたことがわかる、一粒一粒が自立した黄金色の炒飯。そして、豆板醤の赤と山椒の黒が混じり合う、暴力的なまでに食欲をそそる麻婆豆腐。
二人はごく自然な動作で、お互いの弁当箱を交換した。
豊は幸雄の作った麻婆豆腐を一口、蓮華ですくって口に運ぶ。 舌の上で弾ける辛みと、その奥にある挽肉の旨味。そして、鼻から抜ける痺れるような刺激。それは、幸雄の性格そのもののように、力強くて真っ直ぐな味だった。
「……すごいな、幸雄。火の通り方が完璧だ」
「そうか? 豊のこの肉、口の中で溶けるぞ。これ、どうやったらこんなに柔らかくなるんだよ。俺の料理はいつも勢い任せだから、こういう繊細なのは本当に尊敬する」
幸雄はフォカッチャにソースをたっぷり染み込ませ、幸せそうに頬張っている。身長が高く、スポーツマンのようなガッチリとした体格の彼が、豊の作った繊細なイタリアンを慈しむように食べる姿を見るのが、豊は何よりも好きだった。
豊は、家が古くからのイタリアンレストランで、幼い頃から厨房が遊び場だった。対する幸雄は、繁華街で愛される大衆中華料理屋の息子だ。 クラスも部活も違う二人が接点を持ったのは、半年前の家庭科の調理実習。お互いの「包丁捌き」の鋭さに目を奪われ、言葉を交わすようになった。
「なあ、豊。明日、学校帰りに新しいオリーブオイル、買いに行かないか。駅前に珍しい輸入食品の店ができたんだって」
幸雄が、少しだけ照れくさそうに提案した。炒飯を頬張る豊の口元に、小さな米粒がついているのを、幸雄は親指でそっと拭った。
「……うん、行こう。僕も、幸雄に見てほしい豆板醤があるんだ」
触れられた指先の熱が、料理の余熱よりもずっと熱く、豊の頬に伝わっていく。 海風が二人の髪を揺らし、イタリアンと中華、全く異なる二つの香りが、春の空へと溶け合っていった。


