温厚柔和な若旦那さまは愛のためなら喧嘩上等!

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「あの……徹さま、いかがでしょう……」

 出来上がったドレスを志乃に着せてもらい、茜はおずおず徹の前に立った。
 ここはこの前と同じ、離れの応接間。窓ガラスを透けてくる秋の日が、ゆらゆらと茜を彩る。靴を履いて絨毯の上にそっと立つ茜は、絵画のようだった。

「――可憐、です」

 徹はポツリと言って、黙ってしまう。
 予想よりずっと美しくて言葉を失ったのだ。目を丸くして見つめる様子に、志乃は得意げな笑みをもらす。

 志乃が仕立てた夜会服は、小柄な茜によく似合っていた。
 フランス製の生地は愛らしい薔薇色。花と蔦の紋様が織り込まれているが布そのものは軽い。
 レースのあしらわれた立襟は慎ましく、袖はすんなりと肩から腕を包んでいた。
 前裾にはビーズを縫い留めながら白い小花が刺繍されている。その脇に重なるスカートはスッキリした形でつま先スレスレの長さ。

「細身なスカートだけど、ヒダを隠してあるから動きやすいはずよ」
「あ……ああ。そうだな」

 志乃の説明に、徹はうっかり素の自分で応えた。でも茜はそれどころではなくて気づかない。履き慣れない靴におっかなびっくりなのだ。

「転ばずに歩けるか心配です……」
「あら茜さん、そのために徹さんが横にいるのよ。突っかい棒として使ってみてね」
「え!?」

 志乃は徹を引っ張る。
 茜の隣に立たされて、徹は猫をかぶり直した。左肘を差し出す。

「どうぞ、つかまって下さい」
「え……いえ、そんな」
「そういうものなんです。西洋の作法では」

 茜は困り果てた。男性に寄り添って立ち、手を触れるなんてためらわれる。母からは日本の作法しか教わっていないのだ。

「……やっぱり私には無理です」
「あら、あたしが仕立てたドレス、無駄になっちゃうの? もったいないわあ」

 白々しく志乃が嘆く。茜は青ざめた。このドレスを買い取るとしたら茜の給金何ヶ月分……いや、年単位かもしれない。

「……僕が、嫌ですか?」

 徹から追い打ちがあった。美青年に寂しそうに言われて茜の頭は限界を迎える。何も考えられなくなってそっと手を出した。

「失礼します……」

 徹の腕は普段着の白いシャツ一枚だった。薄い布越しだと肌に触れているような気になる。
 茜としてはそれだけで再び赤面してしまうのだが、徹は茜の手に右手を重ねてきた。うつむく茜を下からのぞき込む

「当日は、僕も燕尾服を着ます。会場にあまり長居はしません。顔を見せていくつか挨拶をするだけにしますから、無理だなんて言わずに出席してくれますね?」

 これは、茜の思考力を奪おうとしているのか。
 徹の甘い仕草を見て笑いをこらえた志乃はサラリと訊いた。

「ダンスはどうするの?」
「しませんよ。踊りたいと父に言ったのは、伊都子を断る口実ですから。ああ、食事の作法もいりませんので心配ご無用。晩餐会ではありませんので」

 隣にいるだけでいいと優しく懇願され、押し切られた茜はうなずいた。


  ❖


 志乃が帰っていった後、茜は部屋の中をぐるぐる歩かされた。徹と腕を組んで、だ。
 草履のすり足と違い、靴だと足を振り出す。あまり内まただとおかしい。ドレスでの歩き方を習得しないと裾を踏んで転ぶと教えられた。
 でもいちばん苦戦したのは上半身の姿勢だ。肩を引き、胸を張る立ち姿なんてしたことがない。乳を突き出している気がして恥ずかしかった。ドレスの下に西洋風の胸バンドを着せられたのには意味があったらしい。

「うつむかないで下さい、茜さん」

 そっと横からささやいてくれる徹の声が近い。茜はつとめて顔を上げた。

「靴が気になってしまって。すみません」
「痛いですか。慣れないと靴ずれするので……つらかったら言って下さい」
「まだ、だいじょうぶです」

 茜は教えられたことを全身で意識する。黙々と茜に合わせて歩いてくれる徹に応えたいと思った。
 前を見て。
 微笑みを浮かべて。
 時おり隣の徹と視線を交わす。徹は満面の笑みでうなずいてくれた。

「そうです茜さん、いい調子ですよ。すっかり西洋風の貴婦人だ」
「……私など」

 褒められて、ついうつむきそうになる。自分で気づき、慌ててツンとあごを上げた。
 すると徹が茜の手を静かに引く。立ちどまった徹は茜と向き合った。

「僕は嘘で褒めたわけじゃない。茜さんは遠慮しすぎなんです。控えめに生きなくてはならなかったのは理解しますが」
「……すみません」
「謝らないで下さい」

 茜は伏せたくなる顔を必死に上げていた。稽古中だから。そのけなげな姿を見下ろして徹の胸がざわつく。

(茜は……なんて誠実なのだろう)

 この夜会は徹が無茶を言って巻き込んだもので、茜にはなんの責任もない。なのに精一杯つとめようとするひたむきさに頭が下がった。

(悪いことをしたな)

 徹は伊都子の鼻を明かしたかっただけなのだ。伊都子が馬鹿にした茜を夜会に出し、その姿が称賛されれば痛快だ。
 そもそも伊都子が妾や芸者衆を嫌うのは、脇の子の徹が屋敷に引き取られたせい。本妻である母親からの影響だろう。茜が憎まれるのは完全なとばっちりなのだ。
 なのに徹は茜を利用している。失礼極まりないことだった。互いの生まれた境遇に親近感は抱いているが、茜の意思をないがしろにした自覚はある。
 だからせめて茜に顔を上げさせたいと感じた。夜会の日だけでなく、いつも昂然と頭を上げ人生を歩んでほしい、と。

「……親が誰だろうと、それは茜さんのせいではない。あなたはあなただ」

 静かだが強い徹の声に、茜は小さく息を呑んだ。母を思い出した。
 
 ――茜は茜。

 藤ヶ森家へ行くよう言われた時の、母の言葉だ。徹は同じことを言ってくれている。
 妾の娘と言われようと、政略結婚の駒にされようと、茜はみずから思うように歩くべきなのだ。茜は茜自身のものだから。

「徹さま……」

 つぶやいて、茜は目の前の優しい人を見上げた。
 いつになく真剣な、徹の目の色。本気で茜を諭しているのだと思えた。

「ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことでは」
「いえ……母にも同じことを言われました。しっかりしなくてはいけませんね」
「お母上……は、今どうなさっているのです」
「肺の病で。あまり長くないかも、と」

 茜の声がふるえかけた。
 弱った母のそばにいたい。でもひとりで生きていけるようになって母を安心させたい。心が引き裂かれて、唇をかみ我慢する。

 ――今できることを、(あた)うかぎりやるしかないわ。

 茜は深呼吸して微笑もうとした。
 はかないが覚悟を秘めたその瞳に惹きつけられ――徹は茜から目が離せなくなった。