温厚柔和な若旦那さまは愛のためなら喧嘩上等!

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「――おい太一郎。お志乃(しの)(ウチ)に呼んでもいいか? 頼みたいことがある」

 小白波家に現れた徹の言葉に、太一郎はキョトンとした。仕事の書き物をしていた机から顔を上げ、ペンを置く。

「志乃? 勝手にしろよ。って……今すぐなのか」
「ああ」

 今日の徹は珍しく着物姿。ということは、このまま職人町へ顔を出すつもりなのだ。
 あそこは徹が育った場所のすぐ近く。子どもの頃の馴染みが多くいる。彼ら相手には、洋装よりこっちの方がウケがいい。

 洋裁師の志乃も、徹の幼なじみだ。職人町の実家に暮らしながら内職で服を仕立てている。
 彼女は徹を通じて太一郎と知り合い、そして好き合った。太一郎はおおらかに笑う。

「急ぎの仕立てとは珍しいな。別に僕に断らなくても、志乃の仕事に口は出さないぞ」
「許嫁みたいなものだろ。男の家に呼ぶんだから筋を通さないと」
「変なところ律儀だね、おまえ。あーあ、許嫁にしたいのはやまやまだが、うちの親が許してくれない。駆け落ちでもするかな」
「やめてくれ。お志乃がいないと俺の新事業が頓挫する」
「ふふん。さっさと志乃を出世させてくれ。職業婦人として親への通りが良くなるからな」
 
 ニヤリとする太一郎に片手を上げ、徹は「じゃ、お志乃は借りる」と部屋を出た。



 徹が通りに出ると、歩いてきた男に肩がぶつかった。というか向こうが当たりに来たようだ。徹は一見すると綺麗なやさ男なので、ガラの悪い者からしばしば因縁をつけられる。ここらには気の荒い船乗りも多かった。

「おう兄ちゃん、謝れや」

 すごまれたが、徹は無言でにらみ返した。
 こういう輩は弱そうな者を脅す遊びをする。自分の強さを誇示して悦に入るために。
 その鼻っ柱をへし折るのは徹の望むところだ。相手の腕を素早くねじり上げる。関節がゴリ、と鳴った。

「い、いでででっ」
「謝るのは――おまえの方だよな?」

 低い声で詰めると、相手は痛みに顔を歪め「すみません」とうめいた。放してやったらすっ飛んで逃げる。徹はフンと顔をしかめた。くだらない。

 徹のこんな姿――茜が目にしたらひっくり返るだろう。どう見てもあの時の、酔っぱらいから助けてくれた男と同一人物だから。
 事実、あれは徹だ。

 あの日は職人町で仲間と酒を呑み夜明かしした。その後道端でうっかり者の娘を助けてから家に帰ると、その人が母屋で働いていたのだ。さすがに徹も驚いた。
 本性をバラされるかと肝が冷えたのだが、茜は何も言わない。気づいていないのか飲み込んでくれているのか、徹にも判断できなかった。

「茜に近づくのは危ない……気もするが」

 なんとなく気になる。そこにいると目が留まる。それは伊都子が告げ口した生い立ちのせいだろうか。
 裕福な茅原家から送り込まれたと思っていた女は実は日陰の身の上だった。
 要領が悪いのではなく、ただただ頭を下げることに慣れていて遠慮がちなだけだった。

「もっと……堂々としていればいいんだ」

 そう感じるのはきっと、立場が似ているから。
 しかし徹だって自分を曲げているのは同じことなのだ。愛想を振りまいて生きるしかなかった藤ヶ森での日々を思い出す。

「人のことは言えないか――」

 ひとりごち、徹は自分をあざ笑った。


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 離れに呼び出された茜はすっかりうろたえている。洋間に通されたのはいいが、何故か襦袢姿にされ、体のあちこちを測られているのだ。

「あ、あの……」
「首は真っ直ぐでお願いします」

 知らない女性にピシャリと言われ、口をつぐむ。
 徹の用事だと呼ばれ、仔細もわからず来てみればこれ。もう泣きそうだ。
 ただひとつ救いがあるとすれば――この場に徹はいないことか。襦袢など見られたら恥ずかしくて死んでしまう。

「――はい、お疲れ様でした。どうぞお着物を直してくださいな」

 ちゃきちゃき話す女性は、志乃と名乗った。その仕事を聞き、茜は感心する。

「洋裁をなさるのですか」

 和裁――着物を縫うのならば茜もするが、西洋の服を縫うなどどうするものやら見当もつかなかった。志乃は得意げに笑んで悪びれない。

「そうなんです。茜さんにピッタリ似合うドレスを作りますんで、お楽しみに」
「ドレス!? 私のですか!?」

 あんまり驚いたせいで、茜は大きな声をあげた。すると外から戸が叩かれる。

「――どうしましたか、茜さん。大丈夫でしょうか」

 廊下から聞こえた柔らかい話し方は徹だ。幼なじみの志乃は徹のガキ大将時代も知っているので、猫かぶりに笑いそうになる。

「あら徹さん、開けちゃ駄目よ。茜さんのあられもない姿をのぞくつもり?」
「そんなこと、しませんよ。大声がしたので案じただけです」
「あの、なんともないんです! ちょっとびっくりいたしまして」

 慌てて帯を締めながら茜はオロオロ言い訳した。
 ドレスを、というのは徹の言いつけなのだろうか。でもいったい――なんのために?


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「僕と一緒に、夜会へ行ってもらいたいのです」

 そんな無茶を言い、徹はゆったりと微笑んだ。思いもしなかった事態に茜は絶句する。

 離れの応接室に通された茜はソファに座らされていた。志乃はさっさと帰ってしまい、部屋に徹と二人きり。
 ソワソワ落ち着かない気分なのはお尻の下がフカフカするせいか、徹の美しい顔のせいか。さらに「夜会」と告げられて、もうわけがわからなくなる。

「いきなり申し訳ない。フランス商社からの招待なので、女性を同伴したいのですよ」
「フ、フランス……?」

 あまりのことに茜の喉がひっくり返った。悲鳴のような自分の声。恥ずかしさに茜は耳まで赤くなるが、徹は知らん顔だ。

「フランス語を話す必要はありませんので、安心して下さい」
「で、でもそんな場に私のような者を……」
「おや、茜さんは銀行家の茅原氏のお嬢さんでしょう。なんの問題もないと思いますが」

 畳みかけられて茜は言葉を詰まらせた。
 茅原の娘なのは本当だが、ご令嬢とはいえない自分の立場。説明したら軽蔑されるだろうか。
 茜はふるえながら口を開く。

「……私、は……茅原の家で……」
「すみません、意地悪を言いました」

 徹は茜をさえぎった。伏せられた目に茜の心臓が何故か跳ねる。

「茜さんのお母様のことは知っています。伊都子が――得々として教えてきましたからね。あんな奴で申し訳ない」
「あ――」

 芸者から妾になった母のこと、徹は承知なのだ。その上で夜会へ誘われたとわかり茜は戸惑う。
 そんな。それはどうして?

「はじめは伊都子と出席しろと父から言われたのです。でも僕は、気が進まない。だって伊都子は僕のことを嫌っているんですよ」

 嫌われていると言いながら徹は楽しそうだ。それは徹も、伊都子のことが嫌いだから。

「ご存じですね。僕の母も……父の妻ではない」

 回りくどい言い方で徹は茜に歩み寄る。

「だからでしょうね、茜さんを(あざけ)られて不思議と腹が立った」
「え……」
「どうでしょう、洋装して僕と夜会に出てくれませんか。あちこちのお嬢さん方がずっしりした着物でいる中、茜さんは軽やかにドレスで現れる。お志乃の腕は確かだ。きっと似合います。僕がエスコートして、茜さんを話題の女性にしてみせましょう」

 徹の誘い。それは軽んじられる者同士、傷ついていないで周囲を見返そうじゃないか――そんな提案。
 さっきは腹立たしいと言っていたくせに、徹の笑みはどこまでも透きとおっている。
 そのまなざしに、茜はなんだかクラクラさせられた。