温厚柔和な若旦那さまは愛のためなら喧嘩上等!

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 徹にボロボロにされた破落戸(ごろつき)が白状したことで、犯人は伊都子だと割れた。
 茜は「伊都子お嬢さまに無理やりお使いに出された」と証言したし、梅子もそれを認めている。
 言い逃れできなくなった伊都子はとりあえず田舎の別荘に送られ、閉じ込められるらしい。素行不良の令嬢など嫁のもらい手もなく、藤ヶ森の頭痛の種になることだろう。


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「茜」

 ソファに並んで座らされた茜はそっと手を握られていた。
 ここは徹の私室。連れ込まれた茜は、早鐘を打つ胸に困り果てている。頬を赤らめ、そっぽを向いてしまった。

「徹さま……手を放してくださいませんか」
「嫌だ。あんな男たちが茜の手や腕にさわったんだぞ。俺の手ですべてを拭い去りたい」

 徹はもう、素の自分を隠していない。あれだけの立ち回りを目の前でしてみせたのだから隠す必要もないのだ。
 切れのある徹の身のこなしを思い出しても、茜はまだ信じられなかった。いつもの柔和な徹と違いすぎると思う。

「徹さま……すごくお強いのですね」
「……俺は異国の血を引いているんだが」
「え?」
「祖父がフランス人でね。母はもっと濃い異国風の顔立ちをしていた。だから俺も子どもの頃はいじめられていて」
「そんなことが……」
「イチャモンつけてくる奴はとにかくぶっ飛ばしていた。おかげでガキ大将に成り上がったのさ」

 ニヤリとされ、茜は泣きそうになった。
 蔑まれ、きっとすごく悔しかったろうに。少年の徹が健気で愛おしかった。
 歪めてしまった茜の目の端を、徹の指が拭う。

「どうして泣くんだ」
「……徹さまが、とても頑張ってらしたからです」
「何を言うやら。茜だってそうだろう」

 徹が茜に惹かれたのも同じ理由だ。茜は首を振って謙遜するが、やっとそれを伝えられて嬉しい。
 徹は覚悟を決めた。こうなったら何もかもさらけ出し、茜を口説き落とすまで。

「そうだ……茜は酔っぱらいに絡まれたこともあったな。確かあの時は羽交い締めにされていた」
「――! 徹さま、やっぱりあの時の方は――」

 茜がハッとする。
 すごく徹に似た面差しの着流しの男。荒々しいが洗練された人だった。別人のようで本人のようで、確信がなかったが――。

「あれは俺だよ」

 徹はフッと笑った。すがめた目で茜をとらえる。有無を言わせず抱きすくめた。

「あ――徹、さま」
「あの分の(みそぎ)もしないと。ちくしょう、あの時の男、もっと痛めつけておけばよかった」
「そんな……」
「俺が怖いか?」

 腕をゆるめないまま、徹は尋ねた。しばし考えた茜は首を横に振る。
 徹の力は強い。喧嘩も強いようだ。でもこの人の腕の中は居心地がいい。
 ずっとこうしていたくなってしまうほどの愛おしさが心にあふれ、苦しくなった。

「……私を守ってくださったんですもの」

 茜がもらした声は切なげだ。徹の胸に嵐が起こる。このまま、という衝動に耐え、気持ちの限りを伝えた。

「これからも茜を守らせろ。俺と……共に生きて欲しい」
「でも」

 茜は身じろぎする。だが徹は離れるのを許さなかった。胸におさまりながら茜はつぶやく。

「私は、弱い人間です。徹さまのように身を立てようともせず、うつむいて生きてきたんです。私などあなたにふさわしくない」
「馬鹿を言うな」

 体を離した徹は鋭い目つきをし、いきなり茜をソファに押し倒す。

「あ――」

 やすやすと手首を取られ動けなくなった茜は目を見開いたが、ふるえながら徹を真っ直ぐに見上げた。

「……ほらな。茜は逃げてなどいない。力で俺に敵わなくても、心は強くあろうとするじゃないか」
「徹さま……私……」
「俺が嫌いか」

 その問いを、茜はかすかな動きで否定する。気持ちに嘘はつけない。

 ――そして落ちてきた徹の唇。
 受けとめて、茜は初めて知る幸せに蕩けた。



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 その後すぐ、徹は高井銀行からの融資を取り付けた。洋服を製造販売するための会社を設立するのだ。
 ヨーロッパで作ったコネクションを使い、ミシンや生地を発注する。輸入業務は太一郎の小白波運輸の担当だ。製品のデザインと縫製指導は志乃が担うことになる。
 茜の父親である銀行家茅原は、本性をあらわした青年実業家・藤ヶ森徹との縁談に諸手を挙げて賛成した。


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 ――そして徹の会社、藤徹(ふじてつ)商事の商品が初めて百貨店に並ぶ日の朝。

「茜――ああくそっ、とんでもなく可愛いな!」
「もう、徹さんたら」

 夫婦となり、くだけた口調で照れる茜は最新のモードに身を包んでいた。社長夫人みずからマネキンとなり、百貨店の店頭で宣伝に立つのだ。

 志乃の作った服はスッキリとタイトなワンピース。丸い襟ぐりに真珠のネックレスを着け、膝下丈のスカートからは足首がのぞいている。
 昔風の人ははしたないと眉をひそめるだろうか。でも茜はこれぐらい着こなしてみせるつもりだ。

 だって茜は芸者の娘。
 色っぽく襟を抜いた着物を脱いで、スカートを履き。小唄ではなく外国語を口ずさみ。
 そうして徹の隣で生きるだけ。結婚を報告した時に泣いて喜んでくれた母は、もう亡いけれど。

「ああ茜を人前に出したくない。俺だけの茜にしておきたい――」
「うっわ徹、恥ずかしげもなく甘ったるい言葉を吐きやがって」

 控室に顔を出し、からかったのは太一郎だった。晴れて妻となった志乃も一緒にいる。こちらの夫婦もモダンな洋装だ。

「うるさいな、いいだろう。俺の正直な気持ちだ」
「へえへえ、お熱いねえ」
「もうあなたたち! これから大事な仕事だってのに、のんきなんだから」

 志乃が二人を叱りつけ、茜は笑ってしまう。
 仕事仲間にして友人となった小白波夫妻は、いつも茜の味方だ。こんな人間関係が築けたのも徹のおかげで、茜の胸は夫への感謝と信頼ではち切れんばかり。

 手にした幸せが嘘のように感じ、茜はたまに怖くなる。でもそんな時いつも、徹はささやいてくれた。

「何があっても俺が茜を守ってみせる。悲しくなったら――蕩けるほど甘やかしてやるからな。覚悟しておけよ」

 その言葉を疑うことなどない。
 だから今日も、茜は徹の隣に立つ。

「行きましょう徹さん。あなたの作った服を、私が誰よりも素敵に着てみせますから――!」

 徹の腕を取った茜はドアを出て、そして商品が並ぶ売り場へと歩く。お客様が待っている。
 その瞳はかっきりと未来を見据え、輝いていた。


    了