温厚柔和な若旦那さまは愛のためなら喧嘩上等!

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「聞きまして? 離れの茜さんと、徹さま」
「仲良くお出掛けですってね! 綺麗なお着物だったとか」
「徹さまったら年貢の納め時なのかしら。確かに茜さんは可愛らしいけれど」
「――あなたたち!」

 女中たちの噂話に金切り声が割り込んだ。伊都子だ。

「余計なことを話す暇がありますの? それとも永のお(いとま)がよろしいかしら?」

 居丈高ににらまれて、集まった者が散っていく。伊都子は苛々と爪を噛んだ。

「徹さんと茜なんてどちらも低い生まれでお似合いだけど、もてはやされるのは気に入らないわ。あんな……異国の血を引く男なんて、わたくしの兄でもなんでもありませんもの!」

 綺麗な顔の異母兄はフランス人の祖父を持つらしい。つまり徹の祖母はラシャメンと蔑まれた女なのだ。その血すじだけでなく、徹本人も伊都子は嫌いだ。屋敷に引き取られることで母を苦しめたから。

「……可愛い茜が襲われたら徹さんはどうするかしら。怪我もかえりみず助けるのかしら」

 想像して伊都子の目は冷ややかだった。
 遊び人の徹なら、顔に傷が残った茜など早々に捨てるだろう。調子に乗る茜がいけないのだ。
 あるいはヘラヘラした男のくせに女を庇い、怪我するのだろうか。徹の綺麗な顔がボロボロになるのは見てみたい。

 どちらでも楽しそうね、と伊都子はほくそ笑んだ。


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「……ヨネ、茜はどこだ? 母屋に行って戻ってこないんだが」

 離れの女中部屋に顔を出し、徹は不安げだった。今日は簡単なフランス語を教える約束だったが、本当は嫌がられていたのだろうか。

「まあ坊ちゃま」

 ばあやのヨネはホホ、と笑う。
 実母が存命の頃から長く仕えるヨネの前で、徹は素顔だ。というか幼くなる。茜を好いていると口にしてはいないが、隠してもヨネには伝わっていた。

「茜さんが坊ちゃまのお役に立ちたいのは嘘じゃありませんよ」
「……でも遅いな」

 徹が眉をひそめるのを見てヨネはニコニコした。
 藤ヶ森家に引き取られてから仮面をつけるようになった徹。痛々しく思っていたが、心を寄せる女性があらわれるとは喜ばしい。その茜の方も徹を意識しているようにヨネには見えた。

「あら勝手口が。茜さんですねえ」

 だが戸の音はバタンと荒々しかった。いつもの茜の仕草ではない。不審に思っていたら別人の声がした。

「徹さま! いらっしゃいますか!」

 離れへ駆け込んできたのは梅子だ。廊下に出た徹を見て顔を伏せる。徹は瞬時に猫をかぶった。

「どうしました」
「あの……茜さんが男にからまれているんです」
「何?」
「道端で。すぐ近くです。お知らせしなきゃと」

 梅子が示したのは屋敷の裏口の方だ。徹は無言で動いた。靴を履き玄関を飛び出す。
 見送った梅子はなんとなくバツが悪そう。実は伊都子に命じられて徹を呼び出したのだ。
 だが茜がからまれているのは本当。伊都子が破落戸(ごろつき)二人に頼んだらしい。「助けに入る男共々、傷物にして」と金をはずんだとか。

(……私、嘘はついておりませんからね!)

 言い訳しながら梅子は母屋に退散した。


 徹は走った。茜のことしか考えられず、伊都子が裏で糸を引いているなど思いもよらない。しかし伊都子の誤算は――徹の素顔が喧嘩上等で好戦的なことだった。

 裏通りへ駆け出した徹は周囲を見回す。
 少し先に、腕をつかまれ引きずられる茜がいた。
 徹の――長年抑えつけていた堪忍袋の緒が切れた。激情があふれ出す。

「茜!!」

 叫んだ徹は風のように走った。
 振り返る男が身構える間もなく、一人の顔に拳を叩き込み吹っ飛ばす。

「徹さま!」

 茜が叫んだ。愛しい人が恐怖に青ざめている声で、徹の心が氷のように冷たくなる。

 ――殺してやる。茜を傷つける者など。

 闘う気になった徹には、破落戸の動きがゆっくりして見えた。
 茜を奪い返す。蹴りつけて距離を取る。背に茜をかばう。

 起き上がってきた一人目が殴り返してきた。
 身を低めて避ける。腹に拳を。崩れ落ち悶える男。

 二人目が上から両拳を叩き落としてくる。
 転がって避け、跳ね起きた。
 振り向きざまの相手に正拳。鼻が折れる感触。でも徹は止まらない。
 よろけるのを捕まえて投げ技、道に背中から叩きつける!


 破落戸は二人とも動かなくなった。あっという間のことで、茜には何がなんだかよくわからない。
 ヘナヘナと崩折れかけるのを、徹がガシッと支えた。荒々しく抱き寄せる。

「茜――」

 吐息のように名を呼ばれ、茜はふる、と震えた。
 腕があたたかい。安堵してたくましい胸にすがりついた。

「徹さま――」
「無事でよかった。茜に何かあったら俺はもう」
「――徹、さま?」

 熱っぽくささやかれて茜は惑乱する。
 強い腕の力。
 「茜」と呼び捨てる声の甘さ。
 いつもの柔らかさをかなぐり捨てた「俺」という言い方。

 だけどこれは確かに徹だ。
 そっと腕を組んでいた時にも感じていた芳しい徹の匂いに包まれ、茜の膝から力が抜けた。
 完全に身を預けてしまった茜を支え、徹は誓う。

 ――これは俺のもの。誰にも指一本触れさせない、と。