君の魅力にたえられない!

「結城と二人っきりで出かけたって本当?」

「えっ、えっと」

結城と出かけた次の日。
廊下の端に追いやられ、やや圧力強めに問いただされた。
鷺沼に何も言わないで行ったのは悪いと思っているけど、ていうか僕たちって付き合ってないんだよね?なんで鷺沼にいちいち言わないといけないんだ。そもそも好きとか言われてないし、お付き合いの誘いもされていない。前に僕に話しかける時は鷺沼に許可取れとかなんとか言ってたけど、そんなことしなくても僕は鷺沼から離れないし、離れられないのに。もう、すでに鷺沼の魅力に落ちているのだから。
それよりも顔が近すぎる。話が全く入ってこない。

「どーなの」

あ、圧がすごい。怖い。
あれ、でも僕ってなにも悪いことしてないよね?だって付き合ってないんだし。
別に悪いことでもないから胸を張って言えるけど、鷺沼の様子を見ると罪人になったような気持ちになる。

「う、うん。確かに、出かけ、ました」

と、意を決して言うと

「ふーん。で、どこに行ったの?何の話をしたの?どんな服装で行ったの?」

すかしてはいるが一瞬傷ついた顔をしたのを僕は見逃さなかった。逆に質問攻めをすることによって冷静さを保とうとしているのだろうか。

「おーい。そこまでにしろよ。恐喝してるみたいだから」

教室から出て来た結城が割って入った。

「え!さぎ恐喝してんの?!」

「恐喝は犯罪ですよ」

と結城についてきた最上と森丘が鷺沼を茶化した。

「あーもう。お前らうるさい。あっち行け!しっしっ!」

とまるでゴキブリを追い払うように最上たちを退散させた。

「で、何の話してたの?あ、もしかして、鵠沼と二人で出かけたこと?」

最上が、気まずい僕たちの会話にひるむことなく入ってきた。
その視線に鷺沼は肩をすくめた。

「うん、まあ」

曖昧に返事を返すと、すかさず結城が口を挟む。

「それなら、しっかりさぎに許可もらったよね?」

「そうだけど。鵠沼からは何も聞いてない」

鷺沼の声は低い。
怒っているというより、拗ねているような、そんな感じで言った。

「だからと言ってそんなに問い詰めなくたっていいだろ。怖がってんじゃん鵠沼、な」

結城が鷺沼の肩に手を置いた。
その一言に、鷺沼ははっとしたように目を瞬かせた。

「ごめん」

素直に謝る声は、なんだか愛おしく愛らしかった。
僕は、小さく首を振ってこんな提案をした。

「あ、えっとじゃあ一緒にお話ししませんか」

「え、」

鷺沼の目が丸くなる。
やば。さすがにおこがましいか、少し引かれてるし。

「あ、嫌じゃなければ」

「ぜひ!もちろん」

鷺沼の食い気味の返事に結城が「おお~」と少し驚いたような声を上げた。

「え、えっと。僕の家でもいい?」

僕は、今世紀最大の勇気を振り絞って言った。
別にカフェとかでもいいけど、二人っきりでしっかり話したいこといっぱいあるし。推しを自分の家に呼ぶとかやばすぎるけど仕方ない。自分から誘っといて、じゃあ鷺沼の家で。とか失礼の極みだし。
でも、やっぱり自分の家に呼ぶこと自体失礼か?わざわざキモオタの家になんか出向きたくないかも。断らせるような質問してどうするんだよ。やっぱりカフェにしよう。その方がいろいろと安心だ。

「あ、でも、やっぱり」

と言いかけた時、

「願ってもない申し出ありがたく頂戴します」

と鷺沼が合掌してお辞儀をしながら言った。
その横で結城が小さくため息をついた。
その言い方が妙に丁寧で、困惑してしまった。
僕の家に行くことが願ってもない申し出?!どういうことだ。意味が分からない。別にごく普通の家だけど。
ていうか待って。本当にあの鷺沼が僕の家に来ることが決定したってことだよね?冷静に考えてやばい。部屋を片づけないと。

「え、えっと。いつに」

「今日で」

く、食い気味だ。飢えた獣ののようだ。

「き、今日?」

あの鷺沼が部屋に上がるんだから、完璧に掃除したい。埃一つ残してやるもんか。
でも、ん?まてまて。今日?そんなの光速でやらないと間に合わない。
ど、どうしよ。

「今日は急すぎ。せめて明日に」

と結城が割って入ったが、

「いや。待てない」

間髪入れずに鷺沼が言った。
まだ結城が言い終わってないのに。
く、食い気味なんてもんじゃない。
これは食われるぞ。

「え、じゃあ今日にしようかな」

やるしかない。どうしても今日がいいみたいだし。推しの願いをかなえるのもまたオタクの務め。僕はいつでも暇だからいいけど、鷺沼はいろいろ予定があって今日じゃなきゃいけないかもしれないし。

「本当に大丈夫?別にあ」

結城が僕を心配して口を挟むが

「ありがとう。じゃあ今日で」

と鷺沼によって無理くり話は締めくくられ、そのあとすぐに速足でトイレに駆け込んで行った。

「本当に今日で大丈夫?」

結城が傾げて不安そうに言った。

「う、うん。まあ光速で掃除すればいいし。大丈夫」

「光速って。まあ、でも、なんでも大丈夫って言って無理しないでね。いつでもさぎのことを優先しなきゃいけないわけじゃないんだし」

「そんな心配しなくても本当に大丈夫だよ」

とは言ったが、そんなものはもちろん嘘である。
人間が光速で動けるはずがない。帰って掃除する順番とか物の配置とかいろいろ考えて気づいたらもう下校時間になっていた。
そして今もうすでに鷺沼と一緒に下校している。周りの人の目線が刺さりまくって痛い。同じクラスの人たちは最近の僕たちの距離の近さにはだいたい理解があるけれど、他のクラスの人や、他の学年の人たちは鷺沼の隣にいる僕のことを不思議がっている。
あちこちで噂するひそひそ声が聞こえてくる。もう耳を塞いでしまいたい。

「楽しみだなー鵠沼の家」

鷺沼は、まるで遠足前の小学生みたいに機嫌がよかった。
その無邪気さが逆にプレッシャーで、思わず足を止めそうになる。

「え、え?そんなに期待しない方が」

声が裏返った。
期待されるほどの家じゃない。
というか、推しが来るのに家の準備が全く整っていない。

「なんで家に呼んでくれたの?」

鷺沼が横目で僕を見る。
その視線がいつもよりほんの少しだけ柔らかい。
問い詰めるでもなく、ただ知りたいという純粋な気持ち。

「え、それは。二人っきりで話したい事があって」

言った瞬間、自分で自分の首を絞めた気がした。
二人っきりなんて、どう考えても誤解を生む言い方だ。

「二人っきり、」

鷺沼はその言葉をゆっくり噛みしめるように繰り返す。
歩く速度が少しだけ落ちた。
気づけば、僕との距離がさっきよりも半歩近い。

「そうだね。俺も話したい事ある。たくさん」

その声は、さっきまでの軽さとは違っていた。
低くて、少しだけ重く、どこか確信めいている。
たくさんってなんだろう。
僕が話そうと思っている最近の鷺沼の異常な執着の他にもなにかあるのか。
それとも、全く別のこと?
鷺沼の話が気になりすぎて、周りの視線もひそひそ噂声も、もう耳に入らない。
ただ、隣を歩く鷺沼も同じような気持ちだったらいいなと思いながら、一歩、一歩家への帰り道を歩いた。

そして、あっという間に家についてしまった。

「ここが鵠沼の家?」

「あ、うん。そうなんだけど。いろいろ確認と、一瞬で掃除してくるからちょっと待ってて」

「分かった、」

お預けを食らった犬のようにしょぼんとして返事をした鷺沼を玄関で待たせ、二階にある自分の部屋まで階段を一気に駆け上がった。
少し部屋の掃除をして、階段を降り、最後にリビングを覗いて母親がいないのを確認して鷺沼を家に上がらせた。

「ど、どうぞ。こっち、僕の部屋二階だから」

「うん」

やばい。推しが家にいる。もはや鷺沼が踏みしめた場所すべてがパワースポットと化していく。家全体が浄化されていくのを感じながら、ふと思った。
階段を先に上らなきゃよかったと。
今の鷺沼の視界の八割くらいが僕の尻で占めていることに恥ずかしさを感じながら、階段を上り終わり、いよいよ僕の部屋の前まで来た。
その時、

「今日ってご両親はいないの?」

鷺沼が少し緊張した声色で言った。

「え?あ、うん。どっちも仕事だよ」

「そうなんだ」

返事をした後、

「本当に二人っきりだね」

僕の耳元で小さく言った。

「っん、うん。そうだ、ね」

急に耳元で言われ、びっくりして頭が真っ白になるところだった。
二人っきりという言葉が頭の中に響き渡り思考を支配する。こんなにも意味を持った二人っきりを知らない。
緊張しながらドアノブに手をかけ、ドアを開けた。

「ど、どうぞ。入って」

鷺沼は部屋に入るなり、小さく鼻を鳴らした。

「鵠沼の匂いする」

僕の匂いってなんだ。自分の部屋の匂いなんか毎日嗅いでるから分からない。マスクをあげた時も言ってたけど、臭くなかったら別にいい。きょろきょろと僕の部屋を見渡し、棚のものから机の端までひとつひとつ目に焼き付けるみたいに眺めていた。

「あ、ここに座っていいよ」

座布団を用意すると、鷺沼は軽く礼を言って腰を下ろした。

「ありがとう」

鷺沼のその優しい声がこの部屋に溶けていく。
部屋全体が潤っていくのを感じる。
僕は、小さな机を挟み向かいに座った。

「そ、それで、話なんだけど」

恐る恐る、話を切り出した。
鷺沼は僕の言葉を待つように静かに頷く。

「うん」

「な、なんで最近距離近いの?」

交換日記を始めた時はクラス内での接触を最小限にして誰にもばれないようにしていたのに、体育の時から急に物理的にも精神的にも距離が近くなった気がした。それにこんな僕に周りが困るほど異常なまでの執着。どうして急に距離が近くなったのか知りたい。
鷺沼は少しだけ目を細め、
迷いも照れもなく、ただ真っ直ぐに言った。

「誰にも渡したくないから」

その一言が、部屋の空気を変えた。

「え、えっと、」

「守りたいから」

「う、うん」

「大切だから」

「え、あ、」

「俺のすべてだから。俺の生きる意味だから」

「え、ちょ、ちょっとすとっぷ!」

鷺沼から溢れ出る言葉を受け止めきれず、反射的に鷺沼の口を慌てて塞いでしまった。
その瞬間、鼻と鼻がぶつかりそうな距離で視線が重なり、目が合った。一瞬、時が止まったような気がした。一秒がとても長く感じ、永遠の片鱗に触れた気がした。
心臓がありえないほど早く脈を打っていた。呼吸が鼓動がいつもより大きく聞こえた。

「ん?んーんんん?」

鷺沼は目を丸くして、塞がれた口のまま僕を見つめていた。
ただ、まっすぐに。

「あ、ごめん」

慌てて手を離すと鷺沼はゆっくり息を吸い込んだ。
その仕草がいつもとは違う空気を纏っていて、心臓の鼓動はは段々早くなって行きとどまるところを知らない。

「止めるってことは、続きを聞きたくないってこと?」

わざとらしく首を傾げながら頬杖をついた。

「ち、違っ」

否定しようとしたが、喉の奥で詰まった。
続きを聞きたい気持ちもあるが、すべて受け入れられるだろうかという不安が頭を過ぎる。
鷺沼のすべて抱えきれるだろうか。
心臓が痛いほど体中に響く。
鷺沼の話よりも、この心臓の鼓動を落ち着けることに注意が持っていかれる。
その時、鷺沼が僕の手を取って鷺沼自身の胸に僕の手を置いた。
鷺沼の心臓は僕と同じくらい、いや、僕よりも早く脈を打っていた。
―そうか。同じ気持ちなんだ。
鷺沼の目から注がれるまっすぐで真剣な眼差しを受けて話を聞く覚悟を決めた。

「つ、続き、聞く」

「じゃあ、手で塞がないで。ちゃんと聞いて」

もう逃げられないと思った。
それから、ゆっくりと落ち着いた様子で話し始めた。

「去年の四月に鵠沼に命を救われたんだ」

「四月、」

ノートを取り違ったときに初めて会話したと思っていたけどそうではなかったのか。
去年の四月?
遠い記憶を遡る。
春の匂い、桜が風に舞って地面を彩っていた。通学路の景色。
あの時期にそんな命を救うような出来事なんてあっただろうか。
鷺沼と過ごしたここ最近の記憶が濃すぎて過去なんて思い出せない。
思い出したくないのかも。鷺沼との今が幸せ過ぎて。
もう遠い過去には手が届かない。

「僕、そんなことしたっけ、」

情けない。覚えていないなんて。
鷺沼との思い出ならしっかりこの海馬に刻んでいるはずなのに。

「そっか、鵠沼にとっては日常の一コマだった扱いだったんだ」

鷺沼は少し呆れたように言い放ち、みんなにもそういうことしているのかとでもいうような眼差しを向けた。
そんな鷺沼に申し訳なく思いながらも、考えていると鷺沼がヒントを出してきた。

「夜の公園だよ」

「公園、」

公園に関する記憶を呼び起こす。僕の全細胞を使って思い出してやる。
公園と言ったら、秋ぐらいに公園に行って風邪を引いたのを思い出した。

「公園に行って風邪ひいて、」

「なんで公園に行ったんだっけ?」

「えっと、あ、相談乗った人が気になって、」

「それだよ」

「え、あの、ベンチで泣いてた。」

「そうだよ。それが俺。俺たちが出会って一番最初にした会話がそれだったんだよ」

人が信じられないと悩んでいた青年がまさか鷺沼だったなんて。
ていうか、なんで公園行って風邪ひいたこと知っているんだ?

「なんで公園行って風邪ひいたこと知ってるの?」

「だって、看病したし」

「え、ど、どゆこと」

「風邪ひいて保健室来たでしょ。水飲ませてやったの俺」

「え、え、」

なんか知らない間にめっちゃお世話になってた。
なんか申し訳ないし、ありがとうだし。

「え、ちょっとまって」

「うん。待つよ。いくらでも」

「い、いやそれは言い過ぎでしょ」

「いや、言い過ぎじゃない。半年も待ったし」

「え、なにが、」

「公園で半年間、鵠沼のこと待ってた。また会えないかなって思って」

「え、ちょ、」

か、過呼吸になりそうだ。次から次へと情報が入ってきて。しかも、意識してないだけで全然会話してたし、全然お世話になってるし。逆にこっちの方が命の恩人だし。待って。時系列で整理しないと分からない。あと、ゆっくり言ってもらわないと理解できそうにない。こちとら、家に鷺沼がいるだけでも発狂案件なのに、過去に全然慣れ慣れしく会話してたっぽいし。なんか、相談とか乗っちゃったりしてたみたいだし。看病までさせてたっぽいし。落ち着け。冷静になるんだ。過去の過ちを今すぐ懺悔したい気持ちを抑え、今は、鷺沼の話を聞くことに全神経を集中させた。

「え、っと」

「うん」

混乱する僕をよそに鷺沼は落ち着いた声色で頷いた。

「申し訳ないんだけど。時系列で最初から説明してもらってもいいですか」

「分かった」

「まず、去年の四月に公園で相談に乗ってもらったのが俺。そこで初めて会話した」

「うん」

「それから俺は、また鵠沼に会えるんじゃないかと思って半年間毎日公園に行って待ってた」

「うん」

「もう、会えないんだと思って公園に行くのをやめた次の日。保健室に鵠沼が来た。先生は保健室登校をしていた俺に鵠沼の世話を頼んで会議に行った。少しの間だったけど、看病したのが俺」

「うん」

「その時に、話し相手になって風邪ひいた理由とかを話してくれた。薄着で公園に行って風邪をひいたこと。俺を待っていたこと。でも、鵠沼は俺のこと気づいてなかったから、そのことを隠して話を聞いてた」

「うん」

「そんなことがあったから鵠沼に興味を持って、ずっと見てたし、聞いてた。だって、初めてだったから。初めて、外見ではなくしっかり内面を見てくれたから。真剣に、話を聞いてくれたから」

「結城と鵠沼が同じクラスだったから結城に授業中の鵠沼の様子を聞いたり、昼休みの様子も知りたくて、教室に行って結城と話すふりをして鵠沼の話を盗み聞きしたり。それで、今年やっと同じクラスになれて嬉しかった。同じクラスになってからも見てたけど、夏ぐらいから鵠沼が俺のオタクしていることが分かって」

「気づいてたんだ、」

「うん。でも、鵠沼は気づいていないし。教室では話しかけづらいし。だから、意識してもらうためにも返却されたノートをわざと入れ替え取り違いに見せかけて、ノートを返しに話しかけてくるのを待ったんだ」

「うん」

「もう、ずっと、ずっと好きだよ。鵠沼のこと。分からなかった。束縛する意味が。いやだった。自分のことを見てくれない恋愛が。でも、生まれて初めて独り占めしたいと思った。生まれて初めて人に依存した。俺の人生は鵠沼がすべてで、鵠沼がいないと生きていけないんだ」

鷺沼は、少し目を潤ませて、泣きそうな声で言った。
こんなにも僕のことを思ってくれていたなんて。

「っえ、ゆ、夢みたい」

鷺沼は公園であった時から、ずっと僕のことを好きだったんだ。遊びやからかいじゃなかったんだ。まるで夢を見ているみたいだ。
推しがまさか自分のことを好きだなんて。

「俺も鵠沼に初めて会った時から、ずっと夢を見ているみたいだった。こんな素敵な世界を見せてくれてありがとう」

柔らかく笑ったと同時に、机に上に一粒の涙が落ちた。鷺沼は僕の手を優しく握って、僕を拝むように机に着くくらい頭を下げた。
こんなに、命を削るような祈りを僕は知らない―
いつも、何でもそつなくこなして、かっこいいを崩さない鷺沼のこんな一面初めて見た。
僕も好きだよって言いたい。気持ちに答えたい。けど、僕の好きはオタクとしてなのかもしれない。鷺沼は本当に僕のことを好きでいてくれている。心の底からの愛だ。でも、僕の好きは?所詮、オタクの範疇なのか。それ以上ではないのか。こんな生半可な気持ちで返事をしたくない。
鷺沼の気持ちを踏みにじるようなことしたくない。僕なんかが、鷺沼の気持ちを受け入れられるだろうか。支えていけるだろうか。推しとして見るんじゃない。一人の人間として、鷺沼琉生として見るんだ。鷺沼の過去を知ったからこそ、軽い気持ちで返事はできない。傷つけるようなことはしたくない。

「ご、ごめん」

僕は、まだ気持ちに答えることはできない。ここで、曖昧な返事をする方が鷺沼を傷つけることになる。考える時間が欲しい。自分と向き合える時間が。自分の気持ちに、正直に、素直になるためにも。それに、オタクの範疇でしか鷺沼のことを知らない。学校生活の中では分からないプライベートのこと。家ではどんな風に過ごしているの?兄弟はいるの?趣味は?得意なことはあるの?好きな食べ物は?好きな映画は?そして、誕生日はいつ?もっと、鷺沼のことを、鷺沼琉生という人間を知りたい。もっと魅力に溺れたい。もっと、もっと、気持ちを聞きたい。

「え、」

鷺沼は机から顔を上げ、断られたという絶望で目は死んでいた。何も映していなかった。

「もう少し考えさせてほしい」

そう言うと、さっきまでの目とは打って変わって、キラキラと光り、目を丸くして、僕を瞳に映した。
まるで、僕を瞳の奥に閉じ込めたみたいだった。もう、僕しか映さない。そんな目をしていた。

「わ、分かった。じゃあ、水族館行こ」

「え、す、水族館?」

突然の誘いに驚いて声が裏返ってしまった。

「そう。夜の水族館」

「よ、夜?」

「俺、まだ結城と二人っきりで出かけたこと根に持ってるから」

そう言うと、鷺沼は少し優しく僕を睨みつけ、結城のうんこ。と、小さく呟いた。