もう秋も深まり、冬の気配が感じられる季節になった。そんなある日。
その日は朝から雨が降っていて気温が低かった。外に出るのも億劫になるほどの寒さの中、ほぼ外みたいな体育館でベンチコートを着てぬくぬくしている先生に殺意を覚える体育の授業。僕たちはぺらっぺらの体操着をたかが二枚くらいしか着ていないんだぞ。こんな所業はあんまりだ。一刻も早く授業を始めたいが、まだ授業が始まるまで五分はある。五分前行動とかよく言うけど、今回ばかりは五分前行動が本当の意味で命取りだ。凍え死んでしまう。両腕を擦って僅かな摩擦で寒さを凌いでいたがもう限界だ。
「さ、寒すぎる」
と震えながら呟くと、どこからともなく現れた鷺沼が
「大丈夫?暖めてあげる」
と優しく後ろから抱きしめてくれた。
「えっ」
あ、暖めるってそーいう感じ?!なんか、背中擦るとかじゃなくて?直で直接温める感じなの?鷺沼の僕に対する距離感が全然分からない。こういう時どうすればいいんだろ。ていうか、クラスの中でこんな行動は今までしてこなかったのになんでいきなりこんなことするんだろ?審査会議で可決されたからか?鷺沼が何を考えているか分からない。どうすればいいのか分からず、棒立ちのまま鷺沼に抱きしめられていると、段々とクラスメイトがこちら異変に気付き始めた。え、なんかクラスのみんなというか特に女子からただならぬ殺気を感じる。怖すぎる。と思った矢先、その雰囲気を壊すように最上の声が飛んできた。
「さぎー!」
と元気いっぱいの声量で叫びながら手を振りこちらに向かって走ってくる。彼には、寒さという概念がないのか。
その後ろで結城が全速力で追いかけている。
そのうち最上に追いついた結城が
「うるせーんだよ。黙れ。あと、邪魔になるだろうが!」
と言って最上のこちらに対する攻撃を止めていた。
「邪魔ってなーに」
と最上は意味が分かっていないようだった。
なんだこの絵面は。コントか何かか?と思っていると不意に後ろから声がした。
「賑やかですね鷺沼さん」
と完全に後ろで気配を殺していた森丘が口を開いた。
「お前も邪魔なんだよ」
と息切れするほど疲弊した結城が森丘を攫って
「お前らほんとに邪魔。人の気持ちとか考えろよ」
と、最上と森丘に説教をしていた。
鷺沼は最上たちの話など聞こえていないかのように無反応で顔を僕の肩に押し付けて、寒いね。と呟いた。うん。と言葉を返すと満足そうに少し笑った。
一方その頃、こんなほのぼのしている僕たちの後ろでは乱闘が起こっていた。
振り返ると、
「俺もさぎたちにくっついて暖まりたい」
と駄々をこねる最上を必死に止めようとする結城、それにひっそりと加わる森丘。
結城が不憫でならない。
その時、ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
「授業始めるぞー」
と先生が言うと、クラスのみんなが、寒い―、やだー、動きたくない―と先生に対して野次を飛ばしていた。
先生は
「動けば暖まる」
の一点張りで授業を進めていった。
「準備体操をするから、二人一組になれー」
と先生が言った瞬間、鷺沼が僕の手を握って
「一緒に組も」
と言ってきた。まるで誰にも僕の相手をさせないような感じだ。
「う、うん」
と驚きながらも返事をした。二人組を組むときに困らないなんてことは初めてだ。ぼっちにとって二人組を作ることは拷問に近い。そのため、いつもぼっちでいる地味な僕に率先して組もうとするやつなんていない。あまりもの同士か、先生と組むのが関の山だ。そんな僕に組んでくれと言ってきたのは鷺沼が初めてだった。鷺沼と一緒に準備体操なんてこんなことがあっていいのか。と思っていると、その後ろで三人で組む例外を認められた最上たちがなにやら不満そうな声を上げていた。
「三人でどーやって柔軟するんだよー」
「そうですね。どうしましょう」
と悩んでいた。そうだよな。今まで、一軍は四人でちょうどよかったのに僕が鷺沼なんかと組んでしまったせいで三人になっちゃったし、他の人と組むといっても一軍に自ら入ろうとするやつなんかいない。
その時、
「うるせーなお前ら。まとめてしばいてやる」
「怖すぎ」 「怖すぎます」
と苛立ちを隠せなくなった結城が折れるまで殺ると意気込んでいた。
そのことに心配して見ていると鷺沼が
「あー見えて結城は三兄弟のお兄ちゃんだから大丈夫だよ」
と優しく言った。前から思っていたけれど鷺沼って最上たちに対する当たり強くない?口調も強いし、表情も硬い。それに対して僕には優しく言葉を発したり、柔らかく笑いかけてくれる。僕にだけ特別対応なんかしなくていいのに。いや、そんなことする必要もない。僕に対しては遊びなんだから。きっとこの関係を楽しんでいるだけだ。でもなんか、モヤモヤする。
モヤついている僕をよそに
「さ、柔軟しよ」
と手を優しくを引いてくれた。
柔軟なんてまともにしたことがない。今までの準備体操では相手も自分も気遣って軽く手を置く程度だった。友達のいない僕としては他人の距離感も加減も分からない。だが、今回は友達と呼ぶにはおこがましいが、知り合い程度にはなった鷺沼が相手だ。どんな感じか分からない。そう思いながらガッチガチに硬い足を開いた。十度ぐらいしか開かない足を見た鷺沼が
「もしかして、柔軟苦手?」
と心配そうに言った。
「に、苦手というか、できない、です」
と大して開いてもいない開脚を維持しながら言った。
「じゃあ、頑張らないとね」
と鷺沼がそう言った瞬間―
思いっきり僕の背中を押した。
「いっ、」
一気に太ももの内側の筋肉が伸びていく。その代償に、鈍い痛みがじわじわ広がっていく。あ、これやばい。死ぬ!
「まっ、て、し、しぬ、から」
と涙目で懇願したが、あともうちょっと。と背中を押すのをやめてくれない。しまいには全体重をかけてくる始末だ。さっきまでの優しさはどこに行ったのやら。さっきまでとのギャップすごい。まるで別人みたいだ。
その時、後ろの方で最上の断末魔が聞こえてきた。
「ゔわーー!さ、裂ける、し、死ぬわ。マジでーーー」
「はっはー!いいストレス発散だな!」
と結城が最上の背中を片足で押さえながらすがすがしい様子で言った。
すると、こっちの様子に気づいたのか
「さぎーあんまり痛めつけんなよー」
と結城がこっちに声掛けをしてくれた。
そのおかげで
「はい、もう終わり」
とやっと解放してくれた。結城にはマジで感謝だ。
やっと解放されて一息ついていると鷺沼が
「涙出てるよ。大丈夫?」
と顔を覗き込んできた。誰のせいだと思っているんだ、このイケメンが。
「マジ、死ぬかと思った」
と涙ぐみながら言うと、
「ケガすると悪いから」
と満面の笑みで言った。そういう鷺沼は狂気そのものだった。ケガすると悪いっていうけど、もうこの柔軟でケガしそうなんですけど⁈
すると、結城がこっちまで走ってきて
「さぎ、鵠沼のこといじめてたでしょ」
と鷺沼に説教をした。
「鵠沼は俺たちと違ってか弱いんだから優しくしないとだろ。お前はりんごを片手で潰せるくらい力強いんだから。鵠沼に触れる時は気をつけろよ」
か、か弱いって言っても、一応男だから女の子よりは丈夫だと思うんだけど。ていうか、りんごを片手でってマジな話なの?
と思いながら聞いていると、
「うるせー。嫌がっているのがいいんじゃん。それに、鵠沼に触れる時は気を付けてるから」
という鷺沼。もしかして涙目になった僕のことかわいがっているつもりだったのか。
でも、確かに手とか頭とかに触れる時は壊れそうなほど優しく触れるのはそういうことかと少し腑に落ちた。
「だめだ、こいつ」
と説教をあきらめたかと思ったら、僕の方を向いて
「こいつ、ドS人間なんだ勘弁っ☆」
とピースサインを作って言ってきた。か、勘弁☆って言ってもこれはドSってだけじゃ済まないだろ。優しさとドSのギャップが強すぎる。なんか怖いんですけど。なんなんだこれ。なんなんだこの人たち。いまいち、一軍の雰囲気についていけてない。
その時、
「はーい一回目の柔軟終わり―。次は違うやつと組めー」
と先生が言った。
柔軟は全部で二回あって一回目とは違う人と組むことになっている。なんでもクラスのみんなと仲良くなってもらいたいという先生の意思だ。ただでさえぼっちの僕は二人組を作るという名の拷問に耐えかねているというのに。鷺沼以外にはもう僕と組みたいやつなんていないだろうし。それに、一度でも鷺沼のような一軍と組んだという事実が普通の生徒を寄せつけない。先生と組むしかないと思っていると
「くーげーぬーまーくーん」
と結城の地獄の柔軟から抜け出した最上が話しかけてきた。怯える僕の肩を組みながら
「一緒に組もー」
と言ってきた。最上と話すのは審査会議以来だ。どんな人なのか分からないし、なんか、毎回肩を組まれているような気がして距離感が分からない。
「う、うん。一緒にしよ」
と言うと
「やったー。鵠沼くんとさ、お話してみたかったんだよねー」
とにっこり笑って言った。その隙のない笑顔が逆に怖い。
その時、次は結城と組んだ鷺沼が近づいてきて
「俺のだから触るな」
と冷たい目で言ってきた。やっぱり最上たちには当たりが強い。
「しょうがないじゃん。柔軟の時だけだから、ね」
と最上が苛立っている鷺沼をなだめた。
「必要最低限だからな。それ以上触るなよ」
と釘を刺した。
「はいはい。わかりましたよー」
とだるそうに最上が言うと
「あ、あと鵠沼さ、最上の時の方が俺より七文字多く喋ってた。このうんこのことは相手にしなくていいから」
と鷺沼が僕にまで釘を刺した。なんで、僕にまでこんなこというんだろ。僕が他の人と交流しているのがそんなに気に食わないのか。まるで、恋人の嫉妬みたいだ、とふと頭を過ぎったが、そんなことはありえないことと分かりきっている。こんなことはもうこれ以上考えるのをやめよう。苦しくなるだけだ。
「じゃあ、背中押してー」
と柔軟を始めた最上が言った。さっきの結城のしごきでもうやりたくないと言い出すのかと思っていたけれど自分から率先して柔軟をしていた。
「こ、こうかな?」
と探り探り背中を押す。力加減が全然分からない。そもそも最上は柔軟が得意なのか?それによっても加減は変わる。
「最上は柔軟、得意なの?」
と聞くと
「まあ、空手やってたからそこそこは」
と言った。空手か。最上は空手の質実剛健な感じからはかけ離れた感じの人間なのに。人は見た目じゃないなと思っていると、最上が僕の腕を引いた。
「えっ」
と思わず声が出た。そのまま開脚をしている最上に僕が覆いかぶさるようになり顔と顔の距離がほんの五センチくらいになった。
「な、なに」
「なんか、さぎがずっとこっち見てるから嫌がらせしようと思って」
と最上が言った瞬間―
「わあっ」
僕は一瞬で最上から引きはがされた。
「おい、うんこ。何してくれてんの。鵠沼が汚れるだろ」
そういう鷺沼の目は血走っていた。この状態の鷺沼は怖すぎる。結城も分かっているのか仲裁すらためらっていた。
「汚れるってひどくない?さぎくーん」
とへらへらしている最上。
「あのな、」
と鷺沼が言いかけたところで、
「ごめん。僕が悪かったから」
と勢いよく謝った。
「「え」」
と最上と鷺沼が頭上に?を浮かべて言った。
「ごめん」
と謝る僕に対して鷺沼が
「なんで、鵠沼が謝るの」
と優しく聞いてきた。さっきまでの鷺沼とは別人のようだ。
「えっと、その、」
と謝ったはいいものの言葉に詰まっていると
「はーい。みんな落ち着いて、ね。準備体操終わり!今日の授業バスケだってさ」
と結城がまとめてくれた。
「点呼とるぞー並べ―」
との先生の声でこの話は終わった。
だが、僕たちはまだこの話を引きずりながら背の順で並んだ。
バスケのチーム分けは先生が体育の成績を加味して決めた。
僕は結城と森丘と一緒のB班、鷺沼と最上は共にE班になった。
「よろしくな」 「よろしくお願いします」
と結城と森丘から挨拶され、
「よ、よろしく」
といたたまれない気持ちで答えた。
一方の鷺沼と最上はというと、全く言葉を交わさず同じチームの人たちによってやっと形になっているようだった。
早速、A班と鷺沼が出るE班の試合が始まった。隣のコートではC班とD班の試合が行われており、僕たちは次の試合まで待つことになった。その時、
「観覧席で一緒にさぎたちの試合見ない?」
と結城に誘われて試合を見ることになった。
鷺沼はバスケをしていてもやっぱりかっこいい。汗すら、宝石のように見える。
「さぎはさ、」
「う、うん」
「鵠沼が自分の手から離れてどこかに行っちゃうんじゃないかって、誰かに捕られちゃうんじゃないかって不安なんだよ。だから、最上のからかいですら真面目に受け取ってしまう。最上は本気じゃないのにね」
「そ、そうなんだ」
ん?誰かに捕られてしまう?どこかに行ってしまう?え?僕と鷺沼って付き合ってたっけ?恋人同士だったっけ?あれ?どういうことだ。確かに、恋愛対象として見てほしいとは言われた気がするけど、あれってからかってるだけだよな。鷺沼が僕のことを好きなんてありえない話だ。天地がひっくり返ってもない。ていうか、僕が鷺沼オタクだってこと鷺沼にばれてんのかな。それに、僕と鷺沼が交換日記していることって結城たちは知ってんのかな。どこまでが遊びでどこからが本気?本気とかってあるのか?全部演技だったりして。
とそんなことを考えていたら
「鵠沼?」
と結城に呼びかけられた。
「な、なんでもない。大丈夫」
全部演技かもしれないという疑問が出てきてしまったせいで話に集中できない。
「そう?」
と心配され背中を擦られた。なんだか心の中まで読まれた気がする。さすがお兄ちゃんだ。
「あ、あのさ、鷺沼はなんでそこまで心配するの?」
と聞くと
「それは。さぎはさ、根はめっちゃいい人なんだよ。お人好しで、気遣いもできて。でも、それが仇となったんだ。前はみんなに優しくて、困っている人がいたら手を貸すし、話を聞いて欲しそうなら耳を傾ける。恋人だから、友達だから、じゃなくて目の前の人を大事にしたい。それだけ。でも、その“当たり前”が、恋人にとっては当たり前じゃなかった。恋人はずっと不安だったんだと思う。人気者の鷺沼と付き合っているという事実が、嬉しい反面、怖くもあった。周りに人が集まる。笑顔を向ける。その笑顔が、自分だけのものじゃないことが、嫉妬心を育てたんだ。そのうち、恋人たちはさぎから離れていったんだ。さぎはきっと、最初は何が悪かったのか本気でわからなかったんだと思う。だって、優しくすることが悪いなんて、さぎの価値観には存在しないからでも、別れ際の恋人の涙を見て、ようやく気づいたんだ」
――自分の優しさは、誰かを救うこともあるけれど、誰かを傷つけることもあるんだ。
――優しさが、誰かの独占欲を刺激し、
――優しさが、誰かの不安を育て、
――優しさが、誰かを泣かせた。
「その瞬間、さぎの中で何かが静かに歪んだんだ。
それから、さぎは段々不愛想になっていった。けど、恋人にだけは優しくしたんだ。そうしたら、恋人は離れていかないかも、自分の優しさで悲しまないかもって。でも、そこまでして恋人に尽くすさぎに対して恋人は、さぎ自身を見ていなかったんだ。審査会議をするのだって、さぎという人気者と付き合っているというアドバンテージ欲しさで近づいて来る人を排除するためなんだ。みんな鷺沼琉生という人間を見ていないんだ。ステータスばかり見ている」
優しさが人を傷つける。なんて思ってもいなかっただろうに。僕も少なからず外見を見ていた。顔がかっこいいとか、背が高いとか。でも、それだけが鷺沼の魅力ではない。電車の時にはぐれないように手を握ってくれていたこととか、寒がる僕に飲み物を買ってきてくれたこととか、あの花のこととか。内面だけでも鷺沼の魅力は計り知れない。だからこそ僕は鷺沼の魅力には耐えかねているし、あんなものを僕に対してのみ解放されたら、供給過多できっと死んでしまう。
「でも、鷺沼自らが審査会議で承認してほしい人がいるって言ったときは驚いたけど」
「え、それって」
とゴクリと唾を飲んだ。
「そう、鵠沼だよ」
と結城が言った瞬間、身体中の血液がぶわっと湧き上がってくるのを感じた。全身の体温が上がり、頬と耳が赤みを増していくのが分かる。
その時、鷺沼がスリーポイントシュートを決めた、と同時に試合が終わり鷺沼率いるE班の逆転勝利で幕を閉じた。
試合を終えた鷺沼が僕たちに向かって走ってきた。
試合終わりの鷺沼はいつにも増して格段にかっこよかった。試合終わりの鷺沼と同じくらい顔を赤らめた僕を見て鷺沼が
「なんか、かわいくなった?」
と言ってきた。かわいいってなんだよ。でも、少し鷺沼の過去を知って鷺沼に優しくなれたような気がする。
「べ、別になんでもない」
と言うと
「なんでさっき謝ったの?」
と突然の謝罪の意味を聞いてきた。引きずっているのか、少し心配そうな顔をしている。
「僕が悪かったから、、鷺沼が僕と最上が近づくの嫌がってたのに。不快な思いにさせた」
きっと他の人が近づかないように縛るのは、優しさが人を傷つけたという罪悪感と自分を変えれば愛されるという自己犠牲、誰も本当の自分を見てくれないという孤独。離れないで本当の自分を見てほしいと思うほど、手放せなくなる。見捨てられたくないという必死の祈り。どうか離れないで傍にいてほしいという思い。
「うん。確かに嫌な思いはしてけど、謝らないで。鵠沼の傷つく顔の方が見たくない」
と鷺沼らしい答えだ。そんな過去があってもなお、大切な人を優先する鷺沼は、本当に優しい人なんだな。と思っていると、疑問が出てきた。あれ?待てよ。大切な人って、ぼ、僕、なのか?
「う、うん。わかった」
とモヤつきながらも返事をすると、
「疲れたから吸引させて」
と言ってきた。吸引ってなに?どーいうこと?と思っているとその場で強く抱きしめられて頸動脈めがけてすぅーと思いっきり深呼吸をしてきた。クラスのみんなが見てるのに、恥ずかしい。最近やたらとクラスの人の前で堂々とスキンシップをしてくる。まるで、俺のだって知らしめているみたいだ。
でも、ちょっと今回のは大胆だ。ていうか、なにこれ。なんかめっちゃくすぐったい。変な声でそう。それに、鷺沼は汗をかいているはずなのにめっちゃいい匂いする。それに、距離が近すぎるなんてもんじゃない。強く抱きしめられているせいでもう、お互いの細胞がくっついてしまいそうだ。抱きしめられているという事実に頭が追い付かず思考停止寸前。
「や、やめ、てよ。くす、ぐったい」
と言うと
「しゃべんないで。集中できない」
と言われ、されるがまま。
「暑いねー」
と試合を終えた最上が返ってきて、僕たちのことを見て
「熱いねー」
と言ってきた。上手い謎かけじゃねーんだよ。誰か、助けて。
すると、先生が
「次の試合はB班とF班だー整列しろー」
と言ってくれた。
良かった。これで離れられる。もうくすぐったくて気を失いそうだ。
「な、なあ、鷺沼。も、もう、行かないと」
というと
「行かなくていいよ。ずっとこのままがいい」
と珍しく駄々をこねた。鷺沼らしくない。なんだか素直でかわいい。でも、首元でしゃべられると息がかかって余計くすぐったい。
「ちょっと、ま、まって、はな、し」
もういい加減離してくれ。頼む。と願っていると
そんな様子に耐えかねた結城が
「おい、いい加減鵠沼を離せ」
と言いながら、鷺沼から僕を離そうとしたが、鷺沼の怪力で離れない。そのうち、抱きしめられている僕が潰れそうだ。
「いっ、痛い痛い、くるしっ」
と言うと
「鵠沼が痛がってるだろ。結城が離せよ」
と少し怒り気味で鷺沼が言う。
「いや、逆だろ。さぎが離せ」
これじゃあさっきの二の舞だ。
「鷺沼、お、願い、離して」
と優しくおねだりすると
「鵠沼がそう言うなら」
と名残惜しそうに離してくれた。
「鵠沼、ナイスアシスト」
と結城がサムズアップをして言った。
「ケガするなよ。頑張って」
と鷺沼に応援され
「うん!頑張る」
と結城たちと共に試合に出て行った。
その日は朝から雨が降っていて気温が低かった。外に出るのも億劫になるほどの寒さの中、ほぼ外みたいな体育館でベンチコートを着てぬくぬくしている先生に殺意を覚える体育の授業。僕たちはぺらっぺらの体操着をたかが二枚くらいしか着ていないんだぞ。こんな所業はあんまりだ。一刻も早く授業を始めたいが、まだ授業が始まるまで五分はある。五分前行動とかよく言うけど、今回ばかりは五分前行動が本当の意味で命取りだ。凍え死んでしまう。両腕を擦って僅かな摩擦で寒さを凌いでいたがもう限界だ。
「さ、寒すぎる」
と震えながら呟くと、どこからともなく現れた鷺沼が
「大丈夫?暖めてあげる」
と優しく後ろから抱きしめてくれた。
「えっ」
あ、暖めるってそーいう感じ?!なんか、背中擦るとかじゃなくて?直で直接温める感じなの?鷺沼の僕に対する距離感が全然分からない。こういう時どうすればいいんだろ。ていうか、クラスの中でこんな行動は今までしてこなかったのになんでいきなりこんなことするんだろ?審査会議で可決されたからか?鷺沼が何を考えているか分からない。どうすればいいのか分からず、棒立ちのまま鷺沼に抱きしめられていると、段々とクラスメイトがこちら異変に気付き始めた。え、なんかクラスのみんなというか特に女子からただならぬ殺気を感じる。怖すぎる。と思った矢先、その雰囲気を壊すように最上の声が飛んできた。
「さぎー!」
と元気いっぱいの声量で叫びながら手を振りこちらに向かって走ってくる。彼には、寒さという概念がないのか。
その後ろで結城が全速力で追いかけている。
そのうち最上に追いついた結城が
「うるせーんだよ。黙れ。あと、邪魔になるだろうが!」
と言って最上のこちらに対する攻撃を止めていた。
「邪魔ってなーに」
と最上は意味が分かっていないようだった。
なんだこの絵面は。コントか何かか?と思っていると不意に後ろから声がした。
「賑やかですね鷺沼さん」
と完全に後ろで気配を殺していた森丘が口を開いた。
「お前も邪魔なんだよ」
と息切れするほど疲弊した結城が森丘を攫って
「お前らほんとに邪魔。人の気持ちとか考えろよ」
と、最上と森丘に説教をしていた。
鷺沼は最上たちの話など聞こえていないかのように無反応で顔を僕の肩に押し付けて、寒いね。と呟いた。うん。と言葉を返すと満足そうに少し笑った。
一方その頃、こんなほのぼのしている僕たちの後ろでは乱闘が起こっていた。
振り返ると、
「俺もさぎたちにくっついて暖まりたい」
と駄々をこねる最上を必死に止めようとする結城、それにひっそりと加わる森丘。
結城が不憫でならない。
その時、ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
「授業始めるぞー」
と先生が言うと、クラスのみんなが、寒い―、やだー、動きたくない―と先生に対して野次を飛ばしていた。
先生は
「動けば暖まる」
の一点張りで授業を進めていった。
「準備体操をするから、二人一組になれー」
と先生が言った瞬間、鷺沼が僕の手を握って
「一緒に組も」
と言ってきた。まるで誰にも僕の相手をさせないような感じだ。
「う、うん」
と驚きながらも返事をした。二人組を組むときに困らないなんてことは初めてだ。ぼっちにとって二人組を作ることは拷問に近い。そのため、いつもぼっちでいる地味な僕に率先して組もうとするやつなんていない。あまりもの同士か、先生と組むのが関の山だ。そんな僕に組んでくれと言ってきたのは鷺沼が初めてだった。鷺沼と一緒に準備体操なんてこんなことがあっていいのか。と思っていると、その後ろで三人で組む例外を認められた最上たちがなにやら不満そうな声を上げていた。
「三人でどーやって柔軟するんだよー」
「そうですね。どうしましょう」
と悩んでいた。そうだよな。今まで、一軍は四人でちょうどよかったのに僕が鷺沼なんかと組んでしまったせいで三人になっちゃったし、他の人と組むといっても一軍に自ら入ろうとするやつなんかいない。
その時、
「うるせーなお前ら。まとめてしばいてやる」
「怖すぎ」 「怖すぎます」
と苛立ちを隠せなくなった結城が折れるまで殺ると意気込んでいた。
そのことに心配して見ていると鷺沼が
「あー見えて結城は三兄弟のお兄ちゃんだから大丈夫だよ」
と優しく言った。前から思っていたけれど鷺沼って最上たちに対する当たり強くない?口調も強いし、表情も硬い。それに対して僕には優しく言葉を発したり、柔らかく笑いかけてくれる。僕にだけ特別対応なんかしなくていいのに。いや、そんなことする必要もない。僕に対しては遊びなんだから。きっとこの関係を楽しんでいるだけだ。でもなんか、モヤモヤする。
モヤついている僕をよそに
「さ、柔軟しよ」
と手を優しくを引いてくれた。
柔軟なんてまともにしたことがない。今までの準備体操では相手も自分も気遣って軽く手を置く程度だった。友達のいない僕としては他人の距離感も加減も分からない。だが、今回は友達と呼ぶにはおこがましいが、知り合い程度にはなった鷺沼が相手だ。どんな感じか分からない。そう思いながらガッチガチに硬い足を開いた。十度ぐらいしか開かない足を見た鷺沼が
「もしかして、柔軟苦手?」
と心配そうに言った。
「に、苦手というか、できない、です」
と大して開いてもいない開脚を維持しながら言った。
「じゃあ、頑張らないとね」
と鷺沼がそう言った瞬間―
思いっきり僕の背中を押した。
「いっ、」
一気に太ももの内側の筋肉が伸びていく。その代償に、鈍い痛みがじわじわ広がっていく。あ、これやばい。死ぬ!
「まっ、て、し、しぬ、から」
と涙目で懇願したが、あともうちょっと。と背中を押すのをやめてくれない。しまいには全体重をかけてくる始末だ。さっきまでの優しさはどこに行ったのやら。さっきまでとのギャップすごい。まるで別人みたいだ。
その時、後ろの方で最上の断末魔が聞こえてきた。
「ゔわーー!さ、裂ける、し、死ぬわ。マジでーーー」
「はっはー!いいストレス発散だな!」
と結城が最上の背中を片足で押さえながらすがすがしい様子で言った。
すると、こっちの様子に気づいたのか
「さぎーあんまり痛めつけんなよー」
と結城がこっちに声掛けをしてくれた。
そのおかげで
「はい、もう終わり」
とやっと解放してくれた。結城にはマジで感謝だ。
やっと解放されて一息ついていると鷺沼が
「涙出てるよ。大丈夫?」
と顔を覗き込んできた。誰のせいだと思っているんだ、このイケメンが。
「マジ、死ぬかと思った」
と涙ぐみながら言うと、
「ケガすると悪いから」
と満面の笑みで言った。そういう鷺沼は狂気そのものだった。ケガすると悪いっていうけど、もうこの柔軟でケガしそうなんですけど⁈
すると、結城がこっちまで走ってきて
「さぎ、鵠沼のこといじめてたでしょ」
と鷺沼に説教をした。
「鵠沼は俺たちと違ってか弱いんだから優しくしないとだろ。お前はりんごを片手で潰せるくらい力強いんだから。鵠沼に触れる時は気をつけろよ」
か、か弱いって言っても、一応男だから女の子よりは丈夫だと思うんだけど。ていうか、りんごを片手でってマジな話なの?
と思いながら聞いていると、
「うるせー。嫌がっているのがいいんじゃん。それに、鵠沼に触れる時は気を付けてるから」
という鷺沼。もしかして涙目になった僕のことかわいがっているつもりだったのか。
でも、確かに手とか頭とかに触れる時は壊れそうなほど優しく触れるのはそういうことかと少し腑に落ちた。
「だめだ、こいつ」
と説教をあきらめたかと思ったら、僕の方を向いて
「こいつ、ドS人間なんだ勘弁っ☆」
とピースサインを作って言ってきた。か、勘弁☆って言ってもこれはドSってだけじゃ済まないだろ。優しさとドSのギャップが強すぎる。なんか怖いんですけど。なんなんだこれ。なんなんだこの人たち。いまいち、一軍の雰囲気についていけてない。
その時、
「はーい一回目の柔軟終わり―。次は違うやつと組めー」
と先生が言った。
柔軟は全部で二回あって一回目とは違う人と組むことになっている。なんでもクラスのみんなと仲良くなってもらいたいという先生の意思だ。ただでさえぼっちの僕は二人組を作るという名の拷問に耐えかねているというのに。鷺沼以外にはもう僕と組みたいやつなんていないだろうし。それに、一度でも鷺沼のような一軍と組んだという事実が普通の生徒を寄せつけない。先生と組むしかないと思っていると
「くーげーぬーまーくーん」
と結城の地獄の柔軟から抜け出した最上が話しかけてきた。怯える僕の肩を組みながら
「一緒に組もー」
と言ってきた。最上と話すのは審査会議以来だ。どんな人なのか分からないし、なんか、毎回肩を組まれているような気がして距離感が分からない。
「う、うん。一緒にしよ」
と言うと
「やったー。鵠沼くんとさ、お話してみたかったんだよねー」
とにっこり笑って言った。その隙のない笑顔が逆に怖い。
その時、次は結城と組んだ鷺沼が近づいてきて
「俺のだから触るな」
と冷たい目で言ってきた。やっぱり最上たちには当たりが強い。
「しょうがないじゃん。柔軟の時だけだから、ね」
と最上が苛立っている鷺沼をなだめた。
「必要最低限だからな。それ以上触るなよ」
と釘を刺した。
「はいはい。わかりましたよー」
とだるそうに最上が言うと
「あ、あと鵠沼さ、最上の時の方が俺より七文字多く喋ってた。このうんこのことは相手にしなくていいから」
と鷺沼が僕にまで釘を刺した。なんで、僕にまでこんなこというんだろ。僕が他の人と交流しているのがそんなに気に食わないのか。まるで、恋人の嫉妬みたいだ、とふと頭を過ぎったが、そんなことはありえないことと分かりきっている。こんなことはもうこれ以上考えるのをやめよう。苦しくなるだけだ。
「じゃあ、背中押してー」
と柔軟を始めた最上が言った。さっきの結城のしごきでもうやりたくないと言い出すのかと思っていたけれど自分から率先して柔軟をしていた。
「こ、こうかな?」
と探り探り背中を押す。力加減が全然分からない。そもそも最上は柔軟が得意なのか?それによっても加減は変わる。
「最上は柔軟、得意なの?」
と聞くと
「まあ、空手やってたからそこそこは」
と言った。空手か。最上は空手の質実剛健な感じからはかけ離れた感じの人間なのに。人は見た目じゃないなと思っていると、最上が僕の腕を引いた。
「えっ」
と思わず声が出た。そのまま開脚をしている最上に僕が覆いかぶさるようになり顔と顔の距離がほんの五センチくらいになった。
「な、なに」
「なんか、さぎがずっとこっち見てるから嫌がらせしようと思って」
と最上が言った瞬間―
「わあっ」
僕は一瞬で最上から引きはがされた。
「おい、うんこ。何してくれてんの。鵠沼が汚れるだろ」
そういう鷺沼の目は血走っていた。この状態の鷺沼は怖すぎる。結城も分かっているのか仲裁すらためらっていた。
「汚れるってひどくない?さぎくーん」
とへらへらしている最上。
「あのな、」
と鷺沼が言いかけたところで、
「ごめん。僕が悪かったから」
と勢いよく謝った。
「「え」」
と最上と鷺沼が頭上に?を浮かべて言った。
「ごめん」
と謝る僕に対して鷺沼が
「なんで、鵠沼が謝るの」
と優しく聞いてきた。さっきまでの鷺沼とは別人のようだ。
「えっと、その、」
と謝ったはいいものの言葉に詰まっていると
「はーい。みんな落ち着いて、ね。準備体操終わり!今日の授業バスケだってさ」
と結城がまとめてくれた。
「点呼とるぞー並べ―」
との先生の声でこの話は終わった。
だが、僕たちはまだこの話を引きずりながら背の順で並んだ。
バスケのチーム分けは先生が体育の成績を加味して決めた。
僕は結城と森丘と一緒のB班、鷺沼と最上は共にE班になった。
「よろしくな」 「よろしくお願いします」
と結城と森丘から挨拶され、
「よ、よろしく」
といたたまれない気持ちで答えた。
一方の鷺沼と最上はというと、全く言葉を交わさず同じチームの人たちによってやっと形になっているようだった。
早速、A班と鷺沼が出るE班の試合が始まった。隣のコートではC班とD班の試合が行われており、僕たちは次の試合まで待つことになった。その時、
「観覧席で一緒にさぎたちの試合見ない?」
と結城に誘われて試合を見ることになった。
鷺沼はバスケをしていてもやっぱりかっこいい。汗すら、宝石のように見える。
「さぎはさ、」
「う、うん」
「鵠沼が自分の手から離れてどこかに行っちゃうんじゃないかって、誰かに捕られちゃうんじゃないかって不安なんだよ。だから、最上のからかいですら真面目に受け取ってしまう。最上は本気じゃないのにね」
「そ、そうなんだ」
ん?誰かに捕られてしまう?どこかに行ってしまう?え?僕と鷺沼って付き合ってたっけ?恋人同士だったっけ?あれ?どういうことだ。確かに、恋愛対象として見てほしいとは言われた気がするけど、あれってからかってるだけだよな。鷺沼が僕のことを好きなんてありえない話だ。天地がひっくり返ってもない。ていうか、僕が鷺沼オタクだってこと鷺沼にばれてんのかな。それに、僕と鷺沼が交換日記していることって結城たちは知ってんのかな。どこまでが遊びでどこからが本気?本気とかってあるのか?全部演技だったりして。
とそんなことを考えていたら
「鵠沼?」
と結城に呼びかけられた。
「な、なんでもない。大丈夫」
全部演技かもしれないという疑問が出てきてしまったせいで話に集中できない。
「そう?」
と心配され背中を擦られた。なんだか心の中まで読まれた気がする。さすがお兄ちゃんだ。
「あ、あのさ、鷺沼はなんでそこまで心配するの?」
と聞くと
「それは。さぎはさ、根はめっちゃいい人なんだよ。お人好しで、気遣いもできて。でも、それが仇となったんだ。前はみんなに優しくて、困っている人がいたら手を貸すし、話を聞いて欲しそうなら耳を傾ける。恋人だから、友達だから、じゃなくて目の前の人を大事にしたい。それだけ。でも、その“当たり前”が、恋人にとっては当たり前じゃなかった。恋人はずっと不安だったんだと思う。人気者の鷺沼と付き合っているという事実が、嬉しい反面、怖くもあった。周りに人が集まる。笑顔を向ける。その笑顔が、自分だけのものじゃないことが、嫉妬心を育てたんだ。そのうち、恋人たちはさぎから離れていったんだ。さぎはきっと、最初は何が悪かったのか本気でわからなかったんだと思う。だって、優しくすることが悪いなんて、さぎの価値観には存在しないからでも、別れ際の恋人の涙を見て、ようやく気づいたんだ」
――自分の優しさは、誰かを救うこともあるけれど、誰かを傷つけることもあるんだ。
――優しさが、誰かの独占欲を刺激し、
――優しさが、誰かの不安を育て、
――優しさが、誰かを泣かせた。
「その瞬間、さぎの中で何かが静かに歪んだんだ。
それから、さぎは段々不愛想になっていった。けど、恋人にだけは優しくしたんだ。そうしたら、恋人は離れていかないかも、自分の優しさで悲しまないかもって。でも、そこまでして恋人に尽くすさぎに対して恋人は、さぎ自身を見ていなかったんだ。審査会議をするのだって、さぎという人気者と付き合っているというアドバンテージ欲しさで近づいて来る人を排除するためなんだ。みんな鷺沼琉生という人間を見ていないんだ。ステータスばかり見ている」
優しさが人を傷つける。なんて思ってもいなかっただろうに。僕も少なからず外見を見ていた。顔がかっこいいとか、背が高いとか。でも、それだけが鷺沼の魅力ではない。電車の時にはぐれないように手を握ってくれていたこととか、寒がる僕に飲み物を買ってきてくれたこととか、あの花のこととか。内面だけでも鷺沼の魅力は計り知れない。だからこそ僕は鷺沼の魅力には耐えかねているし、あんなものを僕に対してのみ解放されたら、供給過多できっと死んでしまう。
「でも、鷺沼自らが審査会議で承認してほしい人がいるって言ったときは驚いたけど」
「え、それって」
とゴクリと唾を飲んだ。
「そう、鵠沼だよ」
と結城が言った瞬間、身体中の血液がぶわっと湧き上がってくるのを感じた。全身の体温が上がり、頬と耳が赤みを増していくのが分かる。
その時、鷺沼がスリーポイントシュートを決めた、と同時に試合が終わり鷺沼率いるE班の逆転勝利で幕を閉じた。
試合を終えた鷺沼が僕たちに向かって走ってきた。
試合終わりの鷺沼はいつにも増して格段にかっこよかった。試合終わりの鷺沼と同じくらい顔を赤らめた僕を見て鷺沼が
「なんか、かわいくなった?」
と言ってきた。かわいいってなんだよ。でも、少し鷺沼の過去を知って鷺沼に優しくなれたような気がする。
「べ、別になんでもない」
と言うと
「なんでさっき謝ったの?」
と突然の謝罪の意味を聞いてきた。引きずっているのか、少し心配そうな顔をしている。
「僕が悪かったから、、鷺沼が僕と最上が近づくの嫌がってたのに。不快な思いにさせた」
きっと他の人が近づかないように縛るのは、優しさが人を傷つけたという罪悪感と自分を変えれば愛されるという自己犠牲、誰も本当の自分を見てくれないという孤独。離れないで本当の自分を見てほしいと思うほど、手放せなくなる。見捨てられたくないという必死の祈り。どうか離れないで傍にいてほしいという思い。
「うん。確かに嫌な思いはしてけど、謝らないで。鵠沼の傷つく顔の方が見たくない」
と鷺沼らしい答えだ。そんな過去があってもなお、大切な人を優先する鷺沼は、本当に優しい人なんだな。と思っていると、疑問が出てきた。あれ?待てよ。大切な人って、ぼ、僕、なのか?
「う、うん。わかった」
とモヤつきながらも返事をすると、
「疲れたから吸引させて」
と言ってきた。吸引ってなに?どーいうこと?と思っているとその場で強く抱きしめられて頸動脈めがけてすぅーと思いっきり深呼吸をしてきた。クラスのみんなが見てるのに、恥ずかしい。最近やたらとクラスの人の前で堂々とスキンシップをしてくる。まるで、俺のだって知らしめているみたいだ。
でも、ちょっと今回のは大胆だ。ていうか、なにこれ。なんかめっちゃくすぐったい。変な声でそう。それに、鷺沼は汗をかいているはずなのにめっちゃいい匂いする。それに、距離が近すぎるなんてもんじゃない。強く抱きしめられているせいでもう、お互いの細胞がくっついてしまいそうだ。抱きしめられているという事実に頭が追い付かず思考停止寸前。
「や、やめ、てよ。くす、ぐったい」
と言うと
「しゃべんないで。集中できない」
と言われ、されるがまま。
「暑いねー」
と試合を終えた最上が返ってきて、僕たちのことを見て
「熱いねー」
と言ってきた。上手い謎かけじゃねーんだよ。誰か、助けて。
すると、先生が
「次の試合はB班とF班だー整列しろー」
と言ってくれた。
良かった。これで離れられる。もうくすぐったくて気を失いそうだ。
「な、なあ、鷺沼。も、もう、行かないと」
というと
「行かなくていいよ。ずっとこのままがいい」
と珍しく駄々をこねた。鷺沼らしくない。なんだか素直でかわいい。でも、首元でしゃべられると息がかかって余計くすぐったい。
「ちょっと、ま、まって、はな、し」
もういい加減離してくれ。頼む。と願っていると
そんな様子に耐えかねた結城が
「おい、いい加減鵠沼を離せ」
と言いながら、鷺沼から僕を離そうとしたが、鷺沼の怪力で離れない。そのうち、抱きしめられている僕が潰れそうだ。
「いっ、痛い痛い、くるしっ」
と言うと
「鵠沼が痛がってるだろ。結城が離せよ」
と少し怒り気味で鷺沼が言う。
「いや、逆だろ。さぎが離せ」
これじゃあさっきの二の舞だ。
「鷺沼、お、願い、離して」
と優しくおねだりすると
「鵠沼がそう言うなら」
と名残惜しそうに離してくれた。
「鵠沼、ナイスアシスト」
と結城がサムズアップをして言った。
「ケガするなよ。頑張って」
と鷺沼に応援され
「うん!頑張る」
と結城たちと共に試合に出て行った。
