君の魅力にたえられない!

新しいクラスでの団結力が確かめられた夏の恒例行事である体育祭も終わり、金木犀の香りが街角を包む二年の秋。
翠陽高校では、外国語学習に力を入れており、英語の課題はほぼ毎日提出、返却される。
学校は指定したメーカーの英語課題専用ノートを使用することを推奨しており、みんなお揃いのノートを使っているのだ。
そのため、誤返却は日常茶飯事だった。
特に席も前後で、苗字も似ている鷺沼とはよく間違われていた。
間違えてノートを持ち帰ってしまったあの日は、いつもは学校で気づくはずが家に帰ってノートを開くまでは気がつかなかった。
【鵠沼のねぐせかわいい】という十文字の言葉を見るまでは―
恐る恐るノートの表紙に書いてあるだろう名前を確認するとクラスの一軍男子でビジュ爆発の鷺沼琉生《さぎぬまりゅうせい》の文字が書かれていた。
鷺沼の私物のノートを盗み見るなど言語道断だが、これは事故に近い。うん。事故だ。と自分に言い聞かせた。
だが、ビジュだけではなく学力まで良い鷺沼の勉強法が知りたくなった。
名前を見てしまった以上、鷺沼のノートと知っていて勉強法を盗むなど犯罪に近い。
だが、そうしたら、万年英語赤点を脱却できる突破口が掴めるかもしれないと思った。
そんな浅はかな考えは、僕の良心によって砕け散った。
犯罪に近いとかいう前に人様のノートを間違って持って帰ってしまったのは、百歩譲って事故として処理してもいい。
だが、人様のノートと分かったうえで盗み見るのは普通に犯罪だ。
ましては、学年一位のノートを。
よし、明日返して謝ろう。



「あ、あの。英語のノート、間違えて持って帰ってしまって。い、家に帰るまで気づかなくて。ごめんなさい」

おこがましい。僕は、今こうしてクラスのアイドルを独り占めしてしまっている。
世間話で賑わうクラスで地味な僕が、クラスの一軍男子である鷺沼に話しかけてしまったら間違いなく僕の首が宙に舞う。
それは避けなければと、次の日の昼休みに鷺沼に置手紙を使って空き教室に呼び出したのだ。

それはそうと、謝罪してから沈黙が続いている。
怒る原因はいくらだってある。
ノートの取り違いを学校で気づかなかったのかとか。
ノートが返ってこないせいで課題が提出できなかったとか。
わざわざ呼び出されて友達との話を遮られたとか。
今こうしている間にも鷺沼の時間を刻一刻と奪っている。
どうしよう。殺されるかも。まあ、でも鷺沼のようなビジュ爆発イケメンに殺されるなら本望かな。と思考を巡らせていた時、鷺沼が口を開いた。

「ありがとう。わざわざ返しに来てくれたんだ。しょうがないよ。だって“さぎ”ぬまと“くげ”ぬまだからねー。間違えるのも無理ないよ」

そう言って、僕の頭を優しくなでながら目線を合わせるため少しかがんで柔らかく微笑んだ。

息が詰まりそうだった。こんな至近距離でご尊顔を拝めるなんて。今日死んでもいい。

「どうした?なんかいいことでもあった?そんな幸せそうな顔してさ。謝る時なんか今にも死にそうな顔してたのに」

「へ?」

思わず声が裏返った。やばい。今日死んでもいいという気持ちが顔に出ていたのか。
これじゃあ隠れオタク失格だ。

「あれ?今度は元気がなくなった。しゅんってなった」

「あ、」

やばいやばい。隠れオタク失格という気持ちが顔に出た。
冷静になれ。これ以上なにかを考えるな。

「面白いね。鵠沼って。表情がころころ変わって、見てて飽きないな」

なんかすごいこと言われてる気がするけど、顔に出てしまうからなにも考えられない。
あ、そうだ。話題を変えよう。

「あ、あのさ。さっき、な、なんで“わざわざ”返してくれてなんて言ったの?」

「あー。それは、、、」

そう言うと鷺沼は後頭部を搔きながら、浮かない顔をした。

やばい。鷺沼さん言葉に詰まっちゃったよ。
地雷踏んだかもしれない。早く撤回しないと。

「いや、あ、あの」

と言いかけたとき、鷺沼が沈黙を破った。

「そんなこの世の終わりみたいな顔するなよ。大丈夫全然大したことないよ」

そう言いながら僕の眉間にできた皺を伸ばすみたいに優しく擦った。

「んーなんかよくなくなるんだよねー。噂によると、俺の勉強法が知りたいとかなんとか。勉強法とか人それぞれ自分に合ったのを見つけるしかないのにさ。俺の真似したって成績よくなるわけじゃないのに」

めっちゃいいこというじゃん鷺沼さん!って思った矢先。ん?いや、待てよ。これもしかして、苗字が似ていることをいいことに僕が学年一位の勉強法知りたいからノート盗んだことになってる感じ?やばい、確かに勉強法知りたくて鷺沼のノートだと分かって中身を見てしまったのは心から反省してるし、切腹できる覚悟もあるっちゃある。けど、もとはと言えば、本当に苗字が似てて間違って持って帰ってしまった訳で。
今すぐ弁解しないと!

「あ、いや、僕は、自分のノートだともう本当にマジで心から信じ切って持って帰っちゃって。あ、あの、勉強法を盗もうとかじゃなくて」

あ、でもこれだと余計怪しい、か。
あーもうなんで持って帰っちゃったんだよ。
なんとかしてもともとあるのかもわからない信頼を取り戻さないと。信頼回復に躍起になっているうちに無意識のうちに頭を抱えていた。
その時、鷺沼は僕よりも大きな手で僕の手を包み込んだ。

「大丈夫。鵠沼はそんなことする奴じゃないって信じてるから。ちゃんと分かってるよ」

「あっ、」

あ、あぶねっー。息、できなかった。なんでこんなに神対応なんだよ。しかも、たったの十五分でこれは密度が濃すぎる。
とにかく、よくわかんないけどノート返せてよかったってことで。
撤退!

「あ、じゃ、じゃあもう行くね」

これ以上キラッキラ鷺沼を僕の眼球に焼き付けると燃え尽きてなくなるし、これ以上会話を続けるとなると息が持たない。
早急に撤退しようと体の向きを変え歩き始めたとき、鷺沼に後ろから腕を掴まれた。

「わあ、」

え、え?まって。ほんとに待って。眼球も息も、もう我慢の限界だから、今すぐ腕を引きちぎって教室を出たいけどそんなことできないのなんて7億年ぐらい前から分かりきっているし、あのビジュ爆発イケメン鷺沼琉生に腕を掴まれている現状を理解しきれていない。頭がショートしそうだ。早く、一刻も早くここから立ち去りたい。
鷺沼には悪いけど。と心の中で謝り、腕を振り払おうとした時、鷺沼があの質問を僕に投げかけた。

「あのさ、鵠沼ってノートの中身見た?ていうか、ノート開いた?」

あ、終わった。聞かれてしまった。あの質問を。聞かれたからには答えるしかない。鷺沼には嘘をつきたくない。正直な人間でいたい。見てしまったことを伝えたら僕のことを嫌うに決まっている。人様のノートを勝手に見るなど許されない行為だ。クラスの一軍男子に嫌われたらもうこのクラスでは生きていけない。じゃもう死ぬしかない。お母さん僕を産んでくれてありがとう。短い人生だったけど楽しかったよ。

「し、死にます」

「え、だいじょ、ん?」

やばい。焦らせちゃったよ。そりゃ、質問しただけの相手に死にますとか言われたら焦るよな。
怖くて後ろ振り返れないよ。どんな顔してるんだろ。傷つくのは僕だけでいいのに。
もうこの際、嫌われてもいい。本当のことを伝えて転校しよう。お母さん。急にごめんね。転校します。

「えっと、ほ」

本当は見たよ。と言おうとしたとき、僕の言葉に重ねて鷺沼が言った。

「ごめん。追い詰めるつもりはなくて、ただ、見たかどうかだけを知りたいんだけど…。顔を見て話がしたいな」

え―

顔を見て話がしたいって。もう無理だよ。眼球燃え尽きそうだもん。でも、話はしっかり相手の顔を見てしないとって小学校の時のハゲ校長が言ってたし、失礼だよな人として。

僕は恐る恐る振り返った。

「ご、ごめん。本当は見ちゃったんだ」

返答が怖すぎる。目が合わせられない。勝手に目が泳いでしまう。

「見たんだ。それって、どっち?」

と少し笑みと照れを含ませたご尊顔で言われた。

「へ?えっと、」

ど、どっち?どっちってなんだ。勉強法のこと一択じゃないのか?まだ見てはいけないものがあったのか?
僕は思考を昨日のノートを広げた時間に飛ばし、己の過ちを顧みる。
えーっと。あ!そうだ。間違えて持って帰ったことを知らずにノートを開いて、あれだ。
【鵠沼のねぐせかわいい】の十文字のことか。
えっと。それって見ちゃったよな。完全に。だって、覚えてるし。
え、でも、あれはなんか、いじめの類のものじゃないのか?
照れる必要なんかないのに。

「えっと、見ちゃいました。でも、あれってあれだよな。からかってる、っていうか。あれだ。冗談、だよな!僕、鷺沼の前の席だから嫌でも汚いねぐせが視界に入っちゃうんだよな。ごめん。今度から気を付けるよ」

よし。言えた。これで最後だ。転校の手続きしないとな。と思いながら今度こそはと振り返って歩き始めたら後ろで声がした。

「待って」

無理です。いくら鷺沼様からの願いであっても無理すぎです。いくらイケボでも無理です。僕はノートを見てしまった自分が許せません。

その時、鷺沼によって僕の視界がふさがれ、聞いたことのない低い声で耳元にこう言われた。

「冗談なんかじゃない」

えっ―

ジョウダンナンカジャナイ。


「あ、あれ。大丈夫?」

視界が戻り、そう言う鷺沼の声で現実に戻った。
時が止まったなんてもんじゃない。一回死んで転生してきたのかと勘違いしたほどだ。

「え、あ、ん?」

混乱する僕をよそに鷺沼は僕を向き直らせた。

「そうやってころころ表情変わるところもかわいいな」

「え?」

「いつも後ろの席から見ているねぐせも、配られたプリントを俺に回すときのぎこちない動作も、全部」

い、意味が分からない。何を言っていいるんだ。

混乱している僕の脳内にえぐり込むような声で廊下から鷺沼を呼ぶ声がした。

「さぎー!どこにいるんだー。出てこーい。くっそ。逃げたな、あいつ」

鷺沼が呼ばれてる。
呼び出しがばれる!これは、早く逃げた方がいいな。
今度こそはと、3度目の正直で教室を出ていこうとした時、こっち来て。と鷺沼に腕を引かれるまま一緒に空きロッカーに入り込んだ。

な、に―

言葉を発する前に僕の口は鷺沼の大きな手のひらによって塞がれた。

「しー」

は、はあ?嬉しさを超えて怒りがこみあげてくる。
腕だけじゃなく、顔にまで触れられて卒倒しそうだ。
ギリギリで意識を保ち、暗いロッカーの中で隙間から漏れ出る光を浴びている鷺沼の表情を確認する。
なんでこんなことしたんだろ?
そんな気持ちを表情で汲んだのか鷺沼が小声で言った。

「1年の女子の呼び出しから逃げてたんだった」

呼び出し⁈
たぶん、ていうか確実に告白だよな。

「あ、ごめん。苦しかったよな」

「あ、いや、全然大丈夫」

口を塞いでいた手のひらが顔から剥がされ、一息ついた。

こんなに鷺沼とくっついていいのか。

「他に呼び出しがあったなら、僕のことなんて無視してもいいのに」

ぼそっと呟くと、鷺沼は自信いっぱいにこう言った。

「え?無視なんてできないよ。1年の女子より鵠沼の方が大切」

かわいい女子より僕の方が大切?
何言ってんだ?え、え、マジで意味が分からない。
え、夢?

「あ、行ったみたい。ごめんな、急に押し込んで」

鷺沼はそう言いながら、ロッカーの扉を開けた。

「だ、大丈夫」

なんだこれ。なんだこの状況。どうなっているんだ?

ショートしかかっている僕の脳みそはこの状況にも鷺沼から発せられる言葉にもたえられなかった。
その時、鷺沼がしゃがみ込み、緊張で震える僕の手を取ってこう言った。

「あのさ、鵠沼のこともっと知りたいから、交換日記始めない?」

「っえ、」

そんな、ことってある?
こんなこと夢にも思わない、願ってもないことだ。
あの鷺沼と交換日記なんて!

言葉という暴力を駆使して攻撃を仕掛けてくる鷺沼の魅力に僕はたえられるのか⁈