この夜を終わらせるまで

「はい。シャケでいい?」
「ん、……さんきゅ」
 昨日花火を全部使い切った俺たちは、蔵に帰った後即行で眠りについた。今まで張っていた糸のようなものがプツンと切れて、次に目を覚ました時にはもう朝の八時。  
 俺が起きた時、誠はすでに目を覚ましていた。俺が「はよう」と声をかけると、誠は「……おはよう」と俺の目を見てぎこちなく返事を返した。
 昨日一日食事をまともに摂っていなかった腹は、とうに限界を迎えている。このままじゃ、今日一日過ごすことはできない。
 ランタンに灯りをつけて、持ってきていたおにぎりを誠と一つずつ手に持つ。俺は大きく口を開けて一口目をかぶりついた。
 蔵窓から見つめる外は、相変わらず夜か朝だかわからない。サーっと吹き抜ける風は、木々の葉を大きく揺らしざわめいている。
「今日は何するんだ?」
「え、」
「茂が行くなら俺も行くからな」
 誠は最後の一口を口に詰め込むと、ビニールの包みをくしゃりと握る。程なくして俺もおにぎりを一粒残さず食べ終えた。すると、ふとリュックの隙間から覗いているものを見つけてハッとした。
「……そういや、まだ全部読んでない」
「何が?」
「昨日見つけたやつ」
 床に膝をついた俺はリュックを引き寄せチャックを開く。その中から取り出したのは、昨日やしろで見つけた書物と薄っぺらい紙が数枚。
「これが茂が言ってたやつ?」
「そう」
 書物を床に広げてパラパラとまだ開いていなかったページを次々とめくっていく。
「あれ──ない」
(ページが……)
 ここだけ、不自然に破かれた跡がある。
「なんでここ破かれてんだ?」
「……知らない」
 他のページも全部めくって見てみるが、破れているのはここの一枚だけ。それに加えて、隣のページは握りしめたかのように紙がくしゃりと歪んでいる。
「誰かが破ったとか?」
「そうかも」
 握りしめた後といい、誰かが意図的に破ったとしか思えない。
「でも、誰が……」
 床に散らばっている紙にも目を通すが、それといった共通点は儀式のこと以外にない。しかも、その儀式の内容全てが過去の記録ばかり。
 失敗した例も、中断した例もない。成功の記録だけが書き起こされている。
(そのページには何が書いてあったんだ?)
 俺は破れてギザギザになったページをそっと指でなぞった。
「なぁ、茂。指導者って誰だ?」
「指導者って、この儀式の?」
「そう」
 そう言われても、儀式に関わっていたのは村ぐるみの大人たち全員だ。その中での指導者は誰といっても、今パッと頭に浮かんでくるようなものじゃない。
 自分の過去を思い返しながら蔵窓から遠くを眺める。そこから流れる風は、俺の肌を掠って隣を吹き抜けた。
 気になる人がいる言えば挙げたらきりがない。
 屋台の人、田丸さんに坂口さん。どいつもこいつも引っかかる。
 坂口さんは儀式に直接携わっていたうちの一人だ。でも一昨日家に行った時、ちゃんと見てはないけど家の中自体はそこまで怪しいところはなかったはずだ。
 屋台の人や田丸さんに限っては、儀式を知っている大人の一人だったっけ。日常ではろくに関わったことがない。
(他、他といえば……)
 あの人だ。よく顔を合わせていた人といったら、村長がいる。
 村長といえば、いつも俺の体調を気にかけていた。毎朝家に来ては、俺の身体を細めた目でくまなく見る。
 俺が体調を崩した時なんかはすごかった。昼夜問わず付きっきりの看病。それに加えて、意識が朧げでよく覚えていないけど、枕元に手を合わせて何かをずっと呟いていたような。
 小さい頃からずっと居た。母さんの隣には村長。まるで俺の父親ポジションみたいに、当然のようにいるその人は、俺を監視するかのように行く先どこにでも付いてきた。
(さすがに中学に上がってからは一人で行かせてもらってたけど)
 そういえば、村長は俺と誠との関係をあまりよく思っていなかったみたいだった。誠と遊びに行ったときなんか、「あの子と関わるのはやめなさい」と小言を言われるほどに。
 でも俺は誠と一緒に過ごすのをやめようとは、微塵も思わなかった。むしろ、そんなことを言う村長に、初めて嫌悪感を抱いた。
「──村長」
「村長って、……寺田さん?」
 いつも何か行事がある時は村長──寺田さんが主催にやっていた。
 そういえばそうだった。
("お代は結構です")
 財布を忘れたとき、屋台で言われたその言葉。これは村長からの指示だと言っていたことを思い出す。
「村長だ。多分、いや間違いない」
「村長、ね」
 そう呟く誠は、ハッと何か閃いたような顔をしてニヤリと口角を上げて口を開いた。
「ん。じゃあ行ってみるか。村長ん家」
「は、なんで」
 誠は床に広げてあった書物をパタリと閉じると、他の紙も一緒に積み重ねる。
「村長がこの儀式の頭なんだろ?村長の家に行けばなんか分かるかもしれないし」
「……名案」
「だろ」
 誠の言う通り、村長の家に行けば何か手がかりが掴めるかもしれない。
(そういえば俺、今まで一回も村長の家に行ったことない)
 積み上がった書物たちを誠から受け取る。俺はそれをリュックの中へ戻すと、しっかりチャックを閉めた。
「村長の家って、誠どこにあるか知ってんの?」
「前に町内会で親に付いてったことあるから分かる……はず」
「はずって」
 心許ない返事に若干の不安を覚えるが、誠を信じて一か八かで当たってみるしかない。
 荷物を入れたリュックを背負った俺は、手元の近くにあったランタンに手をかけた。
「誠は、もう平気?」
 俺の声かけに、誠の指がぴくりと動く。誠は自分の拳を握りしめて、平気だと言わんばかりの笑みをつくった。
「大丈夫だって。それよりも、早く村長ん家行こう」
 そう言って誠はその場に勢いよく立つ。俺は、ランタンの灯りを落として床にそっと戻した。
「誠」
「なに?」
「次は勝手に居なくならないでよね」
 その言葉に誠は一瞬目を大きくすると、
「当たり前だろ」
 と言って俺の手を引いた。
(冷たい)
 手のひらから伝わってくる誠の肌はひんやりとしていて、それでいてすこし震えている気がする。
 誠より一歩前に出て、手を強く握り返す。今度は俺から誠の手を前へ引いた。
「ほら、行くよ。元に戻しにいこう。全部」
 重い引き戸に手をかけると、軋み音を立てながら扉がゆっくりと開いていった。
 俺と誠の間を吹き抜ける風は、変わらずぬるい。でも前と一つ違うとすれば、それは鉛色の雲の隙間から月光が覗いていること。
 時計では朝だといっているのに、今空を見渡す限りこれは夜だと錯覚してしまう。
「なぁ茂。今って、朝なんだよな」
「……どうなんだろ」
 ずっと時計が示してしている針の先を信じていた。でも今目の前に広がる情報が、その自信を否定する。
 今は夜だ、と。
「わからない。今、どっちなんだ?」
 隙間から溢れる月の光は、辺りを淡く黄色に染めている。俺はそんな雲の先を見つめながら、バクバクと脈打ち出した胸に拳を置いた。
「……げ、る──茂!!」
「は、え。なに?」
 隣から聞こえた大きな声に、思わず肩をビクリと揺らす。ハッとして横へ振り向くと、誠は心配そうな目で俺のことを見ていた。
「どうした?」
「ごめん、大丈夫。なんともない」
 胸に当てていた手を下ろして息を吐く。その手に再び硬い拳を握った俺は、止まっていた足を前へと動かした。
「誠。行こう」
 早く、早くこの夜を終わらせる方法を見つけないと。
 そんな気持ちが、俺の足を無意識に早めていく。足で地を踏むごとにポキポキと鳴る木の枝に、風によってざわめく木々。
 その生暖かい風は、背中に嫌な汗を湿らせて肌に服をまとわりつかせる。
 昨日と一昨日と同じ道。人目を避けて絶対、誰にも見つからないように息を潜める。
「茂。こっち」
「こっちって、村からだいぶ外れてるけど」
 誠が指差しているのは、村の集落から離れた場所。その先に向いているのは、草木が生い茂っていて、一見道かどうかすら怪しい一本の通り。
「こんなとこに家なんか建ってんの?」
「前来た時もこんなんだったから」
 誠は俺から手を離すと、「こっち」と言って茂みを払い除けて先へ進む。俺も誠の背中を追うように、足に絡む茂みを掻き分けた。
「えっと。こっち、……だよな」
「誠?」
「あ、そうだ。ここ」
 まっすぐ行ってそこを右。ずっと同じような景色が繰り返されている中、誠は突然ハッとして足を止めた。でも、そこは緑ばかりで何もない。
 ここに何があるんだと辺りを見回す俺に、誠は目の前に伸びている背丈ほどの茂みを掻き分けて前に視線を送った。
「あれ」
「ここが……」
 目線の先にあったのは、今まで見てきたものが嘘だったかのような、見違えるほどに整えられた広いガーデン。
 今一瞬にして打って変わった光景に、見開いた目を指で擦った。でも、いくら瞬いても見える景色は変わらない。
 まるで別世界に行ったかのようなその感覚に自分の目を疑う。目を見張るほどに綺麗な花々の向こうには、一つの西洋式の家がポツンと建っていた。
「村長の、家?」
 白く丸いテーブルには空いた菓子の袋。その周りには椅子が数個並べてある。まだ中が残っているビール缶の一つは、口から液体を溢してテーブルの上を濡らしている。
「誠。……本当にここで、あってるんだよな?」
「合ってる。ここで間違いない。それにこの悪趣味な感じ、村長以外居ないだろ」
 同じ長さに整えられた芝生を踏む。早足でそろりとそのガーデンを抜けると、目の前に立ちはだかる家を見て俺は息を呑んだ。
「でっか──」
 いざそれを前にすると、これはどうも迫力ある。そもそも本以外でこんな形をした家を、俺は一度も見たことがなかった。
「茂。こっち」
 立ち尽くす俺の腕を引く誠は、真正面に向かい合っていた足を動かして裏に回った。
(そういえば、玄関ってどこなんだ?)
 さっき正面から見た限りでは、玄関のような面影は一つもない。俺はそのことに違和感を覚えながら、誠に向かって口を開いた。
「誠。家への入り口って、」
 ──どこ?
 俺がそう言い終える前に、誠は人差し指を下へ向けた。
「地面?」
「地面じゃないんだよ。これが」
 足を折ってかがみ込んだ誠は、ガーデンの芝生に指を入れる。カチッと何かが合わさった音が鳴ったと同時に、芝生が浮いて丸い段差が浮き出た。
 誠は地面と段差の隙間を掴んでそれを上へ持ち上げる。突如、マンホールの蓋を開いたときのようなぽっかりとした穴が俺たちに姿を現した。
「……誠は、何でここ知ってんの?」
「さっき町内会に着いてったことあるって言っただろ。あれ、本当は子ども連れてくんのダメだったっんだって。でも着いて来ちゃったからにはしょうがねぇってんで」
 穴の中を覗くと壁にはポツポツと明かりが灯っている。下に続く階段の手すりに手をかけた誠は、「こっち」と言って俺の手を掴んだ。
「前来た時と変わってなくてよかった」
 誠につられて俺も階段に足を一歩ずつ踏み入れる。
「これ、……どこに続いてるんだ?」
 足を置くたび、コツコツと二つの足音が反響する。しばらく足を進めると、金色のドアノブが付いた白い扉が遠くにあることに気がついた。
 俺たちは気を急ぐように足を速める。扉の前で息を一つ吸った俺は、丸いドアノブに手を伸ばした。
 扉は案外簡単に、ガチャリと音を立てて前に開く。その隙間からは、複数もの絵画が覗いて見えた。
「は……なんだよ、これ」
「村長のコレクションだって。大人に自慢してた」
 扉の先にあったのは、絵画で埋め尽くされた壁。美術の教科書で見たことあるような絵も何枚か飾られてある。
 その部屋の中央に置かれたテーブルには、ワインが入っているグラスやボトル。氷が溶けて水だけになったバケツが並んでいる。その隣にはいくつも積み上がった書物に、赤いペンで印をつけられている紙の切れ端が一枚転がっていた。
「なんかパーティでもやってたのか?」
 辺りから漂うアルコールの匂いに俺は顔を顰める。床に落ちているコルクを拾い上げてテーブルの上にそっと置くと、転がっていた紙の切れ端に指が擦れた。
「これって……」
 肩に背負っていたリュックを下ろしてチャックを開く。その中にある、蔵で見つけた書物を手に取った。
(──似てる)
 やっぱり、このテーブルの上に重ねてある書物に色形がそっくりだ。
「茂。この紙の切れ端って」
 誠の言葉に、俺も頷いて手に持った書物をめくった。パラパラと続くページの途中、あの破かれたページで指を止めた。 テーブルに置かれた一枚の切れ端を、書物の破かれたページと照らし合わせる。
「やっぱり」
 ピッタリと、破かれた後が一冊の書物に繋がった。
 俺はぴくりと指を揺らす。視界の端に映った積み重なった書物へ視線を送ると、もう一度自分が持ってきた書物を見比べた。
「……なんで、村長が?」
 俺の手にある書物と紙切れを誠に押し付ける。テーブルの上に並べられた幾つもの書物に、今自分が掴んでいたあの紙切れ。
(蔵に行ったとき、やけに物が少ないなとは思ったけど)
「──ここにあったからだったんだ」
 記憶の点と点が繋げるように、積み上がった書物に指を滑らせる。ザラザラとした質感はやっぱり、俺が持ってきたものと同じだ。
「茂。これって……」
 誠の目線の先にあるのは、俺が押し付けた書物と切れ端。その一枚の切れ端を片手に持つ誠は、「読めよ」と言ってそれを俺に差し出した。
 誠から受け取ったそれに、一行づつ目を通していく。
「これ、儀式の話じゃない?」
 紙切れを読む俺をよそに、誠はテーブルにある書物をめくった。その様子に意識を向けると、誠は全ての書物を一冊づつ開いていた。
「これも。これも、」
「……誠?」
「ここにあるやつ、全部一緒だ」
 そう言う誠の前に並ぶのは、十数冊の開かれた書物。誠の背後からテーブルの上を覗いた俺は、その内容に思わず「は、」と息を漏らす。
「なんだよ、これ」
 誠の前に出て、開かれたうちの一冊を手に取った俺は息を呑んだ。
 どれもこれも、あの紙切れと同じ。他の書物も誠が言っていたように、全部同じことが書き示されたものがここに集められている。
「これも全部、──泉の話?」
「聞いたことあるか?」
「ない」
 文字をなぞるように指を滑らせる。俺はある一つの文に、指を止めてそれを読み上げた。
「願いが三百年に一度だけ……叶う?なんだよ、これ」
 すると、隣でパラパラとページを読み進めていた誠が口を開いた。
「褒美だってよ。生贄を捧げてる俺たちへの」
「ほうび……」
 俺はもう一度書物に目をやると、他にも開かれてある書物を、わずかに震える手で持ち上げて目を通した。
 これは泉の歴史について。これは泉と生贄の繋がり。願いが叶ったという実例や発症条件。ここにある書物全てに共通してるのは、泉は願いを叶えるということ。
「……村長。なんか願いを叶えようとしてたのか?」
「え、」
「だってそうだろ。じゃなかったら、そもそもこんなのわざわざ集めねぇよ」
 誠は読んでいた書物をパタリと閉じた。
(願いが叶う、か)
 もし願いが叶うなら、俺は何を願うんだろう。そもそも、俺の願いはなんなんだ?
 書物から顔を上げてチラッと誠の方を見た。誠は、何かを思うかのようにどこか遠くをぼうっと見つめている。
 俺は、誠が笑って過ごせる日常に戻したい。誠が大切な人と笑い合えていた、こうなる前の日常に。
 昨日のことが脳裏を掠る。あの夜、大粒の涙が俺の頬を伝った。誠は何一つ悪くないのに、謝る必要なんてないのに。昨日も、あの時も。誠は俺を思って泣いてくれた。
(誠は、優しいから)
 誠のおかげで学校も楽しかったし、初めて死ぬのが惜しいと思ったくらいだ。そんな誠に、俺からできることは一つしかない。
「絶対、──元に戻さないと」
「なんか言ったか?」
 俺の呟きに反応したのか、誠は読み進めていた書物から目を離した。
「なんでもない。何でもないよ」
 俺がそう返すと、誠は「そっか」と言って視線を戻す。
「茂。今日って何日?」
「え、確か三十日だった気が。でも、──何でそんなこと聞くんだ?」
「これ」
 そう言って指差したのは、今誠が持っている書物。
「今日、ほんとに三十日なのか?間違えてないよな」
「は?何言ってんだよ」
 誠は書物のある一ページに指を立てながら、「嘘だろ」と呟きながら頭を抱える。突然ばっと顔を上げると、この部屋に掛かっている時計を見上げた。
「誠?」
「茂。……もう時間がない」
 それだけ言うと、誠はその場を立ち上がった。まだ書物を開いていた俺の腕を取って上に引き上げる。
「──行くぞ」
 その拍子で、書物は手から滑り落ちた。ドンと音を立てて床に転がるそれは、まだ俺が読んでいたページを開いている。
「ちょ、誠?!」
「時間が……!もう時間がないんだ!!」
 俺の身体を無理やりに引っ張って立たせた誠の息は、どこか荒れている。「誠」と声をかけるも声が届いていないのか、俺と誠の焦点が噛み合わない。
 俺は掴まれた腕を振り払って、誠の肩を掴んだ。
「おい、誠!まこと!!」
「はっ、え。っ──茂?」
 俺の呼びかけに、誠はびくりと肩を揺らして反応する。声が届いたことにホッと息を漏らすが、誠の様子がおかしいことには変わりない。
「誠。時間がないって、なに?」
「っ、それは……」
 誠の目線が向く先にあるのは、さっき開いていた書物。誠の肩に置いた手を下ろした俺は、誠の視線が指しているその書物を手に取った。
「九月三十日の、正午?って、──今日!?」
「……書いてあんだろ。赤で囲ってあるところに。時計、もう残り二十分切ってる」
 その言葉に、俺はばっと顔を上げて壁上を見上げる。そこには誠の言った通り、時刻を十一時四十三分と示す秒針が今もなお動き続けていた。
「この時間を過ぎると、次にこの泉が出現するのは」
「──三百年後」
 瞬間、俺と誠の目が合った。
(……そういうことか)
 どの書物を開いても、儀式を終わらせる方法というのは載っていなかった。蔵で見つけたのも、今テーブルに転がっているのも全部。
 願いが叶う泉。村長がひっそりと企てていたもの。それが何かは分からないが、この書物がここにあることが全てを物語っている。
「誠。まだ間に合う」
「間に合うって言っても、青く光る道なんてどこにあんだよ」
 書物が示していた泉のありか。淡く青い光を放つ道の先。
(青い、光?)
「──やしろだ」
「やしろ?」
 あのときだ。情報を探しにやしろへ行った時に見た、蛍のように淡い青い光の粒。昨日は気に留めなかったあれが、もしそれなら。
「誠。行こう」
「は?何処にあんのかなんて──」
「分かったかもしれないんだ」
 早く行かないと、間に合わない。乗り出すように身体を前に傾けた俺に、誠が腕を引っ張った。
「本当にあるんだな」
「──ある。絶対」
 俺は確信に近い言葉を放った。万一予想が外れたらもう元も子もない。でも、今はもう自分の記憶を信じて行くしかない。
 誠は一瞬目を大きくすると、直ぐに顔を引き締めた。部屋の金色のドアノブまで行き手をかけた誠は、「急ぐぞ」と言って扉を開く。
 地下だからだろうか。階段の上から流れる空気は冷たく、肌寒い。
 俺と誠は勢いよく階段を駆け上がった。日頃から運動なんてからっきしの俺は、ただ走るだけで息が上がってしまう。それでも、隣に居る誠に遅れを取らないように。足にこれ以上ない力を込めて、俺の先を走る誠の前に出た。
「ちっ、雨降ってんじゃねぇか!!」
 そのままの勢いで外へ出ると、ジワリと冷たい水滴が頬に落ちた。さっき月が出ていたのが嘘のように、ザーッと勢いのある雨粒が頭上から降り注いでいる。
(にわか雨か)
 芝生を蹴る足から水滴が飛んで靴を濡らしていく。一昨日のようにぬかるんでる土は、まとわりつくように前に進む足を重くする。
 それでも動かし続ける足は、転がっていたビール瓶に当たって小さな音を鳴らした。
「誠。こっち……!!」
 生い茂った草木を掻き分けて、村の通りに出る道を探す。
(っ、てぇ)
 途中、足に鋭い痛みが走る。昨日同様、頬の傷のように足を切ったようだった。
 じんわりと熱をもった脚を腕で拭う。腕にべったりとついたはずの血は、雨の勢いに乗って洗い流されていった。
 同じ景色をぐるぐる回ると、ようやくこの茂みの出口が姿を現す。
「……あった、出口」
 引き寄せられるように茂みの出口を抜けると、胸に手を当てて荒れた息を整える。俺は後ろに居る誠に振り返ると、手を掴んで口を開いた。
「急に居なくなったりするなよ。絶対に手離すな」
 そんな俺の手を強く握り返した誠は黙ったまま、しっかりと頷いた。
「行くぞ」
 その掛け声で、俺と誠は駆け出した。
 雨に濡れてまとわりつく服は、普段より一層重い。来ていたパーカーを捨てるように放り投げると、俺に釣られて誠も着ていた服を一枚脱ぎ捨てた。
 服たちは、バシャリと音を立てて水たまりの中へ落ちる。そんな服には目もくれず、真っ直ぐ前を見て走った。
 重しのようにのしかかっていたものがなくなり肩がわずかに軽くなる。
 雨が降り闇の深さが増した道を、小さな街灯を頼りに進んでいく。
(あれ、どっちだ)
 昨日と同じ道を行くにも、ただ暗かっただけと雨では見えてくるものが違ってくる。動かす足に一瞬の迷いが生まれる。
「えっと、……こっち!」
 それでも、記憶を振り絞って思い出しながら辿っていく。早くしないとという一心だけで、俺は無我夢中に足を前へ運び続けた。
 村長の家までの道のり、人目がつかないようにと選んだ裏の道。坂口さんに田丸さん、同じクラスの女子生徒。
 俺たちは、常夜祭が始まってから今日までの道を、一つ一つ戻っていった。
 走っているさなかも、嫌な結末が頭をよぎって考えることをやめられない。
(もし、……間に合わなかったら?)
 一瞬そんなことが脳裏によぎると、走っているのに、前へ確かに進んでいるはずなのに居ても立っても居られなくなった。
 俺は、そんな考えを払うように頭を横へ振る。
「だめ、だ。考えたら──負けだ」
 自分に言い聞かせるように声に出した。
 これ以上考えても何も変わらない。だったら、少しでも希望のある方へ賭けた方が勝ちだ。
 今俺に出来ることは、泉を目指して全力で走るだけ。
 脇腹が痛い。普段から動かしていない足は張っていて、裂けそうになるほど痛い。
 これは明日筋肉痛になるとか、持久走の時とかに思う呑気なことも今回は考えられそうにない。バクバクと脈打つ鼓動や自分の息の音が鼓膜の奥で響いている。
 普段走っても息を崩さない誠も、今ばかりは呼吸が荒れている。隣で聞こえる誠の息遣いに、俺はグッと拳に入れる力を強めた。
 土を踏み締めるごとに落ちていた小枝がポキポキと音を鳴らす。凹凸な地面に足を取られないように、勢いで捻りそうになる足をしっかりと立てた。
「みえた」
 この茂みの、奥にある。
(東に行った突き当たりに大きな神木。その左に真っ直ぐ、だったよな)
 足を止めて、茂みの先に視線を送る。後は昨日と同じ道を進んでいけば、あの光の粒が見えてくるはずだ。
 すると、誠と繋がっていた右手に微かの震えを感じた。
 ここに着いてから誠は一言も言葉を発していない。そのことに若干の違和感を抱いた俺は、「誠?」と名を呼びながら後ろへ振り返った。
「は……なん、で」
 喉の奥でヒュッと音がする。
(──村の住人たちが、ここにいるんだ?)
 ふらふらとおぼつかない足。上半身は、支えがなくなったかのように脱力していて腕は宙に揺れている。
 屋台の時に居た、綿飴をくれたおじさん。クラスメイトの女子に田丸さん、坂口さんに村長。そして、──
「母、さん?」
「……の、──のために」
「母さん!!」
 母さんも、皆んなも。俺の声がまるで一ミリも聞こえていないかのように、ずっと下を俯いてはブツブツと何かを呟いている。
「──のために。常夜様のために、生贄を……!」
 そんな声が聞こえると、村の住人たちはまばらに顔をのっそり上げた。やっぱり、初めて見た田丸さんのように持ち上がった瞳には色がない。
 真っ黒な一色で塗りつぶされたような目をした奴らは、ニタッと口元に歪な弧を描いて笑っている。
 早くここから逃げなきゃと思っているのに、間に合わなくなると分かっているのに。体が強張って、足がすくんだ。
 背中にジワリと嫌な汗が滲む。喉が異常に乾く。その歪んだ笑み思わずに一歩後ずさると、一瞬。母さんの目元が光って見えた。
(泣い、てる?)
 電灯の灯りで照らされた母さんの顔。でもこれは本当に涙なのか、ただの水滴なのか。今もなお降り続けている雨のせいで分からない。
 母さんは、糸のように細めた目をして俺を見つめた。
「ごめ、んね」
「……へ?」
 一筋の水滴が、母さんの目元から頬を伝る。瞬間、母さんの身体はガクンと前へ傾いた。咄嗟に俺は手と足を前へ踏み出したが、母さんは自分で足を持ち直す。
「さぁ二人ともこっちにおいで。なに、大丈夫よ。貴方たちは何も心配いらないわ」
 そう言って大きく広げられた腕は、俺と誠へと向けられている。
("あれはお前の母さんじゃない")
 ふと坂口さんの家で、誠に言われた言葉が脳裏によぎった。
「あぁ、そうだな」
「あら、茂ったら。何を言っているの?早くこっちに来なさい」
 誠の言った通りだ。あれは──
 俺は後ろに引いた足を戻して、母さんの方へ一歩を踏んだ。
「お前は、母さんなんかじゃない」
 俺の言葉に、母さんの目元がぴくりと動く。つかの間、ずっと仮面のように笑みを貼っていた顔からスッと表情が落ちた。
「しげ、る」
「あんたは……誰だ?」
 シンと、ほんのわずかな静寂が包む。瞬間、母さんや村の住人たちは声高らかに笑い声を上げた。
 全身に、ふわりとした悪寒が走った。ぬるい雨風でじめじめしているのに関わらず、自分を纏う空気が異様に冷たい。
 母さんの甲高い笑い声が、鼓膜にべったりついた。
 笑い声がようやく枯れる。再び口角を上げた母さんは、凍てつくような目をして俺のことを射た。
「は、やくおいで。あたしの可、可愛い子」
 そう言って母さんは腕を片方差し伸べる。その瞳は、鋭く目を細める右目に反して、左目は慈愛で溢れていた。
「きなさい」
「はっ、え」
(俺は、──なにをすればいい?)
 今何分なんだ?村長の家を出ときには残り二十分を切っていたはずだ。ただでさえギリギリだったというのに、もう残された時間がどのくらいなのかが分からない。
(間に合わない、かもしれない)
 そんな考えが頭をよぎった。こんなことを考えては負けだと、さっき自分に喝を入れたはずなのに。微かに胸に秘めていた光が、黒く暗く霞んでいく。
 やしろへ行くには、母さんや村の住人たちをどうにかしないといけない。このまま振り切って走るといっても、俺たちは子供で相手は大人。どっちが有利かなんてそんなもの、見当がついたも同然だ。
「えっ、──まこと?」
 俺は弾かれたように誠の方へ振り向いた。
 ふっと力が解けて、俺の右手から誠の手が滑り落ちる。誠に肩を軽く小突かれると、俺の胸に拳を当てた。
「絶対振り返んな。間に合う。まだ、終わってない」
「は、おま。何いって……」
 空いた口が塞がらない。そんな俺に、誠は「大丈夫」だと言って笑った。
「戻すんだろ。俺たちで」
 そう言う誠の拳は震えを隠せていない。そのくせに、口は強気に笑っている。
 誠は、俺の返事を待たずして駆け出した。俺に背中を向けて、母さんや村の住人たちの注意を引く。
「茂。行け!!」
「っ、……!」
 普段聞いたことのない。掠れるほどの誠の大声に、俺は反射で地面を蹴った。
(早く。もっと早く!!)
 後ろで、誠と母さんたちの声が聞こえてくる。前へ踏み出すたび、靴が鎖に繋がれたように足が思うように動かない。
 俺はいつも口だけで、前も今も誠に守られてばっかりだ。
 坂口さんの家へ行った時も、俺がしっかりしなきゃいけないはずだったのに。結局母さんとの電話も、坂口さんの家から逃げようと動いたのも、先手を切ったのは誠からだった。
(誠に、……迷惑かけてばっかりだ)
 きっと誠は、こんなことを言う俺に「何言ってんだよ」って怒るんだろう。だって、相手はあの誠だ。
 ここ数日で痛いほど分かった。前から分かっていたつもりで、本当は全然分かっていなかった。
「誠は。優し、すぎんだよ」
 自分の怪我にはとことん無頓着なくせに、人の心配ばっかしてんじゃねぇよ。強がりで、俺と同じぼっちで。でも、あいつは人一倍情け深い。
 ほんとに、俺とは正反対だ。
 息を吸うたびに肺が痛い。心臓の脈打つ音、荒い息遣いが鼓膜に響く。その音はあまりにも大きくて、雨の音が打ち消されていく。
 一瞬、気が後ろへ向いた自分の頬を叩く。絶対に振り返っちゃダメだ。
("まだ、終わってない"……!!)
 ここに来る前の朝、蔵で誠に言った言葉を思い出す。
「ぜ、んぶ。元に、──戻す!」
 村がおかしくなったのも、誠を巻き込むことになったのも。どれもこれも全部、俺から始まったことだ。
 せめて最後こそ、自分でこの全てに蹴りをつけるべきだ。
 視界に収まらないほどの神木を前する。自分は、やっとここまできたのだと遅れて気がついた。
「しん、木」
 昨日あんなに肌寒いと思っていたはずの空気は、火照った身体に触れて程よく涼しい。
(真っ直ぐ行ったところ、突き当たり。紅色、やしろ)
 足を切って、体の向きを左に変える。あの時と同じだ。もう、自分の音しか聞こえてこない。
 後時間は?誠は、あいつは今どうなってる?間に合う、間に合わない。どっちだ……
「青、ひかり」
 書物を見つけた時のやしろに、だんだんと足は近づいていく。俺はさらに奥は進んで、祭壇の周りを走る。
 昨日は規模が小さいと思っていたのに、今はやけにここが広く感じた。
「どこ。どこ、なんだよ」
 いくら探しても、茂みの中を覗いていっても。あの青い光の姿が見えてこない。
(見間違い、だったのか?ここまできて)
 いや、でも確かに。昨日この目で見たはずだ。
 俺は、動かしていた足の速度を緩めてその場に止まった。バクバクと激しく主張する胸に手を当てて、温度のない雨に顔を打たせる。
「焦んな。……落ち着け」
 言葉を口に出して、そう自分に言い聞かせた。普通、こんな状態で焦んない方がおかしい。もう何分残っているかも分からないんだ。
 でも、焦ってても何も始まらない。
 目を閉じて、無意識に固く握っていた拳を開く。一度深く息を吐いて、ゆっくりと瞳を開く。
 蛍のように淡く青い光の粒。舞っている明かりの先に続いているのは一筋の道。
「──あった」
 自分の目を擦った。闇に紛れてぼんやりとする中、一筋の道だけが不自然にくっきりと瞳に映る。
「……見間違いじゃ、ない」
 そんな言葉が溢れた途端、足が勝手に前へ進んだ。
 目の前に続く光の粒が舞う道に引き寄せられる。もう残りわずかな力を振り絞って、足をひたすらに動かす。
 全部、皆んながおかしくなる前に戻したい。誠を、普通の日常に返したい。
 高校生になってもまた、誠は喧嘩を続けるのだろうか。あいつのことだから、怪我してもその傷はほっぽりっぱなしにする未来が安易に予想できる。
(ほんと、自分に無関心なのはどっちなんだか)
 体を流れるように過ぎる青い光。だんだんと奥へ進むにつれ、その光は輝きを増していく。
 息を切らしたその先にあったのは、想像を絶するほどの広い泉だった。
 今雨が降っているというのに、星屑が散りばめられたように煌めく様子は、夜空をそのまま映してる様にも見える。
「──俺は、」
 勢いのままに、身を投げた。