この夜を終わらせるまで

 常夜祭が始まって2日目の朝がやってきた。
 見上げる空は相変わらずの鉛色。一日目と何が変わったといえば、今日は雨が降っていないということだけだ。
(……全く眠れなかった)
 しばしばとする目を瞬かせて指で擦る。
 隣で規則的に息を立てる誠に視線を移しながら、手元にある時計を拾い上げた。
(七時、か)
 昨日、坂口さんの家から抜け出してから俺たちの間には会話がなかった。ただ黙って、二人並んで足を進める。
 蔵に戻るまで不幸中の幸いというやつだろうか、あれから村の住人に鉢合わせることはなかった。しかしあんなことがあった手前、誠にどんな顔を向ければいいのかわからない。
 気がついた時にはもう時計は八時を示していて、壁に背を預けていた誠は瞼を閉じていた。
 疲れていたんだろう、当たり前だ。誠には迷惑をかけてばっかり。
 俺も目を瞑りはしたが、うまく寝付くことはできなかった。嫌な想像が頭を巡っては、考えることをやめられない。
 堪え切れずに一つ欠伸を落とすと、俺は誠の頭に手を伸ばした。
 少しごわついた黒い髪。その髪を空くように指を滑らせると誠は少し身じろぎをする。
(あったけぇ)
 肌から伝わってくる誠の体温。それだけで、張り詰めていた自分の胸が和らいだ気がする。
 蔵を打つ雨音はもうしない。それに変わって、今は誠の息の音がよく聞こえる。
 本当は今頃、村は賑わっていたのだろう。子供のはしゃぐ声に、村人たちが奏でる賑やかな祭囃子。
 俺は蔵窓を見つめながら静かすぎる外に、本来あるであろう音を頭で想像する。
「ぅん、しげる?──起きてたんだな」
「はよ。誠」
 誠は身体を伸ばしながら体を起こすと、もうすでに起きていた俺に向かって「今何時?」と聞いてきた。
「七時ちょっと過ぎたくらい。もう少し寝てろよ」
「いい。俺も起きる」
「そっか」
 誠は重い頭を持ち上げて蔵窓の外を見つめる。俺は隅に置いていたリュックに手をかけると、昨日と違う種類のおにぎりを二つ取り出すと一つを誠に手渡した。
「おま、おにぎり何個持ってきたんだよ」
「……家に、結構溜まってたんだ。誠は心配しなくていい」
 そう言ってビニールの矢印の方向に破くと、皮がパリッとしたおにぎりが姿を現す。その言葉に「そうかよ」と呟いた誠は、ビニールを破くとおにぎりを一口小さく齧った。
「今日なにする?」
「俺は、村に行ってくる。誠は蔵で待ってろ」
「……は?いや、俺も行くって」
 食べる手を止めた誠に、俺は言葉を続けて言った。
「また昨日みたいなことがあったらどうすんだよ。──誠は待ってろ」
 もし昨日みたいなことがまたあったら、次こそ誠が無事である保証ができない。
「絶対来るな。……頼むよ」
 最後になる言葉につれて自分の声がくぐもっていく。
 誠はおにぎりを手にしたまま、一向に口を開かない。しばらくして俺のおにぎりが半分に差し掛かったとき、誠は苦虫を噛み潰したような顔をして渋々首を縦に振った。
「……今日だけだからな。明日はお前に何言われても絶対行くから」
 そう言い終えた誠は、手にずっとあったおにぎりを全て口の中に詰め込んだ。
 正直、誠がそう簡単に頷くとは思っていなかった。
 普段から頑固なやつだ。そんな誠がこんなあっさりしているなんて、どこか変な違和感を覚えてしまう。
(変なもんでも食ったのか?いや、食べたっていってもおにぎりだけか)
 普段は意見がぶつかり合って必ずと言っていいほど言い争いになるはずなのに。しかし今考えてもどうしようもないことだ。
「……すぐ戻ると思うから、絶対蔵に居ろよ。絶対だからな」
 そうもう一度誠に釘を刺すと、「分かったって」とおにぎりのビニールを手で丸めて俺から目を背ける。
 残り一口を飲み込んだ俺は、リュックに入っていた荷物を全て出して空になったものを背負った。すると、地面に転がった一つのライターが目の端に映る。
(これは一応持っとくか)
「リュックなんか持ってってどうすんだよ」
「……なんかあったとき用。まだおにぎり余ってるから、食べたかったら食べて」
 雨に濡れていたはずのリュックだが、一日も経てば十分に乾き切っている。
 湿っている時特有のひんやりとしない背中を感じながらそんなことを思うと、誠は床に落ちていた時計を拾い上げた。
「八時前」
「昼ぐらいまでには戻るって」
 冷たい蔵の引き戸に手をかけて「行ってくる」と声をかける。すると誠は、「帰ってこいよ」と俺の背中を見つめて言った。
 軋む扉をゆっくり閉めて外へ足を踏み出すと、ふわりと湿った空気が肌を撫でた。まだぬかるんでいる土は、行く先の足を重くする。
(──行くか)
 拳を軽く握って、舗装されていない道を歩き出す。
「あっち、だよな」
 足元は凸凹で、土を踏むごとに落ちていた小枝がパキパキと音を鳴らす。行ったこともない道を、昔の記憶を頼りに迷いながらも足を進める。そんな俺には、今日の果たすべき目的があった。
 いつかわからないが、前に聞いたことのある一つのはなし。村の住人たちの会話を小耳に挟んだ時があった。
 蔵のあるこの山には、古くからの祠が祀られているらしい。そこには代々の村の歴史や、伝統について記されてあるだとか。
 あの頃の俺はただそれを聞き流すだけだったが、今思い返してみればそこにはなにかヒントがあるかもしれない。
 そんな淡い希望を胸に、茂みの中をかき分ける。
(東に行った突き当たりに大きな神木。その左に真っ直ぐ)
「うわ、ほんとにあるんだ……」
 別に信じていなかったわけではない。けど今目の前に聳え立っている大きな神木をいざ前にすると、どうしてか呆気に取られてしまう。 
 一歩づつ距離を詰めると、今までぬるかった空気が一変して近づくにつれ肌寒くなっていく。
 冷えていく腕を手で擦りながら、その神木から体の向きを左へ変える。
(真っ直ぐ行ったところ突き当たり。確か、紅色のやしろだったはず)
 さらに奥へ足を進めるごとに、風や生き物の音が徐々に失われていく。異様なほどの静寂に耳を澄ませるが、もうそこには自分が進む足と息遣いしか聞こえない。張り詰める心臓の音が、嫌に大きく鼓膜に響く。
「あれ、だよな」
 赤い塗装が剥げた倉庫ほどの大きさをしているやしろに、広範囲に生えている黄緑色の苔。隣には小さな祠があった。
 リュックの紐を強く握って恐る恐るやしろに寄る。カタンと倒れる祠に備えられていた花瓶の音に肩を跳ね上がる俺は、目を瞑って息を整えた。
「こんくらいなんともない。行ける」
 そう自分に言い聞かせる。
(早く見つけて、早く戻る)
 誠が蔵で待ってる。
 俺は紐を握っていた手を離して両頬を叩いた。
「──よし」
 穴が開きそうなほど軋む階段は、古びていて所々に苔が生えている。長い間、誰の手も入っていなかったのだろう。
 俺は凹凸の木目がある湿った格子戸に手をかけて、その戸をゆっくり開いた。
「は、……これだけ?」
 目の前にあるのはたったの紙が数切れと、何かの書物が一つ。
(ここに来た意味ねぇじゃん)
 あまりな展開に拍子抜けして肩を落とすと、思わずため息が出てしまう。
 しかし気落ちしている場合じゃない。この書物の中にも、何か手がかりはあるかもしれない。
 薄い紙を一枚拾い上げると、ゴワゴワとした肌触りの紙に目を通した。
「……古い。てか、読めねぇ」
 探すことに夢中で重大なことをすっかり忘れていた。
(そういや太陽出てねぇじゃん)
 これじゃあ、読むこと以前の問題だ。闇に溶け込んだ文字は、目を凝らしても黒い塊にしか見えない。
(くそ……ここまできてそれかよ)
 どうしようかと頭を抱えた俺は、瞬間はっとして辺りを見回した。
「──火、どっかに火があれば」
 ぱっと見神社みたいなところだ。もしかしたら、どこかしらに街灯のようなものがあるかもしれない。
 思い立ったら行動に移すのみ。改めて辺りを見渡すと、この空間は公園並みに割と規模が小さいみたいだ。
(古い祭壇に、あれは……どこに繋がってるんだ?)
 地面に横たわった年季のある祭壇は土に汚れてすでに木が腐っているものが多い。
 紙の破れたぼんぼりや折れたろうそくが闇に紛れてぼんやりと見える中、一筋の道だけが不自然にくっきりと瞳に映った。
 蛍のように淡い青い光の粒が、その付近だけに舞っている。
(あれって──)
「学校から帰ったときもあったよな」
 あの時は一瞬見えただけだったから、気のせいだと思っていた。けど、どうしてもこの光には見覚えがある。
「って、こんなこと気にしてる場合じゃないだろ」
 今の目的は火だ。こんなことで時間を潰しているひまじゃない。誠が蔵で待ってるんだ。早く戻らないと心配かける。
 前に視線を戻すと、足を無意識に速める。しかし、規模は小さくても物の量が極端に多い。
 しばらく探し歩いても何一つ欲しいものが見当たらない。半分諦めが出てきた俺は、一度やしろの中へ戻ることにした。
(雨が止んでよかった)
 昨日のような天候であったら、ここにくることさえ難しかっただろう。けど今度は、また別の問題が俺の前に立ちはだかっている。
 そんなことを思いながら空を見上げて歩いていると、視界の端に細長い形をした何かが映った。
(まてよ、あれって)
 所々の石が欠けていてあまり原型を留めていないが間違いない。
「……あった」
 探している物は案外近くにあるって聞いたことあったけど、あれってマジだったんだな。
 発見したのはやしろの近く。もうすでに通ったことのある道だ。
「そういえばこういうの、常夜灯って言うんだっけ」
 引き攣った顔で思わず苦笑いをこぼしてしまうが、まあ見つかったのだからいいだろう。幸いなことに、火をつけるロウもまだわずかに残っている。
「そういえば、火って──」
 明かりを灯す場所を見つけたとしても、付ける火がなければ元も子もない。慌ててリュックの中を見るも、あの時全ての物を置いてきていたんだ。物一つあるわけがない。 
(……まじかよ)
 今までのは一体何だったんだ。しかし、もうない物はないで仕方がない。とりあえず蔵から書物を持ってこよう。
 そう自分に言い聞かせて再び歩き出すと、進むたびに腿に何かが当たることに違和感を覚えた。
(なんか入れてたっけ?)
 さっきまで気にしていなかったけど、左のポケットは軽い割に、もう片方からは若干の重みを感じる。
「あ、そういえば」
 ポケットに手を突っ込む。
 指先に触れた固い感覚に、少しの温もり。それを持ち上げて手の中を開くと、そこにはキャンプなどでよく使う着火用ライターがあった。
(そういえば、昔これで母さんと花火とかやってたっけ)
 色褪せた青色の持ち手のこのライターは、過去に母さんと花火をする時に買った物だった。やったと言ってもたったの数回程度。
 それでも、このライターは俺を繋ぐ大切な思い出だ。
 カチ、カチと数回音を鳴らせばぽっと小さな灯りが点る。
「よかった。まだ付く」
 年代物だったから付くか不安だったけれど、ちゃんと火が付くようで安心する。
 さっそく蔵から持ち出した書物を常夜灯の下へ運ぶと、ライターでロウに明かりを小さく灯した。
 だんだんと浮かび上がっていく墨で書かれた黒い文字。明かりの下で書物のページを開くと、それには村の歴史について記されてある。 
 一枚ずつページをめくってざっと目を通すと、俺は一つの記録に目が止まった。
「あった」
 儀式と供物について──これだ。
 墨に指を滑らせて文字をなぞる。
 いつ、誰が捧げられたのか。そして、捧げる供物が決まる瞬間。
 それを読み進めるたびに自分の体が、内側から冷えていく。力が入らなくなった指先は、書物をバサリと地面に叩きつけた。
(嘘だ、俺は──)
 母さんに、売られたのか?
「……嘘だ。母さんが、そんなはず」
 じゃあ、今までの母さんから向けられていたものは偽物?いや、違う。だったら、母さんはあの時泣いていない。
 整理しきれない気持ちと、思考がせめぎ合って胸が気持ち悪くなっていく。
 でもここには確かに、供物である"母親の"意思と記されてある。つまりは、母親の意思があってからこその生贄ということだ。
 母さんも苦しんでいる。俺のせいで迷惑がかかるなら、そう思って今まで生きてきた。
 きっと、自分は生まれつきそういう定めだったんだって。それなら、母さんに笑っていて欲しい。そう思っていたのに……
「はは」
 乾いた笑いが喉の奥から吐き出される。
(あぁ、早く。誠に会いたい)
 あいつに会って、くだらない話しして。それで、いつもみたいにバカみたいに一緒に笑いたい。
 こんなの見なきゃよかった。知らなかったら、俺はこのままでいられたのに。
「バカだな、俺」
 ロウの灯りが一瞬揺らぐと、ふっと消えた。
 元々古かったんだ。ついにロウに限界が来たのだろう。
 でも、目的のものは見つかったんだ。これで誠の待つ蔵へ戻れる。
 誠も俺の帰りを待っている。それでいい。
 俺は背負っていたリュックを下ろして、地面に落とした書物を詰め込んだ。今日やしろで見つけた薄い紙。そして、ライターをポケットに。
 小刻みに震える指先は、リュックを閉めるためのファスナーを上手く掴めない。肌寒かったはずの腕は、もう何も感じなかった。ただ、虚無感だけが俺の心臓を覆っている。
 帰り際も変わらずに、青く光る粒が一筋の道を照らして舞っていた。
(ほんと、あれって何なんだ)
 ちょっとした興味はあっても、今はもう詮索する気力はない。
 無心で歩いていたせいか、気づけばもう目の前には神木があった。数歩づつそこから離れていくと、あの時の寒さが嘘のように生ぬるい風が頬をかする。
 隣を抜ける風に、木々のざわめく音。
 だんだんと溢れていく音の数々。
(戻ったんだ)
 そう思った途端、体に張っていた糸がプツンと切れた。一気に脱力した身体は、風邪をこじらせた時のように重い。
「帰らないと」
 今、何時だ?蔵に時計を置いてきたせいで正確な時間が分からない。ずっと暗闇の中に居るせいか、体感時間も曖昧だ。
「いてっ──」
 鋭い痛みに、頬がじんわりと熱を持つ。
 頬を軽く拭うと、腕には赤黒い血がベッタリとついた。
(……切ったのか)
 絆創膏、持ってきてたっけ?確か、おにぎりと一緒に蔵に置いていてきた気がする。
 ぼんやりそんな思考を巡らせていると、だんだん見慣れた道が見えてきた。
「──蔵だ」
 歩く足を無意識に速めると、目の前まできた引き戸に腕を伸ばす。勢いよく開く扉と同時に、俺は声を出した。
「帰ってきた。って、……まこと?」
 嫌な汗が背中を伝う。バクバクと打つ心臓の音が耳を覆う。
 俺以外の気配がない。床にあるおにぎりは朝と変わらず置いてある。見渡す限り内装で変わったところは一つもない。
「まこと!」
 蔵に入って声を上げても、誠の声は返ってこない。
「嘘だろ……」
 居ない。
 誠が、──消えた?
(っ、探しに行かないと!)
 誠に何があった?村の連中に襲われた?
 今すぐ行かなきゃいけないのに、誠に危険が及んでいるかもしれないのに。
「動けよ!」
 足が言うことを聞かない。
 身体の力が一気に抜けて、俺はその場にへたり込むように倒れた。体を起こそうにも、思うように動かすことができない。
(行かなきゃ、誠が。俺が──俺が誠を置いて行ったから……)
 だんだんと霞んでいく頭に、重くなっていく瞼。
「ま、こと」
 探しに行かなきゃ、誠に何かあったら……
 途切れ途切れになる視界の中、俺はついに意識を手放した。





(あれ俺、何して──)
 靄がかった視界の先には暗い天井が広がっている。
 確か、やしろに行って書物を拾って。蔵に帰ってきて、それで……
「まこと──誠!」
 勢いよく身体を起こしてそのまま立ち上がる。
 そうだった。蔵に帰っても誠がいなかったから、探しに行こうとして。でも、──俺はそのまま倒れたんだ。
 やはり右を見ても左を見ても、意識を失う前となにも変わらない。
(俺が寝てた間に、誠が怪我をしていたら?)
 駄目だ。焦っても空回りするだけだ。
 バクバクと張る胸に手を押し当ててそっと息を整える。
「探しに、行かなきゃ」
 俺は、まだ冴えない頭を振って顔を上げた。
 あの時、俺が蔵から出る前。誠はなんて言っていた?
「……"今日だけだからな"」
 誠はそう言っていた。
 なんで、誠はすぐに手を引いたんだ?
 普段の誠ならあそこで手を引くことはしない。自他 共に認める頑固な奴だ。
 あの時、一瞬感じた誠の違和感。
 俺は頭に手を当てて、今朝のことを一心不乱に思い返す。
 そうだ──
「──あいつと目、合ってない」
 喧嘩をする時の名残だろうか。誠は対話をする時に視線を相手から逸らさない。以前聞いた時、隙を見せないためだと言っていた。それは日常的な癖で、俺と話す時もあいつは必ず目を見ていた。
 誠と話している時、目が合わなかったことなんて無かった。もし一度あったとすれば、あれは──
「誠がなにかを隠していたときだ」
 あいつ以上に嘘が下手な奴は見たことがない。いつでもまっすぐな奴だ。昔も今も、隠し事をするのに向いていない。
「……何で気づかなかったんだ、俺」
(もしも"今日だけ"が、その逆だったとしたら)
 ぞわりとした感覚とともに、汗が背を流れ落ちた。
「──誠も蔵を、出た?」
 なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。あの時、誠に違和感を感じていたことは確かなはずなのに。
(誠が、行きそうな場所は……)
「やっぱ。村、だよな」
 蔵から出るにしても、行くところは限られている。だとしたら、村に行った以外考えられない。
(喧嘩強いからって奢ってんじゃねぇよ)
 村人に襲われることになっても、俺と違って誠なら上手くかわすことはできる。でも、それはあくまで一人か少人数の場合だけだ。
「……ばっかじゃねぇの」
 あいつ、俺は大丈夫だって自信どっから湧いてくるんだよ。
(人は、死ぬ時は死ぬ)
 自分の意思関係なしに死ぬ。そういう運命もあるんだ。
「見つけたら一発かましてやる」
 息を一つ吸って身を引き締める。
 俺は、まだ背中にあったリュックを床に下ろして顔を上げた。
「──行ってきます」
 静寂が広がる空間に、張った声がよく響く。
 自分でも誰に向けて言った言葉なのかわからない。でも、ただなんとなくそう言いたかった。
 触れた引き戸からは、冷たさが依然として帯びている。
 その戸をしっかり握って横へ引く。すると、もう湿っていない乾燥した風が隣を横切った。
(どうやって誠を見つける?)
 小さな村といっても、身一つで探すには規模が広すぎる。一つ一つ当って行っていたらあっという間に夜になってしまう。
 誠が行きそうな場所といったら数カ所程度しか心当たりがない。
(でも、今はその数カ所に賭けるしかない)
 山を降りると案の定、村人たちは村の道行く路をうろついていた。
「……やっぱ、裏から回ったほうがいいか」
 裏といったら、昨日誠と通った道しかない。確かにそこは人通りが少なくて、人目を掻い潜って移動するにはもってこいだ。でもそこは、坂口さんと会った道でもある。
 あの時の坂口さんの目を思い出すだけで心臓が脈打つのが分かる。またそういうのに遭遇する可能性もあると思うと、足が勝手にすくんでしまう。
(でも、誠を探さない理由にはならない)
 こんなの、自分にとって都合のいい言い訳だ。
 俺は手を握ってほんの僅かな力を込めた。
「大丈夫」
 自分に言い聞かせるように口にした大丈夫という言葉は、不思議と足を前に出す原動力となる。
 出す足は遅くても、大丈夫だ。
「誠に行けて、──俺に行けない訳がない」
 確かな足取りで踏み出すたび、進む速度も速くなっていく。
 そこからしばらく歩くと、でかい建物の前で俺は立ち止まった。
 そう──学校だ。
「幽霊とか出たり、しないよな……?」
 暗闇の中に溶け込む学校は、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。
 誠もこういうの苦手だったような気がしなくもない。だからって、来てないと決まった訳じゃない。
 校舎へ足を踏み入れると、自分の足音が静まり返った廊下にやけに大きく響いた。
 誠が行きそうな場所を全部当たった。俺たちの教室も、体育館裏も、屋上へ続く階段も見た。でも、誠はどこにも居ない。
(……ここじゃない)
「よし。──次だ」
 まだ、他にもあてはある。
 誠と放課後によく行った駄菓子屋。暑い日には、二人でよくアイスを買って食べた。
(違う)
 テストがある度に行った図書館。毎回勉強を教るのは俺だったけど、不思議と悪い気はしなかった。
(違う)
 腹が空いた時に行った定食屋に、野良猫がよく居る穴場。
(ここじゃない)
 色々な場所に行っては、振り出しに戻るの繰り返し。
「……何で見つからないんだよ」
 誠のことは何でも分かってるつもりでいた。だって、ずっと一緒に居た。むしろここ数年で隣に居なかったことの方が少ない。
(なのに、……なんでだよ)
 記憶を振り絞って、それで出した答えで当たっていった。それなのに、その答えは全問不正解。
「隣に居たのに。俺は誠のこと、ほんとはなんも知らなかったんじゃねぇの?」
 だんだんと不透明になっていく行き先に、俺は自分で自分を問いただす。
(俺は、──誠の何を見てきたんだ?)
 あいつは喧嘩ばっかりで、怪我なんて日常茶飯事。それなのに話してみると案外いい奴で、眩しいと思うほどまっすぐだった。
 いっつも俺に絆創膏ねだってきたり、テスト期間になったら勉強を教えてくれだとか。本当は関わりたくなかったのに、誠と過ごす日々はあまりにも快適で、久しぶりに心から楽しいと思えた。
 誠は強かった。弱いところなんてないんじゃと思うほど。でも、全然そんなことはない。本当は、人一倍繊細な心を持った優しい奴。
 前に、俺が喧嘩に巻き込まれたとき。そのときに見た誠の顔は今でも覚えている。
 誠は、俺と目を合わせなかった。そして、それから誠は俺を避けるようになった。
(俺は平気だって言ってんのに、あいつは頑固だから)
 久しぶりに顔を合わせたとき、誠は公園のベンチで「俺のせいで」って泣いていた。
 


「お前、泣けるんだな」
 誠の涙を初めて見たとき、思わずそんな言葉を漏らした。
 だって、いくら怪我をしていてもいつも笑っているような奴だ。誠は強い。当たり前のように思っていたその認識。
 だから、誠も涙を流すことをこの瞬間初めて知って心底驚いた。
「何で泣いてんの?」
 誠がなく理由が分からない。そんな純粋な疑問を誠に投げかける。
 ベンチに体育座りで顔をうずめていた誠は、俺の声に目を丸くして顔を上げた。
「え、なんで」
「たまたま」
 そう。本当にたまたま、帰りにこの公園で誠を見つけただけ。
(まさか、ここに居ると思わなかったけど)
 視線が俺の頬のガーゼに向くと、誠は気まずそうに目を背けた。
「その怪我、茂が俺を庇ったから……」
 俺は自分の頬に指を滑らせる。無駄に大袈裟に貼られてしまったガーゼは、別に見た目ほど痛くない。
「なに言ってんだよ。あんときに俺が誠引っ張って一緒に避ければよかっただけじゃん。別に誠のせいじゃない」
「でも、」
「でもじゃない。怪我くらいすぐ治るって」
 誠の声に言葉を重ねる。誠は体育座りにしていた足を下ろすと、かおを俯いて小さく呟いた。
「茂がなんともなくっても、……俺が嫌なんだよ」
 そう言う誠はまだ鼻声で、溢れ落ちる涙を己の腕で拭っている。
 そんな誠を見ていると、自分の口元がだんだん緩んでいった。 
 俺には分からない。
 怪我をしたのは俺のはずなのに、誠の方がずっと苦しそうだ。
「──お前ってほんとバカ」
(ほんと、こっちが心配になるくらいに優しい奴)
 普通他人のためにここまで泣けない。他はともかく、俺はそういう人間だ。
 バカみたいにまっすぐで、他人のためにそこまで思えるその心は陽のように眩しい。
 今でなお、誠は俺の怪我を思って涙を流している。
(そんな奴が普段喧嘩ばっかしてるなんて、想像もつかないよな)
 ついに綻んだ口元からは、小さな笑みが溢れる。
「俺は誠が思ってるより弱くない。この前のはたまたまだ。またあいつらと喧嘩するってなったら、次は俺が一発かます」
 俺の言葉に、誠は目を見開いて顔を上げた。
「俺だって強い。だから──泣かなくていい」
 誠はぐしゃぐしゃな顔のまま「なんだよそれ」と言って少し笑った。
「茂って運動音痴だろ。ほんとは喧嘩なんて出来ねぇんじゃねぇの?」
「っな、それとこれとは別だって。もう怪我なんてしないからな」
 なんの確証もない俺の"怪我しない"宣言。
 誠の言う通り、俺は運動が苦手だ。喧嘩なんてしたことないし、また怪我をすると思うと怖いと思ってしまうのが本音。
 でも、俺が怪我をしたら悲しむ奴が目の前にいる。
(だったら、ちょっとくらい嘘ついてもいいだろ)
 その代わりに、俺はもう怪我をしないから。
 だから、誠にはずっと──笑っていてほしい。
 笑っていてほしいなんてそんな人。そんなことを思うのは、母さん以外にこれが初めてだった。



「……公園?」
 ──そうだ。
 まだ、公園には行ってない。
 気がつくと俺は、駆け足で走り出していた。あの公園を目指して、ただひたすらに足を動かす。
(なんで、なんで忘れていたんだろう)
 角を曲がって、まっすぐに行ってそこを左。
 自分の荒い息遣いに、地面を蹴る音が交じって身体に響く。
(見つけた……!)
 ベンチの前に立つその背中が見えた瞬間、
「──まこと!!」
 自分でも驚くくらい、かつてないほどの大きな声が出た。
「っ、しげる?……なんで」
「怪我は?!なんかあったりとか、」
 何かに弾き飛ばされたかのようにこっちを向いた誠は、俺の姿を見て目を瞠る。
 荒れた息を整えながら駆け寄ると、誠は俺から目を逸らして呟いた。
「別に、なんもねぇ」
「なんもって。だったら何で……!」
 誠はなにも答えない。
 俺は下を俯く誠の腕を取って、もう一度誠の名を呼んだ。
 誠は何かを思うかのようにそっと顔を上げる。すると誠は、目を丸くして俺の頬に手を当てた。
「お前、──怪我してんじゃん」
 誠が触れた所からピリッとした痛みが走る。
(そういや、切ってたんだっけ)
 蔵に戻って色々あったから、ついこの怪我を忘れてしまっていた。
 頬から伝わる指は冷たくて、それでいて気持ちがいい。ここまで走ってきて熱っていた顔に、その冷たさは心地がよかった。
(でも、今は怪我なんかどうでもいい)
「こんなとこで、……なにしてんだよ。誠」
 誠は俺の頬からそっと手を離すと、「ほんとに、なんでもねぇって」と言って力なく笑った。
(一発かましてやろうと思ってたのに)
 何でもないはずないのに、それなのに。そんな顔をされてしまうと、今まで言いたかったことが全部喉に引っかかってしまう。
 いつも太陽みたいに、バカみたいに笑っている誠しか見たことがない。こんなにも力なく笑う誠なんて、俺は知らない。
(誠が、いつもの誠じゃない)
 俺は、今も掴んでいる誠の腕を引いて声を振り絞った。
「誠。──一緒に戻ろう?」
 その声に、誠はただ静かに頷いた。 
 足を前に出すと、誠も俺を追って歩き出す。
 村人に会わないように、人目につかないように。俺たちはまた、昨日と同じ道を辿る。
 その間、俺と誠には会話がなかった。
 あんな顔をされてしまった手前、どう話を切り出せばいいのかわからない。
 ふと隣を見ると、もう誠の目には涙がなかった。乾いた涙の後だけが、僅かに頬に残っている。
 暗闇に紛れて表情はよく見えない。けど、誠が泣いていなくてよかった。胸にあったわだかまりが、ほんの少しだけ消えた気がする。
 そんなことを思いながら足を動かすと、ここ数日で見慣れた蔵が小さく見えてきた。
 それだけのことに、何故かホッとするように息が漏れる。その束の間、隣で歩いていた誠がブツブツと何かを呟き出した。
「誠?」
 声をかけても返事がない。まるで俺の声が聞こえていないような、元々居なかった存在かのように、誠はずっと何かを呟いている。
 それでも止めどなく進む足は、どこかおぼつかない。その身体は蔵に真っ直ぐ、機械的に向かっているようにも見えた。
「おい──誠!!」
 誠の腕はそのまま蔵の引き戸に伸ばされ、腕を掴んでいた俺の手を振り払う。
(誠に、……俺の声が届いていない)
 扉が軋む音をたてて開かれる。
 足を踏み入れた誠は突然ピタリと動きを止途端め、俯いていた顔を表に上げた。
 不意に交わった目に、誠は瞳を細めて俺の腕を掴んだ。
「──のせい、で。お前、が……!」
 瞬間、視界が傾いた。目を開いた先には床があって、打ちつけたような鈍い痛みが背中からじわじわと伝わってくる。
 真上に顔を向けた、チクリと喉に冷たい先端が刺さった。
「ま、こと……?」
 俺に覆い被さるように乗っている誠は、どこで拾ってきたか分からないガラス片を手に持っている。
 顔を見ようにも、闇に溶けた誠の表情は見ることができない。
「茂が居なくなれば、お前があの時生贄になってたらこんなことにはならなかった」
 誠から溢れる声は淡々としていて、生気がなかった。
「お前のせいで全部めちゃくちゃだ。俺から何もかも奪って、楽しいかよ?」
 皮肉に口角を上げて俺を見下ろす。誠は、言葉を振るわせながら声を荒げた。
「……何やってんだよ、なんでちゃんと役目果たさなかったんだよ!もっと周りのことも考えろよ!!お前のせいで、村の奴ら全員おかしくなった」
 悲痛な叫びが胸を刺した。普通の生活を奪って、挙げ句の果てに俺は誠に守られてばっかりで。
(楽しいわけがないだろ)
 俺が生贄の役目を果たせなかったせいで悲惨な今がある。村の人たちがおかしくなったのも全て、俺が後先考えずに逃げたからだ。
 そう、全部俺が悪い。
 誠が言っていることは全て正しい。
「俺だけじゃない。村の奴らも全員迷惑してんだ」
 闇に紛れた誠の顔が微かに見える。
 温度が無い瞳をしていた誠は、小さく口を開いて言った。
「お前──死ねよ」
 その言葉と同時に上から落ちた一粒の涙は、俺の頬を伝った。
(……それで、いいのかもしれない)
 俺はそんなことをふと思った。
 そもそものところ、俺は本来もうここに居るはずのない人間だ。すでに過去で死ぬ運命だった。なら、別に今でも変わらないだろう。
 ただその期間が、少しの間延ばされしまっていただけ。
 たくさんの人に迷惑をかけた。それは、誠も例外じゃない。
(誠の、迷惑になるくらいだったら──)
 死ぬのが怖くてあのそから逃げ出したというのに、誠に殺されるのは何故かちっとも怖くない。それがバカみたいにおかしくて、心の中で苦笑する。
 ガラス片を持つ誠の手が、微かに震えている。
 俺はその両手に自身の手を添える。
 誠の震えが、指先から伝わってきた。その指の冷たさに、ほんの一瞬だけ息が詰まる。
 それでも──そのまま、俺はガラス片を自分の喉に押し当てた。
「誠になら、殺されてもいい。俺を──殺して」
 口元だけが、勝手に緩んでいく。
 不思議と何も感じなかった。
 これで全て元通りになって、誠の未来が待っているなら。それだけで俺は救われる。
「なん、で」
「え?」
 ガラス片が、カチャンという音を鳴らして床に落ちる。誠は俺の胸ぐらを掴むと、震えた唇で声を振り絞った。
「……違う」
 誠の掠れた声が微かに耳に届く。
「違う……!!」
 その声と同時に、顔には一滴の雫が落ちた。いくつも降る大粒な水滴は、俺の頬を濡らしていく。
 そんな誠に、俺は目を丸くして息を呑んだ。
「お前は、なんも悪くないのに」
 そう目に涙を浮かべていう誠はいつもの誠で、それがなんだか嬉しくて。
「誠が言ってたことは、全部あってるよ」
 俺の言葉に、誠は顔をくしゃりと歪めて酷く悲しそうな目をする。
(なんで、そんな顔するんだよ)
 誠が悲しむ理由がわからない。
 すると誠は、ポツポツと言葉を口に出していった。
「茂と居ると、毎日楽しいんだよ。お前のおかげで学校行くのも悪くないって思えた。バカみたいな話しも一緒に笑ってくれて、怒る時は一緒になって怒ってくれた。初めて、家以外で俺が俺になれたんだ。だから──」
 胸ぐらを強く握っていた力がだんだん弱く解けていく。誠は、俺の胸の上に小さな拳をつくった。
「俺になら、殺されてもいいなんて言うんじゃねぇよ。自分のこともっと大切にしろよ」
 そう言う誠の声は、普段からは考えられないほど弱々しい。けど、次に開いた口は確かに力強かった。
「俺は茂が居なくなるとか絶対認めないからな。死ぬんじゃねぇ──生きろ」
 誠の口から確かに聞こえた、自分の耳を疑うようなセリフ。
(……生きろ、か)
 そんな言葉、今まで誰かから聞いたことも言われたこともなかった。俺一人のためだけに向けられた誠の声。真っ直ぐな、本音。
 かつての幼い自分が、一番に欲しかったその言葉。
 それをこの瞬間、誠が贈ってくれるなんて。そんなことを思ってしまうと、つい目頭が熱くなる。
「誠は、俺なんかに生きててほしいのかよ」
 鼻を啜って誠は涙を拭う。そして今度は、目を逸らさずに真っ直ぐに俺を見て言った。
「お前なんかじゃねぇよ。俺が、茂に生きててほしいんだ」
 誠が、俺に生きててほしい。
 その言葉に、思わず笑う。
 "生きろ"。たったそれだけのことなのに、どうしようもないほど嬉しかった。
(誰かに、必要とされる日がくるなんて)
 突然笑い出した俺に、誠は目を見開いてポカンと固まる。そんな誠もおかしくて、それと同時に安心した。
 もう、誠は泣いていない。
「泣き止んだか?」
 その問いかけに、誠は肩をびくりと揺らして視線を伏せる。
「ごめん、俺。茂に……」
 そう言う誠の手は僅かに震えている。仰向けになっていた体を起こして正面に座った俺は、誠に向かって頭を下げた。
「誠、巻き込んでごめん。でも、」
 少しぼやけた視界で俺は、誠の目を見て言った。
「──ありがとう」
「は、なんで」
 誠の瞳には驚きと、戸惑いの色が映っている。
「はじめてだったんだ」
 あの日の春からここ数年。誠に出会ってから初めてのことばかりだった。
 初めて友達ができたり放課後には二人で遊んだり。くだらないことで笑いあって喧嘩もして。  
(その後に一緒に食べたアイスも美味かったもんな)
 前に比べて少しづつ、毎日の楽しみが増えていった。
 そんな何気のないことで、何もなかった俺の世界に色がついた。
 そんなことに今更ながらに気がつくなんて、なんだかアホらしく思えてくる。
(──そうだな。その今までがあってからこそあの日、生贄になるのが怖くなったんだ)
「全部、誠のおかげ」
 俺がそんなことを言えば、誠は「なんだよ、それ」と言って、ここに来てから初めて笑顔を見せた。その顔にまだ涙は浮かんでいるけど、もう震えてはいなかった。
「茂。本当にごめ、」
「もう謝んの禁止な」
「いや、でも」
 謝られてしまうとどうしても調子がくるう。誠には、今まで通りでいてもらわなきゃ困る。
 しばらくすると誠は、納得いかない様子で渋々頷いた。
 シンと無音なこの部屋に、二人の呼吸と物が擦れる音だけが俺たちの間に残っている。沈黙が続く空気を割って口を開いたのは、誠からだった。
「……けが」
「なに?」
「絆創膏」
「え、なにお前怪我したの?」
(公園で見たときは怪我してなかった気がするけど)
 慌てておにぎりと一緒に落ちてた絆創膏を見つけて拾い上げる。すると、誠は俺からそれを奪い取ると呆れたように言った。
「怪我してんのは茂のほうだろ?」
 そう言って指を差したのは俺の頬。
 蔵に着いてからも色々あったせいか、すっかり忘れてた。指先で傷に少し触れてみると、まだ少し痛みが残ってる。
「傷口さわんなよ。また血が出る」
 慣れた手つきで紙を剥がすと、誠は頬の傷にペタリと絆創膏を貼った。
「お前は、もうちょっと自分のこと大切にしたほうがいい」
「どの口が言ってんの」
(いつも怪我ばっかしてんのは誠のほうだっつうの)
 逆にこっちが誠に同じことを言ってやりたい気分だ。
 そんな俺を汲み取ったのか、誠は「別に怪我だけの話じゃねぇよ」と言って絆創膏のゴミを小さく丸める。そんな誠は、何かをふと思い出したかのように声を出した。
「なぁ」
「なに?」
 誠は俺と目が合えば、少し申し訳なさそうな顔をしてその目を逸らす。
 そんな様子になんだと思っていると、誠はその場を立って口を開いた。
「えっと、あのさ。──ちょっと出かけないか?」
 突拍子もない誠の提案。
 今外に出たとして、もし村の住人と鉢合わせたらまずい。
「は、どこに?それに今外出すんのは……」
 すると誠は俺の手を勢いよく引いて立ち上がらせると、
「平気だって。大丈夫だから」
 と言ってニカッと笑った。
 そんな誠に押された俺は、しかたなく首を縦に振る。
「……分かった。で、どこ行くんだ?」
「んー。まぁ、行けばわかるだろ」
 誠のあまりに適当な返事に、「なにそれ」と少し呆れた声が出る。
 ふと時計を拾い上げると、時刻はもう夕方の六時を回っていた。
 蔵から出ると昼の時とは違い、横を過ぎる風が肌寒い。
(もう秋だな)
 そんなことを思いながら誠の後ろをついていく。すると見覚えのある道に、だんだんと行く場所に違和感を持ち始めた。
「誠、この道って」
 そんな俺に、誠は「いいから」と言って向こうに指を差した。
「あそこ」
 誠の指の先に見えたのは、祭りが始まる前に待ち合わせした山のふもと。予想もしていなかったその場所に、俺は内心首を傾げる。
 何故そこと不思議に思いつつ足を運ぶと、誠は突然茂みの中を漁り出した。
「えっと。あれ、どこやったっけ」
(なんか物でも落としたのか?)
 何かを探すような誠の手つきに、俺も茂みの中を覗き込む。しかし辺りが暗いせいか、茂みの中に何があるのかぱっと見じゃ分からない。
「あった!」
 しばらくすると、ついに目的のものを見つけたのか誠は隣で嬉しそうに声を上げた。
 何が見つかったのかと誠が手に持ったものを見ると、それは想像していたものとだいぶかけ離れた物だった。
「これって……花火?」
 誠が持っていたのは色々な種類が入っている手持ち花火のセットの一袋。ちゃっかりバケツまで用意されているようで、やる準備万端のようだった。
「なんで?」
「夏だから」
 そう答える誠は花火を俺に押し付けると、バケツを持って「ちょっと待ってろ」と、近くの川に水を汲みに行った。
「準備、してたのか?」
 誠が居なくなって一人になった俺は、そんなことを呟く。
 花火といいバケツといい、明らかに準備がよすぎる。だから出かけようなんて言っただろうか。
(でも、何で今?)
 疑問に思いながらその花火をじっと見つめていると、遠くから「汲んできたー」と誠の声が耳に届いた。
「ごめん、待った?」
「全然」
「じゃ、始めるか」
 誠はそう言うとビニールに入った花火を一本づつ取り出していく。すると、誠は「あ、」と声を出してしまったという顔をした。
「どうした?」
「いや、なんていうか。その」
 誠は俺から気まずそうに目を逸らすと、
「火付けるやつ、忘れてた」
 と消え入りそうな声で言った。
「花火すんのに火がないとか……ごめん」
 誠はビニールから花火を取る手を止めて肩を落とす。
「おま、ほんとそういうとこ」
「笑うな」
 思わず吹き出して笑ってしまうと、誠は拗ねたように俯いた。
「なぁ誠。これ、なんだと思う?」
 そう言ってポケットから取り出したそれを誠に差し出す。「なんだよ」と顔を持ち上げた誠は、それを見ると小さな笑い声を漏らした。
「なんでライターお前が持ってんだよ」
「さあな。……たまたま」
「ほんと、茂って前からタイミング最高だよな」
 ビニールを持って止まっていた誠の手が再び動き出す。俺の前に一本の花火をと差し出すと、誠は「やろーぜ」と言って笑った。
 花火を受け取ると、誠は俺の手からライターを奪ってカチ、カチと音を鳴らす。
「あれ、つかない」
「悪い。これ結構古いから」
 カチ、カチ。数回の試みの後、ライターはようやく小さな火を灯した。
「こっち、ほら」
 誠はライターの火を俺が持っている花火の先端に近づける。すると、花火はパチパチと音を鳴らしながら飴色の火花を散らしていった。
「うわ」
 目に映る眩い光に、俺は思わず声を漏らす。
 辺りに漂う火薬の匂い。赤、黄、緑と順に色が変わっていく閃光は、俺の胸をドキドキと高ならせる。
「すげぇ……」
「やっぱ、いつ見ても綺麗だよな。花火って」
 隣に立つ誠は、子供みたいにはしゃぐ俺を見て静かにそう言った。
 俺が持つ花火は、ぱっと弾けて闇の中へ消えていく。すると、誠は新しい花火を俺に差し出して誠の持つ花火と一緒に火をつけた。
「茂。あのさ」
「どうした?」
 花火から誠へ視線をそらす。闇夜に舞う橙色の星屑は、誠の頬をほんのり明るく照らしていた。
「誠が蔵を出てった後にさ。俺どうしても気になって、家族のこと探しに行ってたんだ」
(……そうだったんだ)
 ずっと気になっていた理由に腑に落ちる。
 続く誠の話に、俺は黙って耳を傾けた。
「居たよ。母さんも、妹もみんな。でも、やっぱ普段のみんなじゃなくて。俺のことも、……わかんなかったみたい」
 そう言う誠は、顔に影をつくって寂しそうに笑っている。
「本当にみんな変わっちゃったんだって、そしたらなんも考えられなくなっちゃってさ。気づいたらいつの間にか変な暗闇に思考が飲み込まれて、俺が俺じゃなくなったみたいで。でも、そんなの言い訳だよな」
 俺と誠の花火が、だんだんと光を落として消えていく。
「ごめん」
 誠の声は、震えていた。
 俺は誠が持っていたライターを奪うと、一本花火を差し出して言った。
「謝んなくっていい。それに、ごめんはさっき聞いたから」
 誠は俺の手から花火を受け取る。次は俺が誠と自分の花火に火をつけた。
「俺はさ、やしろ行ってたんだ。もしかしたらなんか解決できる手がかりあるかもって」
 少しづつ勢いを増していく花火に視線を落としながら、俺は続けて口を開いた。
「そこには書物とか紙とか色々あって。それに儀式のことについても書いてあった」
 誠は自分の花火に目もくれないで俺を見ている。でもどんな顔で誠の方へ向けばいいのかわからなくて、俺は自分の花火から目を離すことができない。
「……母さんってさ、俺のことどう思ってたのかな」
「母さんって、茂の?」
 誠の言葉に俺は黙って頷く。
「書いて、あったんだ。生贄になる子供には、家族の同意が必要だって。本当は、母さんは俺なんか──」
「茂の母さんって優しそうな人だよな」
「え?」
 閃光の火花が大きく弾ける。その言葉につられて俯いていた顔を上げると、誠は何かを思い出すかのように言った。
「時々村で茂の母さんに会うんだよ。そしたら毎回お前のことについて聞いてくるんだ。あの子は学校で元気にやってるかとか、昼飯は毎日ちゃんと食ってるかとかって」
 誠は消えた花火をバケツの中へ放り込むと、新しい花火を片手に持つ。
「お前の母さんさ、私じゃあの子の笑顔を引き出せない。茂と仲良くしてくれてありがとうって、言ってた」
 誠は俺の手からライターを取って火を灯した。
「大好きなんだな。茂のこと」
 そんなことを言う誠は、目に鮮やかな光の煌めきを映している。
「……嘘だ。だって、」
「嘘じゃねぇよ。じゃなかったら、いちいちそんなこと聞いてこない」
(だって、じゃなかったら何だっていうんだよ)
 あの時見た文字は見間違いじゃない。確かに、本当に書いてあったんだ。
 俺は、すでに燃え尽きた花火を握りしめる。すると誠は新しい花火を一本俺に差し出すと、ライターを片手に持って言った。
「茂は、どう思ってんの?」
「……俺?」
「そ」
(俺が、──母さんを)
 俺が生きてきた中で母さんとのこれといった思い出は少ない。
 でも、母さんと二人で花火をしたとき。今より種類は少なかったけど、それでも楽しかったことを覚えてる。
 花火をしたと言っていた同級生がどうしても羨ましくて、母さんにやってみたいって。迷惑だろうに、何故か母さんは嬉しそうに頷いてその日のうちに花火を買ってきてくれた。
「前に、一回だけ。母さんと花火したことあるんだ」
 人目のつかないところで二人。家から小さなバケツと、今誠が手にしてるライターを持っていった。
「買ってきたのは母さんなのに見てるばっかで、結局俺が全部やってさ」
 一緒にやろうって言ったのに、母さんは「見てるだけで充分」だって花火には一本も手をつけようとしなかった。
「一緒に、やりたかった」
 俺だけじゃなくて、母さんとも二人で。
「言えなかったんだ。花火買ってもらったのにこれ以上言ったら、もっと迷惑かけるから」
 花火をすることができたのは楽しかったし嬉しかった。
 でも──
「楽しそうじゃなかったのか?」
「いや、それは……」
 続きの言葉が絡まって喉に引っかかる。
(そういえば、あの時。母さんってどんな顔してたっけ)
 悲しかった記憶が強すぎて、思い出そうにも母さんの顔にはぼんやりとした靄がかかる。
「お前が花火やりたいって言ったとき、迷惑そうな顔してたのかよ」
「……してない」
 むしろ、嬉しそうな顔で頷いてくれた。
「なぁ、知ってた?」
「え?」
「人ってさ、結構顔に出んだよ」
 誠はカチ、とライターを鳴らすと、俺が持つ花火の先端に火を灯した。
「お前の母さんは、どんな顔してた?」
 パチパチと、弾ける黄色い花。散って闇に溶る光の線は、俺の胸を小さく照らす。
「ほんとに昔のことだから。もう、よく思い出せないや」
 俺が花火をしていた隣りで母さんは、どんな顔をしていたのだろう。
 でも、それでも──
(……嬉しそうだった、気がする)
 そう思ってしまうのは、気のせいなのだろうか。
 その時の顔が思い出せなくても、花火をねだったあの時。母さんは確かに嬉しそうな顔をしていた。
 結局、俺には母さんがわからない。
「一緒にはできなかったけど。母さんが隣に居た花火は、すげぇ楽しかった」
「……そっか」
 光を失った花火の先から、焦げた火薬の匂いが立ちのぼる。燃え尽きた花火をバケツに落とすと、ジュッと軽い音を鳴らした。
 何もないはずの空をただぼんやりと見上げる。ガサゴソと音がする隣へ視線を向けると、誠はもう残り少ないビニールから二本の細い花火を取り出していた。
「何、そのほっそいの」
「あれ、お前って線香花火知らねぇの?」
「……知らない」
 もしかしたらやったことがあるかもしれないけど、記憶が前すぎて曖昧だ。
 誠はその花火をグイッと差し出すと、
「これもめっちゃ綺麗なんだ」
 と言って俺の手に手渡した。
「これも色が変色したりとかすんの?」
「やってみたら分かる。しゃがめよ」
 誠はもう慣れた手つきでカチ、とライターに火を灯す。火にかざした線香花火は、パチパチと音を鳴らして先端に小さな玉をつくった。
「その玉、どっちが最後まで落とさないか勝負な」
「え、これって落ちんの?」
 驚いて隣を見ると、誠はそんな俺を見てホッと息を吐くように笑った。
(今のに笑う要素あったのか?)
 誠の笑いのツボがよくわからない。 
 そんなことを思いながら目線を下へ戻すと、小さかったはずの玉が膨らんでいた。その火玉を纏うように、花火がパチパチと飛び散りだす。
「なぁ、誠。なんで花火持ってきてたんだ?」
「……気になんの?」
「普通気になるだろ」
 そんな俺の質問に、誠は自分の首に手を当てると「ま、そうなるよな」と小さく呟いた。
「茂。今何歳?」
「……十四?いや、もう十五か。それがどうした」
 花火から顔を上げて隣を向く。すると、誠と俺の目が交わった。
「──誕生日おめでとう。茂」
「は?」
「本当はお前の誕生日で祝おうと思って持ってきてたやつで。でも、なんかそのタイミングが全然なかったっていうか」
「え、じゃあ花火は……」
「俺からの誕生日プレゼント、みたいな」
 そう言い切った誠は、どこか気恥ずかしそうに目を逸らして頭を掻く。そんな誠に、俺は思わずぷっと息を吹き出して口に手を当てた。
「おま、誕生日プレゼントが花火って」
「別にいいだろ!」
 片手に持っていた線香花火は、俺の肩が揺れた衝撃でポトリと下に落ちてしまった。
(ほんと、そういうところが誠らしい。てか、線香花火俺の負けじゃん)
 俺のが落ちたすぐに、誠の火玉も地面に落ちる。俺はニ本花火を取り出して一本を誠に差し出した。今度は、俺が誠と自分の花火に火をつける。
「誠はさ、村出て地元じゃない高校行くんだっけ」
「親にも高校には行けって言われてるから。茂に見てもらって少しは俺の頭も良くなったし。もうちょいレベル高いとことかも行ってみたいなって」
「……そっか。まぁ、俺がお前の勉強見てたおかげだよな」
 もう俺と誠は今中学3年目。
(村から出てったら、もう会えなくなるんだよな)
 まだ時間があるといっても、卒業まですでに半年を切っている。もう誠と一緒に居られる時間も、残り少ない。
「茂は?」
「え?」 
「どうすんだよ。高校とか」
 あたかも当たり前のように、オレの将来を聞いてくる誠。
(将来、かぁ)
「……考えたことねぇ」
「もう夏終わってんだぞ?そろそろ決めなきゃヤバいだろ」
 誠が言ってることはもっともだ。
 でも、だってそうだろう。自分にこの先があるなんて考えたことも、想像したこともなかったんだら。
(でも、行ってみたいよな。高校とか)
 もし今の先があったとしたら、俺はどんな未来を生きてるんだろう。
「なぁ、茂。決まってないんだったら、俺と同じ高校行かない?」
「……なんでだよ」
「なんでってそりゃあ、えっとー。あれ、また怪我したときとかお前居ないと絆創膏貰えないじゃん」
 誠は俺の頬に指を差しす。差された頬を指で撫でると、絆創膏の形がくっきりわかった。
「他のやつに貰えばいいじゃん」
「あのなぁ。俺に友達とかできるわけないだろ」
「そんな自信満々に言うことか」
 少し呆れたようにそう返せば、
「そ、だってマジだし」
 と言っておかしく笑う。
(誠と同じ高校、か)
 今までみたいにアイス食ったり、遊んだり。それがまた三年間続くのも、案外悪くないと思ってしまう。
「考えとくよ」
 花火の線が闇に溶け込んで消えていく。終わった花火をバケツ投げ込んだ俺は、残り二本になった花火を掴んで、そのうちの一本を隣に差し出した。