あいつと、誠と出会ったのは中学生になって間もない頃。桜の花弁がはらはらと散っていくくらいの季節だった。
当時の俺は、特に仲がいいという友達もおらず、ただ一人でボーッと桜並木を眺めているような奴であったことを覚えてる。
友達なんてものを作っても、俺にはなんの意味もない。むしろ、必要のないものだ。
(──早く十五歳になんないかな)
どうせ運命が変わることはない。生まれた時からわかっていることだ。だったら、早く時が経ってその時になればいい。
ベンチの背もたれに寄りかかりながら、遠くてどこまでも広い空を見つめる。隣を吹き抜ける風は、春さながらに肌寒い。温かさを求めて腕を摩ると、なにかを揉め合っている声が嫌でも耳に届いた。
「うわ。またやってる」
よく飽きもせずこんなことを。内心呆れつつ、普段から揉め事の筆頭となっている同級生に目をやる。
桂木誠。それがそいつの名前。
しなやかに相手の攻撃をかわしては、的確に自分の一撃を決めてくる。そういって負けていった人たちは日ごとに数を増していく。
今じゃ負けなしの一年っていう噂まで回っている。
そしてクラスメイトの一人でもあるそいつの存在は目立つもので、平和な学校生活を求めていた俺にとっては迷惑極まりなかった。
「っ、痛ってー」
悲痛な、でも笑っているようにも聞こえる声に意識が戻る。他の考えに気を取られていた一瞬で、繰り広げられていた喧嘩は幕を下ろしていた。
大の字で寝転がるそいつの周りには、気を失うまでボコボコになった先輩たちが広がっている。
(ほんと毎度よくやるよな。てか、あいつ怪我してるし)
髪の隙間から光って見える赤い筋。額を擦ったのだろう。しかし当の本人はそんな怪我を気にしていないようだ。仰向けになった体制で、空をじっと見つめている。
(……痛そうだな)
「って、なんで俺がこんなこと気にしなきゃなんないんだよ」
あんなの、関わったら鬱陶しいだけだ。そう頭の中では分かっていても、やはり人間というもの。一度気になったことは何かをしないと気が済まない。
(俺もまだ人間なんだな)
頭の裏をガシガシ掻いて、再びそいつへ目を向ける。陽に反射して輝いている赤は、あいつが気にしていなくても見てるこっちが痛々しい。
「──行くか」
ガサガサとポケットを漁りながら重い腰を持ち上げる。確か、予備で入れていた絆創膏が何枚かあったはずだ。紙が手に触れた感触に、それを指で摘んで引っ張り出す。
(うわ、まじか……)
手の中に収まっていたものは、くしゃりと丸まっている絆創膏であるはずのもの。
これをあいつに差し出すとか、逆に迷惑なんじゃ?しかし、ここまできた手前もう背に腹は変えられない。
グッと拳に力を入れると一つ息を吸って、寝転がっているそいつの元へ歩み寄った。
「おい。お前」
そいつの前でしゃがみ込むと、顔に俺の影が重なった。ちょうど目の前にあったよさそうな額をデコピンで弾いてみる。
「たっく、なんだよ。喧嘩ならよそいけ」
手をひらひら振りながら、鬱陶しいとでもいたげに気だるげな返事を返す。
(こっちは心配してるってのに、こいつ)
だんだんとこいつの態度が鼻についてくる。俺は乱暴に絆創膏の外包を剥がすと、前にある額の上に勢いよく貼った。
「ってぇな。なにすんだよ」
うっすらと開かれる目と、俺の視線が互いに交わる。
「うわ」
(やっぱ痛そー)
「うわってなんだよ。てか、お前同じクラスの奴だろ。なんだ?喧嘩でも売りにきたのかよ」
そう言って睨み上げてくるそいつにお構いなしに、まだ手元にある絆創膏を一枚づつ剥がしては、まだある擦れ傷にペタペタと貼っていく。
まあ、こんなキャンキャンしてんならなんてことないだろう。こいつの怪我を気にしていた数分前の自分がだんだんと馬鹿に思えてくる。
「……なんだよ、この絆創膏。てか貼んの下手かよ」
「うっせぇ、黙ってろ。動くと貼り間違える」
せっかくの人からの親切心を、こいつはなんだと思っているんだか。
(人の怪我なんて治療すんの初めてなんだからしょうがないだろ)
一通り目に見える傷を絆創膏で覆うと、少し満足気に頬が緩む。
よし、気は済んだ。と立ちあがろうとする俺に、「おせっかいな母ちゃんかよ」とそいつは余計な一言を呟く。
「お前がそうやって怪我してると見てるこっちが痛いんだよ。ほんと、よく毎日喧嘩ばっかで飽きないよな」
そいつはポカンとした目で俺を見上げた。意外だというその目に、俺はむず痒さを覚えて背を向けて立ち上がった。
「……傷口、ちゃんと消毒しとけよ」
今更顔を向けるのもなんか恥ずかしい。
ポケットティッシュをそいつに向けて投げ捨てた俺は、振り返らずにその場を去った。
それからというもの。翌日、その翌日と俺の意思関係なくそいつと顔を合わせる日々が続いていた。
「お前なぁ。いい加減俺に絆創膏貰いにくるのやめろ。保健室行けよ」
「嫌だね。保健室なんて行ったら説教されんに決まってんだろ」
そういって最近やたらと理由をつけて会いにくるせいで、気が休まる暇がない。なんて言ったって不良の中の不良。もう周りの目が痛くてしょうがない。
目の前にある傷口に、俺は力任せに絆創膏を貼り付けた。
「っ、てぇな。もうちょい優しくしろよ!」
「うるさい。黙って貼られてろ」
そんなこいつに流されて絆創膏を常備するようになった俺も、だいぶイカれたものだ。
「そういや、お前の名前ってなんだっけ?」
「……は?ていうか今更?」
「同じクラスってのはわかってたけど、人の名前ってそうそう覚えることねぇじゃん。俺は──」
「そんぐらい知ってる。桂木だろ」
あまりに早い即答に信じられないという眼差しを向けてくる。俺は今の状況を内心疑問に思っていた。
(何やってんだよ、俺)
もう関わらないと決めていたはずなのに、そいつは今隣でおかしそうに笑っている。
「苗字の下は?」
「桂木。……お前、俺で遊んでないよな」
「は?なんで?」
「今まで接点なんか無かっただろうが」
そいつは顎に指を立てて考える素振りを見せた後、はっとして口を開いた。
「お前ぼっちじゃん?」
「……は?」
思っても見なかった返答に、思わず低い声が出る。
(ぼっち?いや、俺はただ一人でいたいだけで)
黙り込む俺に、そいつは焦ったように続きを喋った。
「バカにしようってんじゃなくて。最近気づいたんだけどなんかお前、時々周りの奴ら見て寂しそうな顔すんじゃん。いや、ほんとは全然そんなことないかもしれないけど」
俺が寂しいとか、あるはずない。そんなこと絶対にありえない。
「お前の勘違いだ。ばーか。で、だからなんだってんだよ」
「俺がお前と一緒に居てやるよ」
「は?理由になってねぇし別に必要ない。それ、ただで絆創膏貰いたいだけなんじゃねぇの?」
するとそいつは当たり前のように「絆創膏のついで」と言ってニヤリと笑った。
「……勝手にしろ」
「じゃあ勝手にさせてもらうついでに後もう一枚絆創膏くれよ」
ほんとうに、何を考えてんのかわからない奴だ。数日一緒に過ごしたというのに腹の奥底が掴めない。
「ハイハイ、どーぞ」
呆れながら絆創膏を手渡すと、そいつは「さんきゅ」と受け取ってそれを剥がして首元に貼る。
「で、俺まだお前の名前聞いてねぇんだけど」
「村雨、茂」
「了解。じゃあ茂だな。茂も俺のことお前じゃなくて名前で呼べよ」
そいつは満足したように立ち上がると、「またな」と言って階段を駆け降りていった。
台風のような奴だった。唖然とその背中を見つめるが、不思議と悪い気はしない。
ハラハラと、一枚の桜の花弁が窓の隙間から入ってくる。それがそいつ、いや誠とのしょうもない出会いだった。
当時の俺は、特に仲がいいという友達もおらず、ただ一人でボーッと桜並木を眺めているような奴であったことを覚えてる。
友達なんてものを作っても、俺にはなんの意味もない。むしろ、必要のないものだ。
(──早く十五歳になんないかな)
どうせ運命が変わることはない。生まれた時からわかっていることだ。だったら、早く時が経ってその時になればいい。
ベンチの背もたれに寄りかかりながら、遠くてどこまでも広い空を見つめる。隣を吹き抜ける風は、春さながらに肌寒い。温かさを求めて腕を摩ると、なにかを揉め合っている声が嫌でも耳に届いた。
「うわ。またやってる」
よく飽きもせずこんなことを。内心呆れつつ、普段から揉め事の筆頭となっている同級生に目をやる。
桂木誠。それがそいつの名前。
しなやかに相手の攻撃をかわしては、的確に自分の一撃を決めてくる。そういって負けていった人たちは日ごとに数を増していく。
今じゃ負けなしの一年っていう噂まで回っている。
そしてクラスメイトの一人でもあるそいつの存在は目立つもので、平和な学校生活を求めていた俺にとっては迷惑極まりなかった。
「っ、痛ってー」
悲痛な、でも笑っているようにも聞こえる声に意識が戻る。他の考えに気を取られていた一瞬で、繰り広げられていた喧嘩は幕を下ろしていた。
大の字で寝転がるそいつの周りには、気を失うまでボコボコになった先輩たちが広がっている。
(ほんと毎度よくやるよな。てか、あいつ怪我してるし)
髪の隙間から光って見える赤い筋。額を擦ったのだろう。しかし当の本人はそんな怪我を気にしていないようだ。仰向けになった体制で、空をじっと見つめている。
(……痛そうだな)
「って、なんで俺がこんなこと気にしなきゃなんないんだよ」
あんなの、関わったら鬱陶しいだけだ。そう頭の中では分かっていても、やはり人間というもの。一度気になったことは何かをしないと気が済まない。
(俺もまだ人間なんだな)
頭の裏をガシガシ掻いて、再びそいつへ目を向ける。陽に反射して輝いている赤は、あいつが気にしていなくても見てるこっちが痛々しい。
「──行くか」
ガサガサとポケットを漁りながら重い腰を持ち上げる。確か、予備で入れていた絆創膏が何枚かあったはずだ。紙が手に触れた感触に、それを指で摘んで引っ張り出す。
(うわ、まじか……)
手の中に収まっていたものは、くしゃりと丸まっている絆創膏であるはずのもの。
これをあいつに差し出すとか、逆に迷惑なんじゃ?しかし、ここまできた手前もう背に腹は変えられない。
グッと拳に力を入れると一つ息を吸って、寝転がっているそいつの元へ歩み寄った。
「おい。お前」
そいつの前でしゃがみ込むと、顔に俺の影が重なった。ちょうど目の前にあったよさそうな額をデコピンで弾いてみる。
「たっく、なんだよ。喧嘩ならよそいけ」
手をひらひら振りながら、鬱陶しいとでもいたげに気だるげな返事を返す。
(こっちは心配してるってのに、こいつ)
だんだんとこいつの態度が鼻についてくる。俺は乱暴に絆創膏の外包を剥がすと、前にある額の上に勢いよく貼った。
「ってぇな。なにすんだよ」
うっすらと開かれる目と、俺の視線が互いに交わる。
「うわ」
(やっぱ痛そー)
「うわってなんだよ。てか、お前同じクラスの奴だろ。なんだ?喧嘩でも売りにきたのかよ」
そう言って睨み上げてくるそいつにお構いなしに、まだ手元にある絆創膏を一枚づつ剥がしては、まだある擦れ傷にペタペタと貼っていく。
まあ、こんなキャンキャンしてんならなんてことないだろう。こいつの怪我を気にしていた数分前の自分がだんだんと馬鹿に思えてくる。
「……なんだよ、この絆創膏。てか貼んの下手かよ」
「うっせぇ、黙ってろ。動くと貼り間違える」
せっかくの人からの親切心を、こいつはなんだと思っているんだか。
(人の怪我なんて治療すんの初めてなんだからしょうがないだろ)
一通り目に見える傷を絆創膏で覆うと、少し満足気に頬が緩む。
よし、気は済んだ。と立ちあがろうとする俺に、「おせっかいな母ちゃんかよ」とそいつは余計な一言を呟く。
「お前がそうやって怪我してると見てるこっちが痛いんだよ。ほんと、よく毎日喧嘩ばっかで飽きないよな」
そいつはポカンとした目で俺を見上げた。意外だというその目に、俺はむず痒さを覚えて背を向けて立ち上がった。
「……傷口、ちゃんと消毒しとけよ」
今更顔を向けるのもなんか恥ずかしい。
ポケットティッシュをそいつに向けて投げ捨てた俺は、振り返らずにその場を去った。
それからというもの。翌日、その翌日と俺の意思関係なくそいつと顔を合わせる日々が続いていた。
「お前なぁ。いい加減俺に絆創膏貰いにくるのやめろ。保健室行けよ」
「嫌だね。保健室なんて行ったら説教されんに決まってんだろ」
そういって最近やたらと理由をつけて会いにくるせいで、気が休まる暇がない。なんて言ったって不良の中の不良。もう周りの目が痛くてしょうがない。
目の前にある傷口に、俺は力任せに絆創膏を貼り付けた。
「っ、てぇな。もうちょい優しくしろよ!」
「うるさい。黙って貼られてろ」
そんなこいつに流されて絆創膏を常備するようになった俺も、だいぶイカれたものだ。
「そういや、お前の名前ってなんだっけ?」
「……は?ていうか今更?」
「同じクラスってのはわかってたけど、人の名前ってそうそう覚えることねぇじゃん。俺は──」
「そんぐらい知ってる。桂木だろ」
あまりに早い即答に信じられないという眼差しを向けてくる。俺は今の状況を内心疑問に思っていた。
(何やってんだよ、俺)
もう関わらないと決めていたはずなのに、そいつは今隣でおかしそうに笑っている。
「苗字の下は?」
「桂木。……お前、俺で遊んでないよな」
「は?なんで?」
「今まで接点なんか無かっただろうが」
そいつは顎に指を立てて考える素振りを見せた後、はっとして口を開いた。
「お前ぼっちじゃん?」
「……は?」
思っても見なかった返答に、思わず低い声が出る。
(ぼっち?いや、俺はただ一人でいたいだけで)
黙り込む俺に、そいつは焦ったように続きを喋った。
「バカにしようってんじゃなくて。最近気づいたんだけどなんかお前、時々周りの奴ら見て寂しそうな顔すんじゃん。いや、ほんとは全然そんなことないかもしれないけど」
俺が寂しいとか、あるはずない。そんなこと絶対にありえない。
「お前の勘違いだ。ばーか。で、だからなんだってんだよ」
「俺がお前と一緒に居てやるよ」
「は?理由になってねぇし別に必要ない。それ、ただで絆創膏貰いたいだけなんじゃねぇの?」
するとそいつは当たり前のように「絆創膏のついで」と言ってニヤリと笑った。
「……勝手にしろ」
「じゃあ勝手にさせてもらうついでに後もう一枚絆創膏くれよ」
ほんとうに、何を考えてんのかわからない奴だ。数日一緒に過ごしたというのに腹の奥底が掴めない。
「ハイハイ、どーぞ」
呆れながら絆創膏を手渡すと、そいつは「さんきゅ」と受け取ってそれを剥がして首元に貼る。
「で、俺まだお前の名前聞いてねぇんだけど」
「村雨、茂」
「了解。じゃあ茂だな。茂も俺のことお前じゃなくて名前で呼べよ」
そいつは満足したように立ち上がると、「またな」と言って階段を駆け降りていった。
台風のような奴だった。唖然とその背中を見つめるが、不思議と悪い気はしない。
ハラハラと、一枚の桜の花弁が窓の隙間から入ってくる。それがそいつ、いや誠とのしょうもない出会いだった。
