創作BL)ツリ目にクローバー

「──なぁ、キスしていいか?」
「へ?」
 学校からの帰り道、偶然通った自然公園の片隅で、猫みたいなツリ目の美人な同級生からそんなことを言われて、四葉はマヌケな声をあげた。


 高校二年の(まゆずみ) 四葉(よつば)は、空がオレンジに染まり始めた通学路を一人トボトボと歩いていた。
 今日は担任教師のプリント整理の手伝いを、居残っていた生徒たちでやることになったのだが、当然のように押し付け合いが始まり、当然のようにジャンケンで決めることになり、当然のように四葉が一人で手伝う羽目になった。
「ジャンケンで決めようって話になった時点で、ほぼ決まってるんだよなぁ」
 四葉は昔から、何かと不幸に遭うことの多い人生を送っている。ケガや病気で入院した回数は数知れず、呪われているのではと囁かれるほどだ。
 そのため『三歩歩けば厄災に当たる』『貧乏神に愛された男』『不幸の総合デパート』……などなど、なんとも不名誉なあだ名をほしいままにしている。
 しかし、いくら不運に出会ったとしても、未だ死なずにすんでいるので、逆に強運なのではないか、と『幸運の四葉のクローバー』と同じ名前を冠している意義を考えるが、たいていの人には『名前負けしている』と一刀両断されるのがオチだ。
 そんなわけで、予定調和のような居残りのあと、さらに二つ上の姉から『牛乳買ってきて』と依頼が追加された四葉は、ため息をまた一つ吐き出して歩き続ける。
 途中、大きな自然公園の出入り口に差し掛かった。
 町内にある清宮(きよみや)自然公園は、数ヶ所の出口に繋がる遊歩道や遊具の豊富な広場、野鳥の訪れる池などが自然豊かに配置された巨大な自然公園で、敷地内には小さな神社も設置されている。
 四葉の家はこの公園の向こう側にあるので、公園内の遊歩道をよく通り抜けて通学していた。しかし今日は少しばかり躊躇われて、足が止まる。
「うーん、どうしようかな……」
 というのも、つい先日、自然公園内の樹木や建物、遊具などが大量に壊されるという酷い事件があったからだ。まるで巨大な竜巻でも通り抜けたかのように荒らされたそうだが、その日に竜巻が発生した記録はなく、何者かが集団で荒らしたのではないか? と警察が調べる事態になっているらしい。
 もう少し明るい時間なら、荒らされた場所への侵入禁止のテープやビニールシートもそこまで怖くないのだが、黄昏時の、少し草葉の影が気になる時間に通るのは、やはりいささか不気味だ。
 しかしこの広い公園を迂回して帰るとなると、それもまた遅くなってしまう。
「……よし」
 四葉は意を決して、公園内に足を踏み入れた。悩んでいるくらいなら、ささっと通り抜けてしまったほうがいい。
 薄暗くなりつつある空の下、土を固めて作られた遊歩道を、四葉は足早に進む。
 もうすぐ自宅マンションに近い出入り口が見えてくる、というところで、視界の隅に妙なものを捉えた。遊歩道から少し離れた芝生の上、二本の人間の足が横たわっている。
「えっ!?」
 驚いてそちらを見ると、自分の着ている制服と全く同じ、紺のジャケットにグレーのスラックスを着た男子生徒が倒れていた。きっと同じ学校の生徒だろう。
「だ、大丈夫ですか!?」
 四葉は慌ててそちらへと駆け寄り、顔を覗き込むとアッと息を呑んだ。
 色素の薄い髪に白い肌、美しく整った顔立ち。
 目を閉じていても分かる。彼は女子達の間で大人気の『氷の王子様』と密やかに呼ばれている、隣のクラスの鳴崎(なるさき) (あやめ)だ。
 しかし、そんな彼がどうしてこんなところにいるのだろうか。青白い顔で倒れている菖の側には、何やら怪しい文字の書かれた木刀も落ちている。
 ともあれ人命救助だ、と四葉は意識があるのかどうか何度か呼びかけた。
「ねぇ、君、大丈夫?」
 控えめに頬を叩くと、瞼が小さく震える。そしてすぐに目が開いて、ぼんやりとしつつも、上体を起こそうとするので、四葉は菖の背中を支えた。
「救急車、呼ぼうか?」
「……いや、いい」
 四葉の問いかけに首を振り、その次に彼の口から飛び出した言葉は、衝撃的なものだった。
「──なぁ、キスしていいか?」
「へ?」
 そうしてマヌケな声をあげた四葉は、二度ほど大きく瞬きをした。
「き、キス!?」
「そう。お前、黛 四葉だろ?」
「え、う、うん。そうだけど」
 黛 四葉であることに間違いはないが、キスを求められた理由にはなっていない。
「ダメか?」
「えっと……」
 まるで猫のような、綺麗な流線を描くツリ目の中心で、意志の強い瞳にジィッと見つめられる。
 ──別にお金とか命をよこせ、と言われているわけじゃない、しな……?
 この辺りはわりと治安がいいほうで、柄の悪い人にぶつかっても、謝れば許してもらえたし、最悪お金を渡せばなんとかなるほうだ。それに比べたらキスくらい、別にいいのではないだろうか、と四葉はだんだんそんな気持ちになってくる。
「だ、ダメでは、ないけど……なんで?」
「説明してる暇がない。時間がないんだ。……口、開けて」
「は?」
 驚いているうちに、菖の長い指に顎を掴まれた。そして、ポカンと開けたマヌケな口を、綺麗な顔の整った形の唇であっという間に塞がれる。
「……っ!!」
 ぬるり、と分厚い舌が遠慮なく口の中に入ってきて、その感触にドキリとした。侵入してきた舌は、驚いて縮こまる四葉の舌にぐるりと何度も絡みつく。
「……んっ」
 腹の底から何かが湧き上がる感覚に変な声が出そうで、四葉はいつの間にか正座していた己の足の太ももを、自分の手のひらでぎゅうっと掴んだ。
 そうしてなんとか耐えていると、ふっと甘くてどこか爽やかさのある香りが鼻を掠める。この人がつけている香水かなにかだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えていたら、ようやく息を吐くように解放される。
 じわりと目の端に涙が溜まっていたのに気付いたのは、唇が離れてからだった。
 顔が熱い。酸素が欲しくて、大きく息を吸い込む。
 キスしてきた張本人は、こちらの様子などお構いなしに、己の手のひらを見ながらグーパーと閉じて開くを繰り返していた。
 まるで何かをチェックしているかのような。
 一通り確認が終わったのか、小さく頷いて呟いた。
「──うん、悪くないな」
 一体何がだ。説明が欲しい。
 そんな四葉の思いとは裏腹に、菖はふらりと立ち上がると、すぐ近くに落ちていた木刀を拾い上げる。そして、ぶんと大きく一振りし、その切先ですぐ近くの自然公園の出口を指した。
「助かった。悪いけど、さっさといってくれるか」
 よくよく見れば、倒れていた時は真っ青だった菖の顔色は、随分とよくなっている。顔色がよくなったことに少しホッとして、それから今自分がなにを言われたのかを思い出した。
「……あ! は、はいっ!」
 四葉は勢いよく立ち上がると、通学鞄を抱きしめて大急ぎで出口に向かって走り出す。
 走って走って、自然公園から出て、いつもの道路を自宅のあるマンションに向かってさらに走った。
 辺りはすっかり街灯が光り始めていて、夜がもうすぐやってくる。
 頭の中はひたすらにパニックだった。
 ──ぼ、僕のファーストキスが、鳴崎くんになっちゃった!?
 もう、意味がわからない。まだ、顔は火が出ているのではと疑うほどに熱いし、口の中で絡みついた舌の感触が残っている。
 どうしてこうなったのか。
 いつも通りに居残りをして、自然公園を通って家に帰ろうとしていただけだ。
 ──なんでぇぇ?
 頭の中で喚き散らしながら、四葉はマンションへ駆け込み、自宅へと逃げ込むように帰宅する。
 玄関でゼーハーと、慣れない全力疾走の余韻に気持ち悪くなっていると、奥の台所のあたりから、二歳上の姉・三葉(みつば)が顔を出した。
「四葉おかえりー」
 姉の三葉は相変わらず美人である。さっき自分のファーストキスを奪った菖といい勝負だと、平凡な弟は思う。
 菖の顔面が近づいても卒倒しなかったのは、上の兄姉たちが美人なせいじゃないだろうか。
「あ、牛乳買ってきてくれたー?」
 言われて、頼まれていた買い物のことをようやく思い出す。
 どうやら自分は相当に、パニックになっていたらしい。
 だってほら、それどころじゃないことが、起きてしまったから。
「……あ、ごめん。わすれてた」
「ええー?」
 三葉は文句を言いつつも、まだ玄関でゼーゼー息を切らす弟の様子がなんだかおかしいゾと気付き、台所から出てきた。そして、おや、と驚いた顔をする。
「四葉、どうしたの? 顔、真っ赤だよ?」
「へ?」
 確かに顔は、あれからずっと熱いまま。
 三葉がそっと四葉の額に手を当てた。じんわりと通常よりも熱を持っている。
「ちょ、熱出てんじゃん!」
 驚いた三葉は、四葉の手をぐいぐい引っ張って四葉の部屋へつれていくと、そのままベッドへと押し込んだ。そしてバタバタと台所への方へ駆けていく。
「大変、大変!」
 閉まったドアの向こうで、三葉の慌てる声が小さく聞こえる。きっと氷枕を用意しているのだろう。
 四葉はベッドに横たわったまま、布団を頭までかぶった。
 ──あぁこれ、多分、知恵熱だ。
 だって、自分のキャパ以上のことが起きてしまったのだ。
 目の前で見た、綺麗なツリ目が頭から離れない。
 不幸なのか幸福なのか。
 それにしたってもう、考えたくない。
 ──心配かけてごめんね、三葉お姉ちゃん。
 四葉は心の中で謝りながら、熱に飲まれるようにとろとろと眠りに落ちた。