長い長い夢を見た。自分自身の生い立ちにまつわる、走馬灯にも似た長く果てしない夢路だ。
生まれたときから父親はいなかった。母は当時結婚していた夫と死別し、その後に俺を産み落としている。物心ついた頃から、俺の家族は母と、母が身を寄せていた実家に住む祖父の二人だけだった。
祖父は町で和紙を作る職人をしていた。元々千羽家は代々和紙職人を輩出してきた家系で、そこに弟子入りというか、養子入りというか、そんな形で家を継いだと聞く。
寡黙ではあったが、孫思いの優しい祖父だった。母との思い出はさほどないが、祖父との思い出ならいくらでも挙げられる。それだけ、俺も祖父によくなついていたことを覚えている。
母は大人しい人だった。良く言えば淑やか、悪く言えば意思が弱い、そんな流されやすい性格の人だった。
最初に歯車が狂い始めたのは、母が光里を妊娠したことだった。俺はすでに小学校卒業間近で、翌年には中学生になろうとしていた。
相手は母がパート先のスナックで出会った客だった。内縁に近い関係だったらしく、子どもができたことで男も頻繁に家を訪れるようになった。最初に会ったときから、あまりいい印象は持てない粗暴な奴だった。
そんな矢先、祖父が脳梗塞を起こして倒れ、病院に搬送された。そのまま入院を余儀なくされ、千羽家を取り巻く環境はこれを機に一変していく。
家主である祖父を失った千羽家に、光里の父親に当たる男が居座るようになった。亮という名前のその男は第一印象に違わずろくでなしで、まともな職にも着かず日雇いの仕事を点々とし、そのくせ酒好きで酔うたび暴力を振るうどうしようもない男だった。
暴力の矛先はおおむね母か俺に集中したが、自分がこの家で一番偉いとでも思っているのか、時に亮はまだ乳飲み子だった光里にまで酒瓶を振り上げた。最低としか言いようのない男なのに、母は「ごめんなさい、ごめんなさい」と壊れた機械のように謝罪を繰り返すばかりで、縮こまって決して逆らおうとはしなかった。
光里を守るため、何度も身を挺した。服の下についたあざが治りきる前に、別の場所に新しいあざが増えていく。そうして光里をかばううちに、亮は俺を自分に逆らう生意気なガキとして認識するようになった。
それからは、俺以外の人間に暴力が振るわれる機会は減った。亮は本格的に、俺をストレスのはけ口にと定めたらしい。
家に帰れば殴られるとわかっていた。でも戻らなければ、今度は母や光里が被害を被ってしまう。あの男は女子供だから加減する、なんて殊勝な性格は持ち合わせていない。せめて家族には、少しでも安全なところで生きていてほしかった。
中学を卒業する年に、病床で寝たきりのまま闘病生活を送っていた祖父が亡くなった。葬式の間に俺は高校生になり、千羽家ではますます亮が我が物顔で好き勝手振る舞うようになった。酒のみならずパチンコにも手を染め、祖父の遺産に手を付け、貯金が尽きてくると今度は別の女性のもとへと走った。
亮が帰ってこない夜は、家にいながら久々に人らしく息ができるような心地がした。自分の家のはずなのに、もうずいぶん長いこと安寧から最も遠い場所となっていた。母はパートの掛け持ちで家を空け、荒れ果てた家の中で光里を守って眠りにつく。
こんな生活が、いつまで続くのだろう。いつまであの男の影に怯え、憎悪しながら息を潜めていなければいけないのだろう。
この状況から助けてくれるのなら神でも悪魔でもなんでもいいと、思えばこの頃は本気で願っていたのだ。
生まれたときから父親はいなかった。母は当時結婚していた夫と死別し、その後に俺を産み落としている。物心ついた頃から、俺の家族は母と、母が身を寄せていた実家に住む祖父の二人だけだった。
祖父は町で和紙を作る職人をしていた。元々千羽家は代々和紙職人を輩出してきた家系で、そこに弟子入りというか、養子入りというか、そんな形で家を継いだと聞く。
寡黙ではあったが、孫思いの優しい祖父だった。母との思い出はさほどないが、祖父との思い出ならいくらでも挙げられる。それだけ、俺も祖父によくなついていたことを覚えている。
母は大人しい人だった。良く言えば淑やか、悪く言えば意思が弱い、そんな流されやすい性格の人だった。
最初に歯車が狂い始めたのは、母が光里を妊娠したことだった。俺はすでに小学校卒業間近で、翌年には中学生になろうとしていた。
相手は母がパート先のスナックで出会った客だった。内縁に近い関係だったらしく、子どもができたことで男も頻繁に家を訪れるようになった。最初に会ったときから、あまりいい印象は持てない粗暴な奴だった。
そんな矢先、祖父が脳梗塞を起こして倒れ、病院に搬送された。そのまま入院を余儀なくされ、千羽家を取り巻く環境はこれを機に一変していく。
家主である祖父を失った千羽家に、光里の父親に当たる男が居座るようになった。亮という名前のその男は第一印象に違わずろくでなしで、まともな職にも着かず日雇いの仕事を点々とし、そのくせ酒好きで酔うたび暴力を振るうどうしようもない男だった。
暴力の矛先はおおむね母か俺に集中したが、自分がこの家で一番偉いとでも思っているのか、時に亮はまだ乳飲み子だった光里にまで酒瓶を振り上げた。最低としか言いようのない男なのに、母は「ごめんなさい、ごめんなさい」と壊れた機械のように謝罪を繰り返すばかりで、縮こまって決して逆らおうとはしなかった。
光里を守るため、何度も身を挺した。服の下についたあざが治りきる前に、別の場所に新しいあざが増えていく。そうして光里をかばううちに、亮は俺を自分に逆らう生意気なガキとして認識するようになった。
それからは、俺以外の人間に暴力が振るわれる機会は減った。亮は本格的に、俺をストレスのはけ口にと定めたらしい。
家に帰れば殴られるとわかっていた。でも戻らなければ、今度は母や光里が被害を被ってしまう。あの男は女子供だから加減する、なんて殊勝な性格は持ち合わせていない。せめて家族には、少しでも安全なところで生きていてほしかった。
中学を卒業する年に、病床で寝たきりのまま闘病生活を送っていた祖父が亡くなった。葬式の間に俺は高校生になり、千羽家ではますます亮が我が物顔で好き勝手振る舞うようになった。酒のみならずパチンコにも手を染め、祖父の遺産に手を付け、貯金が尽きてくると今度は別の女性のもとへと走った。
亮が帰ってこない夜は、家にいながら久々に人らしく息ができるような心地がした。自分の家のはずなのに、もうずいぶん長いこと安寧から最も遠い場所となっていた。母はパートの掛け持ちで家を空け、荒れ果てた家の中で光里を守って眠りにつく。
こんな生活が、いつまで続くのだろう。いつまであの男の影に怯え、憎悪しながら息を潜めていなければいけないのだろう。
この状況から助けてくれるのなら神でも悪魔でもなんでもいいと、思えばこの頃は本気で願っていたのだ。
