折り鶴サマの満つる刻

 生まれたときから父親がわからなかった。
 終戦直後の混乱期に、誰の種とも知れない子どもを生んだ母は、出生届を出すこともせず人知れず子どもを産み育てた。
 そして気づいた頃には、すきま風の入るボロボロのあばら家で一人になっていた。捨てられたか死別したか、覚えていない。とにかく、一人だった。
 一人でいると、誰も自分に気づいてもくれない。だから同じく泣いている人を探すようになった。助けるようになった。同志への救済のつもりだったかもしれない。同時に胸の奥につかえたしこりを呑み下すためでもあった。
 一人はさみしい。誰かと一緒にいたい。
 その人に、一緒にいてよかったと思われたいし、言われたい。
 人を助けていれば、少なくともその時間、その間だけは、自分はその人にとって意味のある人間でいられる。
 だから寺に出入りするようになった。ここには不幸な子どもがいっぱいいる。当時の和尚には心配されたが、人手が足りないときは積極的に手伝いをした。
 一人でいたら、どうしたって惨めな気持ちになる。なんで生まれてきたんだろうって考えてしまう。
 そんなの、全然幸せじゃないでしょ?

「日常的によく慰霊碑を拝みに来るって、だいぶ変わった趣味だね」
 常日頃から、現実逃避に折り紙を折っているような奴には言われたくないが、まぁ、否定もしきれない。
 普通じゃないのは、お互い様だ。
 千羽海斗は可哀想な人間だ。根は真面目なくせに人を頼ることを知らず、他に寄る辺となる人や場所を何も持っていない。
 ほどよく感謝の意を持ちつつ、ほどよく無関心に、あって当然という顔で厚意を享受する。
 そうやって差し出した優しさを、ある程度雑に消費してくれる。
 それでいい。そのくらいの距離感が、こちらも親切を振りまきやすい。自己満足のための人助けに本気になられては、こちらも反応に困る。
「ここに、何があるわけ?」
「何があると思う?」
「……わからないから聞いてるんだけど」
「じゃあ教えない」
 時々、いっそ全て打ち明けてしまってもいいのではと思う。そのたびに”やめておけ”と理性が制する。話して、彼が離れていったら、どうする。この体では、気づいてくれる人間を探すことも大変なのに。
 他人には必要とされたい。でもその先の責任までは負いたくない。
 幽霊になって彷徨うようになっても、結局あの頃と変わらず中途半端に、誰かにとっての”いい奴”ではいたいんだ。