【短編】冷徹海軍少佐の、世界に一つだけの溺愛

 女学校の友人たちとの別れ、慣れ親しんだ場所から未知の場所へ行かなければいけない怖さ。
 ――ここにい続けたかった……と、強く思ってしまった。
 でも、お父さんとお母さんには知られたくなくて。

「母上が亡くなった時に泣いた僕は弱くない?」
「もちろんです。ご家族の前では泣かなかったのではないですか?」
「うん。絶対に祖父上にも父上にも叱られると思って我慢してた。だけど、1人で寝る時に泣いていたから後ろめたかった」
「後ろめたく感じる必要はないと思います。おつらかったでしょう」
「……」

 黒崎少佐は俯いた。
 少し肩が震えているのが触れてないのに伝わってきて。
 その間を、そのまま享受していた。

「――更紗は僕が国を守れる立派な軍人になれると思う?」

 8歳の黒崎少佐が私に問う。
 ――すでにご立派な軍人でいらっしゃるのに。
 けど、黒崎少佐が今の非の打ち所がない黒崎少佐になられるまで、きっといろいろな苦しみや葛藤があったはずだと。

「――なれますよ。必ず」

 とうに、なられています……とは8歳の黒崎少佐には伝えないでおく。
 私の答えに小さく「ありがとう、更紗」と黒崎少佐は答えた。
 日が落ちてきた頃、先生が黒崎少佐の官舎まで訪れた。

「――更紗、帰るんだ……」
「はい。さすがに二晩も家を空けるわけにはいきませんので」

 一日一緒に過ごしたけれど、黒崎少佐が元に戻ることはなく、内面は8歳のままだった。 
 玄関で荷物の入った包みを両手で持つ私と対峙する黒崎少佐と先生。
 どこか物憂げな黒崎少佐は私を引き留めたいのかもしれない。
 けれど8歳なりに私を尊重しようとしてくれている意志がわかる。
 私をベッドで眠らせる代わりに自分はベッドから出たり、私の領分を侵さない姿勢は8歳にして歴とした紳士だった。

「今夜は私がついているから安心しなさい。鈴原くんのような美人ではなく、こんな老いぼれじいさんで申し訳ないがな」

 先生がついていてくれるなら、医学知識のない私より安心だろう。

「――更紗。また会える?」

 どこか私の態度を窺うような黒崎少佐。

「もちろんです」

 見た目は黒崎少佐でしかないのに、私が1日接してきた彼は8歳なのに、ちゃんと紳士で。
 でも、強がりもしていて。
 私も離れるのが名残惜しくなってきたのを隠して官舎を後にした。
 ――不思議な一日だったわ。
 黒崎少佐が倒れたのに居合わせて、内面だけ8歳になってしまって、夜を越して時間を共有した。
 どこか人間味が薄いほど完璧で非の打ち所がないと思っていた黒崎少佐の知らなかった一面を知ることが出来て……。
 ――黒崎少佐は本来、私が近づいていい男性じゃないのに……。
 たまたま私がそこに居合わせただけ。
 だから黒崎少佐は私を求めてくれた。
 保護者でもなく、全くの知らないお姉さんというわけでもなく、私を求められているのはわかるけれど、どこか不思議な立ち位置で。
 黒崎少佐の目に私はどう映っていたのだろう。
 家々の明かりから溢れる夜道を歩きながら、繰り返し黒崎少佐のことばかり、思い出していた。