【短編】冷徹海軍少佐の、世界に一つだけの溺愛

 肩にかけられていたタオルを手にとり、黒崎少佐の頭へとかぶせる。
 背の高い黒崎少佐だから背伸びが必要だったけれど。
 黒崎少佐はいつも前髪を後ろに撫でつけているから、何もしないで下ろしていると雰囲気が変わっていた。
 
「私はどこにもいきません」

 両手でタオルを動かしながら、黒崎少佐を見上げた。
 湯の名残を帯びて、黒崎少佐の傍にいるだけで私にもその熱が移ってくる。

「おそばに、いさせてください」

 黒崎少佐の黒曜石のような深く黒い瞳に私が映し出されている。
 8歳の黒崎少佐は私に「助けてほしい」とも「そばにいてほしい」とも言葉にすることはないだろう。
 だから代わりに私から伝えた。
 少しでも、その黒崎少佐が胸のうちに押し込めている不安が和らぐように。
 黒崎少佐は火照りの残る頬で頷いた。
 湯が冷めてしまわないうちに私もお風呂をいただく。
 ――ここで黒崎少佐は普段、入浴しているのね……。
 自分も一糸まとわぬ無防備な姿でいるからか、どうしても面はゆくて落ち着かなくて。
 いつもよりもだいぶ急いで湯殿を出た。
 先生に持ってきてもらったいつも着ている白木綿の寝巻きを着る。
 私が浴室を出ると、黒崎少佐は応接間の革張り椅子に座っていた。

「待たせてしまいましたね。もう遅くなってしまったので寝室に行ってください。私は髪が乾いたら、こちらの椅子で眠ることにしますので」

 そう伝えても、黒崎少佐は立ち上がる様子を見せない。
 軍服ではない黒崎少佐の姿を見るのは初めてで。
 お互い寝巻き姿なんて、もちろん初めてで。
 黒崎少佐の官舎で、いつも家族しか見ることのない寝巻きを着用している。
 今、この状況がどれだけ非日常的なのか実感すると、妙に全てが熱くなってしまって。
 ――お湯が熱かったから、こんなに火照りが収まらないんだわ……。

「――そばにいるって言った……」

 黒崎少佐から、ぽつりと落とされた一言。
 8歳になったって甘えることをしない黒崎少佐が、
 不安を抑制している黒崎少佐が、
 私に気持ちを伝えてくれていて……。
 ――一緒に寝てほしいってことなのかしら?

「それは、できません」

 私の拒絶に黒崎少佐の瞳が僅かに揺れる。

「男女が同じ寝具で眠るというのは特別なことです。私はあなたの家族ではありません。例え子どもでも、その一線は越えてはならないと考えます。ですが……」

 黒崎少佐の懸念が溶けるように一度微笑んで、黒崎少佐の隣へと腰を落とした。

「眠りにつくまでおそばにいます」

 寝室には鉄製のベッドが置かれていた。
 黒崎少佐の官舎は余計なものが一つもなく、どこも整然としていて、寝室にも余計な装飾はない。
 私はいつも和室に布団を敷いていたからベッドって初めて触れるかも。
 ベッドの(かたわ)らに置かれた卓上ランプ付近だけが照らしている寝室で、黒崎少佐は厚手の毛布へと潜り込んだ。 
 私はゆっくりとベッドの淵に腰かけ、

「もう眠りましょう」

 と、卓上ランプの明かりを消した。
 暗闇が寝室を包み込んで影だけを残す。
 視界からの情報が少なくなったことで私の胸の波も静まったように感じられた。

「――袖、擦り切れてた」

 静かな空間に浮かぶ黒崎少佐の声。

「私の寝巻きはもう古いものですので」
「新品を買えばいい」
「つぎはぎだらけですが、充分に着られます。まだ、この服にもお役目は残っています」
「――そういうものなのか」
「はい。例え物だとしても、お役目は最後まで全うさせてあげたいと思っています」

 黒崎少佐は8歳の頃から、よく観察していらっしゃるんだなと感心してしまう。

「――更紗といると、安心できる……」
「……そう、ですか……」
「――手、握っていてもいい?」

 黒崎少佐の声が少し震えていた。

「はい……」

 ベッドの上を探るように手を動かすと、冷たい指先が私の指を絡めとってきた。
 暗がりの中でも、その手が大きいことも私の指より長いことも、よくわかる。
 私とは違う男の人のものだって、黒崎少佐とベッドの上で手を握っているんだって状況認識できてきて、また胸がざわめきだす。 

「湯冷めして、冷えてしまいましたね」
「――平気。更紗の手、温かいから……」
「おやすみなさいませ」
「――おやすみ。更紗」

 黒崎少佐から静かな寝息が聞こえてくるまでに、そう時間はかからなかった。
 眠りを預けてくれるってことは黒崎少佐が本当に安心できているんだって証明のようで。
 ――長い一日だったわ……。
 急激に吸い込まれるような睡魔に襲われて、瞼が重くなっていく。
 どうか、少なくとも今だけは黒崎少佐が安眠できますように……。