【短編】冷徹海軍少佐の、世界に一つだけの溺愛

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 ―― 私は黒崎少佐をお慕いしているのかもしれない。
 その疑念を深く考えないよう私は以前にも増して職務に集中する日々を過ごした。

「――来週の会議も同じ形式でまとめてほしい」
「かしこまりました」

 職務上で黒崎少佐と関わり、職務上の会話のみを交わす。
 執務室に書類を届けても、黒崎少佐と私が必要以上に視線が重なることもない。
 私には正式に内務局から異動の打診があった。
 一度丁重にお断りしたけれど、今度は人事課からではなく内務局の立場が上の人から直々に話を受ける。
 それでも、私は「ありがたいお話ですが……」と、軍務局に残ることを選択した。
 退庁して、庁舎の門を出たところで、

「あ……」

 黒崎少佐と偶然にも一緒になった。
 点灯し始めていく街灯。
 思いのほか夕風は冷えている。
 官舎も敷地内の建造物だったから、完全に庁舎外で黒崎少佐と対面するのは初めてだった。

「どうされたんですか?」
「――郵便を一つ出しに行くだけだ」
「私が出してきましょうか?」
「――いい。鈴原くんの公務は終わっている」

 黒崎少佐の目的地と私の帰り道は方角が同じだった。

「帰路はいつもこの道か?」
「はい」
「――そうか……」

 黒崎少佐と並ぶと呼ぶには少し距離がありながらも同じ方向に歩いている。
 気がつけば歩幅が合っていた。
 黒崎少佐のほうが私より遥かに足が長いから私に合わせてくれているんだろう。
 すれ違っていく人たちが黒崎少佐に見惚れるように視線を留める。
 軍服だけでも目を引くのに、黒崎少佐ほどの長躯の美丈夫は自然と目立つ。
 黒崎少佐の隣を歩いてるだけで気恥ずかしいのに、私はいつもよりも歩調を緩めていた。

「――正式に断ったと聞いた」
「異動の話ですか?」
「ああ。内務局の人間が残念がっていた」
「そう、ですか……」
「こちらとしては鈴原くんを手離すわけにはいかなかったから安心した」

 胸の奥が(うず)き始める。
 黒崎少佐は私の職務技能を指しているのに、私自身を必要とされていると勘違いしそうになるのを引き留めていた。

「はい。現任のまま、学ばせていただきたく存じます」

 ――もう少しだけ、黒崎少佐のおそばで……。
 それは口にできないけれど。

「内務局は実際に面談して鈴原くんの人間性も高く評価している。また秋にでも異動の話はくるだろう」
「そこまで、おっしゃっていただくほどでは……」
「――謙遜は不要だ。現に鈴原くんと接したら、無理もない」
「……」
「子ども相手であっても、尊重を欠かさない人間は(まれ)だ」
「……え?」
 
 黒崎少佐に目線の先を向ける。
 前だけを見据えている黒崎少佐の横顔は夕闇に映えて、驚くほど美しくて。

「――兵学校時代、偶然立ち寄った図書館で一人の女学生の姿を見た」

 兵学校というのは士官候補生だった時。
 恐らく、黒崎少佐は15歳から18歳前後の頃。
 私が生まれ育った場所には海軍兵学校があった。
 直接的に関わることはなかったけれど、私が海軍省に入庁したのは、郷愁もひとつの理由にあるのは間違いない。
 けど、どうして、こんな話を私に……。

「女学校の制服を着た彼女は何かを勉強しながら、ただ涙だけを流し続けていた」
「……」
「泣いているのに、凛と背筋を伸ばして、目には清廉とした光が宿っていて、不思議と芯の強さを感じさせる子だった」
「……」

 寡黙な黒崎少佐にしては、いつになく言葉を重ねていく。
 低い美声で、でも、はっきりと。

「士官になるために修練に明け暮れる日々の中で、一度だけ見た彼女の存在が強く心に焼き付いて」
「……」
「国を守るという言葉の意味が、少し変化していた」

 私はその場に立ち止まっていた。
 ひどく、混乱している。
 黒崎少佐の発言を、どう受け止めればいいのかわからなくて。
 私が立ち止まっているのに気づいたのか、黒崎少佐も歩みを止めて振り返った。
 
「――鈴原くん……」
 
 何も言葉が出てこなくて、視線を足元から上げられなくて。
 黒崎少佐の呼びかけに応答しないなんて初めてで。
 無礼だとわかっているのに、どうしても出来なくて。
 黒崎少佐の革靴が落とした視界に入ってきて、正面に立たれたのだとわかった。

「――更紗」