相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

  夜のリビング。

 Boundary & Mindの業務まとめが一段落し、静かな時間が流れていた。

 天城愛華はソファに座り、タブレットで資料を確認している。

 神代和春はキッチンに立っていた。

 ――珍しく。

「……和春」

「ん?」

「何をしているんですか」

「コーヒー淹れる」

 その一言に、愛華の指が止まった。

 ゆっくり顔を上げる。

 赤い瞳が細くなる。

「……もう一度言ってください」

「コーヒー淹れる」

 真顔だった。

 数秒の沈黙。

 そして。

「却下です」

 即答。

「なぜ」

「過去の事故率を考慮してください」

「今回は大丈夫だ」

「その自信、どこから来るんですか。根拠がありません」

 和春はすでにドリッパーを取り出している。

 嫌な予感しかしない。

「見てろ」

「見たくありません」

 ポットにお湯を注ぐ音。

 愛華は静かに立ち上がった。

 止めるべきか。

 止めないべきか。

 ――境界線。

(……これは越えていい境界線ですね)

 即判断。

「和春」

「ん?」

「それ、豆の量多すぎです」

「濃い方が好きだ」

「濃いのと“液体炭”は違います」

 無視してお湯を注ぐ和春。

 ポタポタ落ちる黒い液体。

 愛華は目を細めた。

「……すでに色が危険です」

「普通だろ」

「普通のブラックは光を吸収しません」

 カップに注がれたそれは、ほぼ闇だった。

 和春は一口飲む。

 ――沈黙。

 数秒。

「……どうですか」

「……」

「……」

「……苦い」

「当たり前です」

 即答だった。


■ ブラックコーヒー裁判 開廷


 愛華は腕を組む。

「和春、これはコーヒーではありません」

「コーヒーだろ」

「いいえ。“罰ゲーム”です」

「そこまでか」

「はい。学生に出したら境界線どころか関係断絶します」

 和春はもう一口飲もうとする。

 その瞬間。

 愛華がスッとカップを奪った。

「没収です」

「横暴だな」

「生活管理権限です」

 彼女はキッチンに向かい、シンクへ流す。

 真っ黒な液体が消えていく。

「……豆が悪かった」

「違います。技術です」

「温度かもしれない」

「思想です」

 容赦ない。



■ 和春、再挑戦を宣言



「もう一回やる」

 和春が真顔で言った。

 愛華がゆっくり振り返る。

「……本気ですか」

「改善は必要だろ」

「それはそうですが、犠牲者が私になる可能性があります」

「今回は飲ませない」

「自分だけ犠牲になるのは美徳ではありません」

 和春は再び豆を測る。

 さっきより多い。

「増えてます」

「研究だ」

「それを世間では“悪化”と言います」

 再びお湯。

 再び闇。

 そして――

 一口。

「……」

「……」

「……前より苦い」

「当然です。改善案を無視しましたから」



■ 愛華、毒舌モード最大



 彼女は深くため息をついた。

「和春」

「ん?」

「“同じ行動を繰り返して違う結果を期待すること”を何と言うかご存じですか」

「非合理」

「そう、非合理です!」

 静かな一撃。

 和春が少しだけ眉を動かす。

「……否定はできない」

「コーヒーは私が淹れます。あなたはBoundary & Mindの戦略だけ考えてください」

「役割分担か」

「はい。境界線です」

 ドヤ顔だった。



■ 本物のコーヒー



 愛華が手際よくドリップする。

 湯気が柔らかく立ち上る。

 香りが部屋を満たした。

 和春が少し目を細める。

「……さっきと違うな」

「科学です」

 差し出されたカップ。

 一口飲む。

「……うまい」

「当然です。相方兼メイドですので」

 少し誇らしげな声。



■ 静かなオチ



 ソファに並んで座る二人。

 湯気の立つコーヒー。


 愛華は少しだけ視線を落とした。

「……この時間が、好きです」

「ん?」

「独り言です」

 和春は気づかない。

 境界線は、今日も少しだけ揺れていた。