講義室のざわめきが少しずつ消えていく。
学生たちは三々五々帰っていき、残ったのは数人だけだった。
夕方の光が窓から差し込み、空気は静かだった。
「……あの、先生」
一人の男子学生が教壇の前で足を止めた。
和春がノートを閉じ、軽く視線を向ける。
「相談なら、短めで」
「はい……」
少し迷いながら、学生は続けた。
「俺、心理学けっこう好きで。本とか動画とか見てて……だから今日の話、すごく納得できたんです」
愛華が小さく頷く。
「それは嬉しいですね」
「でも……最近、友達に“自分で考えるのも大事だよ”って言ったら、距離できちゃって」
和春の目がわずかに細くなる。
愛華が先に口を開いた。
「……なるほど。良かれと思って言ったんですね」
「はい。依存しすぎは良くないって聞いたので」
言葉に迷いはない。
むしろ、少し自信すらある声だった。
愛華の赤い瞳が、静かに細まる。
「結論から言うと――少し早かったですね」
毒舌は強め。
でも声は冷たくない。
「え……?」
和春がゆっくり続ける。
「“自分で考えろ”って言葉自体は間違ってない」
学生の表情が少し明るくなる。
だが次の言葉で止まった。
「ただ、タイミングと距離感を無視すると、突き放されたって感じる人もいる」
静かな毒だった。
愛華が補足する。
「心理学を覚え始めた人がよくやる間違いです。“正しい言葉”を“正しい場面”だと思い込んでしまうんですよね」
学生が少し考え込む。
「……でも、相手のためになると思って」
「そこが一番危ないところです」
愛華の声が少し強くなる。
「“相手のため”という言葉は、とても便利です。ですが時々、“自分が楽になる言葉”にもなります」
教室の空気が少し張り詰める。
和春は腕を組んだまま静かに言う。
「人は余裕がない時、“正しいこと”より“分かってもらえた感覚”を求めることが多い」
学生が小さく息を飲む。
「……じゃあ、俺、間違ってたんですか」
「間違いじゃない」
和春はすぐに否定した。
「ただ、“順番”が違ったかもしれない」
愛華が頷く。
「まずは聞く。そのあとで考える。これが自然な流れです」
「……ああ……」
学生の肩が少し落ちる。
和春は教壇に軽く寄りかかった。
「知識が増えると、すぐ使いたくなるよな」
その言葉は、どこか自分に向けているようでもあった。
「……昔、俺も似たことやった」
小さな一言。
愛華が一瞬だけ視線を向ける。
和春はそれ以上語らない。
でも、声にほんの少しだけ重さがあった。
「心理学は便利だ。でも万能じゃない」
学生がゆっくり頷く。
「……じゃあ、どう言えばよかったんですか」
和春は少し考える。
「例えば、“一緒に考えるのはできる。でも答えは君が決めてほしい”とか」
愛華が柔らかく補足する。
「“自分で考えて”は、距離が遠く聞こえることがあります。“一緒に考えよう”なら、境界線は守りつつ関係も残せます」
学生の顔が少し明るくなった。
「……なるほど」
「今からでも遅くない。言い直すのも選択肢だ」
和春は淡々と言う。
押し付けない。
ただ道を置く。
学生は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
教室の扉が閉まる。
夕方の光が差し込み、静かな余韻が残った。
「……愛華、さっき毒強かったな」
「必要量です。初心者ほど自信が強いので」
「否定はしてなかったな」
「逃げ道は残しました」
和春は小さく笑った。
「完璧だな、相方兼メイド」
「当然です」
メイド服の裾が揺れた。
Boundary & Mindの講義は終わった。
けれど。
境界線の話は、まだ二人の中で続いていた。
学生たちは三々五々帰っていき、残ったのは数人だけだった。
夕方の光が窓から差し込み、空気は静かだった。
「……あの、先生」
一人の男子学生が教壇の前で足を止めた。
和春がノートを閉じ、軽く視線を向ける。
「相談なら、短めで」
「はい……」
少し迷いながら、学生は続けた。
「俺、心理学けっこう好きで。本とか動画とか見てて……だから今日の話、すごく納得できたんです」
愛華が小さく頷く。
「それは嬉しいですね」
「でも……最近、友達に“自分で考えるのも大事だよ”って言ったら、距離できちゃって」
和春の目がわずかに細くなる。
愛華が先に口を開いた。
「……なるほど。良かれと思って言ったんですね」
「はい。依存しすぎは良くないって聞いたので」
言葉に迷いはない。
むしろ、少し自信すらある声だった。
愛華の赤い瞳が、静かに細まる。
「結論から言うと――少し早かったですね」
毒舌は強め。
でも声は冷たくない。
「え……?」
和春がゆっくり続ける。
「“自分で考えろ”って言葉自体は間違ってない」
学生の表情が少し明るくなる。
だが次の言葉で止まった。
「ただ、タイミングと距離感を無視すると、突き放されたって感じる人もいる」
静かな毒だった。
愛華が補足する。
「心理学を覚え始めた人がよくやる間違いです。“正しい言葉”を“正しい場面”だと思い込んでしまうんですよね」
学生が少し考え込む。
「……でも、相手のためになると思って」
「そこが一番危ないところです」
愛華の声が少し強くなる。
「“相手のため”という言葉は、とても便利です。ですが時々、“自分が楽になる言葉”にもなります」
教室の空気が少し張り詰める。
和春は腕を組んだまま静かに言う。
「人は余裕がない時、“正しいこと”より“分かってもらえた感覚”を求めることが多い」
学生が小さく息を飲む。
「……じゃあ、俺、間違ってたんですか」
「間違いじゃない」
和春はすぐに否定した。
「ただ、“順番”が違ったかもしれない」
愛華が頷く。
「まずは聞く。そのあとで考える。これが自然な流れです」
「……ああ……」
学生の肩が少し落ちる。
和春は教壇に軽く寄りかかった。
「知識が増えると、すぐ使いたくなるよな」
その言葉は、どこか自分に向けているようでもあった。
「……昔、俺も似たことやった」
小さな一言。
愛華が一瞬だけ視線を向ける。
和春はそれ以上語らない。
でも、声にほんの少しだけ重さがあった。
「心理学は便利だ。でも万能じゃない」
学生がゆっくり頷く。
「……じゃあ、どう言えばよかったんですか」
和春は少し考える。
「例えば、“一緒に考えるのはできる。でも答えは君が決めてほしい”とか」
愛華が柔らかく補足する。
「“自分で考えて”は、距離が遠く聞こえることがあります。“一緒に考えよう”なら、境界線は守りつつ関係も残せます」
学生の顔が少し明るくなった。
「……なるほど」
「今からでも遅くない。言い直すのも選択肢だ」
和春は淡々と言う。
押し付けない。
ただ道を置く。
学生は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
教室の扉が閉まる。
夕方の光が差し込み、静かな余韻が残った。
「……愛華、さっき毒強かったな」
「必要量です。初心者ほど自信が強いので」
「否定はしてなかったな」
「逃げ道は残しました」
和春は小さく笑った。
「完璧だな、相方兼メイド」
「当然です」
メイド服の裾が揺れた。
Boundary & Mindの講義は終わった。
けれど。
境界線の話は、まだ二人の中で続いていた。
