夜の街は静かだった。
Boundary & Mindとしての案件を終え、神代和春と天城愛華は並んで歩いていた。
メイド服の銀髪少女と、オレンジ髪の青年。
すれ違う人が二度見するのも、もう慣れたものだった。
「今日の会社、思ったより崩れてませんでしたね」
愛華が静かに言う。
「初期段階だな。修正はまだ間に合う」
「和春、少し控えめでした」
「初回だからな」
「学生講義でもそのくらいだと助かります」
「考えておく」
淡々としたやり取り。
だが歩幅は自然に揃っていた。
――そして。
玄関の扉が開く。
部屋は整っている。
靴は揃い、テーブルも綺麗だ。
かつての“独身男性のあるある部屋”は、もうここにはない。
愛華が住み始めてから、生活は静かに修正された。
愛華はメイド服のスカートを翻し振り向く。
「ただいま戻りました」
「おかえり。なぁ…このやり取りいるか?」
「帰宅報告は必要です」
「会社じゃないだろ」
「Boundary & Mindは24時間稼働です」
さらっと言い切る。
愛華はエプロンを整えながらキッチンへ向かった。
「食事は軽めにつくりますね。その前に業務まとめ、しますよね?」
「する」
和春はリビングのテーブルにノートパソコンを置いた。
電源を入れる動作だけは妙に手慣れている。
愛華も隣に座り、自然な距離で画面を覗き込む。
「今日の観察、どう書きます?」
「”制度問題ではなく、認知構造のズレが主因の可能性”でいい」
迷いなくタイピングする。
キーボードの音が静かに響く。
「心理的安全性の低下も入れますか?」
「入れる。ただし断定はしない。選択肢として書く」
「和春らしいですね」
「決めるのは向こうだからな」
愛華が小さく頷く。
赤い瞳が画面を追う。
「……この表現、少し硬いです」
「どこ」
「 “行動修正”の部分“習慣の見直し” に変えた方が角が立ちません」
「なるほど」
即座に修正する。
この二人の作業は、会話そのものが推敲だった。
少しして、愛華がふと呟く。
「……そういえば」
「ん?」
「帰り道、缶コーヒー買おうとしてましたよね」
「……見てたか」
「当然です。健康管理も業務ですので」
「一本だけだ」
「今日は二本目です」
「カウントするな」
「します」
丸い毒舌。
だけど声はどこか優しい。
和春は少しだけ椅子に背を預けた。
「昔よりはマシだろ」
「ええ。今は部屋も綺麗ですし」
愛華が小さく笑う。
「……目を離した時だけ崩れますけど」
「不可抗力だ」
「靴下片方迷子は不可抗力ではありません」
「洗濯機が悪い」
「責任転嫁は禁止です」
軽いやり取り。
でも空気は穏やかだった。
和春は再び画面に向き直る。
「……次の案件、大学講義なんだよな」
「はい」
愛華がタブレットを操作する。
「心理学基礎講義。留学生も参加予定です」
「語学切り替え面倒だな」
「六ヶ国語使える人の発言とは思えません」
「仕事だからな」
「学生、ざわつきそうですね」
「メイド服のせいだろ」
「正装ですので」
即答だった。
和春は小さく息を吐いた。
「講義、どう構成する」
「専門用語を使った後に、私が補足する形はどうでしょう」
「いいな。読者……じゃない、学生にも分かりやすい」
「今、“読者”と言いかけましたよね?」
「気のせいだ」
「逃げましたね」
少しだけ笑いが混じる。
画面には、業務レポートが整っていく。
Boundary & Mind。
まだ小さな会社。
でも二人で並んで作る文章は、少しずつ形になっていく。
愛華は立ち上がり、キッチンへ向かった。
「コーヒー、淹れてきます」
「頼む」
「和春が淹れるのは禁止ですから。あれは毒です」
「……否定できない」
湯気が立ち上る。
静かな夜のリビング。
ノートパソコンの光の中で、二人の影が並ぶ。
相方兼メイドと、静かな毒を持つコンサルタント。
次の舞台は――大学講義室。
物語は、少しずつ広がり始めていた。
Boundary & Mindとしての案件を終え、神代和春と天城愛華は並んで歩いていた。
メイド服の銀髪少女と、オレンジ髪の青年。
すれ違う人が二度見するのも、もう慣れたものだった。
「今日の会社、思ったより崩れてませんでしたね」
愛華が静かに言う。
「初期段階だな。修正はまだ間に合う」
「和春、少し控えめでした」
「初回だからな」
「学生講義でもそのくらいだと助かります」
「考えておく」
淡々としたやり取り。
だが歩幅は自然に揃っていた。
――そして。
玄関の扉が開く。
部屋は整っている。
靴は揃い、テーブルも綺麗だ。
かつての“独身男性のあるある部屋”は、もうここにはない。
愛華が住み始めてから、生活は静かに修正された。
愛華はメイド服のスカートを翻し振り向く。
「ただいま戻りました」
「おかえり。なぁ…このやり取りいるか?」
「帰宅報告は必要です」
「会社じゃないだろ」
「Boundary & Mindは24時間稼働です」
さらっと言い切る。
愛華はエプロンを整えながらキッチンへ向かった。
「食事は軽めにつくりますね。その前に業務まとめ、しますよね?」
「する」
和春はリビングのテーブルにノートパソコンを置いた。
電源を入れる動作だけは妙に手慣れている。
愛華も隣に座り、自然な距離で画面を覗き込む。
「今日の観察、どう書きます?」
「”制度問題ではなく、認知構造のズレが主因の可能性”でいい」
迷いなくタイピングする。
キーボードの音が静かに響く。
「心理的安全性の低下も入れますか?」
「入れる。ただし断定はしない。選択肢として書く」
「和春らしいですね」
「決めるのは向こうだからな」
愛華が小さく頷く。
赤い瞳が画面を追う。
「……この表現、少し硬いです」
「どこ」
「 “行動修正”の部分“習慣の見直し” に変えた方が角が立ちません」
「なるほど」
即座に修正する。
この二人の作業は、会話そのものが推敲だった。
少しして、愛華がふと呟く。
「……そういえば」
「ん?」
「帰り道、缶コーヒー買おうとしてましたよね」
「……見てたか」
「当然です。健康管理も業務ですので」
「一本だけだ」
「今日は二本目です」
「カウントするな」
「します」
丸い毒舌。
だけど声はどこか優しい。
和春は少しだけ椅子に背を預けた。
「昔よりはマシだろ」
「ええ。今は部屋も綺麗ですし」
愛華が小さく笑う。
「……目を離した時だけ崩れますけど」
「不可抗力だ」
「靴下片方迷子は不可抗力ではありません」
「洗濯機が悪い」
「責任転嫁は禁止です」
軽いやり取り。
でも空気は穏やかだった。
和春は再び画面に向き直る。
「……次の案件、大学講義なんだよな」
「はい」
愛華がタブレットを操作する。
「心理学基礎講義。留学生も参加予定です」
「語学切り替え面倒だな」
「六ヶ国語使える人の発言とは思えません」
「仕事だからな」
「学生、ざわつきそうですね」
「メイド服のせいだろ」
「正装ですので」
即答だった。
和春は小さく息を吐いた。
「講義、どう構成する」
「専門用語を使った後に、私が補足する形はどうでしょう」
「いいな。読者……じゃない、学生にも分かりやすい」
「今、“読者”と言いかけましたよね?」
「気のせいだ」
「逃げましたね」
少しだけ笑いが混じる。
画面には、業務レポートが整っていく。
Boundary & Mind。
まだ小さな会社。
でも二人で並んで作る文章は、少しずつ形になっていく。
愛華は立ち上がり、キッチンへ向かった。
「コーヒー、淹れてきます」
「頼む」
「和春が淹れるのは禁止ですから。あれは毒です」
「……否定できない」
湯気が立ち上る。
静かな夜のリビング。
ノートパソコンの光の中で、二人の影が並ぶ。
相方兼メイドと、静かな毒を持つコンサルタント。
次の舞台は――大学講義室。
物語は、少しずつ広がり始めていた。
