Boundary & Mind     心の境界線

瀬奈がまだ「指一本で倒された」という現象を理解しようとしている横で、結衣はすでに別のことを考えていた。

新しい道場。

設備も新しい。

一般の門下生も入れられる。

Boundary & Mindの社員も福利厚生で利用する。

そして自分が経営する。

「……うん」

結衣が何度か頷く。

「いいね」

「何が?」

和春が聞く。

すると結衣は満面の笑みで和春を見た。

「おにぃ!」

「嫌な予感するな」

「道場は経営してあげる!」

「上からだな、お前」

「だから!」

結衣が勢いよく和春を指差した。

「整骨院もやりたいからお金出して!」

「…………」

和春が止まった。

愛華も止まった。

瀬奈とアリシアは、何の話が始まったのか分からない。

「お前……」

和春が眉を寄せる。

「整骨院って、お前免許――」

結衣がニヤッと笑った。

そして。

親指を立てる。

「三月に取得したぜ!」

「…………」

数秒。

沈黙。

「マジで?」

「マジ!」

「柔道整復師?」

「そう!」

「いつ取ったんだよ!」

「だから三月!」

「いや、時期じゃねぇよ! いつの間に勉強してたんだって聞いてんだよ!」

「普通に学校通ってたじゃん!」

「道場やりながら!?」

「うん!」

「お前……」

和春が額を押さえた。

その横で。

瀬奈が小さく呟く。

「……やっぱり妹さんですね」

「瀬奈まで言うな」

「いえ、もう確定かなって……」

アリシアも笑っている。

「私も納得しました」

「何を納得してんだよ」

愛華だけは少し違った。

驚いてはいる。

だが。

すぐに経営側へ思考を切り替えていた。

「結衣さん」

「はい!」

「本気ですか?」

「本気!」

「道場と整骨院。さらに将来的には実家の道場も継ぐことになりますよ?」

「うん」

「かなり忙しくなります」

「人雇えばいいじゃん」

即答。

愛華が一瞬黙った。

和春も結衣を見る。

「……お前さっきもそれ言ったよな」

「だって私が全部やる必要ないでしょ?」

「……」

結衣は何でもないことのように続ける。

「最初は私も現場入るよ? でも経営するなら、ちゃんと任せられる人育てればいいじゃん。私が毎日朝から晩まで全部やってたら、実家の道場継げないし」

瀬奈が目を丸くする。

さっきまで。

「私、天才!」

と騒いでいた人と同一人物とは思えない。

和春の口元が少し上がった。

「……なるほどな」

「でしょ?」

「考えてないようで考えてんじゃん」

「失礼だな!」

「褒めてる」

「絶対嘘!」

愛華はもう図面を見ていた。

「道場と整骨院の組み合わせ自体は悪くありませんね」

「だな」

和春も覗き込む。

「ただ、道場の怪我をそのまま囲い込むみたいな設計はダメだぞ。保険の扱いも含めて線引きはちゃんとする」

「分かってるよ」

「あと会社の福利厚生と整骨院の保険施術も混同しない。そこは別」

「はいはい」

「はいは一回」

「お父さんみたいなこと言わないでよ!」

「兄だよ!」

瀬奈とアリシアが笑った。

だが和春はもう真面目に考え始めていた。

道場。

整骨院。

社員の健康管理。

一般利用。

ビルの中には多くの企業と人が入る予定になる。

やり方次第では相性がいい。

「……事業計画書作って持ってこい」

結衣が止まった。

「え?」

「金出してほしいんだろ?」

「うん!」

「じゃあプレゼンしろ」

「おにぃに!?」

「当たり前だろ。俺の金じゃなく会社の金出すんだから」

結衣の顔が引きつる。

「妹割引は?」

「ねぇよ」

「愛華ねぇ!」

すぐに愛華へ助けを求める。

「和春が正しいです」

「裏切られた!」

「最初から結衣さん側についていません」

「愛華ねぇぇぇ!」

和春が笑った。

「資格取ったから金くださいで経営できるなら誰も苦労しねぇよ。需要、客層、料金、必要設備、人件費、固定費、損益分岐。最低限まとめてこい」

「うぅ……」

「経営するんだろ?」

その一言で。

結衣の表情が変わった。

「……やる」

「お?」

「作る!」

「なら持ってこい」

「絶対おにぃから金引っ張ってやる!」

「言い方が悪い!」

「投資していただきます!」

「急に丁寧にすんな!」

また事務所に笑い声が響く。

瀬奈はそんな兄妹を見ながら思う。

兄は、二十代でBoundary & Mindを立ち上げ、今度は250億円のビルを使って会社を拡大しようとしている。

妹は、実家の道場を継ぐ予定で三段。

そのうえ三月には柔道整復師の資格まで取得していた。

「……神代家ってどうなってるんですか?」

瀬奈が思わず口にした。

愛華は少し考えてから答えた。

「私にも分かりません」

「愛華ねぇ!?」

「ただ――」

愛華は和春と結衣を見る。

「二人が兄妹だということだけは、非常によく分かります」

「どこが!?」

「どこがだよ!」

兄妹の声まで綺麗に重なった。

瀬奈とアリシアは顔を見合わせる。

やはり。

どう見ても兄妹だった。