四月。
新年度に入り、Boundary & Mindも少しずつ動き始めていた。
これまで和春と愛華の二人で回してきた会社を、本格的な組織へ変えていく。その最初の一歩として、和春は二人の大学生を自宅兼事務所へ呼んでいた。
一人は瀬奈。
大学四年生に進級したばかりで、来年には卒業を迎える。
もう一人は――。
「なんでアリシアさんもいるんですか!?」
瀬奈は隣に座っている女性を見て、未だに慣れない様子だった。
芸能界美人ランキングで常に上位どころか一位を維持し続けるトップモデル、アリシア。
以前、仕事見学で会った時ですら感動した相手が、今日は当たり前のようにBoundary & Mindのソファに座っている。
「瀬奈さん、お久しぶりです」
「お、お久しぶりです!」
アリシアは相変わらず丁寧だった。
その向かいに和春。
隣には愛華。
今日は正式な仕事の話ということもあり、愛華はいつものメイド服姿で資料を用意している。
「で、二人呼んだ理由なんだけど」
和春がコーヒーを置いた。
瀬奈の表情が少し引き締まる。
以前から、いずれBoundary & Mindで働く可能性について話はしていた。
だが今日は、その先。
和春が瀬奈を見る。
「瀬奈。来年卒業だろ?」
「はい」
「その前に、お前の気持ち聞いとこうと思ってな」
瀬奈が姿勢を正した。
「もし本気でうちで働きたいと思ってるなら、大学通いながら社員として働かないか?」
「……え?」
予想していなかった言葉だった。
「社員……ですか?」
「ああ。ただ大学はちゃんと行け。単位優先でいい」
「でも、それだと勤務時間が……」
「だから給料は勤務時間に合わせて調整する。当然フルタイムの社員と同じにはできない」
和春はそこを曖昧にしなかった。
「ただし卒業したら話は別だ」
「……」
「それなりの役職についてもらうつもりでいる」
瀬奈の目が大きくなる。
「私が……役職?」
「そう」
「いやいやいや! 私、まだコンサルとして何も――」
「だから一年あるんだろ」
あっさり返された。
「大学四年の一年間、実務やりながら覚えろ。最初から案件丸投げする気はない。俺か愛華が見る」
愛華も頷く。
「以前の見学でもお話ししましたが、最初から和春と同じことができる必要はありません。というより、できたら私が困ります」
「おい」
「事実でしょう」
瀬奈が少し笑った。
緊張が僅かに抜ける。
だが和春は、そこで終わらせなかった。
「ただ覚えとけ。卒業後に役職つけば給料も上げる。その代わり責任も増える」
「はい」
「部下ができるかもしれない。自分の判断で動かなきゃならない場面も出る。失敗した時に『和春さんが言ったから』じゃ通らなくなる」
瀬奈は黙って聞いていた。
「金だけ見て決めんなよ。役職ってのは偉くなることじゃない。責任を持つ範囲が広がるってことだ」
「……はい」
今度の返事は、さっきより強かった。
和春はそれ以上、答えを迫らなかった。
考えて決めればいい。
それがBoundary & Mindだった。
そして――。
「次、アリシア」
「はい!」
なぜかこちらは最初から嬉しそうだった。
和春が少し呆れる。
「お前、大学四年までだと思ってたんだけど」
「違いますよ」
アリシアが笑った。
「私が選んだのは三年で卒業できるコースです」
「それ聞いた時びっくりしたわ」
瀬奈も驚いた。
「じゃあアリシアさんも……」
「はい。私も来年卒業です」
モデル業界には幼稚園の頃からいる。
だが大学卒業を一区切りとして、モデル一本の人生から離れることは以前から決めていた。
心理学。
経営。
人が抱えている問題。
そして、その人が選べる道を増やす仕事。
アリシアが本当に進みたいのは、そちらだった。
「だから呼んだ」
和春が言う。
「前にうちで働きたいって言ってたよな?」
「はい!」
即答。
「本気か?」
「本気です」
今度は笑わなかった。
アリシアは真っ直ぐ和春を見る。
「モデルを全部辞めるつもりはありません。社長とも話しています。雑誌やテレビのお仕事は、必要なら続けます。でも私がこれから本気で勉強して、仕事にしたいのは心理学です」
「分かった」
和春はそれだけ言って、二人を見る。
「じゃあちょうどいいな」
「?」
瀬奈とアリシアが同時に首を傾げる。
愛華だけは知っていた。
和春が何を考えているのか。
「俺、お前ら二人を組ませるつもりだから」
「……え?」
瀬奈が隣を見る。
アリシアも瀬奈を見る。
「私たちが?」
「ああ」
和春は二人を指した。
「経営の瀬奈」
次にアリシア。
「心理学のアリシア」
そして二人まとめて指す。
「二人で一人のコンサルタント」
瀬奈は意味を考える。
「でも……普通、コンサルタントって一人で担当するものじゃないんですか?」
「普通はな」
和春はソファに背中を預けた。
「でも、うちは普通のコンサル会社にする気ないから」
愛華が資料を二人の前へ置く。
そこには、今後のBoundary & Mindの基本的な業務体制がまとめられていた。
和春が続ける。
「一人で全部考えると、どうしても偏る」
経営に強い人間なら、数字を見る。
売上。
利益。
コスト。
生産性。
組織。
それは正しい。
だが――。
「数字だけじゃ人間は動かねぇ」
今度はアリシアを見る。
「心理に強い奴なら、人を見る。感情を見る。人間関係を見る。なんでその行動を取るのか考える」
だが、それだけでも足りない。
「人の気持ちだけ考えて会社潰したら意味ねぇだろ」
アリシアが頷く。
「だから二人」
瀬奈が数字を見る。
アリシアが人を見る。
瀬奈が事業として成立する道を探す。
アリシアが、その仕組みの中で働く人間に何が起こるかを見る。
片方が出した答えを、もう片方が疑う。
「責任も一人に押し付けない」
和春の声が少し真面目になる。
「コンサルって、人や会社の人生に結構デカい影響与える仕事だからな」
一つの提案で会社が変わる。
従業員の生活が変わる。
場合によっては、その家族にまで影響する。
「そんなもん一人で抱えて、絶対間違えるなって方がおかしい」
瀬奈は黙って聞いていた。
「それに一人だと考えの幅も狭くなる。自分の専門、自分の経験、自分の価値観。それだけで答え出しやすくなる」
そこで和春が隣を見る。
「俺と愛華がいい例だろ」
愛華が少し笑った。
「そうですね」
「俺が突っ走ったら愛華が止める」
「かなり頻繁に止めています」
「余計なこと言うな」
「事実です」
アリシアが笑う。
愛華は二人へ説明する。
「和春は非常に多くの分野を一人で処理できます。ですが、それでも私が必要になる場面はあります」
「というより必要」
和春が訂正した。
愛華が一瞬、和春を見る。
「……そういうことを突然言わないでください」
「仕事の話だぞ?」
「分かっています」
少しだけ嬉しそうなのを、瀬奈は見逃さなかった。
愛華は誤魔化すように話を戻す。
「私が別の視点から資料を確認することで、和春自身が気付いていなかった問題が見つかることもあります。逆も当然あります」
「だから」
和春が二人を見る。
「お前らにもそれやってもらう」
瀬奈。
アリシア。
二人ともまだ学生。
コンサルタントとしては、ほとんど何も知らない。
だが和春は、完成された人材を求めているわけではなかった。
「一年間」
和春が言う。
「大学通いながら実務覚えろ」
そして瀬奈を見る。
「瀬奈は経営をもっと深くやる」
アリシアを見る。
「アリシアは心理学。ただし専門バカにはなるな。互いの分野も最低限は勉強しろ」
「はい」
「はい!」
「二人で案件見て、二人で考えて、二人で俺か愛華に持ってこい」
そして卒業後。
二人が十分に成長していれば――。
「Boundary & Mindのコンサルタントとして、自分たちで案件持ってもらう」
瀬奈は自分の手元にある資料を見る。
以前。
ただ仕事を見学したい。
そう言っただけだった。
不動産相談を見た。
介護相談への切り替えを見た。
和春と愛華が、依頼人へ答えを押し付けるのではなく、選択肢を増やしていく姿を見た。
自分にも。
こんな仕事ができるのだろうか。
まだ分からない。
だが――。
隣を見る。
アリシアと目が合った。
「よろしくお願いします、瀬奈さん」
アリシアが先に笑った。
「……まだ私、やるって言ってないんですけど」
「えっ!?」
「ふふっ……冗談です」
「もう!」
二人が笑う。
その様子を見ていた和春が、愛華へ小さく言った。
「悪くないだろ?」
「ええ」
愛華も二人を見る。
「相性は良さそうですね」
Boundary & Mind。
これまで和春と愛華、二人だけだった会社。
その形が、この四月から少しずつ変わっていく。
そして瀬奈とアリシア。
経営と心理。
まったく違う強みを持つ二人が、Boundary & Mindで最初に生まれる――
『二人で一人』のコンサルタント候補だった。
新年度に入り、Boundary & Mindも少しずつ動き始めていた。
これまで和春と愛華の二人で回してきた会社を、本格的な組織へ変えていく。その最初の一歩として、和春は二人の大学生を自宅兼事務所へ呼んでいた。
一人は瀬奈。
大学四年生に進級したばかりで、来年には卒業を迎える。
もう一人は――。
「なんでアリシアさんもいるんですか!?」
瀬奈は隣に座っている女性を見て、未だに慣れない様子だった。
芸能界美人ランキングで常に上位どころか一位を維持し続けるトップモデル、アリシア。
以前、仕事見学で会った時ですら感動した相手が、今日は当たり前のようにBoundary & Mindのソファに座っている。
「瀬奈さん、お久しぶりです」
「お、お久しぶりです!」
アリシアは相変わらず丁寧だった。
その向かいに和春。
隣には愛華。
今日は正式な仕事の話ということもあり、愛華はいつものメイド服姿で資料を用意している。
「で、二人呼んだ理由なんだけど」
和春がコーヒーを置いた。
瀬奈の表情が少し引き締まる。
以前から、いずれBoundary & Mindで働く可能性について話はしていた。
だが今日は、その先。
和春が瀬奈を見る。
「瀬奈。来年卒業だろ?」
「はい」
「その前に、お前の気持ち聞いとこうと思ってな」
瀬奈が姿勢を正した。
「もし本気でうちで働きたいと思ってるなら、大学通いながら社員として働かないか?」
「……え?」
予想していなかった言葉だった。
「社員……ですか?」
「ああ。ただ大学はちゃんと行け。単位優先でいい」
「でも、それだと勤務時間が……」
「だから給料は勤務時間に合わせて調整する。当然フルタイムの社員と同じにはできない」
和春はそこを曖昧にしなかった。
「ただし卒業したら話は別だ」
「……」
「それなりの役職についてもらうつもりでいる」
瀬奈の目が大きくなる。
「私が……役職?」
「そう」
「いやいやいや! 私、まだコンサルとして何も――」
「だから一年あるんだろ」
あっさり返された。
「大学四年の一年間、実務やりながら覚えろ。最初から案件丸投げする気はない。俺か愛華が見る」
愛華も頷く。
「以前の見学でもお話ししましたが、最初から和春と同じことができる必要はありません。というより、できたら私が困ります」
「おい」
「事実でしょう」
瀬奈が少し笑った。
緊張が僅かに抜ける。
だが和春は、そこで終わらせなかった。
「ただ覚えとけ。卒業後に役職つけば給料も上げる。その代わり責任も増える」
「はい」
「部下ができるかもしれない。自分の判断で動かなきゃならない場面も出る。失敗した時に『和春さんが言ったから』じゃ通らなくなる」
瀬奈は黙って聞いていた。
「金だけ見て決めんなよ。役職ってのは偉くなることじゃない。責任を持つ範囲が広がるってことだ」
「……はい」
今度の返事は、さっきより強かった。
和春はそれ以上、答えを迫らなかった。
考えて決めればいい。
それがBoundary & Mindだった。
そして――。
「次、アリシア」
「はい!」
なぜかこちらは最初から嬉しそうだった。
和春が少し呆れる。
「お前、大学四年までだと思ってたんだけど」
「違いますよ」
アリシアが笑った。
「私が選んだのは三年で卒業できるコースです」
「それ聞いた時びっくりしたわ」
瀬奈も驚いた。
「じゃあアリシアさんも……」
「はい。私も来年卒業です」
モデル業界には幼稚園の頃からいる。
だが大学卒業を一区切りとして、モデル一本の人生から離れることは以前から決めていた。
心理学。
経営。
人が抱えている問題。
そして、その人が選べる道を増やす仕事。
アリシアが本当に進みたいのは、そちらだった。
「だから呼んだ」
和春が言う。
「前にうちで働きたいって言ってたよな?」
「はい!」
即答。
「本気か?」
「本気です」
今度は笑わなかった。
アリシアは真っ直ぐ和春を見る。
「モデルを全部辞めるつもりはありません。社長とも話しています。雑誌やテレビのお仕事は、必要なら続けます。でも私がこれから本気で勉強して、仕事にしたいのは心理学です」
「分かった」
和春はそれだけ言って、二人を見る。
「じゃあちょうどいいな」
「?」
瀬奈とアリシアが同時に首を傾げる。
愛華だけは知っていた。
和春が何を考えているのか。
「俺、お前ら二人を組ませるつもりだから」
「……え?」
瀬奈が隣を見る。
アリシアも瀬奈を見る。
「私たちが?」
「ああ」
和春は二人を指した。
「経営の瀬奈」
次にアリシア。
「心理学のアリシア」
そして二人まとめて指す。
「二人で一人のコンサルタント」
瀬奈は意味を考える。
「でも……普通、コンサルタントって一人で担当するものじゃないんですか?」
「普通はな」
和春はソファに背中を預けた。
「でも、うちは普通のコンサル会社にする気ないから」
愛華が資料を二人の前へ置く。
そこには、今後のBoundary & Mindの基本的な業務体制がまとめられていた。
和春が続ける。
「一人で全部考えると、どうしても偏る」
経営に強い人間なら、数字を見る。
売上。
利益。
コスト。
生産性。
組織。
それは正しい。
だが――。
「数字だけじゃ人間は動かねぇ」
今度はアリシアを見る。
「心理に強い奴なら、人を見る。感情を見る。人間関係を見る。なんでその行動を取るのか考える」
だが、それだけでも足りない。
「人の気持ちだけ考えて会社潰したら意味ねぇだろ」
アリシアが頷く。
「だから二人」
瀬奈が数字を見る。
アリシアが人を見る。
瀬奈が事業として成立する道を探す。
アリシアが、その仕組みの中で働く人間に何が起こるかを見る。
片方が出した答えを、もう片方が疑う。
「責任も一人に押し付けない」
和春の声が少し真面目になる。
「コンサルって、人や会社の人生に結構デカい影響与える仕事だからな」
一つの提案で会社が変わる。
従業員の生活が変わる。
場合によっては、その家族にまで影響する。
「そんなもん一人で抱えて、絶対間違えるなって方がおかしい」
瀬奈は黙って聞いていた。
「それに一人だと考えの幅も狭くなる。自分の専門、自分の経験、自分の価値観。それだけで答え出しやすくなる」
そこで和春が隣を見る。
「俺と愛華がいい例だろ」
愛華が少し笑った。
「そうですね」
「俺が突っ走ったら愛華が止める」
「かなり頻繁に止めています」
「余計なこと言うな」
「事実です」
アリシアが笑う。
愛華は二人へ説明する。
「和春は非常に多くの分野を一人で処理できます。ですが、それでも私が必要になる場面はあります」
「というより必要」
和春が訂正した。
愛華が一瞬、和春を見る。
「……そういうことを突然言わないでください」
「仕事の話だぞ?」
「分かっています」
少しだけ嬉しそうなのを、瀬奈は見逃さなかった。
愛華は誤魔化すように話を戻す。
「私が別の視点から資料を確認することで、和春自身が気付いていなかった問題が見つかることもあります。逆も当然あります」
「だから」
和春が二人を見る。
「お前らにもそれやってもらう」
瀬奈。
アリシア。
二人ともまだ学生。
コンサルタントとしては、ほとんど何も知らない。
だが和春は、完成された人材を求めているわけではなかった。
「一年間」
和春が言う。
「大学通いながら実務覚えろ」
そして瀬奈を見る。
「瀬奈は経営をもっと深くやる」
アリシアを見る。
「アリシアは心理学。ただし専門バカにはなるな。互いの分野も最低限は勉強しろ」
「はい」
「はい!」
「二人で案件見て、二人で考えて、二人で俺か愛華に持ってこい」
そして卒業後。
二人が十分に成長していれば――。
「Boundary & Mindのコンサルタントとして、自分たちで案件持ってもらう」
瀬奈は自分の手元にある資料を見る。
以前。
ただ仕事を見学したい。
そう言っただけだった。
不動産相談を見た。
介護相談への切り替えを見た。
和春と愛華が、依頼人へ答えを押し付けるのではなく、選択肢を増やしていく姿を見た。
自分にも。
こんな仕事ができるのだろうか。
まだ分からない。
だが――。
隣を見る。
アリシアと目が合った。
「よろしくお願いします、瀬奈さん」
アリシアが先に笑った。
「……まだ私、やるって言ってないんですけど」
「えっ!?」
「ふふっ……冗談です」
「もう!」
二人が笑う。
その様子を見ていた和春が、愛華へ小さく言った。
「悪くないだろ?」
「ええ」
愛華も二人を見る。
「相性は良さそうですね」
Boundary & Mind。
これまで和春と愛華、二人だけだった会社。
その形が、この四月から少しずつ変わっていく。
そして瀬奈とアリシア。
経営と心理。
まったく違う強みを持つ二人が、Boundary & Mindで最初に生まれる――
『二人で一人』のコンサルタント候補だった。


