相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

 BARの扉を出た瞬間、夜風が頬を撫でた。

 店内の暖かい空気とは違い、少しだけ冷たい。

 天城愛華は小さく息を吐き、ゆっくり歩き出す。

 メイド服の裾が静かに揺れる。

 神代和春はその少し後ろを歩いていた。

 普段なら、二人の距離は一定だ。

 近すぎず、遠すぎない。

 でも今夜は違う。

「……愛華」

「はい……?」

 声が少しだけ柔らかい。

 歩幅が、わずかに不安定だった。

「大丈夫か」

「……少しだけ、世界がゆっくりです」

 いつもの毒舌はない。

 言葉の端が、少し丸い。

 数歩進んだところで――

 愛華の体がふらりと傾いた。

 次の瞬間。

 和春の腕が自然に伸びていた。

 肩を抱き寄せる。

 反射だった。

 考えるより先に、体が動いていた。

「……危ない」

「……すみません」

 距離が近い。

 思っていたより、ずっと近い。

 愛華の体は軽かった。

 折れてしまいそうなほど細くて、想像より柔らかい。

 その温度が、腕越しに伝わる。

 和春は一瞬、息を止めた。

 甘い匂いがした。

 強い香水ではない。

 洗いたての布の匂いと、ほんの少しだけ甘い香り。

 普段は意識しないはずの距離。

 でも今は――近すぎる。

「……和春」

「歩けるか」

「……はい。たぶん」

 言いながらも、体重が少しだけこちらへ預けられる。

 意識していない仕草。

 だからこそ、余計に心を揺らす。

 和春は視線を前に向けた。

 胸の奥が、少し騒がしい。

(……落ち着け)

 境界線。

 自分で引いてきた線。

 相手との距離を守るためのもの。

 それなのに――

 今はその線が曖昧だった。

 歩きながら、自然と手が添えられる。

 指先が、ほんの少し触れる。

 愛華は何も言わない。

 ただ静かに寄り添って歩く。

「……和春」

「ん?」

「……あたたかいですね」

 小さな声。

 夜風の中で、少しだけ震えていた。

 その言葉が、胸に落ちる。

 普段なら返すはずの軽口が出てこない。

「……風、冷えてきたな」

 代わりに出たのは、そんな言葉だった。

 愛華が小さく笑う。

「……優しいですね」

「普通だ」

「いいえ」

 足元がおぼつかない。

 もう一度、体が傾く。

 今度は、腕がしっかりと支えた。

 自然と距離が縮まる。

 メイド服の布越しに伝わる体温。

 息が触れそうな距離。

 和春は視線を逸らした。

 ――危ない。

 そう思う。

 けれど、離す気にはなれなかった。

 境界線は守るためにある。

 でも今は、その線をほんの少しだけ越えたいと思っている自分がいた。

「……和春」

「ん?」

「……もう少し、このままでもいいですか」

 弱い声だった。

 普段なら絶対に聞けない言葉。

 和春は答えず、歩く速度を少し落とした。

 それが返事だった。

 夜の街灯が、二人の影を重ねる。

 肩が触れ合い、腕が支える。

 ただそれだけの距離。

 でも、今までで一番近い距離だった。

 心臓の音が、少しだけ速い。

 理由は分からない。

 ただ――

 愛華の温度が、やけに近く感じる。

 家の明かりが見えてきた。

 玄関まであと少し。

 和春は静かに息を吐く。

 この距離が心地いいと思ってしまった自分に、少し驚きながら。

 Boundary & Mind。

 境界線を大切にしてきた二人。

 でも今夜は――

 その線が、確かに近づいていた。