僕が帰宅した時、玄関では丁度父――透花院礼が、下駄を履いている所だった。
この、僕が生まれ育った、北梓市において――透花院家という僕の実家は、ある意味有名だ。その当主には、代々役目が一つある。本当はかなり沢山あるようだけど、僕が知る限り、一番まともだけど意味不明な役目があるのだ。
それは……北梓市心霊協会の、役員である……。
そもそもの話、僕は思うんだけど……心霊協会って、何?
心からそう叫びたいのだが、もしこの土地でそうしたら、奇異の目で見られるのは、僕の方だ。都会からずっと離れた、県名だけでも『ド田舎』を連想する地域の、更にはずれにある地方都市――それが、この北梓市だ。
市町村合併により、新しい市になったが、中身はほとんど変化がない。
周囲を山に囲まれた盆地に、隔離されているかのように、田舎町が広がっている。
それだけならば、まぁ、日本のどこかには、同じような土地があるだろう。
だけど。
僕が思うに、この土地は、変だ。
たとえばテレビやネットを見ていると、『心霊現象なんて存在しない』という論説が多い。現代の科学社会において、霊能力者なんて、それこそ詐欺師の代名詞扱いだ。
なのに、この街では、『お化けがいるのは、当たり前である』という空気が流れている……。手法こそ雑多で、僕の家のような仏教らしき何かから、神道っぽい存在、他にはキリスト教風の人々、個人請負の拝み屋・祓い屋、その他もろもろ、そういった人々が、さも当然のごとく、除霊や浄霊の話をし、普通の地域住民も頷いて聞いている。
これ、変だよね?それとも、僕がおかしいの?
――まぁ、良い。そんな環境の中で、僕は育ってきた。
その時、礼が顔を上げた。
緑色の紋付を着ている。完全に、『若旦那』という印象だ。
「おかえり、紡」
僕の姿を見て、柔和な表情で、礼が微笑した。
大学から帰ってきた所である僕は、小さく頷く。それから、尋ねた。
「どこに行くの? また、飲み屋さん?」
「俺は、接待される時を除いて、自発的に行った事は無いけど、どうして?」
「なんとなく」
「お金がもったいない。絶対に、おごりじゃなきゃ行かないね」
うん。やはり、礼は守銭奴だ。
「心霊協会の役員の集まりだよ」
「今日は一日だよ? 毎月、十日じゃなかったっけ?」
「臨時集会なんだって。面倒な話だよ」
そう言って溜息をつくと、礼は外へと出て行った。
室内に入ると、前々当主である祖父の透花院統真が、碁盤に向かっていた。僕の家族は他に、双子の兄の絆がいる。僕は大学生だが、絆は既に働いている。僕から見ると、何とも言えない仕事だけど……。
「おお、紡。帰ったのか」
碁盤から顔を上げて、祖父がこちらを見た。祖父もまた和装だが、こちらには特に違和感は無い。白頭で、ヒゲも白い祖父は、礼に比べると、質素な着物姿だからなのかもしれない。古いドラマの再放送時に、ご老人が抽斗から取り出して着用していたもののような、存在感があまりない装いだ。古いサスペンスドラマの通行人にいそうな、田舎のお爺ちゃん風である。
普段もとても優しいし、いつも囲碁や将棋に負けて、涙ながらに騒いでいるのを見ると、僕は和む。しかし一度、きちんとした透花院に代々伝わる正装を纏い、ビシッと命令を下す姿を目撃した場合は、萎縮せずにはいられない。
なんの命令かというと……それがまた、除霊だのといった、オカルトだ……。
それさえなければなぁと、僕は度々思う。しかし、祖父はいつも誇らしそうに言っている。
――我が、透花院は、その昔、当時の偉人によって、『お主達の霊能力は卓越しているゆえ、今後は、寺ではなく院と名乗るように』と言われたんじゃ。それまでは、透花寺としてこの地を治めておったと古文書にはあるが、認められた。よって、今の透花院家が存在するのじゃよ。
……僕はその言葉を思い出し、はっきり言って、偉人とやらが余計な事をしなければと、何度も思っている。今、この北梓市において、僕の透花院家は、『一番の力の持ち主』と呼ばれているようだ。巷では、『透花院に逆らうと、この土地では、生きてはいけない』とまで囁かれているらしい。
何それ。これが、僕の率直な感想だ。
「いやぁ、紡という優秀な後継者がいて、透花院も安泰だわい」
祖父の言葉で、僕は我に返った。
……双子の兄もいるのだが、周囲は次の当主を僕だと、勝手に決めている。
兄もこれには、反対しない。していいのに。
「紡は、霊能力者として秀でておるからのう。天才としか言えぬな」
喉で笑いながら、祖父が一人で囲碁を始めた。
僕は、曖昧に頷いたが、溜息を押し殺す事に必死だった。
理由は、簡単だ。非常に、明確である。
僕は、心霊現象を信じていない。
だって、幽霊が視えた事も無ければ、嫌な気配を感じた事すらない。
お化けなんているわけがないと、確信している。
この地域にいると、僕が間違っているように思えてくるが、現代日本の科学の恩恵を受けて育っている大部分の人々は、僕と同じ見解だと思う。少なくとも、テレビやネットの有識者達は、そういう考えだろう。
しかし……僕が道を歩いているだけで、そこに屯している浮遊霊が消えるだの、周囲は僕をもてはやす。だが何も感じない僕にとっては、それこそ古くから続く、田舎だから各地に顔もきく、透花院家の次の跡取りである僕に、みんなが気を遣っているようにしか思えない。
「いやぁ、紡が、『霊泉』に進学してくれて、儂も鼻が高い」
祖父が続けたから、僕は顔を背ける。
この北梓市に、唯一ある大学が、霊泉学園大学だ。
僕は高校生の頃から、霊泉の付属学校に通っていた。
本当はこの土地から離れて一人暮らしをしたかったけど、猛反対され……それに抗うほど、都会へ行きたいわけでもなかったし、僕は勉強もあまり好きではないから、そのまま持ち上がりで進学したにすぎない。
基本的には、霊泉学園大学には、仏教科と民俗学科しかない。
元々、僕は民俗学に興味があったし、それはいい。
一応、透花院家は大きなお寺を持っているから、仏教科に進まなくても、あとを継ぐために必要な資格は取れる。だから、民俗学科を選んでも、特に反対はされなかった。他の大学に行く事は許されなかったが、学科の選択は許してもらえたのである。
「霊泉を卒業していない者など、ただのモグリじゃからな。絆は兎も角として」
祖父がそう言って笑った声を耳にしながら、僕はすぐ隣のキッチンへと向かい、一人静かに緑茶を用意した。これが、平均的な僕の、日常である。



