僕は炊飯器のことが、どうにも信用ならなかった。
だってそうだろう。釜に入れるのは、水道水で研いだ米と、説明書に書いてある通りの分量の水だけだ。火加減を見るわけでもなく、途中で様子をうかがうこともない。ただ蓋を閉め、ボタンを押す。それだけで、数時間後には炊きたての白米が湯気を立てている。匂いは甘く、粒は光っている。手品か何かだと思わずにはいられなかった。
それでも僕は、仕組みを理解した気になれない。理解できないのに、結果だけは毎回正しい。炊飯器とは、理屈ではなく習慣で信頼されている装置なのだろう。朝、家族が台所で用意する卵焼きや味噌汁を横目に、僕は白米の出来を当たり前のように受け入れていた。でも、考えてみればそれは奇跡だ。
蓋を開けるまでは、米が炊けているのかわからない。まるでシュレディンガーの猫だ。内部では、白米は炊けている状態と炊けていない状態を同時に保ち、僕が蓋を開けるという行為によって初めて現実が確定する。食卓の上の米粒ひとつひとつに、自分の責任がかかっているような気さえした。
もっとも、炊けていなかった世界線を引き当てたことは一度もない。炊飯器は必ず成功する。失敗しないからこそ、その内部で何が起きているのかを誰も気にしなくなる。奇跡が再現性を持った瞬間、人はそれを技術と呼び、不思議を忘れる。それでも僕は、蓋を開ける一瞬だけ、ほんのわずかに身構えてしまう。湯気の向こうに現れるのは白米なのか、それともこの宇宙の理不尽さなのか――そんなはずはないとわかっていながら、期待してしまう自分がいるのだ。
ある時、僕は思った。これを夏休みの自由研究にしてみたらどうだろう、と。炊飯器と量子力学――あまりにも自由すぎる研究だが、自由研究に守るべき規則はないはずだ。家族には申し訳ないが、毎日同じ白米を食べてもらうことにした。そう自分に言い聞かせ、ノートを一冊用意した。
研究方法は単純だった。毎日同じ米、同じ水、同じ炊飯器を使い、炊けるまで蓋を開けない。そして最後の瞬間、観測者としての僕が現実を確定させる。その結果を「成功」と記録する。
三日目にはもう書くことがなくなった。結果は毎回成功だ。考察欄だけが膨れ上がる。炊飯器はなぜ失敗しないのか。失敗しないものは、本当に観測の対象たり得るのか。これは研究と呼べるのか。僕は結論を書いた。 「炊飯器の中では、米はたぶん最初から炊けている。にもかかわらず、人はそれを確かめずにはいられない」
提出日、僕は自由研究の結果をランドセルの奥に押し込み登校した。ノートはカブトムシの飼育記録や朝顔の観察日記に囲まれ、場違いな静けさを保っていた。もっとも、場違いだったのは研究そのものも、最後まで未確定だったからだ。
その夜、重大な事件が起きた。米を研ぎ、水を量り、炊飯器のスイッチを押した直後、家中の電気が一斉に落ちた。停電だ。非常灯のオレンジ色に照らされた台所で、炊飯器は沈黙した。表示ランプも消え、内部の米が炊けているのか、炊けていないのか、あるいは炊けかけという第三の状態にあるのか、完全に分からなくなった。
これはまずいと思った。でもまずいのは米ではなく、研究のほうだ。観測不能な状態が予定外に発生したのだ。僕は蓋に手を伸ばしかけ、やめた。ここで開ければ、ただの失敗として確定してしまう。開けなければ、米は永遠に可能性のままだ。
結局、電気が戻るまで僕は炊飯器を見つめ続けた。再びスイッチを入れ、数時間後に蓋を開けると、米は何事もなかったかのように炊けていた。成功とも失敗とも言えない、奇妙な成功だ。ノートの考察欄に、「停電中、米は世界から一時的に切り離されていた可能性がある」と書き足した。
先生は一ページ目から黙って読み、停電のくだりで一度だけ眉をひそめた。
「「これは事故?」 「はい……でも、観測の問題です」
自分でも何を言っているのか分からなかったが、先生はそれ以上突っ込まなかった。 放課後の教室は薄暗く、外の廊下から遠く、子どもたちの声がかすかに聞こえるだけだった。僕はノートを机の上に置き、手のひらで軽く触れた。紙の感触が、何となく現実を確かめるような気にさせる。
そのとき、渡辺心愛がにこにこしながら僕の横に来て言った。 「二俣君、昨日の停電、怖くなかった? 私、びっくりしちゃって、お父さんに抱きついじゃったんだ」
照れた声に、僕は一瞬、何と答えるべきかわからなかった。怖かったかどうかで言えば、確かに怖かった。ただし暗闇が怖いのではなく、炊飯器の中の米がどの世界に属しているのか分からなくなった瞬間のことだ。湯気も匂いもなく、ただ可能性だけが残された空間――そんな感覚だった。
「うん、まあ……停電は、予想外だったから」
我ながら、ひどく要領を得ない答えだと思った。 彼女は僕の自由研究ノートの表紙を指で軽くつつく。柔らかい表紙の感触に、僕の思考はふと止まった。 「炊飯器ってそんなに大事?」
その笑顔は、量子力学の難解さよりずっと即効性があり、僕の頭をふわっと揺さぶる。これが、僕が初めて恋を知った瞬間だったと、後になって理解することになる。
「大事っていうか……信用できないんだ」
そう答えると、彼女は首をかしげた。ほんの少し傾いた角度と、目の奥の好奇心。僕は思った。 きっとこの世界には、観測しなくても信じてしまえるものと、観測しないと落ち着かないものがある。炊飯器は後者で、彼女の笑顔は前者だ。
その日の給食は白米だった。配膳台の上の白米は、湯気もなく、ただ少し光沢のある粒が整列しているだけ。僕は、すでに確定してしまった現実を前に、ほんの少しだけ物足りなさを感じた。
返却の日、僕のノートには赤ペンで大きく丸がついていた。評価欄には「◎」、その横に小さく「発想がおもしろい」と書かれている。点数が高いのか低いのかは分からなかったが、少なくとも、この研究は完全な失敗としては確定していないらしい。
家に帰って母に話すと、母は笑いながら言った。 「で、今日のご飯は炊けてるの?」
結局、僕の量子力学的考察も、停電事件も、日常生活の中ではその一言で片づけられてしまう。炊飯器は今日も台所に鎮座し、何事もなかったかのように次の出番を待っている。
僕は米を研ぎ、水を量り、いつものようにボタンを押した。指先に伝わる軽い振動、湯気が立つまでのわずかな時間。日常は静かに、でも確実に回っている。
「さあね」
研究は終わった。観測者としての責任も、たぶん今日で一区切りだ。 それでも、炊飯器の蓋を閉める瞬間、僕は一度だけ手を止めてしまう。
ーーーあの夜の停電がなければ、僕の研究は本当に完成していたのだろうか。
失敗の可能性が一度も現れなかった研究は、果たして研究と言えるのだろうか。
それからというもの、放課後になると僕は学校の図書室に入り浸るようになった。 目的ははっきりしている。成功例ではなく、失敗談を探すためだ。発明がうまくいかなかった話、仮説が間違っていた話、観測そのものが成立しなかった話。できれば、誰にも気づかれずに消えていったような失敗がいい。
棚に並んだ本の多くは、成功したあとから書かれたものばかりだった。結果が出たあとで整えられた因果関係は、どれも炊飯器の説明書みたいに整然としている。だが僕が知りたかったのは、その説明書ができあがる前の、混乱と手探りの時間だった。
何冊目かの本を閉じたとき、ふと思った。 もしかすると、失敗とは記録されないものなのかもしれない。観測されなかった現象は、最初から存在しなかったことにされる。だから本棚には、成功した世界線の本しか残っていないのだ。
図書室を出て、廊下を歩いていると、渡辺心愛と偶然すれ違った。 「最近、図書室にいるよね」 彼女はにこにこと手を振る。僕は小さくうなずき、答えた。 「失敗を探してるんだ」
「失敗って、そんなに大事?」 彼女は首をかしげる。あの日と同じ角度で。
「うん、たぶん」 そのときの僕は、炊飯器のことを考えていなかった。これは事実だ。少なくとも、炊飯器について考えていない自分がいる、という事実ははっきり自覚していた。 つまり、僕の研究はすでに役目を終えていたのかもしれない。 疑問は解消されていない。失敗も発見されていない。それでも僕は次の疑問に移動してしまう。研究というものは常に未完成であり、完成しなかったからといって失敗だと決めつけるのは早計なのだ――などと後付けの理屈を並べることもできる。要するに僕は”飽きた”あるいは”慣れた”のだ。
観測しなければ分からないものが、この世界には山ほどある。 そして厄介なことに、観測してしまった瞬間、それらは「最初からそうだった顔」をして居座る。炊飯器も、白米も、きっと失敗という概念そのものも。
「渡辺はさ、何か失敗したことってある?」 「んーー、あ!この前、夕飯作るの失敗したよ」
ずいぶん気軽な返答だった。まるで“失敗”という言葉が、彼女の中ではすでに軽やかで深刻さを失っているみたいだ。いや、もともと深刻さなんてものは、失敗の側にあるのではなく、それを語る側にしか宿らないのかもしれない。
「それ、失敗なの?」 思わず聞いてしまう。 「だって焦げるし、しょっぱいし、家族に笑われるし」 彼女は指を折りながら数え、「十分失敗でしょ」と結論づけた。
なるほど。彼女の失敗は、ちゃんと誰かに観測されている。しかも笑われる形で。それはつまり、失敗として成立している失敗だ。少なくとも、僕が探していた、誰にも気づかれずに消えていく失敗ではない。
「でもさ、それで次はちょっと上手くなるから、失敗ってほどでもないんだよね」
その言葉に、僕は少し言葉を失った。 失敗が、次につながる。 そんな当たり前のことを、僕はどこかで意識的に避けていたのだ。炊飯器が失敗しないからではない。失敗のあとに「次」が来ること自体が、どこか怖かったのだ。
「二俣君は?何か失敗したことある?」
その質問は思った以上に難しかった。 炊飯器は失敗しない。研究も失敗しなかった。自由研究は評価され、世界線は順調に収束している。 それでも胸の奥には、まだ未観測のまま残っている何かがある。
「たぶん……」 少し考えてから答えた。 「失敗しそこねたことなら、ある」
彼女はきょとんとした顔をした。 当然だ。失敗しそこねるなんて、成功でも失敗でもない、中途半端な状態なのだから。 でも僕にとっては、それがいちばん厄介で、いちばん忘れられない状態だった。炊けているかどうか分からない米みたいに、確定する前の、あの時間。
「変なの」 彼女は笑った。 その笑顔を、僕はしっかり観測してしまった。
それでも僕は、仕組みを理解した気になれない。理解できないのに、結果だけは毎回正しい。炊飯器とは、理屈ではなく習慣で信頼されている装置なのだろう。朝、家族が台所で用意する卵焼きや味噌汁を横目に、僕は白米の出来を当たり前のように受け入れていた。でも、考えてみればそれは奇跡だ。
蓋を開けるまでは、米が炊けているのかわからない。まるでシュレディンガーの猫だ。内部では、白米は炊けている状態と炊けていない状態を同時に保ち、僕が蓋を開けるという行為によって初めて現実が確定する。食卓の上の米粒ひとつひとつに、自分の責任がかかっているような気さえした。
もっとも、炊けていなかった世界線を引き当てたことは一度もない。炊飯器は必ず成功する。失敗しないからこそ、その内部で何が起きているのかを誰も気にしなくなる。奇跡が再現性を持った瞬間、人はそれを技術と呼び、不思議を忘れる。それでも僕は、蓋を開ける一瞬だけ、ほんのわずかに身構えてしまう。湯気の向こうに現れるのは白米なのか、それともこの宇宙の理不尽さなのか――そんなはずはないとわかっていながら、期待してしまう自分がいるのだ。
ある時、僕は思った。これを夏休みの自由研究にしてみたらどうだろう、と。炊飯器と量子力学――あまりにも自由すぎる研究だが、自由研究に守るべき規則はないはずだ。家族には申し訳ないが、毎日同じ白米を食べてもらうことにした。そう自分に言い聞かせ、ノートを一冊用意した。
研究方法は単純だった。毎日同じ米、同じ水、同じ炊飯器を使い、炊けるまで蓋を開けない。そして最後の瞬間、観測者としての僕が現実を確定させる。その結果を「成功」と記録する。
三日目にはもう書くことがなくなった。結果は毎回成功だ。考察欄だけが膨れ上がる。炊飯器はなぜ失敗しないのか。失敗しないものは、本当に観測の対象たり得るのか。これは研究と呼べるのか。僕は結論を書いた。 「炊飯器の中では、米はたぶん最初から炊けている。にもかかわらず、人はそれを確かめずにはいられない」
提出日、僕は自由研究の結果をランドセルの奥に押し込み登校した。ノートはカブトムシの飼育記録や朝顔の観察日記に囲まれ、場違いな静けさを保っていた。もっとも、場違いだったのは研究そのものも、最後まで未確定だったからだ。
その夜、重大な事件が起きた。米を研ぎ、水を量り、炊飯器のスイッチを押した直後、家中の電気が一斉に落ちた。停電だ。非常灯のオレンジ色に照らされた台所で、炊飯器は沈黙した。表示ランプも消え、内部の米が炊けているのか、炊けていないのか、あるいは炊けかけという第三の状態にあるのか、完全に分からなくなった。
これはまずいと思った。でもまずいのは米ではなく、研究のほうだ。観測不能な状態が予定外に発生したのだ。僕は蓋に手を伸ばしかけ、やめた。ここで開ければ、ただの失敗として確定してしまう。開けなければ、米は永遠に可能性のままだ。
結局、電気が戻るまで僕は炊飯器を見つめ続けた。再びスイッチを入れ、数時間後に蓋を開けると、米は何事もなかったかのように炊けていた。成功とも失敗とも言えない、奇妙な成功だ。ノートの考察欄に、「停電中、米は世界から一時的に切り離されていた可能性がある」と書き足した。
先生は一ページ目から黙って読み、停電のくだりで一度だけ眉をひそめた。
「「これは事故?」 「はい……でも、観測の問題です」
自分でも何を言っているのか分からなかったが、先生はそれ以上突っ込まなかった。 放課後の教室は薄暗く、外の廊下から遠く、子どもたちの声がかすかに聞こえるだけだった。僕はノートを机の上に置き、手のひらで軽く触れた。紙の感触が、何となく現実を確かめるような気にさせる。
そのとき、渡辺心愛がにこにこしながら僕の横に来て言った。 「二俣君、昨日の停電、怖くなかった? 私、びっくりしちゃって、お父さんに抱きついじゃったんだ」
照れた声に、僕は一瞬、何と答えるべきかわからなかった。怖かったかどうかで言えば、確かに怖かった。ただし暗闇が怖いのではなく、炊飯器の中の米がどの世界に属しているのか分からなくなった瞬間のことだ。湯気も匂いもなく、ただ可能性だけが残された空間――そんな感覚だった。
「うん、まあ……停電は、予想外だったから」
我ながら、ひどく要領を得ない答えだと思った。 彼女は僕の自由研究ノートの表紙を指で軽くつつく。柔らかい表紙の感触に、僕の思考はふと止まった。 「炊飯器ってそんなに大事?」
その笑顔は、量子力学の難解さよりずっと即効性があり、僕の頭をふわっと揺さぶる。これが、僕が初めて恋を知った瞬間だったと、後になって理解することになる。
「大事っていうか……信用できないんだ」
そう答えると、彼女は首をかしげた。ほんの少し傾いた角度と、目の奥の好奇心。僕は思った。 きっとこの世界には、観測しなくても信じてしまえるものと、観測しないと落ち着かないものがある。炊飯器は後者で、彼女の笑顔は前者だ。
その日の給食は白米だった。配膳台の上の白米は、湯気もなく、ただ少し光沢のある粒が整列しているだけ。僕は、すでに確定してしまった現実を前に、ほんの少しだけ物足りなさを感じた。
返却の日、僕のノートには赤ペンで大きく丸がついていた。評価欄には「◎」、その横に小さく「発想がおもしろい」と書かれている。点数が高いのか低いのかは分からなかったが、少なくとも、この研究は完全な失敗としては確定していないらしい。
家に帰って母に話すと、母は笑いながら言った。 「で、今日のご飯は炊けてるの?」
結局、僕の量子力学的考察も、停電事件も、日常生活の中ではその一言で片づけられてしまう。炊飯器は今日も台所に鎮座し、何事もなかったかのように次の出番を待っている。
僕は米を研ぎ、水を量り、いつものようにボタンを押した。指先に伝わる軽い振動、湯気が立つまでのわずかな時間。日常は静かに、でも確実に回っている。
「さあね」
研究は終わった。観測者としての責任も、たぶん今日で一区切りだ。 それでも、炊飯器の蓋を閉める瞬間、僕は一度だけ手を止めてしまう。
ーーーあの夜の停電がなければ、僕の研究は本当に完成していたのだろうか。
失敗の可能性が一度も現れなかった研究は、果たして研究と言えるのだろうか。
それからというもの、放課後になると僕は学校の図書室に入り浸るようになった。 目的ははっきりしている。成功例ではなく、失敗談を探すためだ。発明がうまくいかなかった話、仮説が間違っていた話、観測そのものが成立しなかった話。できれば、誰にも気づかれずに消えていったような失敗がいい。
棚に並んだ本の多くは、成功したあとから書かれたものばかりだった。結果が出たあとで整えられた因果関係は、どれも炊飯器の説明書みたいに整然としている。だが僕が知りたかったのは、その説明書ができあがる前の、混乱と手探りの時間だった。
何冊目かの本を閉じたとき、ふと思った。 もしかすると、失敗とは記録されないものなのかもしれない。観測されなかった現象は、最初から存在しなかったことにされる。だから本棚には、成功した世界線の本しか残っていないのだ。
図書室を出て、廊下を歩いていると、渡辺心愛と偶然すれ違った。 「最近、図書室にいるよね」 彼女はにこにこと手を振る。僕は小さくうなずき、答えた。 「失敗を探してるんだ」
「失敗って、そんなに大事?」 彼女は首をかしげる。あの日と同じ角度で。
「うん、たぶん」 そのときの僕は、炊飯器のことを考えていなかった。これは事実だ。少なくとも、炊飯器について考えていない自分がいる、という事実ははっきり自覚していた。 つまり、僕の研究はすでに役目を終えていたのかもしれない。 疑問は解消されていない。失敗も発見されていない。それでも僕は次の疑問に移動してしまう。研究というものは常に未完成であり、完成しなかったからといって失敗だと決めつけるのは早計なのだ――などと後付けの理屈を並べることもできる。要するに僕は”飽きた”あるいは”慣れた”のだ。
観測しなければ分からないものが、この世界には山ほどある。 そして厄介なことに、観測してしまった瞬間、それらは「最初からそうだった顔」をして居座る。炊飯器も、白米も、きっと失敗という概念そのものも。
「渡辺はさ、何か失敗したことってある?」 「んーー、あ!この前、夕飯作るの失敗したよ」
ずいぶん気軽な返答だった。まるで“失敗”という言葉が、彼女の中ではすでに軽やかで深刻さを失っているみたいだ。いや、もともと深刻さなんてものは、失敗の側にあるのではなく、それを語る側にしか宿らないのかもしれない。
「それ、失敗なの?」 思わず聞いてしまう。 「だって焦げるし、しょっぱいし、家族に笑われるし」 彼女は指を折りながら数え、「十分失敗でしょ」と結論づけた。
なるほど。彼女の失敗は、ちゃんと誰かに観測されている。しかも笑われる形で。それはつまり、失敗として成立している失敗だ。少なくとも、僕が探していた、誰にも気づかれずに消えていく失敗ではない。
「でもさ、それで次はちょっと上手くなるから、失敗ってほどでもないんだよね」
その言葉に、僕は少し言葉を失った。 失敗が、次につながる。 そんな当たり前のことを、僕はどこかで意識的に避けていたのだ。炊飯器が失敗しないからではない。失敗のあとに「次」が来ること自体が、どこか怖かったのだ。
「二俣君は?何か失敗したことある?」
その質問は思った以上に難しかった。 炊飯器は失敗しない。研究も失敗しなかった。自由研究は評価され、世界線は順調に収束している。 それでも胸の奥には、まだ未観測のまま残っている何かがある。
「たぶん……」 少し考えてから答えた。 「失敗しそこねたことなら、ある」
彼女はきょとんとした顔をした。 当然だ。失敗しそこねるなんて、成功でも失敗でもない、中途半端な状態なのだから。 でも僕にとっては、それがいちばん厄介で、いちばん忘れられない状態だった。炊けているかどうか分からない米みたいに、確定する前の、あの時間。
「変なの」 彼女は笑った。 その笑顔を、僕はしっかり観測してしまった。

