「おつかれさまですー」
ステージを終えた2人の方にそう言いながら近付いていく綴の後を追う。
「ありがとう。綴くんも歌ちゃんもありがとうね、見てくれて」
「いえいえー」
「……いえ」
ずっと黙っているのも不自然な気がして、小さく呟く。
「ね? すごいでしょ、この2人」
綴のはしゃいだような声に、頷く。
「綺麗だった、と思う」
「マジで? 嬉しいなぁ」
維月さんの楽しそうな声が飛び込んできて、1拍遅れて彼が顔を出した。手にさっきまで座っていた椅子を持っている。
「綴、ちょっとこっち手伝って」
「はぁい」
ぱたぱたと音を立てて、綴が奥に走っていった。
「歌ちゃん」
星來さんの声に、振り返る。
「綴くん、ああ見えて結構子供だからさ。綴くんのこと、よろしくね」
維月さんと楽しげに笑っている彼の声が聞こえてくる。よろしくされるのは、私じゃなくても良いのではないだろうか。
「……あぁ、確かに」
綴と維月さんの声の方をちらと見た私の言葉に、星來さんが少し笑った。でもどこか怖さを隠すように、彼女が続ける。
「ああいう『子供』って意味じゃなくて、どうしようもなくなったときに咄嗟に隠れちゃうような意味での『子供』。…ねぇ、歌ちゃん」
「………はい」
「私たちは、ここにいるからね」
ひとつ、頷く。
ありがとうございます。
それで、何になるのですか。
楽しげに笑う綴の声が、聞こえてくる。
星來さんじゃ、だめなんですか。
維月さんじゃ、無理なんですか。
私なんかよりも適任が、いるんじゃないですか。
そう、訊きたかった。
「星來ー」
「なにー」
でも時間は、私の都合の良いように止まったりしてくれない。
疑問符を幾つか飲み込んで、3人が片付けをしている方に向かう。
「……手伝います」
「ほんと? ありがとう」
星來さんの声が聞こえた。
何も気付いていないみたいに、
何もかも気付いているみたいに、
気付いていないふりをしているみたいに、
彼女が明るく笑う。
笑顔が溢れる場所は、私には眩しい。
夕焼けが、空を赤く染めている。
「どうだった?」
綴に尋ねられて、困ってしまう。
「……どう、って訊かれても。眩しかった」
はは、と綴が明るく笑った。だよね、と彼が続ける。分かっていたなら、どうして連れてきたんだろうか。
「嫌じゃなければ、また行こうよ。オーナーさんのことも紹介したいし」
「……私じゃなくて良いでしょ」
「言わなかったっけ? 歌が良いの」
ぐらりと揺れる。叫び出したくなる。
放っておいてよ。
さっさと死なせてよ。
放っておけば良いじゃん。
私なんか、選んでも。
「………後悔するよ」
「どうかな」
彼の横顔を見上げる。
それが僅かに動いて、双眸が私を捉える。にこっと笑う。
その光に、明るさに、苛立つ。
そしてまた、消えたくなる。
「歌ちゃん、またねー」
「気を付けて帰ってね」
「ありがとう、歌ちゃんもね」
「うん、ありがとう」
教室の外に、クラスメイトの背中が消えて行く。名前も覚えていない、ただの顔見知りの1人。彼女は、私が一度も自分の名前を呼んだことがないことに気付いているのだろうか。ふと思う。別に、どうでも良いけど。
名前なんて覚えていなくても、案外日常の会話は上手く転がっていくものだ。相手が話したい事柄を引き出して、同調して、共感すれば、向こうは勝手に気持ち良くなってくれる。実体の感情が伴っているかなんて、本当は気にしていない。
1人にならないように、「外れる」ことがないように。南極のペンギンの群れみたいに肩を寄せ合っていれば、命の危機に晒されることはない。
スマホを取り出して、開き慣れたフォルダを開く。もはや手癖のようになっていて、いちいちそれに頭を働かせることもない。
指を滑らせて、文字を打ち込む。たぶん、この時間が一番何も考えていないし、一番全てを感じてもいるのだろう。
ほぅ、と息を吐く。
丁度探してたんだ。詩が書ける人──
そんな大層なものじゃない。
この世界で崩れないための呼吸みたいなものだ。
はは、と乾いた笑いが洩れる。
「………誰が」
誰が、こんなもの。
こんなものを欲しがる人など、いない。
もしいたとして、私は。
その人の目を見て話すことなど、できない。絶対に。
「歌ちゃん」
斜め後ろから声が降ってきて、がたっ、と音を立てて飛び上がった。
「ごめん、びっくりした。どうしたの?」
「ごめんね。マヒロってここ来た?」
マヒロって誰だろう。10分くらい前に教室を出た彼女は、少なくともそんな名前ではなかった気がするけど。
「HR終わってからしか分からないけど、来てない気がするな。いないの?」
「うん、一緒にご飯行く約束してたんだけど。ありがとう、探してみる」
「うん。もし見かけたら声掛けておくね」
その子だと分かる人を見かけたら、だけど。
「ありがとう。 優しいね、歌ちゃん」
「全然」
戯けたように笑って見せる。でも本当に、全く。優しくなんてない。
「ありがとう。またね」
「うん。じゃあね」
手を振る。彼女の姿が見えなくなると、仮面のように張り付いていた笑顔がすっと引いていくのが分かった。
高校を出て駅に向かい、電車に5分ほど揺られると小さな駅に着く。自宅の最寄り駅はもう1つ先だけど、定期券の範囲内だからお金がかからないのはありがたい。
あの公園に向かうと、今日も潮の香りがした。遠くで赤く染まる水平線を眺めながら、いつでも消えられる事実に、少しだけ安堵する。
ひゅうと音を立てて、風が耳元を吹き抜けていく。
「歌さん?」
またか。
2週間前と同じ構図に、呆れる。苛立ちを覚える気力もない。
「……維月さん」
「また会ったね。なんでここに?」
「….学校の帰り道なので」
半分、本当。半分、嘘。
そちらは、と機械的に訊くと、「俺はこの近所だから、散歩に」という答えが返ってきた。
「そうなんですね」
「うん。ここ、よく来るの?」
「たまに、ですね」
ふぅん、と言いながら、維月さんが水平線に目線を投げかける。
「いま、綴と星來があのスタジオに居るんだけど。歌さんも来る?」
スタジオとも言うのか。
「いえ、大丈夫です」
「そっか。もう帰るところ?」
なんでそんなこと訊くんですか。
「…まぁ、そうですね」
「じゃ、駅まで送るよ」
大丈夫です、ともう一度言うと、少し困ったように維月さんが笑った。
「俺が戻る方向もあっちだからさ。一緒に行っても良い?」
確かに、この前の場所とここの最寄り駅は同じ方向だ。頷くと、「ありがとう」という言葉が返ってくる。感謝される筋合いは無いはずなのに。
維月さんと並んで、歩き出す。
彼の黒い少しくたびれたコートは、その静かな佇まいによく似合っていた。
「……余計なお世話かもしれないけど」
スタジオが入る建物が見え始めたあたりで、維月さんが口を開いた。
「もし魔が差しているなら、あそこから落ちるのは止めておいた方が良い」
ばれた、と思う。それなのに、心の内側を握られたような痛みがないのが、不思議だった。
「あそこの高さぐらいだと、失敗した時にすごく痛い思いするから」
魔が差すって言い方は良くないな、と維月さんが物悲しげに笑ったのが、視界の端に見えた。
「……あ、あと、今のは完全なる俺の独断だから。もし何のことだって感じだったら、ごめんね」
じゃあまた、と手を挙げて、維月さんがスタジオのある建物の方に歩いていく。数歩歩いたところで、振り返る。私の目を見て、柔らかい笑顔になる。星來さんのそれと、少し似ていた。
「気を付けて。気が向いたら遊びにおいで」
「……ありがとう、ございます」
不思議な人だ。
維月さんの後ろ姿を眺めながら、そう思った。
ステージを終えた2人の方にそう言いながら近付いていく綴の後を追う。
「ありがとう。綴くんも歌ちゃんもありがとうね、見てくれて」
「いえいえー」
「……いえ」
ずっと黙っているのも不自然な気がして、小さく呟く。
「ね? すごいでしょ、この2人」
綴のはしゃいだような声に、頷く。
「綺麗だった、と思う」
「マジで? 嬉しいなぁ」
維月さんの楽しそうな声が飛び込んできて、1拍遅れて彼が顔を出した。手にさっきまで座っていた椅子を持っている。
「綴、ちょっとこっち手伝って」
「はぁい」
ぱたぱたと音を立てて、綴が奥に走っていった。
「歌ちゃん」
星來さんの声に、振り返る。
「綴くん、ああ見えて結構子供だからさ。綴くんのこと、よろしくね」
維月さんと楽しげに笑っている彼の声が聞こえてくる。よろしくされるのは、私じゃなくても良いのではないだろうか。
「……あぁ、確かに」
綴と維月さんの声の方をちらと見た私の言葉に、星來さんが少し笑った。でもどこか怖さを隠すように、彼女が続ける。
「ああいう『子供』って意味じゃなくて、どうしようもなくなったときに咄嗟に隠れちゃうような意味での『子供』。…ねぇ、歌ちゃん」
「………はい」
「私たちは、ここにいるからね」
ひとつ、頷く。
ありがとうございます。
それで、何になるのですか。
楽しげに笑う綴の声が、聞こえてくる。
星來さんじゃ、だめなんですか。
維月さんじゃ、無理なんですか。
私なんかよりも適任が、いるんじゃないですか。
そう、訊きたかった。
「星來ー」
「なにー」
でも時間は、私の都合の良いように止まったりしてくれない。
疑問符を幾つか飲み込んで、3人が片付けをしている方に向かう。
「……手伝います」
「ほんと? ありがとう」
星來さんの声が聞こえた。
何も気付いていないみたいに、
何もかも気付いているみたいに、
気付いていないふりをしているみたいに、
彼女が明るく笑う。
笑顔が溢れる場所は、私には眩しい。
夕焼けが、空を赤く染めている。
「どうだった?」
綴に尋ねられて、困ってしまう。
「……どう、って訊かれても。眩しかった」
はは、と綴が明るく笑った。だよね、と彼が続ける。分かっていたなら、どうして連れてきたんだろうか。
「嫌じゃなければ、また行こうよ。オーナーさんのことも紹介したいし」
「……私じゃなくて良いでしょ」
「言わなかったっけ? 歌が良いの」
ぐらりと揺れる。叫び出したくなる。
放っておいてよ。
さっさと死なせてよ。
放っておけば良いじゃん。
私なんか、選んでも。
「………後悔するよ」
「どうかな」
彼の横顔を見上げる。
それが僅かに動いて、双眸が私を捉える。にこっと笑う。
その光に、明るさに、苛立つ。
そしてまた、消えたくなる。
「歌ちゃん、またねー」
「気を付けて帰ってね」
「ありがとう、歌ちゃんもね」
「うん、ありがとう」
教室の外に、クラスメイトの背中が消えて行く。名前も覚えていない、ただの顔見知りの1人。彼女は、私が一度も自分の名前を呼んだことがないことに気付いているのだろうか。ふと思う。別に、どうでも良いけど。
名前なんて覚えていなくても、案外日常の会話は上手く転がっていくものだ。相手が話したい事柄を引き出して、同調して、共感すれば、向こうは勝手に気持ち良くなってくれる。実体の感情が伴っているかなんて、本当は気にしていない。
1人にならないように、「外れる」ことがないように。南極のペンギンの群れみたいに肩を寄せ合っていれば、命の危機に晒されることはない。
スマホを取り出して、開き慣れたフォルダを開く。もはや手癖のようになっていて、いちいちそれに頭を働かせることもない。
指を滑らせて、文字を打ち込む。たぶん、この時間が一番何も考えていないし、一番全てを感じてもいるのだろう。
ほぅ、と息を吐く。
丁度探してたんだ。詩が書ける人──
そんな大層なものじゃない。
この世界で崩れないための呼吸みたいなものだ。
はは、と乾いた笑いが洩れる。
「………誰が」
誰が、こんなもの。
こんなものを欲しがる人など、いない。
もしいたとして、私は。
その人の目を見て話すことなど、できない。絶対に。
「歌ちゃん」
斜め後ろから声が降ってきて、がたっ、と音を立てて飛び上がった。
「ごめん、びっくりした。どうしたの?」
「ごめんね。マヒロってここ来た?」
マヒロって誰だろう。10分くらい前に教室を出た彼女は、少なくともそんな名前ではなかった気がするけど。
「HR終わってからしか分からないけど、来てない気がするな。いないの?」
「うん、一緒にご飯行く約束してたんだけど。ありがとう、探してみる」
「うん。もし見かけたら声掛けておくね」
その子だと分かる人を見かけたら、だけど。
「ありがとう。 優しいね、歌ちゃん」
「全然」
戯けたように笑って見せる。でも本当に、全く。優しくなんてない。
「ありがとう。またね」
「うん。じゃあね」
手を振る。彼女の姿が見えなくなると、仮面のように張り付いていた笑顔がすっと引いていくのが分かった。
高校を出て駅に向かい、電車に5分ほど揺られると小さな駅に着く。自宅の最寄り駅はもう1つ先だけど、定期券の範囲内だからお金がかからないのはありがたい。
あの公園に向かうと、今日も潮の香りがした。遠くで赤く染まる水平線を眺めながら、いつでも消えられる事実に、少しだけ安堵する。
ひゅうと音を立てて、風が耳元を吹き抜けていく。
「歌さん?」
またか。
2週間前と同じ構図に、呆れる。苛立ちを覚える気力もない。
「……維月さん」
「また会ったね。なんでここに?」
「….学校の帰り道なので」
半分、本当。半分、嘘。
そちらは、と機械的に訊くと、「俺はこの近所だから、散歩に」という答えが返ってきた。
「そうなんですね」
「うん。ここ、よく来るの?」
「たまに、ですね」
ふぅん、と言いながら、維月さんが水平線に目線を投げかける。
「いま、綴と星來があのスタジオに居るんだけど。歌さんも来る?」
スタジオとも言うのか。
「いえ、大丈夫です」
「そっか。もう帰るところ?」
なんでそんなこと訊くんですか。
「…まぁ、そうですね」
「じゃ、駅まで送るよ」
大丈夫です、ともう一度言うと、少し困ったように維月さんが笑った。
「俺が戻る方向もあっちだからさ。一緒に行っても良い?」
確かに、この前の場所とここの最寄り駅は同じ方向だ。頷くと、「ありがとう」という言葉が返ってくる。感謝される筋合いは無いはずなのに。
維月さんと並んで、歩き出す。
彼の黒い少しくたびれたコートは、その静かな佇まいによく似合っていた。
「……余計なお世話かもしれないけど」
スタジオが入る建物が見え始めたあたりで、維月さんが口を開いた。
「もし魔が差しているなら、あそこから落ちるのは止めておいた方が良い」
ばれた、と思う。それなのに、心の内側を握られたような痛みがないのが、不思議だった。
「あそこの高さぐらいだと、失敗した時にすごく痛い思いするから」
魔が差すって言い方は良くないな、と維月さんが物悲しげに笑ったのが、視界の端に見えた。
「……あ、あと、今のは完全なる俺の独断だから。もし何のことだって感じだったら、ごめんね」
じゃあまた、と手を挙げて、維月さんがスタジオのある建物の方に歩いていく。数歩歩いたところで、振り返る。私の目を見て、柔らかい笑顔になる。星來さんのそれと、少し似ていた。
「気を付けて。気が向いたら遊びにおいで」
「……ありがとう、ございます」
不思議な人だ。
維月さんの後ろ姿を眺めながら、そう思った。



