うたうたい

「歌はさ」
崖から数分歩いたところにある寂れた休憩所のベンチに座って、綴が口を開いた。
「この近く住んでるの?」
言葉を聞きながら、彼の斜向かいに腰掛ける。人気(ひとけ)はないけれど、暖房が効いているのはありがたかった。
「さぁね。そうかもしれないし、違うかもしれない」
「ふぅん。俺よくこの辺来るんだけどさ」
私の言葉に戸惑う素振りも見せず喋り続ける。もしかして彼は、あまり人の話を真面目に聞かない(たち)なのだろうか。
「明後日の午後とか暇?」
明後日は月曜だが、祝日なのを思い出す。
「……どういう魂胆」
「魂胆なんて人聞きの悪い。ちょっと一緒に来て欲しいところがあって」
会ったばかりの私に、何故ここまで(こだわ)るのかが分からなかった。綴の性格なら詩を書く人の1人や2人、簡単に見つけられそうだ。
「なんで私なの?」
「…と言うと? 忙しい?」
「そうじゃなくて。もっと一緒に行きやすい人がいるでしょう」
「……いないから歌に拘るんだよ」
少し悲しそうに綴が笑った。心を読まれたようで、ぎょっとする。
「あとね」
ころっと明るい表情に戻って、彼が続ける。
「歌が書く詩、俺好きだったから。一緒に行く人がいないからっていうより、どっちかって言うとそっちで歌に拘ってる」
ぐらっと揺れそうになる心を、ぐっと抑え込む。その勢いでばたっと音を立てて壁に寄りかかる私を、彼の目が少し心配そうに見ていた。
「大丈夫?」
「何が」
「背中。痛そうな音したから」
「別に平気」
「そ。なら、良いけど」
綴がそう言いながら立ち上がり、腰を少し曲げて私の顔を覗き込むように眺める。彼の顔が近づいてきた分、私は座ったままじりじりと後ろに下がった。そんな私の反応を見てなのか、ぱっと真っ直ぐに立ち直して彼が続ける。
「無理強いはしないよ。でも気が向いたら、明後日の13時半にここで」
「……死なせないためだったりする?」
俯いたまま、呟いてしまう。
私の発言の意図に気付いたらしい綴が、振り返って私を眺めているのが分かった。
「………まさか」
あまりに意味深な間に、顔を上げる。
彼は私の目を見て、少し戯けたように笑った。

ガラッと音を立てて、扉を開く。
一昨日訪れた休憩所が、何も変わることなくそこにあった。今日も暖房が効いている。乾燥した暖かい空気に、否応なしに身体の緊張が解れるのを感じる。
奥を見ると、一昨日座っていたのと同じベンチで、綴が横になっていた。彼のものであろう荷物が床に投げ出されている。
「……何で寝てるの」
反応がない。
彼の横に立ち、その眉間にすうっと右手の人差し指を近付けると、横からばっと手首を掴まれた。軽く抵抗してみるけど、彼の手はびくともしない。
「寝込みを襲うのは良くない」
目を開けて、私の手をぱっと離す。
「しかも眉間。ちゃんと急所じゃないか」
「未遂だから襲ってはない。おはよう」
「おはよう。もう昼だけどね」
私の非道な行いに腹を立てた様子も見せず、綴が屈託なく笑った。その寛容さと明るさに、消えたくなる。
「今日はどこ行くの?」
前と同じく彼が寝転ぶベンチの斜向かいに腰掛けながら問うと、綴がむくりと起き上がった。ひとつ欠伸をして、口を開く。
「どこでしょう。歌、音楽好き?」
露骨に話を逸らされた気がする。
「鑑賞だけなら、嫌いではない」
「良かった。実はね、俺がよく行くライブハウスみたいな所に一緒に行こうかなと思って」
「…………はぁ」
「嫌?」
「意図が読めない」
そう返すと、綴は楽しそうに笑った。どこが面白いのか分からない。
「歌、人の行動全てに意味があるとは思わないことだ。まぁ、行ってみようよ」
何に巻き込まれても惜しい命ではないし、有事に恨むべきはこの約束に乗った私自身なので、諦めて付いて行くことにした。

「歩いて10分ぐらいだから」
そう綴が言っていた通り、10分ほどで目的地と思われる場所に着いた。
人1人分の幅しかない階段を降りて、これまた人1人分の幅の扉の前に立つ。
くるりと振り返った綴に「大丈夫?」と問われて、何がだろうと思いながら頷いた。
「よし、行こうか」
彼がにっと笑って、扉を開く。爆音に襲われる覚悟をしていたのだけど、まだ演奏時間ではないのか、中は比較的静かだった。10人にも満たない客と思われる人々が、部屋の間接照明に照らされてぼんやりと浮かび上がっている。
「あれ、綴だ。久しぶりじゃん」
入ってすぐの所にいた男の人が、綴を見て相好を崩す。ハーフアップにされた、肩まで伸びた髪が印象的だった。
維月(いづき)さん。お久しぶりです、お元気ですか? 維月さんも、星來(せいら)さんも」
カウンターという方が適当そうな背の高いテーブルに肘を突いて(もた)れ掛かっていた彼に、綴が親しげに声を掛ける。
「元気元気。あれ、その子は? 友達?」
維月、という人の目が私を捉えて、私は思わずまた肩をぴくりと震わせた。
「友達です。歌、この人は維月さん。ここでよく俺と話してくれるんだ」
綴が私のことを言った言葉が、少し引っかかる。友達? 友達か。友達、なんだろうか。
「話すっていうか、遊ぶっていうか。ここ、あんまり人来ないし」
ははっと彼が──維月さんが笑う。明るい、親しみやすい笑顔だった。服装と話し方を見るに、ここで働いているように見える。
「歌さん? よろしくね。俺、維月って言います」
「……歌です。よろしくお願いします」
そう無愛想に言ったのに、維月さんはにこっと嬉しそうに笑った。
「え、綴くん? 久しぶりだね」
奥からまた別の声が聞こえた。
「お。揃ったな、星月コンビ」
綴がそう言って笑う。初めて会った時にも思ったけど、やはり知り合いが多そうだ。私なんかを捕まえた理由が、ますます分からなくなる。
「歌」
名前を呼ばれて、顔を上げた。いつの間にか、綴と維月さんの隣に私と同じくらいの歳に見える女の人が立っている。彼女もここで働いていることが窺えた。
「こちら、星來さん。この人もよく俺と話してくれる」
歌です、と言って頭を下げる。
「歌ちゃん。私、星來です。よろしくね」
また愛想の欠片もない挨拶だったにも関わらず、星來さんは私の目を見て明るく笑った。
「歌さん、今高校生?」
「………高2。17です」
維月さんの問いに、ぼそぼそと答える。
「お、綴と同い年か。てことは星來の1個下じゃん」
「私はもう高校生じゃないけどね」
「それを言えば俺も学生じゃないけど」
少し驚いて彼らを見た。その表情に悲壮感も劣等感も全く浮かんでいないことに、また驚いてしまう。
「ところで、そろそろ準備しないと不味いんじゃないですか」
綴のその言葉を聞いて、ここが「ライブハウスみたいな所」だったと思い出した。
「今何時?」
「13時25分です」
「おっとぉ。あと5分か。喋りすぎちゃったな」
維月さんがそう言うのを聞いて、綴に「ねぇ」と声を掛ける。
「1時半から何かあるの?」
客がいるんだから何もないわけがないのだろうが、一体何が始まるのかが分からなかった。
「うん。小さいライブというか、コンサートというか。ここのオーナーさんと維月さんたちが仲良しで、よく使わせてくれるんだよね」
絶対従業員と雇用主っていうより友達の間柄だよ、と綴が笑う。
奥からギターを持って来た星來さんも、綴の言葉に反応して笑った。緩やかに編み込まれた凝った髪型に、今更ながら気付く。よく似合っていた。
「体良く押し付けられてる気もするけどね。あの人、私たちが借り切ってる間は色々遊びに行けるから」
いくら従業員で親しい間柄とはいえ、貸し切っている間責任者が居なくなるのはどうなんだろうか。
「……ギター弾くんですか?」
人前に立つらしく服装が変わっている星來さんの手元を指差して問うと、彼女が笑って答えた。
「私じゃなくて、維月がね。綺麗だよ」
維月さんが、なのか、ギターの音が、なのかは分からなかった。
「歌。こっち客席だから、この辺来て」
綴の声が聞こえて振り返る。こっちこっち、と手招く彼に従って、部屋の奥の方に歩いて行く。人集(ひとだか)りと言えるほどの規模なのかも分からない人々の後ろに立つと、ぎし、と床板が(きし)んだ音を立てた。
「……歌うの?」
そう訊くと、綴は此方を見て少し寂しそうに笑った。
「そうしたいのは山々なんだけど、いま曲がないんだよね。だから今日は見るだけ。星來さんの歌も聞きたかったし」
曲がない。前の曲じゃだめなんだろうか。新曲を歌い続けなければいけないような場所なんだろうか。そう訊こうとしたところでギターの音色が聞こえてきて、意識がそちらに持っていかれる。
「皆様、本日は寒さの中ご足労頂きまして、誠にありがとうございます……」
星來さんの声だと気付くのに数秒かかった。カウンターチェアに腰掛けた彼女の隣で、少し背の低い椅子に座った維月さんがギターを爪弾いている。間接照明に照らされた彼らは、遠目に見ても絵になるのが分かった。似た系統の服装で揃えているのもあるんだろうか。
「……彼女、冒頭の挨拶は大得意なんですが、台本がなくなるとダメみたいで。僕が曲紹介していきますね。よろしくお願いします。……」
いつの間にか維月さんがマイクを持ったらしく、少し笑いを含んだ柔らかい声が聞こえてきた。黒光りする何かが後ろに見える。ピアノか何かが置いてあるのかもしれない。
いつの間にか維月さんが曲紹介を終えていて、拍手が起こった。維月さんが持っていたマイクを、星來さんが再び持つ。
「あの2人ね、すごいよ」
綴が私にそう囁いた直後、星來さんと維月さんが小さくすっと息を吸い込んだのが分かった。