風が吹いている。
下の方から、遠く波の音が聞こえる。潮の香りがする。
「飛び降りんの?」
夕飯何にするの? と訊くみたいな軽い声が聞こえて、ばっと振り向いた。
男の子が、1人。歳は17、8歳ぐらいだろうか。
「そうだよ、って言ったら?」
「写真撮ってくれない? って頼む」
「……違うって言ったら?」
「ゼンジュツの通り」
ゼンジュツ、という音が、頭の中で1秒も経たないうちに「前述」に変換される。日常会話にここまで堅い語彙を持ち込む人を初めて見た。
「ね、写真撮ってよ」
警戒心など持ち合わせていないのか、初対面の私にスマホを手渡してくる。
これをこのまま遠くの水平線に向かって放り投げたら、激昂した彼に突き落としてもらえたりしないだろうか。
「そこ立って」
脳内の想像が現実になることはなく、言われるがままに彼の方に数歩歩いて行く。
「立った」
「ありがとう。じゃあ海バックにしてさ」
彼と私の立ち位置が数分前と入れ替わる。彼は私には到底できないような眩しい笑顔で、ピースサインをこちらに向けた。
「映る?」と問われて、ひとつ頷いた。
1人で、こんな所で。
一体何をしているんだろう。
「じゃあ、いくよ。3、2、1」
かしゃり、と音がする。
薄曇りの中、輝くばかりの笑顔を浮かべた彼の姿が、小さな液晶に映し出された。
「そういえば、聞いてなかった。名前は?」
聞かれる義理はない。
「………歌」
スマホを返しながら「そっちは」と社交辞令として聞き返してやると、彼の目が一瞬遠くを見た気がした。
「……俺は綴だ。よろしく頼む、歌」
よろしくされる義理もない。
それなのに、「よろしく」という4音が、機械的に口から零れ出た。
思っても、いないのに。
ざざん、という波が砕ける音が、遠くに聞こえた。
「歌、歌うの好き?」
海を背後にして、ゆっくりと歩き出す。「ちょっと歩こうよ」と綴に言われて、拒絶する気力も起きずに付いてきたところだ。
名前を呼ばれたのか、「歌」という名詞を言ったのか、よく分からなかった。
「嫌い」
「そっか。楽器は?」
「弾けない」
「詩」
それが候補に入っていることに驚く。
黙り込んでいると、綴が「へぇ」と呟いて此方を向いた。
「書くんだ」
「………詩と名前がつくものか怪しいけど」
「でも、すごいよ。丁度探してたんだ」
「何を?」
「詩が書ける人。ユニット組みたくて」
詩が書ける人。
ユニット。
音楽?
ばちっと回路が繋がったように、頭の中に火花が散った。
「……はぁ?」
思っていたよりも尖った声が出て、好機とばかりに鋭い視線を彼に向ける。
「嫌?」
「自分が書いた詩が世間の耳目に晒されるのが大好きな人の方がどうかしてる」
持論だけど。
それは口には出さず、勢いのままに続ける。
「第一、私がどんな駄文雑文を書くのかも知らないでしょ」
「歌が見せてくれたらそれは解決するんだけどな。まぁ、無理にとは言わないけど」
あくまでも飄々とそう言う綴に言い返す言葉が見つからず、また黙り込んだ。
「見せてくれない? もし良ければ」
否定する言葉も見当たらなくて、諦めて綴に自分のスマホを手渡す。
メモ機能があるアプリに「うた」というフォルダを作って、そこに全てまとめてある。
「へぇ、すごく沢山」
横目でちらりと彼の顔を見ると、その双眸が吸い込まれるように文字列を追いかけているのが分かった。
心がふっと、暖かくなる。
その事実に気付いて、死にたくなった。
下の方から、遠く波の音が聞こえる。潮の香りがする。
「飛び降りんの?」
夕飯何にするの? と訊くみたいな軽い声が聞こえて、ばっと振り向いた。
男の子が、1人。歳は17、8歳ぐらいだろうか。
「そうだよ、って言ったら?」
「写真撮ってくれない? って頼む」
「……違うって言ったら?」
「ゼンジュツの通り」
ゼンジュツ、という音が、頭の中で1秒も経たないうちに「前述」に変換される。日常会話にここまで堅い語彙を持ち込む人を初めて見た。
「ね、写真撮ってよ」
警戒心など持ち合わせていないのか、初対面の私にスマホを手渡してくる。
これをこのまま遠くの水平線に向かって放り投げたら、激昂した彼に突き落としてもらえたりしないだろうか。
「そこ立って」
脳内の想像が現実になることはなく、言われるがままに彼の方に数歩歩いて行く。
「立った」
「ありがとう。じゃあ海バックにしてさ」
彼と私の立ち位置が数分前と入れ替わる。彼は私には到底できないような眩しい笑顔で、ピースサインをこちらに向けた。
「映る?」と問われて、ひとつ頷いた。
1人で、こんな所で。
一体何をしているんだろう。
「じゃあ、いくよ。3、2、1」
かしゃり、と音がする。
薄曇りの中、輝くばかりの笑顔を浮かべた彼の姿が、小さな液晶に映し出された。
「そういえば、聞いてなかった。名前は?」
聞かれる義理はない。
「………歌」
スマホを返しながら「そっちは」と社交辞令として聞き返してやると、彼の目が一瞬遠くを見た気がした。
「……俺は綴だ。よろしく頼む、歌」
よろしくされる義理もない。
それなのに、「よろしく」という4音が、機械的に口から零れ出た。
思っても、いないのに。
ざざん、という波が砕ける音が、遠くに聞こえた。
「歌、歌うの好き?」
海を背後にして、ゆっくりと歩き出す。「ちょっと歩こうよ」と綴に言われて、拒絶する気力も起きずに付いてきたところだ。
名前を呼ばれたのか、「歌」という名詞を言ったのか、よく分からなかった。
「嫌い」
「そっか。楽器は?」
「弾けない」
「詩」
それが候補に入っていることに驚く。
黙り込んでいると、綴が「へぇ」と呟いて此方を向いた。
「書くんだ」
「………詩と名前がつくものか怪しいけど」
「でも、すごいよ。丁度探してたんだ」
「何を?」
「詩が書ける人。ユニット組みたくて」
詩が書ける人。
ユニット。
音楽?
ばちっと回路が繋がったように、頭の中に火花が散った。
「……はぁ?」
思っていたよりも尖った声が出て、好機とばかりに鋭い視線を彼に向ける。
「嫌?」
「自分が書いた詩が世間の耳目に晒されるのが大好きな人の方がどうかしてる」
持論だけど。
それは口には出さず、勢いのままに続ける。
「第一、私がどんな駄文雑文を書くのかも知らないでしょ」
「歌が見せてくれたらそれは解決するんだけどな。まぁ、無理にとは言わないけど」
あくまでも飄々とそう言う綴に言い返す言葉が見つからず、また黙り込んだ。
「見せてくれない? もし良ければ」
否定する言葉も見当たらなくて、諦めて綴に自分のスマホを手渡す。
メモ機能があるアプリに「うた」というフォルダを作って、そこに全てまとめてある。
「へぇ、すごく沢山」
横目でちらりと彼の顔を見ると、その双眸が吸い込まれるように文字列を追いかけているのが分かった。
心がふっと、暖かくなる。
その事実に気付いて、死にたくなった。



