俺の悩みとか関係なく時間は流れて、あっという間に週末が来た。
俺が待ち合わせの場所に緊張しながら向かうと、映画館の前にモデルか俳優並みに目立つ人がいて、注目を集めていた。
「カッコいいな……え、あれ。矢島さん?」
近づいて見ると、眼鏡を外し、髪をワックスで整えていたから別人に見えたのだと分かった。
「鷺澤さん、今、俺のこと褒めましたか」
耳聡い。俺は恥ずかしくなりながら頷く。
「えっと、はい。別人だと思いました……」
矢島が、一瞬だけれど、頬を赤らめながらふわりと花が咲くように咲いた。
うわ……、やばい。くる。
鼓動が跳ね上がり、俺も顔が熱くなった。
「そろそろ時間なので行きましょう」
切り替えが早い。矢島は背を向けると、やっぱり早いペースで映画館の中へ向かった。
「えっ、ちょっとまっ……」
俺は追いかけようとして、間抜けにも、足をもつれさせて転んだ。
「いてて……」
尻餅をついてしまい、摩りながら立ち上がると、ガラス扉の向こうでとっくに映画館の受付でチケットを買っている矢島の後ろ姿が見えた。
こういうところは、相変わらずだ。
普通は怒るところなんだろうけど、俺は思わず一人で噴き出した。
そして、もしもと考える。
もしも、あそこにいるのが矢島ではなく、宇宙だったら。
そしたら、こんなふうにさっさと先に行くこともなく、俺を待ってくれて、スマートに手を差し伸べてくれただろうか。
会ったこともないのに、俺にはその姿が浮かんだ気がして、束の間、その想像を振り払えずに目を閉じる。
周囲の音が遠ざかり、俺は想像の中の宇宙と二人でいる感覚に浸る。
とても、幸せの感覚だった。
でも、それはすごく。なんというか。
「寂しいな……」
呟き、目を開く。
また目に涙が浮かび、指先で拭おうとした時、矢島が近づいてきた。
「鷺澤さん?」
矢島が声をかけてくるけれど、すぐには返事ができなかった。
一呼吸ついて、悲しみを鎮めながら苦笑いする。
「矢島さん、すみません。俺、宇宙さんのことを思い浮かべてしまいました。もしここにいるのが、宇宙さんだったらって……」
矢島は俺の言葉に、はっと目を見開いた後に、何かを考えるように目を閉じる。
「俺は……、いえ、鷺澤さんは、本当に宇宙さんが好きなんですね」
「そう、ですね。今さら、認めたってどうしようもないんですけど」
俺の言葉に、矢島は目を開き、首を振る。
「そんなことはありません。俺は前、鷺澤さんに言ってしまいましたね。なかなか自覚できないのは、本当は好きではないからだと。でも、撤回します。鷺澤さんのその顔を見ると、真逆だったんだと分かりました」
「真逆。そう、ですね」
気持ちが大きすぎたから、好きの一言で括るにはもったいなくて、足りなかった。
それだけだったのだ。
「鷺澤さん、俺は、その宇宙さんとは全然違いますか」
矢島がふいに尋ねてくる。
なぜか、とても祈りを込めた台詞のように聞こえた。
代わりになれませんか、の意味だと捉えて、俺は慎重に答える。
「違います。鷺澤さんは鷺澤さんです」
「どこが具体的に違いますか」
「宇宙さんなら、歩く時、歩調を合わせてくれたり、俺に、もっと……その、欲しい言葉をくれます」
可愛い、と初めて褒めてくれたことが思い出される。
でも言葉にするのは恥ずかしかった。
「そうですか……。鷺澤さん、手を貸して下さい」
「えっ」
言うが早いか、矢島は俺の手を取り、繋ぎ合わせて映画館の方へ歩き出す。
どこか自棄になっているように、強い力だった。
「矢島さん、痛い、です」
訴えると、矢島は黙ったまま少しだけ力を緩めてくれる。
けれど、俺を離すまいとする力はそのままだった。
「矢島さん、怒ってますか?」
「……はい」
「すみません。俺があんなことを言ったからですよね」
「俺が怒っているのは、鷺澤さんにもですけど、俺自身にもです」
「どうしてですか」
「俺が……その、宇宙さんそのものになれないことです」
「鷺澤さ……」
「映画が始まります」
話しているうちに、劇場の中に着いていた。
俺は矢島の言葉を繰り返し頭の中で反芻しながら、どうして俺は矢島を宇宙より好きになれないのかと思った。
宇宙からはもう、二度と返信はないかもしれないし、一生会えないかもしれないのに。
始まった映画は、恋愛映画だった。
主人公は役者で、本当の自分とは違う人間を演じ続けることにジレンマを抱き、苦悩していた時に、ある女性と出会い、その女性とぶつかり合いながらも、女性から、演じているあなたもあなただと言われたことで、主人公はジレンマから解放されていくという話だった。
俺は矢島がこういう映画を選んだことを意外に思いながら、横目で盗み見ると。
矢島もこちらを見ていた。
矢島が顔を近づけてきそうになったが、途中で思い直してスクリーンに視線を戻してしまった。
そして、代わりのように俺の手を再び、握る。
俺の手は、知らず知らずのうちに汗ばんでいて、離そうとしたが、矢島はそれを許さなかった。
矢島の怖いほどの想いを感じて、俺はどうにかなりそうだった。
「矢島さん」
暴れる鼓動を鎮めようとしながら、声をかける。
映画は終わり、劇場のスタッフが清掃を始めていた。
「映画、終わりました」
「そうですね」
矢島は一つ頷くと、呟くように言った。
「これでも……か。でも、そのほうが」
「え……」
呟かれた言葉が上手く聞き取れなかった。
いや、聞こえはしたが、意味と結び付けられずに、矢島に尋ねようとする。
「矢島さん、今」
「鷺澤さん」
矢島は俺の言葉を遮り、俺の方を見た。
「お願いがあります」
「何ですか?」
「一週間、俺に時間を下さい。その間、俺を宇宙さんと思って接して下さい」
「え……どういうことですか」
「俺は、宇宙さんになります。だから一週間後、答えを下さい。鷺澤さんが、俺のことを間違いなく宇宙さんそのものだと思えたら、その時に鷺澤さんの心の全てを下さい」
矢島は縋るように俺を見る。
俺は、断ってはいけない気がした。
とんでもない提案だと分かっていた。
そんなことをさせたら、矢島が矢島ではなくなると思った。
けれど、もしそうなったら。
俺は一度目を閉じる。
目の前に、宇宙がいることを思い浮かべる。
矢島が、宇宙に……。
目を開き、俺は頷いた。
「分かりました」
その答えがどういう結果を生むか、今は考えないことにした。
俺が待ち合わせの場所に緊張しながら向かうと、映画館の前にモデルか俳優並みに目立つ人がいて、注目を集めていた。
「カッコいいな……え、あれ。矢島さん?」
近づいて見ると、眼鏡を外し、髪をワックスで整えていたから別人に見えたのだと分かった。
「鷺澤さん、今、俺のこと褒めましたか」
耳聡い。俺は恥ずかしくなりながら頷く。
「えっと、はい。別人だと思いました……」
矢島が、一瞬だけれど、頬を赤らめながらふわりと花が咲くように咲いた。
うわ……、やばい。くる。
鼓動が跳ね上がり、俺も顔が熱くなった。
「そろそろ時間なので行きましょう」
切り替えが早い。矢島は背を向けると、やっぱり早いペースで映画館の中へ向かった。
「えっ、ちょっとまっ……」
俺は追いかけようとして、間抜けにも、足をもつれさせて転んだ。
「いてて……」
尻餅をついてしまい、摩りながら立ち上がると、ガラス扉の向こうでとっくに映画館の受付でチケットを買っている矢島の後ろ姿が見えた。
こういうところは、相変わらずだ。
普通は怒るところなんだろうけど、俺は思わず一人で噴き出した。
そして、もしもと考える。
もしも、あそこにいるのが矢島ではなく、宇宙だったら。
そしたら、こんなふうにさっさと先に行くこともなく、俺を待ってくれて、スマートに手を差し伸べてくれただろうか。
会ったこともないのに、俺にはその姿が浮かんだ気がして、束の間、その想像を振り払えずに目を閉じる。
周囲の音が遠ざかり、俺は想像の中の宇宙と二人でいる感覚に浸る。
とても、幸せの感覚だった。
でも、それはすごく。なんというか。
「寂しいな……」
呟き、目を開く。
また目に涙が浮かび、指先で拭おうとした時、矢島が近づいてきた。
「鷺澤さん?」
矢島が声をかけてくるけれど、すぐには返事ができなかった。
一呼吸ついて、悲しみを鎮めながら苦笑いする。
「矢島さん、すみません。俺、宇宙さんのことを思い浮かべてしまいました。もしここにいるのが、宇宙さんだったらって……」
矢島は俺の言葉に、はっと目を見開いた後に、何かを考えるように目を閉じる。
「俺は……、いえ、鷺澤さんは、本当に宇宙さんが好きなんですね」
「そう、ですね。今さら、認めたってどうしようもないんですけど」
俺の言葉に、矢島は目を開き、首を振る。
「そんなことはありません。俺は前、鷺澤さんに言ってしまいましたね。なかなか自覚できないのは、本当は好きではないからだと。でも、撤回します。鷺澤さんのその顔を見ると、真逆だったんだと分かりました」
「真逆。そう、ですね」
気持ちが大きすぎたから、好きの一言で括るにはもったいなくて、足りなかった。
それだけだったのだ。
「鷺澤さん、俺は、その宇宙さんとは全然違いますか」
矢島がふいに尋ねてくる。
なぜか、とても祈りを込めた台詞のように聞こえた。
代わりになれませんか、の意味だと捉えて、俺は慎重に答える。
「違います。鷺澤さんは鷺澤さんです」
「どこが具体的に違いますか」
「宇宙さんなら、歩く時、歩調を合わせてくれたり、俺に、もっと……その、欲しい言葉をくれます」
可愛い、と初めて褒めてくれたことが思い出される。
でも言葉にするのは恥ずかしかった。
「そうですか……。鷺澤さん、手を貸して下さい」
「えっ」
言うが早いか、矢島は俺の手を取り、繋ぎ合わせて映画館の方へ歩き出す。
どこか自棄になっているように、強い力だった。
「矢島さん、痛い、です」
訴えると、矢島は黙ったまま少しだけ力を緩めてくれる。
けれど、俺を離すまいとする力はそのままだった。
「矢島さん、怒ってますか?」
「……はい」
「すみません。俺があんなことを言ったからですよね」
「俺が怒っているのは、鷺澤さんにもですけど、俺自身にもです」
「どうしてですか」
「俺が……その、宇宙さんそのものになれないことです」
「鷺澤さ……」
「映画が始まります」
話しているうちに、劇場の中に着いていた。
俺は矢島の言葉を繰り返し頭の中で反芻しながら、どうして俺は矢島を宇宙より好きになれないのかと思った。
宇宙からはもう、二度と返信はないかもしれないし、一生会えないかもしれないのに。
始まった映画は、恋愛映画だった。
主人公は役者で、本当の自分とは違う人間を演じ続けることにジレンマを抱き、苦悩していた時に、ある女性と出会い、その女性とぶつかり合いながらも、女性から、演じているあなたもあなただと言われたことで、主人公はジレンマから解放されていくという話だった。
俺は矢島がこういう映画を選んだことを意外に思いながら、横目で盗み見ると。
矢島もこちらを見ていた。
矢島が顔を近づけてきそうになったが、途中で思い直してスクリーンに視線を戻してしまった。
そして、代わりのように俺の手を再び、握る。
俺の手は、知らず知らずのうちに汗ばんでいて、離そうとしたが、矢島はそれを許さなかった。
矢島の怖いほどの想いを感じて、俺はどうにかなりそうだった。
「矢島さん」
暴れる鼓動を鎮めようとしながら、声をかける。
映画は終わり、劇場のスタッフが清掃を始めていた。
「映画、終わりました」
「そうですね」
矢島は一つ頷くと、呟くように言った。
「これでも……か。でも、そのほうが」
「え……」
呟かれた言葉が上手く聞き取れなかった。
いや、聞こえはしたが、意味と結び付けられずに、矢島に尋ねようとする。
「矢島さん、今」
「鷺澤さん」
矢島は俺の言葉を遮り、俺の方を見た。
「お願いがあります」
「何ですか?」
「一週間、俺に時間を下さい。その間、俺を宇宙さんと思って接して下さい」
「え……どういうことですか」
「俺は、宇宙さんになります。だから一週間後、答えを下さい。鷺澤さんが、俺のことを間違いなく宇宙さんそのものだと思えたら、その時に鷺澤さんの心の全てを下さい」
矢島は縋るように俺を見る。
俺は、断ってはいけない気がした。
とんでもない提案だと分かっていた。
そんなことをさせたら、矢島が矢島ではなくなると思った。
けれど、もしそうなったら。
俺は一度目を閉じる。
目の前に、宇宙がいることを思い浮かべる。
矢島が、宇宙に……。
目を開き、俺は頷いた。
「分かりました」
その答えがどういう結果を生むか、今は考えないことにした。

