「ここの式は……で、これを使って解けば……」
朝から降り出した雨は、次第に激しさを増していく。
矢島が俺の家庭教師として教え始めてから、ひと月が経とうとしていた。
日頃は何をやっているのか、など雑談めいたことは一切しないが、俺も多少は矢島への接し方が身に付き、最初に比べたら必要以上に緊張することはなくなった。
そのおかげか、矢島も最初ほど突っかかるような物言いはしなくなった。
シャープペンを握り、ノートを見つめたまま、気を抜くと意識は遠くにいってしまいそうになる。
雨音ばかりが室内を満たした時、ふっと気がつけば、矢島が説明を止めていた。
顔を上げると、矢島が俺を見ていた。
説明を聞いていなかったことを責めるでもなく、呆れるでもなく、ただただ、静かに見ている。
俺は見透かされているような気がして、思いついたことを口にした。
「雨、酷いですね。帰らなくていいんですか?」
矢島は、俺の言葉で初めて気づいたのか、つ、と視線を窓の方に転じた。
視線から逃れられたことにほっとしていると、矢島は呟いた。
「何か、悩みでもあるんですね」
質問ではなく、確信を得た口調だったことに、そんなに分かりやすかったのかと苦笑が漏れる。
「大したことはないですよ」
誤魔化そうとすれば、矢島はそれを遮った。
「嘘、ですね」
はっきりと告げられた途端、俺はまるで何か悪いことをして、それを見抜かれたような心地がした。
「雨、上がるといいですね」
矢島は俺が答えるのも待たず、聞き出そうともせず、ただそう告げて、そのまましばらく窓の外を眺めていた。
俺は強く目を閉じ、何かが込み上げてくるのを堪える。
原因ははっきりしていた。
あれ以来、宇宙とのやり取りが途絶えてしまったからだ。
きっと、学校に行って、周りに友人がたくさんいたら、あの台詞に対して上手い言葉を返せただろう。
言葉の意味を汲み取ることもできただろう。
でも、俺にはできなかった。
ネットで、「妬く」を調べたら、そんな感情があることを知ったけれど、なぜあの場で、宇宙が妬いたのかが分からない。
俺が妬まれるようなものを持っているとは思えないし、恋愛感情を向けられているというのは、もっとあり得ないし、そう思うこと自体おこがましい。
だって、宇宙は、あまりに眩しかった。
俺に温かい言葉をくれ、未来への可能性を指し示してくれた。
そんな宇宙が、俺なんかを。
「鷺澤さん」
思考の波に溺れて、窒息しかけた時、矢島が俺を掬い上げた。
「そろそろ、テストをしましょう」
「テスト……」
いつの間にか俺を見ていた矢島が、珍しくほんの僅かに口元を緩めた。
「それに合格したら、学校に行くんです。そうしたら、忘れるはずです」
俺には矢島の提案が、残酷なようでいて、とても優しく響いた。
「俺は……」
忘れることが、できるだろうか。
学校に行っている自分を想像する。
友達ができて、たくさん笑い、宇宙のことを過去にしてしまっている自分を思い描く。
痛みが伴った。
けれど、俺はその痛みに蓋をした。
「はい、俺は学校に行きます。必ず、合格してみせます」
応えると、矢島はまた視線を窓に転じ、何かを考えるように目を閉じた。
朝から降り出した雨は、次第に激しさを増していく。
矢島が俺の家庭教師として教え始めてから、ひと月が経とうとしていた。
日頃は何をやっているのか、など雑談めいたことは一切しないが、俺も多少は矢島への接し方が身に付き、最初に比べたら必要以上に緊張することはなくなった。
そのおかげか、矢島も最初ほど突っかかるような物言いはしなくなった。
シャープペンを握り、ノートを見つめたまま、気を抜くと意識は遠くにいってしまいそうになる。
雨音ばかりが室内を満たした時、ふっと気がつけば、矢島が説明を止めていた。
顔を上げると、矢島が俺を見ていた。
説明を聞いていなかったことを責めるでもなく、呆れるでもなく、ただただ、静かに見ている。
俺は見透かされているような気がして、思いついたことを口にした。
「雨、酷いですね。帰らなくていいんですか?」
矢島は、俺の言葉で初めて気づいたのか、つ、と視線を窓の方に転じた。
視線から逃れられたことにほっとしていると、矢島は呟いた。
「何か、悩みでもあるんですね」
質問ではなく、確信を得た口調だったことに、そんなに分かりやすかったのかと苦笑が漏れる。
「大したことはないですよ」
誤魔化そうとすれば、矢島はそれを遮った。
「嘘、ですね」
はっきりと告げられた途端、俺はまるで何か悪いことをして、それを見抜かれたような心地がした。
「雨、上がるといいですね」
矢島は俺が答えるのも待たず、聞き出そうともせず、ただそう告げて、そのまましばらく窓の外を眺めていた。
俺は強く目を閉じ、何かが込み上げてくるのを堪える。
原因ははっきりしていた。
あれ以来、宇宙とのやり取りが途絶えてしまったからだ。
きっと、学校に行って、周りに友人がたくさんいたら、あの台詞に対して上手い言葉を返せただろう。
言葉の意味を汲み取ることもできただろう。
でも、俺にはできなかった。
ネットで、「妬く」を調べたら、そんな感情があることを知ったけれど、なぜあの場で、宇宙が妬いたのかが分からない。
俺が妬まれるようなものを持っているとは思えないし、恋愛感情を向けられているというのは、もっとあり得ないし、そう思うこと自体おこがましい。
だって、宇宙は、あまりに眩しかった。
俺に温かい言葉をくれ、未来への可能性を指し示してくれた。
そんな宇宙が、俺なんかを。
「鷺澤さん」
思考の波に溺れて、窒息しかけた時、矢島が俺を掬い上げた。
「そろそろ、テストをしましょう」
「テスト……」
いつの間にか俺を見ていた矢島が、珍しくほんの僅かに口元を緩めた。
「それに合格したら、学校に行くんです。そうしたら、忘れるはずです」
俺には矢島の提案が、残酷なようでいて、とても優しく響いた。
「俺は……」
忘れることが、できるだろうか。
学校に行っている自分を想像する。
友達ができて、たくさん笑い、宇宙のことを過去にしてしまっている自分を思い描く。
痛みが伴った。
けれど、俺はその痛みに蓋をした。
「はい、俺は学校に行きます。必ず、合格してみせます」
応えると、矢島はまた視線を窓に転じ、何かを考えるように目を閉じた。

