『俺、克服したい』
あの日以来、狐崎との間で"特訓"を行うようになった。
特訓は大きくは分けて二つで、一つ目が人に触る特訓。
「そやったら、はいどうぞ」
狐崎から手が差し出される。もちろん着ぐるみ越しだ、着ぐるみ越しなんだが……。
「なんちゅー表情してんねん」
眉間にはシワが寄り、涙袋がピクピクと痙攣する。
狐崎は両の指で口端に弧を描き「まず笑顔になってみい!」とレクチャーしてきた。
その通りにする。駄目だった。
狐崎がため息交じりに身じろぐと、着ぐるみの肘から先が垂れ下がる。ブラブラと腕を揺らせば、「何も入ってないでー」と言って、もう一度手を差し出してきた。
軽く深呼吸をし、その手を握る。
まだ体温の残った生地。緑の短毛はサラサラとして心地が良い。掌を合わせると、自分のものより丁度一回り大きい事が分かった。着ぐるみだからというより、そもそものサイズ感が大柄な人に向けて作られたものだからだと感じる。
そんな事を考えていると、急に着ぐるみの手に厚みができ、狐崎の指が、俺の指の間へとねじ込んできた。
「ぎゃあ?!!」
「ナハハ! 驚きすぎやろ」
驚きのあまり、椅子から崩れ落ちてしまった。周囲から心配の眼差しが向けられる。
ケタケタ笑う狐崎の頭めがけ、丸めたノートを叩きつけると、教室中に景気の良い音が鳴り響いた。
「急にそういう事するな!」
「いやー悪い悪い。つい悪戯したくなってもうて」
狐崎が先程の俺の動きを真似し出す。何がツボに入ったのか、机を拳で叩きつけながら、声を押し殺し笑い続ける。
(コイツ……! その頭、引っこ抜くぞ……!)
狐崎に近づいてみて、新たにわかった事がある。
まず目の部分は、黒目にいくつか小さな穴が開き、視界が把握出来るようになっていた。
口の部分は中に通じているようで、直に食べ物を突っ込んだ時は流石に引いた。
腰辺りにはファンが付き、耳を澄ますと風切り音が微かに聞こえてくる。
着ぐるみ素人だから何とも言えないが、思ったよりも作りが良いのかもしれない。少なくとも去年の文化祭で見た着ぐるみよりは格段にクオリティは高い。
「ふう。じゃ、触る特訓はこんなもんにしといて、次行こか」
「わ、わかった」
狐崎の手が下がるのを確認し、今度は自分の腕を机の上に置く。袖を手首まで捲って、掌を見せる。
二つ目は肌を見せる特訓。この時、見せる時間と場所は俺の方で決めて、狐崎にはあくまで見るだけに専念してもらう。単純なことだが効果は結構あり、指先までが限界なところから、今は手首まで見せれる程度には耐性がついた。
(手汗はかいていない、震えてもいない……でも。)
この結果に反して、俺の気持ちは真逆のそれになっていた。その理由が──。
「着ぐるみくーん、ちょっといい〜?」
手を瞬時に膝上へと下がらせる。その勢いに机がガタンと音をたて揺れた。目の前の女子グループはこちらに一瞬一瞥するが、すぐ狐崎へと視線を戻す。
「おーなんや」
「ちょっと一緒に写真撮って欲しいんだけど、今時間ある〜?」
(またか……)
転校時からそうだったが、狐崎はよく写真を撮られる。その物珍しさ故に写真映えするのだとか。先日は隣町の生徒からも強請られていた。
「別にええで〜ほれそこ並んで」
慣れた様子で写真撮影会が始める。パシャリと音が鳴れば、女子グループは写真の出来も確認せずにそそくさと出ていく。時間にして一分程度で事が終わり、狐崎が戻ってきた。
「少しは断ればいいのに。面倒くさいだろ」
「写真撮るだけならそない時間もかからへん。それに有名人みたいで何や嬉しいやん」
「人に良いように利用されて嬉しいとか、俺には一生分からない」
膝上で握りしめたままの拳。指先から掌の湿り気が伝わってくる。
そう、耐性が付いたと言っても、結局それは"狐崎の場合"に限っての話なのだ。だから他の人相手だと、変わらず肌は見せられないし、触らせる事が出来ない。
これじゃあいくら頑張ったところで……。
「一生分からんか〜。案外すぐに分かるかもしれへんよ?」
「?」
◇
教室に戻ると、狐崎周りがやけに騒がしくなっている事に気づく。何だか列らしきものも出来ているが一体……。
「んん……この手相は不幸の暗示が出とるで。最近誰かと別れたんやないんか?」
「な、何でその事を……!」
「ふふふ、俺には何でもお見通しなんやで。黒髪ロングの先輩と随分良い仲だったようやな。……だが! 今の運のままやと次また彼女が出来ても同じ結末になるで!」
「そ、そんな……! じゃあ俺はどうしたらいいんだ!」
「諦めるにはまだ早い。ラッキーアイテムは『トウモロコシ味のガム』や。今すぐ買ってくれば間に合うかもしれへんで」
「わ、わかりました! ありがとうございます!」
「おーおーがんばってー。はい、じゃあ次の人どうぞ―」
……何だあれ。
占いと聞こえたがそんなもの出来るなんて初耳だ。というか着ぐるみの関西弁ですらキャラが濃いのにこれ以上要素を入れてどうする!
客層はクラス内外構わずらしく、先程写真をねだってきた女子グループの存在も確認できた。
この時間は、特訓に付き合ってもらうのが、最近の流れだったのだが……。
まあ、特別約束をしていたわけではないから文句を言うつもりはない。が、あの占いが特訓の代わりだと思うと少しモヤつく。
とりあえず、今は狐崎には近寄らずに大人しくしておくか。
そう思い、自席に腰を下ろしかけた時だった。
「新島さん、ちょっと良い?」
「えっ、何」
「狐崎くんから伝言。『今すぐこっちに並んでくれ』だって。それじゃ」
それじゃ、じゃなくて。
口を動かす間もなく伝言係は去っていく。視線を移せば、狐崎たちは今も変わらず盛り上がりを見せていた。
(並んでってあれにか……)
正直気が乗らない。ただ、いつも特訓に付き合わせてばかりの身でありながら、狐崎の要求を断るのはあまりにも自分都合すぎる。
重い腰を上げ、狐崎に続く列の最後尾に付く。時間にして約5分で俺の番が回ってきた。
「よう来てくれたで級長くん! ささこちらの席に座って座って」
「あー、うん。それで俺を呼んだ用って何?」
「そんなん占いをするために決まっとるやんか」
まあ、それもそうか。というかここに並んでいる時点でそれを察せない方がおかしい。
服越しから伝わる人の気配。ようやく事態の大事さに気づき、背筋に嫌な汗が伝っていく。
「あ、いや、俺は手相占いとか別に……」
「まあまあそう言わんで。時間もかからんからお試しやと思ってな?」
「そうは言っても……」
視線をどこにずらしても、人の姿を捉えてしまう。肌を見せて平気なのは狐崎だけというのは先ほど実証済みだ。それがわかっていながら自分の弱点をさらけ出すなんてどうかしている。狐崎だってそれくらいわかっているはず……いや、わかった上で提案してきてるのか?
(逃げたい。けど、それじゃあ何も変わらないよな………)
袖をまくり、手の甲をゆっくりと前に出す。煎餅をひっくり返すかのように掌を見せれば、準備は整った。
周囲からの視線が一気に集まっていく事が嫌でもわかった。
喉の通りが一気に締まる感覚に肩が上下に痙攣する。俺は朦朧とする視界を固く閉ざした。
(肌と肌が触れ合う感覚も。不特定多数の視線が肌に刺さるあの感覚も。全部がホントに、ホントにっ──)
「占い中は余計なこと考えたらあかんで」
「え……」
「他のもんに気ぃとられてると占いの結果がそっちに引っ張られてまう。今級長君がしてるのは特訓やなくて占い──すなわち自分の未来のことだけを知る時間や。やから怖がる必要なんてあらへん」
狐崎の両手が俺の手に触れる。それはあの日と同じ、肌の表面をなぞるだけのもので、俺の手から滴り落ちるものをすくうかのような形をしていた。
徐に顔を上げれば、狐崎と視線が合う。その間も占いは続いており、時折「んー」や「なるほど……」と狐崎が言葉を漏らす。
その光景がおかしくて自然と笑みが出た。
(やっぱ、占いなんか出来ないんじゃないか)
不思議とさっきより怖くない気がした。
「おー! これは凄いで!」
「えっ。何が」
「この手相は勝利の暗示が出とる。『今まで辛かったことを乗り越え、加えて辛かった分の幸せも一気に返ってくるでしょう』やって!」
周囲から「お〜」と相槌が聞こえてきた。
くるでしょうって一応お前が占ってるテイじゃないのかよ。占い結果も自分の状況をバラされているようでムズムズするし……。
「お、時間や。次のお客さんが待っとるから、級長くん捌けて捌けて」
言われるがまま席を外すと、狐崎はもう次の占いを始め出していた。
急に梯子を外され感情が追いつかない。とりあえず手汗でもと、俺は手洗い場に向かい、舵を切る。
占い結果の時からそうだったが、呼吸も震えも既に落ち着きを取り戻していた。
教室に戻って10分が経ち、ようやく狐崎の占いが終わる。話を聞きに行けば案の定の答えが返ってきた。
「どやった? 見せる特訓の応用編。結構自然な形で出来てたやろ」
「どう見ても不自然だし。てかお前特訓じゃないとか言ってたじゃん」
「そんなん嘘も方便って奴やろ。現に級長くんそれ無かったらヤバかったやろ」
「そ、それはそうだけど……」
事前に相談はしてほしかった、こっちにも心の準備がある。色々と言葉は浮かぶが、それらを口にするのは止めておいた。
狐崎は徐に視線を逸らすと、少し低い声で話す。
「……さっきの話やけど、俺やてただ利用されるだけなんは嬉しないで。利用されるならこっちだって利用すればええ。簡単な話や」
その言葉を聞いて、さっきの女子グループが頭に浮かぶ。いや、それだけじゃない。狐崎の周りにいたのは全員、以前狐崎に写真をねだってきた連中だった。
ふと狐崎へ視線を戻す。狐崎は窓を眺めたままで一向に目を合わせようとしない。
表情が分からなくてもわかる、これは不貞腐れの類だと。
「ふは、そうだね。ごめん」
「分かればええんや」
胸が温かくなる懐かしい感覚。もう忘れてしまったものだと思ってた感覚。
「あーそれと。ラッキーアイテムは『可愛い着ぐるみ』やで」
なんだか、前よりコイツに近づけた気がする。
