文化祭当日。準備も前日までにひと通りは終わり、何事もなく開店する……はずだったが、一つ問題が起きた。
なんと当日になって、着ぐるみ役の生徒の一人が体調不良で欠席となってしまったのだ。
「まあ、一人ぐらいなら店は回るよな」
一人の男子生徒がそう答えると、皆も相槌を打って反応する。
俺もそれ自体には納得している。憂慮してるのは着ぐるみの扱いについてだ。
手元にある着ぐるみは全て自作であり、裁縫係が学校内限らず、製作に多忙な時間を割いてきた。
着る人の体型や身長に合うように、緻密な調整も重ねて来たのに、それが日の目を浴びずに退場というのは心苦しい。
かといって、着ぐるみを着てくれと頼もうにも、他のクラスメイトにだって別の用事がある事は承知している。
それならばどうするか。
その答えを示すように一歩前に踏み出す。
「それ、俺が着ても良い?」
皆の視線が俺に集まる。
「俺なら背丈や体型が近いから着れるはずだよ。どうかな?」
「そりゃ着てくれるなら嬉しいけど……新島くんは良いの?」
「うん、他にやる事もなければ、ちょっと着ぐるみに興味もあったし」
そう言うとクラスメイトは俺に感謝の言葉を述べた後、足早になって、着ぐるみを運んできた。
俺に渡されたのは黒ぶちのある白い猫の着ぐるみ。毛並みはとても滑らかで、秀明のものと比べても負けてないとわかる。
早速着ぐるみに袖を通す。
(なるほどな。こういう感じなのか、着ぐるみって)
ゴワゴワとした着心地。いつも着てる通気性の良い服とはまるで逆で、少し動いただけで熱が蓄積されるのが分かった。
そして頭部を覆えば、熱の逃げ場のない密閉空間が出来上がり、というわけだ。
「俺とお揃いやな。どや、初めての着ぐるみは?」
「……想像以上に暑い」
「アハハ! それじゃ、具体的にどういう事するか説明するで」
秀明からの着ぐるみレクチャーが始まる。
食事提供や接客など、基本的な事はそこら辺にあるカフェと大差ない。
違う点があるとしたら、接客時に着ぐるみらしい振る舞いを求められること。
大きな身振り手振り。子供相手にするような言葉遣い。帰り際に握手やハグをする必要もあるのだとか。
結構人との触れ合いがあるんだなと少し動揺するも、着ぐるみ越しなのだからきっと大丈夫だろうと、半ば強引に自分を納得させた。
秀明が「最後にもう一つ」と口にする。
「──あんまベタベタ触られんこと」
「? 着ぐるみなのに?」
「そうや、どんな姿でもパーソナルスペースは大事にしとかなあかん。ハグとかも最低限の触れ合いで抑えとくんやで、ええな?」
俺が頷けば秀明は時計に目をやる。
「さて、もうすぐお客さんも来る時間やな。気合い入れて頑張るで!」
「おー!」
◇
「来てくれてありがとう! いっぱい食べて飲んで、楽しんでい"ってね!」
枯れかけた声は着ぐるみを介して、くぐもった声として変換されていく。
俺が着ぐるみを着て、既に一時間以上は経過した。
自分で決めたこととは言え、ここまで過酷な作業だとは思わなかった。動くだけでも疲れるのに、身振りを誇張して、声も張らなくちゃいけないため、もう全身汗でびっしょりだ。
時計に目をやる。休憩時間まで残り十分。
(あと少しすれば休憩時間。それまでは頑張って仕事しなきゃ)
そんな事を考えていた時だ。
「うわ!」
腰部分を撫でられるような感覚。
驚きに振り返れば、そこには小太りな男性と細身の男性が席に座っていた。二人共頭にバンダナと眼鏡をつけており、THEオタクといった格好だ。
「おっと、これは失礼しましたでござる。拙者たち『着ぐるみ同窓会』をしている田中と」
「鈴木と申します」
「は、はあ……」
二人は眼鏡をクイクイと上下させながら、舐めるような目つきで俺の姿を捉えている
「デュフ、随分とディティールの高い着ぐるみですな。先程の触り心地も至高のそれ。良ければまたお触りがしたいのですがよろしいですかな?」
「え、えーっとハグだけなら……」
「かたじけない! それでは早速!」
男性は立ち上がると、こちらの返事も聞かずに勢いよく抱きついてきた。
全身を生温かい感覚が伝う。背中に回された手は上下に動き、腰元まで下りてくる事もあった。
着ぐるみ越しとはいえ、あまりにもベッタリと密着してくるため、嫌悪感が拭えない。
「こ、これはスゴイ! めっちゃモコモコしてますぞ!」
「ふむ、これを高校生の子が作ったというのですか、実に興味深い」
「あ、あの。あまり触らないで……」
そう答えるも男性たちの耳には届かなかったようで、未だ俺への触れ合いをやめようとはしない。
もう一度注意しようと口を開いた時だった──。
『バンッ!!』
轟音が教室内を響き渡る。秀明が壁を殴りつけた音だと気付くのに少し時間を要した。
「おい、セクハラすんなら帰れや」
「ちょ……!」
ファンシーな空間にそぐわない、ドスの効いた声。周囲の空気が一気に冷えていくのがわかった。
男性たちも秀明のあまりの凄みに腰を抜かし、床にへたり込んでしまっている。
その状況を察知した別の着ぐるみたちが、こちらに駆けつけてくれた。
「はーい、みんな! 今からじゃんけん大会をするよー! 勝った人には景品もあるからねー!」
お客さんの意識が逸れるよう、いつも以上に大胆な身振りで動く。
その隙に俺は秀明の手を引けば、急いで教室から飛び出した。
逃げ込んだ先は一階男子トイレ。丁度よく人もいないため、先程の事を切り出す。
「ハァハァ……何してんだよ、お前」
「あないセクハラまがいな真似されて、黙ったままでいられるかい」
「だからって怒りすぎだよ。ほかのお客さんもいたし、あの人たちだって別に悪気はなかったわけじゃ」
「は?」
空気がピリッとした。
「悪気がなかったら何しても許せんのか?」
「え、いや……そ、そういう事じゃなくて──」
ヒヤリとした感覚が背筋を伝う。
秀明の聞いたこともない声色。着ぐるみ越しじゃなければ、返事すら出来なかったと思えるほどの圧迫感。
『ガチャ』
秀明の返答に詰まっていると、トイレの扉が開かれた。
扉の先にいた男子生徒はこちらを見るやいなや、小さな悲鳴をあげる。
ラッキーだ。この男子生徒を利用すれば、ここから切り抜けられる。
「い、今はここから出よう。他の人の迷惑にもなるし」
「…………」
秀明から返事はなかったものの、俺のあとには素直についてきてくれた。
◇
着ぐるみカフェは何とか終わりを迎えた。
秀明の一件にて、俺たちを庇ってくれたクラスメイトに感謝と謝罪の言葉を伝えに行けば、「大丈夫だ」と笑って許してくれた。
話によればあの後、例の男性二人もやり過ぎたと反省の姿勢を示していたらしい。
これで一件落着……とはまだ行かなそうで。
カフェ閉店から暫く経ち、後片付けの時間が始まる。俺は一部材料を倉庫へと運ぶように依頼を受けたのだが。
「俺も行く」
別の荷物を抱えたまま秀明はそう答える。
俺たちは教室を離れた渡り廊下を進み、倉庫部屋へと足を踏み入れた。
倉庫内は独特のカビ臭さで充満していた。俺たちが歩を進めるたびにキラキラと埃が舞う。
指定された収納棚を確認するが、別の荷物がその上に積まれ、蓋となっていた。
俺と秀明はその荷物を一つ一つどかしていく。
ここに来るまで、秀明とはまだ一度も話せていない。先程の件が保留のままなのもあり、何だか気分が重い。
考えてる内に荷物の方は全てどかし、収納棚に全ての材料をしまう。
後は帰るだけ、そんな時に秀明は口を開いた。
「……ああ言う事されたら反撃せなあかんで」
「ああ言う事?」
「あのセクハラ行為や。ホンマアイツらふざけおって」
「あの二人も反省してるって話だったろ? それに別に俺は平気だから」
「平気? それ本気で言っとんのか?」
秀明がこちらに詰め寄ってくる。俺は後退するもすぐ壁とぶつかって逃げ場を失う。
「知らん男にあないベタベタ触られて平気やちゅうんか? 悪気がないなら触られる事も大目に見るわけかいな」
「そ、そうは言ってないだろ、ただ俺は──」
「またそうやって嘘を重ねるつもりか」
秀明の顔が耳元まで近づき、囁く。
「──あの時、"書いた言葉"も全部嘘やったんか?」
「っ! いい加減にしろ!」
俺は勢い任せに秀明を突き飛ばした。
俺の全力だというのに、秀明は少しよろめき、後退するだけだった。
「一体、何が言いたいんだよ……俺、わかんないよ」
「……そうか、分からんなら仕方ないな」
そう言うと秀明は、俺を壁際まで一気に追いやった。
背中に鈍い痛みが広がっていく。
「痛ッ……!?」
「じゃあ教えてやるよ」
秀明の身体が俺を覆い隠しながら、壁際へと強く圧迫していく。両端を物が占拠してることも加味して、とても動けるような状況ではなかった。
俺が動けないと分かった秀明は、今度は俺の腰へと手をやる。
そして、ズボンにインしていたシャツを引き出すと、空いた隙間へと指をねじ込み出した。
「な、何して……?!」
腰を伝う短毛生地。それはどんどんと上半身めがけて進んでゆく。
「や、やめ──」
「嫌なら反撃しろや」
シャツのボタンが一つ外され、腰回りが顕にされる。
抵抗しようと腕に力を込めたその時だった。
『ガチャ』
「でさあ、アイツめちゃくちゃ盛大にこけて」
「マジかよー! 超馬鹿じゃん!」
倉庫の扉が開けば、そんな会話が部屋中に響く。
血の気が一気に引いていくのが分かった。
秀明は左手で人差し指を立て、静かにするようにとジェスチャーをする。物陰の先で何かを物色しながら男子生徒たちは未だ話し続けており、とても生きた心地がしなかった。
ドンドンと服のなかに忍び込んでくる右手。シャツは更にはだけていき、今や胸辺りまで顕にされてしまった。
不快感と快感が入り乱れて、気が狂ってしまいそうになる。
『綺麗な肌だねぇ』
息が荒い。久しくなかった感覚に、言葉を絞り出すだけでやっとだった。
「や、めて……もう、やめて……」
「…………」
秀明は何も言わない。それがまた切なくて、悲しくて、我慢していた雫が溢れ出す。
ポロポロと。雫は俺の頬を伝い、やがて秀明の腕の上へと落ちていった。
『ガチャリ』
その音が男子生徒たちが出て行った音だと気付くと、途端に圧迫感がなくなった。
解放された俺はそのまま壁にもたれかかりながら、床にへたり込む。
かろうじて出せた言葉は、現実逃避のそれだった。
「冗談、なんだろ……? 冗談なら、そう言えよ……」
「冗談?」
乾いたような声色で秀明は俺を見下ろしながら返事をする。
そして──。
「──冗談なわけない」
その日から秀明は学校に来なくなった。
