野獣の呪いが解けても、──愛してくれますか?


…………。

 暗闇に包まれた部屋の一室。
 周りから寝息が聞こえ始めてから、数十分は経っただろうか。
 スマホで時刻を確認すれば既に日付を超えていた。
 『明日の朝まで起きようぜ!』なんて言っていたのが嘘だったような静寂の帳。
 静寂は人の気配を高める。起きてた時は何ともなかった雑音が、今は布団すら貫通して俺の眠気を削ぐ。

 おまじないも、健康療法も出尽くして、根性に縋るしかなくなったその時──ふと、スマホが揺れる。
 
 画面を確認して、思わず目を見開いてしまった。

『今から外に出れる?』

 通知元は狐崎からだった。
 俺は辺りを確認しつつ、畳部分を忍び足になって進む。
 部屋の外に出れば刺すような明かりが俺を出迎えた。監視もいないため、少しぐらい音を立てても問題はなさそうだ。

 早足になってホテルの出口を目指す。まるでスパイ映画の主人公になったような、ハラハラ感とドキドキ感が全身を包む。

 ミッションは無事成功。誰ともすれ違うことなく、出口まで到着した。
 俺を認識した自動ドアは大きな口を開いて、外の空気を一気に吸い出す。外の空気はヒンヤリとしてて、熱を帯びた身体によく効いた。

「よう、道希くん」
「うおっ!」

 物陰から出てきた狐崎が俺の頭を軽く撫でる。

「へー、浴衣姿似合うやん。カワイイで〜」
「そ、それはどうも。それで俺を呼んだ理由は?」
「まあ待て待て、ここやとあれやから一旦外行くで」

 空はあいにくの曇り空で、人工的な灯りを頼りに歩くしかなかった。
 狐崎は半歩、俺の前を進む。距離を空けられる事に少しムッとしてしまい、俺も意識的に歩幅を広げる。

「なんか今日やけによそよそしくないですかー?」
「えっ?! べ、別にそんな事あらへんけど〜。そういう道希くんも何かいつもより元気ないいうか……」
「いつもこんな感じだよ。それとも何だ、俺のこと元気ないヤツとでも言うのかよ」
「そないこと言ってな……イタタ! 脇腹を小突くの止めてや〜」
 
 そんな雑談を挟みつつ、しばらく道路沿いの歩道を進めば狐崎が立ち止まる。そして、方向を右に九十度切り替えれば、その先を指差した。
 先に見えるのは、数十段はあるであろう階段の道。

「それじゃあ行くで」

 狐崎が手を差し出す。

「今日はラックィーランドにいるわけじゃないけど」
「お互い着ぐるみと浴衣姿で階段上がるの辛いやろ。やからほれ」

 ああ言えばこう言う。
 とはいえ、知り合いがいるからという建前も使えなければ、他に案が出るわけでもない。ここは従うしかなさそうだ。
 一呼吸置いて、狐崎の手を取る。

 少し身体が冷えたこともあり、狐崎の温もりがより顕著に感じられた。
 
 階段を一つ、また一つと登っていく。
 狐崎は俺が一段登ったのを確認してから先に進む。決して下に見てるとかそういうのではなく、その様子は慈愛に満ちたそれだとわかる。
 
 階段を登り終えると、そこは展望台となっており、奥には弧を描くように手すりと、ベンチが二つ設置されていた。
 狐崎は俺の手を離せば、手すり前まで行くように促す。
 促しに従って身を運ぶと──。

「うわ、すごい……!」

 そこからは京都の街並みが一望でき、とても壮観だった。

「前にもここに来たことがあってな。道希くんにも是非見てもらいたいな〜思って」
「前は、誰と来たの?」
「誰とも。一人で来た。あん時は何もかもが嫌んなって、自暴自棄に旅してた時にたまたまここを見つけたんや」

 狐崎が俺の隣に来る。

「……今日は生憎の天気やが、この景色見てたら自分の考えとる事が小さい事に思えて、次第に元気も湧いてきた。やから、道希くんもこの景色見たら元気なるかな〜思って連れてきたってわけ。……まあ俺の勘違いみたいやったけどな」

 軽く笑う狐崎は再び景色を見やる。
 その瞳には一体どう見えているのだろうか。
 空に阻まれ、一枚衣に覆われて。

 俺は意を決して、言葉を絞り出す。
 
「お前は、その着ぐるみが脱げるようになったら嬉しい?」
「そりゃ嬉しいけど……道希くんは違うん?」
「……わからない」

 たった一枚。その一枚の隔たりが今の俺たちの関係を象徴しているように思えた。

「お前がそれを脱いだ時、お前から貰った魔法が全部解けて、何もかもが元に戻っちゃうような気がして、俺は怖い」
「道希くんは、何も変わりはしないで」
「どうしてそう言える?」
「ずっと見てきた俺が言うんや。それ以上の言葉は要らんやろ?」

 狐崎の言葉がスッと胸の内側に入っていく。
 ポタリと雫が手の甲に落ちる。何事だと思い、手の甲をひっくり返す。また一つ、ポタリと雫がこぼれては掌に溜まっていく。
 

 雨だ。
 気づいた頃には遅く、それは衝撃を強めて、浴衣を貫通し、肌へと伝っていく。

「なんや、雨かいな! タイミング悪いのう!」

 狐崎も遅れてその事に気づき、俺たちは急ぎ、道を引き返した。
 ホテルまで残り半分の距離になった所で、雨が更に酷くなる。雷鳴すら聞こえる状況に、流石に雨宿りしようということになった。

 京都の一角にあった軒先。
 周囲には誰もいない。傘を買うためのコンビニすらない。
 近くの自動販売機がぼうっと光るだけで、他に頼りとなる明かりも確認できなかった。

「うへー流石に足はグチョグチョや」

 狐崎が足踏みすると水分を吸った布の音が耳についた。
 俺も俺で浴衣が肌にまとわりついて気持ち悪い。袖を試しに絞っても水分がカラになる気配はない。

(やばい……)
 
 寒さに身震いをしてしまう。
 どれだけ肌を擦っても体温は上がらない。それどころか、吹き付けてきた風が寒さをより更に体温が低下していく。

「おい、大丈夫か?」

 狐崎が心配そうな声色で尋ねてくる。
 「大丈夫」と震え声で返事をしても、狐崎の信用を得られないのは分かっていた。
 自動販売機を確認しに行く狐崎だが、現金払い専用だったのか引き返してきた。

 俺は寒さに耐えきれず、自分を抱え込むようにしゃがみ込んでしまった。肌と肌が触れ合うため、多少は寒さが凌げるが、狐崎の心配は加速させてしまうのだろうな。
 
「……道希くん、ちょお良いか?」

 そんな事を考えていたら、狐崎の声が聞こえた。

 徐に顔を上げ、思わず目を丸くしてしまった。
 狐崎が両腕をおずおずと広げ、こちらの出方をチラチラと伺っていたのだ。

「前部分やったら濡れてへんし暖まれると思うで。ほら、風邪引くよりはマシやと思うけど…………やっぱアカンか?」

 その姿を見て、初めて狐崎と会った時のことを思い出す。悠々として、自分都合なその様が酷く腹立たしかったのを覚えている。
 今はこちらに近づくでもなく、ただただ俺の出方を待つ狐崎。普段より縮こまったその姿が、何だかとても愛おしく見えた。
 
「……ううん。それじゃあお言葉に甘えようかな」

 一歩一歩と近づき、そして──狐崎の胸に顔を預ける。

(温かい……)

 とくとくと、体温と共に脈打つ感覚が伝わってきて、狐崎の存在をありありと感じる事が出来た。
 狐崎の両腕がだんだんと閉まっていく。昔見た食虫植物のそれと似ている。
 完全に腕で閉ざされるも、圧迫感はない。今の俺でも振り解けるくらい、緩やかな拘束だった。
 
「もう少しこうしてようか」

 狐崎の声が、すごく近い。
 動悸が激しくなる。これが体温云々が原因でないことは、ラックィーランドの時から分かっていた。
 あの名残惜しさも、あの熱を帯びた感覚も、全部全部。

 狐崎の背中に手を回す。雨粒をもろに食らった背中は、温く、力を込めれば水がしみ出てきた。

 感情が溢れて止まらない。
 頭では駄目だって分かるのに、この想いを言葉にしないともう気が済まなかった。

 

『──俺、秀明が好きだ。』