夏休みが終わり、再び学校が始まり出して暫く。
朝の挨拶もそこそこにして、自己紹介の時間が設けられた。
「改めて、東雲修斗って言います。このクラスで過ごせるのはもう半分くらいしかないけど、仲良くしてくれると嬉しいです。よろしく!」
あの日の狐崎同様、東雲の周りには人が集まり四方八方から質問が飛んできていた。
「腹減ったで〜、はよ飯食い行こ〜」
「はいはい」
東雲の姿をまじまじと見ては、記憶を掘り起こす。
やはり、あの時とは身なりがだいぶ変わった。元野球部らしく黒髪坊主に、服装もキッチリとしており、落ち着いた雰囲気という印象だった。今だと銀髪の無精髪、服装もシワが寄っていたりと、全体的に無造作かつ派手な感じになっている。
海外での生活が東雲に何か影響を与えたということだろうか?
「あっ」
ふと東雲と視線が交わる。
東雲はふわりと笑みを浮かべれば、こちらへ手を振る。その反応に俺もつられて手を振り返す。
今の笑みからして、根本的な所は変わってなさそうだ。
「何してんの道希くん。はよ行こうや」
「あーうん」
荷物を手に持ち、出口へと向かう。
教室を出る時、再度東雲を見たが、東雲の視線は既に別のクラスメイトへと向けられていた。
◇
『あー髪色変わったからわかんないか。俺だよ、東雲──"東雲修斗"だよ』
ラックィーランドの夜。目の前の男性の言葉に思考が固まるが、かろうじて言葉を絞り出す。
「あの東雲……?」
「そうそう! マジか、こんな所で道希に会えると思わなかった」
かつて級長で親の都合で海外にいるはずの、あの東雲修斗。
やっと巡ってきた酸素に、思考がハッキリし始めた。今度は声を張り出す。
「いやそれはこっちの台詞だし! 海外に行ってたんじゃなかったのか?!」
「うん、行ってたよ。ただ夏になって色々と都合が付いたというか……複雑だから説明は省くけど、まあつまり俺が望むのであれば日本に戻っても良いって事になったんだよ」
それはまた唐突なことだ。
ふと、今朝方のメッセージアプリの履歴を頭に浮かべる。直近来てた連絡は、狐崎と母親、あと公式アプリだけだったはず。
「だったらもっと早く教えてよ……」
「ごめんごめん。夏休み明けに復帰する予定だったから、サプライズにするのもありじゃねって思って」
「アハハー、じゃあそれは成功したワケダー。……ったく、それで今日は誰とここに?」
「向こうで出来た友達と、観光案内がてら来たみたいな。そっちは?」
「ああ、俺は──」
言いかけた言葉が、喉の奥へ引っ込む。不意に肩を引かれたと思えば、目の前を大きな壁が遮る。
いつかの既視感、そして……。
「何やお前」
低くドスの効いた声。パレードを見ているはずの狐崎が唐突に姿を現した。
身体を前のめりにして、東雲との距離を一定に保つ。硬直した態勢は、まるでカウンター待ちをしているかのように見えた。
「キャストの人? 何か今喋ったけど……」
「キャストやなくて友達や。やけに帰りが遅いと思ったらこういう事かい。ナンパなら他所でやれや」
「は?」
「ちょ、狐崎! お前なんか誤解してるって!」
お互いに何が何だかといった様子に、事態が更に複雑化していく。正直俺もまだ混乱はしているが、まずは現状を説明しなくては。
「狐崎、コイツは俺の友達で東雲修斗って言うんだ」
「道希くんの友達〜〜?? 何や道希くん、こない派手な頭した奴と友達やったんか?」
東雲にも同じように説明をする。だが……。
「クラスメイト? ……ああ、なるほど。その格好はこの日のためのコスプレってとこか、ビックリしたー」
「学校でもこの姿や」
「アハハ、流石にその冗談は効かな」
「本当です」
「……マジ?」
魔法の言葉『一身上の都合で』を巧みに使い、とりあえず狐崎の存在を認知させる事には成功した。これでようやく会話が進みそうだ。
「でも、やっぱこの姿が教室にいるなんて想像がつかないなー」
「すぐ慣れるよ。むしろ今はお前の姿のほうが違和感ある」
「そんな変?」
「変ではないけど。前とは大分印象が違うというか」
「まあそれは……いわゆる海外デビューって奴だよ!」
「何だそれ」
「俺の話より道希の話が聞きたいな。そっちこそなんか色々と雰囲気が変わったというかさ──」
「──お前、人と一緒やないんかい」
狐崎がそう言って、東雲のレジ袋を指差す。レジ袋からは水滴が染み出ており、地面に何滴か落ちた形跡が確認できた。
「パレードももう終わるやろうし、俺達は先に帰らせてもらうで。な、道希くん」
「あ、確かに、それもそうだな──」
と、俺が言い終わるや否や、狐崎が再び俺の手を取ってきた。
「うわっ!」
あの熱を感じる間もなく、手を振り解いてしまう。狐崎も俺がそんな反応するとは思わなかったようで、空になった掌を宙に浮かせたまま固まってしまった。
「あ、いや、知ってる人の前だから今はちょっと」
「お、お〜、そやったか。そらスマン」
「俺の前だからって……じゃあそれ以外だと手を繋いでたってこと?」
「え、まあうん」
「……へえ」
靡くだけの風が吹き、東雲の目元が髪で全て塞がれる。
「……──じゃあさ、"あの日の事"はもう『プルルッ、プルルッ──』」
東雲の言葉は、不意に鳴る着信音によって阻まれた。東雲は塞がれた両手を何とかしつつ、ポケットから携帯を取り出す。
「げっ」
東雲は口元をへの字にして携帯に向き合う。
僅かな躊躇いとため息。東雲はこちらを一瞥だけして、俺たちに少し離れた位置へ移動した。
…………。
「ごめん、やっぱ連れからだった」
戻ってきた東雲はそう答える。
「色々と聞きたいことはあるけど、夏休み明けにまた会えるから、またな道希」
「うん、また」
「狐崎くんも、また学校で」
「お〜……」
離れていく東雲の姿は、一瞬にして人混みに飲まれてゆき、もう一度瞬きをする頃には、もう完全に行方が分からなくなった。
◇
あの日のことを思い出している内に体育館裏へと到着する。前来た時より青葉は濃くなり、蝉の合唱と体育館内の響きが合わさって、辺りの空気が揺れる。
「さあ道希くん、今日も特訓するで」
「特訓って何?」
予想外の位置から声が聞こえ、ギョッとした。後ろを振り返れば、そこには質問攻めのはずの東雲の姿が。
「うおっ!? お前いつからそこいたんや!」
「教室からず〜っと着いてきてたよ。逆に何で気づかないかな〜」
この砂利道の中、音も立てずについてきてよく言う。
東雲は表情を変えずに続ける。
「それで特訓って何?」
◇
体育館裏の石階段へ、東雲、俺、狐崎の順に横並びで腰掛け、これまでの事を伝える。
「へ〜肌に触るのと見られる特訓ね。それで? 実際効果はどうなの?」
「えっと、前よりは大分良くなったかな」
肘まで捲ったワイシャツの袖にそっと触れながら答える。
「これも全て、俺との特訓があってこそやな!」
「うん。本当にありがとう」
「ちょ、ちょお待ってや〜。そこは調子乗るなとかツッコんでくれんと〜」
「体育祭であれだけ自慢してた奴が、今更何を照れてんだ」
軽く狐崎の頭を小突く。
「じゃあさ──今、俺に触れる?」
そう言って、東雲は掌を見せると、俺の太もも付近にそれを近づけてきた。
若干の戸惑いと体温低下。
俺は一呼吸だけおいて、東雲の掌にそっと自身の手を重ねた。
「本当に触れてる。凄いね」
東雲の手は動かない。お互い動きが固まったまま十数秒が経過する。これは……こちらから何か行動をしないといけないのだろうか?
その予想は当たり、俺が指先に力を入れれば東雲の指先にも力が加わっていき、逆にこちらが力を緩めれば東雲もそれに合わせてくれた。
それを二回ほど繰り返して俺は手を引っ込めた。
東雲も同じように手を引っ込めれば、しばらく空を見上げた後、口を開く。
「ねえ道希、俺ともその特訓やろうよ」
「えっ」
「はあ〜〜?! お前、急に何言い出しとんねん!」
狐崎が立ち上がる。
「もう道希は君と特訓する事に慣れちゃってる。このまま続けても、これまでみたく大きく変わる事はできないと思うな」
(それはまあ……確かに)
東雲は話を続ける。
「その着ぐるみを脱いでの特訓なら話は別だけど、そうじゃないなら生身の俺と特訓した方が効果はあると思わない? ……道希の都合を知る分、色々と手間も省けるしね」
「道希くんの、都合やと?」
「──わかった。東雲とも特訓する」
二人の話に半ば強引に割り込む。
俺の返事にそっと笑う東雲に対し、狐崎からは焦ったような声色が返ってきた。
「ちょ、道希くんええんか?! そんな話乗って!」
「東雲が言ってる事は間違ってない。最近特訓してるっていう自覚も薄れつつあったし、これを機に新しい事を始めるのもありだと思う」
「それはそうかもしれんけど……いや、まあ、道希くんがええなら俺が邪魔する必要はないか」
「ありがとう」
「話はまとまった?」
「うん。面倒かけちゃうかもだけどこれからよろしくな」
「うん、よろしく」
俺が手を差し出せば、東雲もそれに従って行動してくれた。
それは触れるだけの、シンプルな握手だった。
◇
あの日を境に、道希と東雲は一緒に行動することが増えた。
特訓含め、級長としての務めに対しても、二人は良く一緒に行動していたため、必然的に狐崎と道希が会う時間は減っていった。
はたから見てもそれは明らかで、喧嘩でもしたのかと噂される事も珍しくない。
「何が喧嘩やくだらん。今はたまたま、偶然、仕方なく離れとるだけで、ちょ〜お待てばまた一緒に遊べるようになるわ、フンッ」
「だからって私の席に来ないでよ」
月村は机に置いた本に手を添えながら話す。
ラックィーズとバブルくんの話を教えてもらったあの一件から、月村と二人には人知れず交流が出来ていた。
今回みたく狐崎がダル絡みをする事もあれば、先月のラックィーランドの件について、道希の方から何かおすすめのスポットはあるか聞いたりと、何かとお世話になっている。
「そんな嫉妬ばっかするくらいなら、本人に会えばいいじゃん」
「はあ〜〜〜?? 別に嫉妬なんかしとらんし〜〜?? ただ俺が言いたいんは──」
「あ、新島くんと東雲くん」
狐崎の頭が右に三十度ズレる。
ズレを直しつつ、教室出口に目をやるがそこには別のクラスメイトたちが話しているだけで道希や東雲の姿はなかった。
「嘘よ」
月村はいつの間にか本を開いており、視線も合わせず淡々と告げる。
「……嘘つきは針千本飲ますって言うわな」
校舎のベル音をゴング音に見立てながら、狐崎は月村を凄むのだった。
◇
「はい、じゃあ今日の特訓ね」
東雲の手が、俺の前腕に触れる。身体が少し強張ったが、不快感はない。
屋上入口前の階段。東雲と特訓する時はいつもここに集まる。体育館裏と同じように、ここも人が滅多に来ないため、特訓や秘密の会話をするにはうってつけなのだ。
特訓中は東雲にこれまでの事を話したりして時間を過ごす。級長の仕事のことだったり、授業のこと、体育祭や夏休みのことといった具合だ。
ただ、今日は少し毛色が違った。
「狐崎くんとはどんな感じなの?」
「え? 狐崎と?」
東雲から狐崎の話を振ってきたのは初めてのことだった。
「どんな感じって別に普通だけど」
「普通にしてはやけに親密見えるな。出会いとか、どうやって仲良くなったとか聞かせてよ」
何でそんな事をとも思ったが、まあ東雲からしたらそりゃ気になるか。
俺の事情を知りつつ、適度な距離で関わりを持ってくれた東雲。狐崎と同じく、東雲の存在も、俺にはかなり心の救いになっていた。
これからもお互い付き合っていくならば、俺の近況を東雲は知る必要があるし、俺はそれを教える義務がある。
懇切丁寧に、俺はこれまでの出来事を話し始める。
「そしたら、アイツあの時──」
スラスラと、考える間もなく。
「えー? 本当にそんな事あったのー?」
「本当本当!」
気分が高揚としてくる。狐崎と話す時とはまた違った感覚だ。これは……そう、家族へ狐崎の話をしていた時と似ている。
話す度に、狐崎とのこれからに期待が膨らんで、それが話の潤滑油となってくる。
狐崎は今、何をしているだろうか?
「道希、狐崎くんの事が本当に好きなんだね」
「え、ええ??」
頬に熱が集まっていく。間違ってはないが、そう直接言われると反応に困る。
「狐崎くんになら、道希を任せても心配なさそうだ」
「親みたいなこと言うなし」
「アハハ。……狐崎の格好ってさ、ずっとあのままって訳じゃないんだろ?」
「うん、ある程度実績を積めば脱げる……と思う」
「実績?」
「勉強とか、生活態度とかかな。まあ、一言で言えば「真面目に過ごしなさい」ってこと」
狐崎の家庭事情については言わず、あくまで最小限の事だけを伝える。
なるほどと頷く東雲。
「まあ、本人も頑張ってはいるみたいだし。近い内に脱げる日は来るとは思うけどね」
「ふーん、それは"楽しみ"だね」
"楽しみ"
……その言葉に返答できない自分がいた。
着ぐるみを脱ぐこと。それは狐崎の本望であり、成されれば当然祝福するべきだとは思う。
ただ、俺個人としてはどうなのか……。その景色に直面して、楽しみや喜びといった感情を俺は抱くのだろうか。
狐崎の姿が頭にちらつく。生身ではなく、着ぐるみの狐崎を。
俺は……、どう思うのだろうか。
「道希? 道希大丈夫?」
「え……ああ、うん大丈夫」
「大丈夫なら良いけど。急に黙っちゃうから心配したよ」
ホッとしたように笑えば、東雲は触れていた手を離して、目線を前へと向ける。
「話変わるんだけどさ。今日の放課後、ちょっと狐崎くん借りても良い?」
「俺は別に良いけど。何か用が?」
「うん、大事な話がしたくてね」
そう言って軽やかに階段を下れば、東雲は俺を見上げて待つ。
その瞳はいつか見た、純粋無垢な輝きと濁りが内蔵した青を放っていた。
濁りを加えたのは他ならぬ自分自身、そして……。
居た堪れない気持ちに俺は目を逸らし、階段を下り始めた。
◇
…………。
夕日の差し込む廊下道。ヒグラシの鳴く声だけが学校内を行き来していた。
道希を見送った東雲は今、窓際に寄りかかり、目的の人物の到着を待っていた。
「お前ええ加減にしとけよ」
開口一番、その人物はそう告げる。
「フッ。何だ、嫉妬してんのか?」
「嫉妬しとるのはそっちやろ。俺と道希くんの間ズケズケ入り込みおって」
「ハハ、君のことは色々と聞いたよ。大変だね、お父さんと仲直りするのって」
「……誰から聞いたんや」
狐崎の声のトーンが一つ低くなる。
「学校関係者に知り合いがいて、その人から大体の事と、後は道希の話を照らし合わしてかな?」
「おいおい、個人情報って知っとるか?」
「子供の純粋な興味なんだから大目に見てよ。……それで、君のその"呪い"を解く鍵が級長──"道希"だったから近づいた。そうだよね?」
「だったら何やねん」
東雲の瞳が夕日も相まって、万華鏡のように反射と輝きを放つ。
狐崎ですら、一瞬呆けてしまう程に、それは美しい青色と夕色のブレンドだった。
「ならさ、俺が級長に戻ったら、もう道希とは関わらない?」
「そんなわけ無いやろ。俺と道希くんはもう友達や」
その言葉に、東雲の瞳に影がさす。
「友達、ね……じゃあそんな君へ一つアドバイス。──今のまま道希と接し続けたら、お前も道希も"最悪の結末"を迎える事になるよ」
そう言って、東雲は狐崎に背を向ける。そして、そのまま夕日に染る廊下道を歩き始めた。
一瞬思考が固まった狐崎だったが、東雲が数歩進んでようやく声を絞り出す。
「おい待てや! どういうことやねんそれ!」
「側だけの関係に依存するなってこと。それじゃ」
東雲はそう言って、進む方向を切り替えれば階段を下り、狐崎の視界から姿を消した。
狐崎は東雲を追いかけることもなく、まるで魔法が解けてしまった玩具のように、その場に固まり続けて動けなかった。
