野獣の呪いが解けても、──愛してくれますか?


 正午を過ぎ、昼の特番を丁度見終えた時にインターホンが鳴った。
 母は、リビングの扉に身体を隠しながら玄関を見つめる。その目には戸惑いの色を含ませていた。

「いらっしゃい」
「よお、道希くん。今日はお世話になりますわ」

 ──今日は狐崎が家に泊まる日だ。



 体育祭が終わって暫く、俺たちはいつもの体育館裏へとやって来ていた。

 「数学がわからん」
 「はい?」

 いつも通り特訓をしていた時、狐崎がそう口にした。

「ごちゃごちゃと数字だけやのうて英語も出してからに。あんなモン将来、何の役に立つんや!」
「テストが返ってきたから明らかにふてくされてるじゃん」
「こう見えて俺やって頑張っとるんやで? それでも取れへんも取れへん。一人で出来ることの限界っちゅうんをあの親父は何も分かってなくて困るわ」

 最近の狐崎はお父さんの話を結構する。大半は愚痴だが、たまに思い出話もする。狐崎には年の離れた"姉"がいると知ったのもそれがキッカケだった。

 そして、今の口ぶりからもそうだが、狐崎とお父さんは定期的に連絡を取っているようだ。当初こそ勘当なんて言うものだから連絡など取り合ってないものだと考えていたが……。
 案外、二人が仲直りできる日もそう遠くないことなのかもしれない。

「そこでや。もうすぐ夏休みやから、その時に級長くんの家で勉強会でもしようや」
「えっ、俺の家で?」
「そや。自分の部屋やと怠けてまう。級長くんの家やったら真面目に勉強出来そうや」
「うーん、親が何て言うかにもよるなー」
「体育祭であんだけ活躍したんや、級長くんの親御さんやって免疫ついてるやろ」
「免疫って……」

 まあ実際、体育祭終了後に親も「あの速い着ぐるみは何だ?!」的な事は言ってたし、初見で度肝抜くみたいなことはないか。

「まあ、良いよ。親には俺から言っとく」
「よっしゃ、じゃあ今のうちに予定組んどくか」



 ──そして今に至る。
 母さんには前もって伝えていたが、この反応からして冗談だと踏んでいたようだ。それか中身の方が来ると思っていたのか。

「道希くんのお母さんもこんにちわ〜、狐崎秀明っていいます〜」
「あ、ああ! ごめんなさい、まさか本当に着ぐるみ姿で来るとは思わなくて!」

 そう言いながら狐崎をまじまじと見つめる母。
 私用で外出する時、狐崎はTシャツとオーバーズボンをいつも着てくる。以前月村さんに見せてもらったバブルくんの私服と酷似してたため、それを参考にしたのかもしれない。

「いや〜驚かせてしもうて申し訳ありません」
「いえいえとんでもない。いつも道希と仲良くしてくれてありがとうね。今日はゆっくりしていって頂戴」
「じゃあ、俺の部屋行くか」

 階段を登り、自室の扉を開く。
 家族以外に自室を見せるのは初めてかもしれない。
 
「お〜これが道希くんの部屋か!」

 狐崎は自身のリュックを放り投げ、部屋の物色を始める。テレビを点け、丸机に顔を擦り付けたり、ベッドの中に包まったり。

「はっ! ベッドの下にエロ本が隠してあったり……」
「そんなもん隠すか!」

 まるで大きな小学生だ。変にテンションが高いのは人の家に来たからなのか?
 ベッドを抜け出た狐崎は次にテレビ台の中を確認し出す。

「ほおー色んなゲームが置いてあるんやな〜。お、このゲームとか中学生のときようやってたで」
「それは……昔、"知人"とよく遊んでたよ」 

 " あの日"を境にそのゲームで遊ぶこともなくなった。捨てることも出来ず、ずっと見ないふりをし続け、今の今まで存在すら忘れてしまっていた。

『ウィーン』

 不意に鳴る機械音、音の出どころは……。

「あ、何ゲーム起動してんだ! 今日は勉強しに来たんだろ!」
「まあまあ、休憩やと思ってちょお遊ぼうやないか」
「来たばっかで休憩もあるか! ったく」

 ゲーム機の電源を落とせぱ、狐崎は情けない声をあげる。
 机に教科書とノートを広げる。リュックを一瞥すれば、意図を察した狐崎はリュックを拾い、同じように教科書を取り出し、ようやくと勉強会が始まる。

 勉強会がしばらく進む。途中雑談を挟みながら、お互い分からない事は聞き合う。運動が出来ない分、勉強だけは程々に出来たため、狐崎の役に立っているという実感があった。

 母が持ってきたお菓子が半分ほどになった頃、初めての休憩時間になる。
 人に教えるというのは中々に骨だ。少なくともただ勉強するだけより、数倍は疲れる。
 
 狐崎はというと、ペン回しをしたまま、先程電源を落としたゲーム機を見つめ続けていた。あからさまなその様子にため息混じりに一言。
 
「……やってみる?」
「ええんか!」

 明らかに声のトーンが上がった。
 ゲームの電源を付ければ、少し古い効果音と共にオープニングが再生される。オープニングからタイトル画面までは数十秒にも足らずの事なのに、既に俺の気持ちはあの頃に戻りつつあった。
 三つあるセーブデータの内、空の一つを選択して名前を決める。狐崎と道希のデータだから「コザミチ」と名付けた。
 
「少しだけだからな? わかったか?」
「はいは〜い」

 ※四時間経過。

「うわっ! ちょ、今のは無しじゃないか?!」
「何や、俺の地元じゃこんくらい反則のうちにも入らんで」
「ここでローカルルール出すなよ……もう一回!」

 このゲームはオムニバス式に展開される他、ミニゲームが多数収録されているため、一度ハマり出したら抜け出すのは難しい。そんな事を今更思い出して反省する自分と、ここまで来たらとことんやれと言う自分とで、頭の中が渋滞する。

 そんな俺に区切りをつけたのが母の声だった。

「道希ー! 狐崎くーん! そろそろご飯よー!」
「わ、わかったー!」

 ゲームをポーズ画面で止め、扉を開けて、そう答える。

「あらーもうそない時間なったんか。ちょお楽しみすぎたな」
「本当にな。お前は夕飯どうする?」
「んーそうやな……道希くんの部屋で食べるのはあかん?」
「別に大丈夫だよ。じゃあ今持ってくるから」
「おーありがとうな〜」

 狐崎に夕飯を届けた後、再びリビングへと向かう。食卓には既に三人分の食器が並べられていた。

「狐崎くんにちゃんと届けた?」
「うん。食べ終わったら下まで持ってくるって」
「何だ、てっきり二人で食うんじゃないのかと思ってたんだが」
「まあ、色々とあって」

 箸でおかずを拾いながら、「いただきます」と口にした。
 今日の出来事を頭に列挙しつつ、二人へと話す。
 勉強会と称していた手前恥ずかしい。だが、二人はそれも学生の本分だと言って微笑んでくれた。

 父がリモコンを手にしてテレビの音を下げる。父がこの時間にいるのは珍しい、いつもは俺と母の後に夕飯をとっているのに。

「それにしてもお昼はビックリしたわ。まさか本当に着ぐるみのまま来るなんて、フフッ」
「あー、体育祭の時にいたリレー速かった子か。お前もすごい奴と友達になったもんだ」
「自分でも驚いてるよ。今でも何でこうなったのかわからないし」
「狐崎くんとはもう長いのか?」
「ゴールデンウイークからの付き合いだから……三か月くらい?」

 こう聞くと狐崎と関わり出してまだ半年も経ってない。濃すぎる日々は時間の感覚を麻痺させるとはよく言う。おそらく今後これを超えるものは出てはこないだろう。
 
 『トントンッ』

 突然のノック音。しばらくして扉が開く。

「家族団らんの所失礼致しますー。食器持ってきましたー」
「ご丁寧にどうも。お口には合ったかしら?」
「そりゃもう! いやーこない美味しいご飯が毎日食べれる道希くんが羨ましいですわ!」
「あら、上手いこと言うんだから」

 頬に手を当てながら、笑みを浮かべる母。この一瞬で母を絆すとは流石というか何というか。父はというと、狐崎が来てからはソワソワした態度でその様子を伺っていた。

「いつも道希と仲良くしてくれてありがとうね。最近この子も楽しそうに過ごせてるみたいで──」
「ちょっとそういうの恥ずかしいから止めてよ」
「何で恥ずかしいの。ただ感謝を伝えてるだけじゃない」
「その感謝の内容ってのが……もういいや。ほらお前も用が済んだならとっとと部屋に戻って……」

「…………」
「狐崎?」
「あ……いや、何でもあらへん。そんじゃ俺はここらへんで」

 そう言って狐崎はリビングを後にした。何だか物言いたげな様子だった気がするが、気のせいだろうか?


 
「出たでー」
「おかえり」

 風呂上がりの狐崎が戻ってきた。着ぐるみ姿なのは変わりないが、昼間の私服とは違いパジャマを羽織っていた。

「風呂入っとる時、鶴助ける話思い出したわ」
「あー、ここは決して開けないでください的な……いや、お前が鶴役かよ」

 丸机は壁端に寄せ、スペースの出来た場所に敷布団を敷く。
 狐崎がその上に寝転がる。布団を一枚被せると、つま先が少しだけはみ出た。
 いつもこんな感じで寝て……いや、一人で寝る時は着ぐるみは着ないんだから、狐崎もこれが初体験という訳か。

「はたから見たら、デカいぬいぐるみ寝かせてるみたいだな。寝心地はどんな感じ?」
「ぼちぼちやな。少なくとも寝返りをする心配は無さそうや」
「アハハ」

 照明を落とし、俺もベッドへと潜り込む。
 自分以外の気配が部屋にある。久しく忘れていた感覚だ、正直ここが一番の難所とすら思ってた。だが、その杞憂に反して、目蓋は自然と重みを増していく。

 そういえば、今日は一度も特訓をしなかったな。
 
「……道希くん、まだ起きとる?」
「起きてるよ」
「そっか。なら、ちょおお話しようや」
「別に良いよ」

 そう言って俺は身じろぎ、横向きに体勢を変える。

「今日は久々に休日が楽しい思った」
「俺も」
「道希くんの親御さんもええ人で助かったわ。ここ来るまで追い出されるんやないかヒヤヒヤしてたもん」
「それでか。いつも以上に猫被ってたのは」
「え〜? 俺、そない猫かぶってなかったやろ〜」

 早々とした深呼吸。狐崎の声のトーンが変わる。

「……なんか、久しぶりにオカンの事思い出した」
「狐崎のお母さん?」

 狐崎の口から母親の事が出てきたのは初めてだった。狐崎が続けて話す。
 
「もう大分前に死んでもうたんやけどな。道希くんたちの絡み見て、俺も昔あんなふうやったわ思って」
「そうだったんだ……狐崎のお母さんってどんな感じの人だったの?」
「ん〜、オモロくて優しくて、怒ると手が付けられへん人やったな」

 ちょっと狐崎に似てる……って言ったら恥ずかしがるんだろうな。話の腰を折ってしまう気がした為、その言葉は喉の奥に引っ込めておいた。

「でもある日を境に、オカンメッチャ厳しなってな。マナーやら作法やらを、とにかくスパルタで叩き込んできたわけよ」

(ああ。それで……)

「元々身体が丈夫ってわけやなかったし、病院に通う回数が日に日に増えてたのも知ってた。やから、オカンからしたら、自分の死期みたいのを悟っての事やったのかもしれへんけど、クソガキ秀明は「何でこないメンドイ事せなあかんねん!」ってめちゃ反抗してたわ、アハハ」

 狐崎は乾いた声で笑えば、今度は消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。

「……死んでまうなら、もうちょい真面目に親孝行しとけば良かったな」

 しばしの沈黙。カーテン越しから微かに漏れ出ていた月明かりがふっと消えた。暗闇の中に飲まれていく狐崎の姿は、いつもより小さく見えた。
 沈黙は狐崎のあくびと共に破られる。

「……なんや変な空気にしてしもうたわ。ごめんけど、今のは無かったことに」
「空手が続いたのが一カ月」
「はい?」

 狐崎がこちらに顔を向ける。

「筋トレは一週間、ゲーム禁止が三日、モケモンの色違い探しは一時間。」
「えーっと……つまり?」
「何かを継続するって凄い難しいんだよって話。高校生になった今でも上手くいかないのに、子供の頃に言われたことなんて更にだと思わない?」

 暗闇の中、確かに狐崎の姿を捉えて告げる。
 気にするなとか、子供だから仕方ないなんて無責任なことは言えない。
 だから、俺が知っている事を言葉に──。

「それをお前は高校生になった今でも続けてる。それってとても凄い事だし、俺がお前のお母さんならきっと嬉しい」
「…………」

「だから──お前は十分に親孝行できてるって、俺はそう思うよ」

 狐崎から返事はなかった。
 俺は最後に「おやすみ」とだけ口にして、目蓋を完全に閉ざした。