野獣の呪いが解けても、──愛してくれますか?

 
 ジリジリと刺すような日差し。この日差しを前に人工的な明かりは不要だ。
 パチリとスイッチを押せば、教室全体が淡い影に包まれる。風鈴を聞くと涼しくなると言うように、明かりが無いだけで幾分か暑さがマシになった気がする。

「あ"あー暑いわー! 何で俺がこないおもいせなあかんねん!」
「着ぐるみ姿なんだから仕方ないだろ。プールは来年まで我慢しろ」
「嫌やー! いやいや!」

 狐崎がジタバタと暴れ出すが、暑さが加速したようで次第に動かなくなった。声をかければ返事はするため気絶はしてない。

(ったく、見てるこっちがヒヤヒヤするよ)



『うちの親父、そのラックィーズとかの『社長』やねん』

 衝撃的な暴露から数日が経過した。
 分かったことはいくつかある。
 ネットでも調べたが、バベルくんについては月村さんが言っていた事以上の情報はヒットしなかった。やはり初出しはあの設定資料集で間違いなさそうだ。

 一番気になる狐崎のお父さんについては、ラックィーズ本社のホームページを見たところ"狐崎洋司"という男性の写真を見つけた。
 厳格な顔立ちと鋭い切れ目をした男性だった。狐崎の父親だからもっとラフな感じだと予想していたため、このギャップに思わず面食らった。

 狐崎のことは、承知の上なのだろうか……。真相を知るには直接聞くしかない。



 空っぽの教室に二人。今はプールの授業であり、他生徒は皆そちらに向かった。

「級長くんは去年もこない暑い部屋で過ごしてたんか?」
「まあね。人がいない教室も悪くないだろ」

 プールに参加できない人は、教室にて簡単な自主学習をする。監視はない。量も決まってない。この空間を『ズルい』にするのは全て俺たち次第というわけだ。

("一身上の都合"で自主学習か……。俺も人の事言えないな)

 ワイシャツの袖に触れ、ボタンを外しては戻すを繰り返す。
 最近は狐崎も俺も忙しく、腹を割って話すような時間を確保出来ずにいた。聞くなら今しかない。
 
「ちょっとゲームでもしない?」
「ゲーム? 別にええけど」
「今からお前にいくつか質問するから、お前はそれを俺の背中に文字にして教えてほしい」
「背中文字っちゅうやつやん。何でまたそない事を?」
「ただ質問するだけじゃ面白くないし、お前も口で答えにくいことの一つや二つあるだろ? 後、特訓のキッカケにもなるしな」

 『直接聞く勇気がないから』とは言えなかった。
 狐崎が「なるほど」と納得したのを確認すれば、俺は背を向ける。背後から椅子を引く音が聞こえれば、背中越しに微かな熱を感じた。

「じゃあ最初に。どうしてこの学校に来たの?」
 
 狐崎の指先が背中を滑ってゆく。
 いつもの表面に触れるだけのものとは違い、指圧がかけられているのを実感する。

「"お や じ の せ い"……?」
「正解や!」
「何でお父さんのせいで転校することに?」

"や く そ く し た か ら"

 お父さんと、約束したから……?
 約束一つで着ぐるみ生活を強いられるまで発展するのか? 流石に突拍子がなさすぎる。
 答え合わせをすると狐崎からの解説が始まる。

「いやな、今親父と絶賛喧嘩中やねん。それもいつ勘当されてもおかしないレベルで」
「勘当!? なんでそんなことに!」

 思わず大きな声が出てしまった。
 勘当なんてそうそうある事じゃない。もしかしたら態度に出してないだけで、結構厳しい家庭環境で暮らしているのだろうか……。

「いやあ、親父のクレカ無断で使いまくったんバレてな」

 前言撤回。やっぱコイツが一番悪い。
 狐崎曰く、使用用途は友達との付き合いが全般とのこと。それも支払いのほとんどを狐崎が奢っていたらしく……。

「そんで支払いが三桁万円超えたあたりで、親父の堪忍袋の緒が切れてな。『もう、お前はこの家の人間じゃない! 出ていけ!』って言われてもうたんよ」
「そりゃそうだろ……」
「社長なんやから百万ぽっち屁でもないやろ! ケチすぎるでホンマ!」

 反省の色なし。これは値段だけの問題じゃなさそうだ。
 事のキッカケは分かった、約束についても何となく予測出来る。

「じゃあ約束ってのは──」
「"着ぐるみ姿のままで真面目に暮らすこと"──それさえ出来れば家に戻すし、お金ももう好きに使ってええんやって」

 狐崎が「ホンマイカれてるわ」などとボヤいているのを他所に、俺は絶句してしまった。

(その親にして、この子ありだな……)

 勘当を言い渡すまではわかる。だが着ぐるみのまま生活しろというのが分からない。
 狐崎家が変なのか、お金持ちが変なのか。
 
「俺に関わってきたのもそれが理由?」
「真面目いうたら級長やん。やからその子の役に立てば俺の刑期も短かなる思ってな〜……怒った?」
「ハァ……それ以上に呆れが来るって」

 ──正直、安心した。狐崎にばかり苦労をかけていたものかと。俺との関わりで、狐崎に一定の利益があるのなら、むしろその方が良い。

「アハハ〜良かった〜。級長くんに嫌われてもうたかと、内心ビクビクやったわ〜」

 狐崎の口調がいつも以上に砕けている気がする。家族の話をしたからだろうか。俺も狐崎のことを知れて、何だかスッキリした。

「てか、全部喋っちゃってどうすんだよ。これじゃあ特訓にならないだろ」
「ええやん、ええやん。級長くんもこの事が知りたくてウズウズしてたんやろ?」

 バレてた。やっぱ最初の三つくらい『好きな〇〇は何?』とかにするべきだった。
 
「じゃあ次は級長くんの番やな」
「え、俺もやるの?」
「当たり前や。ほれ早く」

 背中を向ける狐崎に、俺は近づく。
 その背中をキャンパスに見立て、指先をペンのように構えた。

「じゃあ質問や。好きな食べ物は?」

 着ぐるみ越しでも伝わるよう、指圧をかけ、文字を記していく。
 狐崎の体温と肉質が指先に伝わる。毛皮の滑らかさに潜むのは、適度に引き締まった筋肉──所謂細マッチョといった感じだ。

 "す し"

 狐崎からの質問は至って簡単なものばかり。好きなものから嫌いなもの、行ってみたい場所といった具合だ。

 "お き な わ"

 "す う が く と ぶ つ り"

 "あ お"

 それを狐崎は全問正解していく。

「意識して書いているとはいえ、よく着ぐるみ越しで分かるよな」
「元気百倍、感度百倍って奴や」
「生々しいから感度は止めろ」
「アハハ、じゃあ次で最後の質問な」

 辺りを包む影が一段階暗くなる。恐らく太陽が雲に隠れたのだろう。
 
「──何で、人に触れんようになったん?」
「…………」

 思考は至って冷静だった。こんな日がいつ来てもいいよう覚悟はしていたからだと思う。

 指先を滑らし、記憶を文字に起こす。
 何時間が経ったか……いや、きっと数分も経っていない。この瞬間だけスロー再生しているんじゃないか、そんな気さえした。

 秒針を刻む音が酷くうるさい。

 "     に     わ れ た か ら"

 最後の一画を書き終えたのに、俺の指先がその場から動く事はなかった。
 これで狐崎の関係がこじれたとしても仕方がない。そう割り切るしかない。

「ん~、今回のはなかなか難しいなあ。今すぐ答えを出すには、ちょお確証がないというか」

 狐崎が珍しく言いよどむ。
 困らせてしまった。そう思い、謝罪の言葉を口にしようとしたとき。

「──やから、待っといてくれや。俺の考えがまとまるのを。いつか絶対に君に伝えるから」
「……うん」

 その言葉が心の奥底に浸透していく。俺は思った以上に恵まれていたようだ。
 こう正面から向き合ってもらえることがとても嬉しい。拒絶されてもおかしくなかったはずなのに。
 
 汗が頬を伝っていくのがわかった。
 今更、狐崎と友達になりたいと、なれそうだと感じている自分がいた。

 "あ り が と う"

「今のはわかるで! 『かりんとう』やろ!」
「ハハッ、違うよ」

 教室に日差しが差し込む。いつの間にか雲は晴れていた。